第三章22
ダンジョンは帰路も危険だ。帰ることができるという気の緩みが油断に繋がるし、当然ながら帰るまでの間に魔物と出会うこともある。さらにこれまで進んできたのと同じ距離を、疲弊した体で戻っていかなければならない。だからこそ、ダンジョンを潜る冒険者にとって引き際を見定める判断力は重要となってくる。
そんなことは冒険者であるならば理解していて当然のことである。初級ダンジョンに挑みすぐに命を散らすような者たちは別だけれど。
一発逆転を夢見て現実を直視せずに夢を見たまま死んでいく。ダンジョンのことをよく調べることもせず、成りあがった者たちの美談だけを信じて自分もそうなろうとした落伍者たち。それは冒険者ではないというだけの話だ。
危険な魔物や罠、過酷な地形に溢れたダンジョンを冒険する。そして貴重な資源を生きて持ち帰るために力と知恵を用いるのが、ダンジョンに挑む冒険者という連中なのである。
何故そんな基本的なことを、今更考えないといけないのか。もう既にダンジョンの中にいるというのに、本当に今更のことである。
けれど、それを改めて話さないといけない状況になっているのだ。そんな基本的なことを諭すように話さないといけないような相手ではないと思っていたのだけれど。そう思いつつ、先日私のパートナーということになった巨体の女を見上げて疲れたように口を開く。
「あのね、ギガースが凄く体力があるのはわかったわ。けど、そろそろ戻るべきだと思うの」
「む、たしかに多少の疲弊こそあるが、まだいけるぞ。帰りのことを考えても、だ」
ふぅん……ちゃんとそのあたりのことは理解していたらしい。けれど、それならば尚更言いたいことがある。少し目を吊り上げるようにして睨む……というか相手の背が高すぎて、そのうえ私の背が低すぎるから、自然に見上げることになるのだけど。
それを見て彼女はどうしたのかと首を傾げた。だから、でっかい体に強面でそういう可愛い仕草やめなさいっての、可愛いでしょうが。
「帰りのことについて理解してるなら、私のことも気にかけてほしいって話よ……コロクルはこの見た目の通りに、あんまり体力がないのよ。ごめんなさいね」
ん、何故か拗ねたような語調になってしまった。普段であればこれくらいの不満は飲み干して取り繕えるはずなのに。とりあえず、咳払いをして誤魔化しておく。
そんな私に対してジョゼは首を傾げる。ここまで言ってもわからないのかこいつは。拗ねるというより怒りがわいてきそうになる。
「ここまでの地形はしっかりと見て憶えた。奇襲を受けそうな場所も把握している。入り口までの道程くらいならば、レリアを抱えて守りながら帰ることはできると判断しているからこそまだ進めると言ったんだぞ。ただ、もう少しくらいならば歩く程度はできるだろうと、少し過剰評価してしまっていたことは確かだな、すまない」
なにそれ。はぁ……? なによそれ。ほんと、なにそれ。抱えて帰るって私は子供か。そもそもが、文字通りおんぶに抱っこまでしてもらうほど私はまだあんたに何もできていないでしょうに。しかもそれじゃあ、あんたの負担が滅茶苦茶増えるじゃない。
いや、きっちり守ってくれるっていうのは、嬉しいですけれども。抱きかかえられるとか、少し気になるけれども。でもそれは、こう、ちょっと違うでしょう。
なんだか頭の悪いことを考えている気がする。でも私は悪くない。だって悪いのはこいつだもの。利用するだけのはずだったのに、こんなことを考えさせているのはジョゼだもの。
その言い訳染みた思考こそ、子供の癇癪そのままで頭が悪いということは理解している。それでもどうしてか、平時であれば冷え切ったはずの思考は彼女のそばでは熱を持つのだ。
「……はぁ。私はあくまでもパーティメンバー。そこまでしてもらうわけにはいかないわ。ちゃんと帰りも先行して魔物の確認はするし、戦闘でも魔物の一部を引き受ける」
「む、なるほど……守るということに固執し過ぎたか。改めて聞くことになるが、ダンジョン内であっても私たちは、あくまでも対等な仲間だと思ってもいいんだな?」
「……えぇ、それでいいわ」
仲間。それも、今更。でも何故か、彼女ならばいいと思えてしまう。仲間なんて今までは自分が生き残るために利用する存在の代名詞でしかなかったはずなのに。
彼女が言うそれは、違うものに思えた。いや、思ってしまった。思いたいのだろう。
「だって、パートナーでしょう」
「ん……そう、だったな」
そう答えながら嬉しそうな微笑みを浮かべる彼女を見ていると、どうしてか胸が締め付けられるような感覚を覚える。苦しさと、痛み。
これは果たして、どういう意味を持っているのだろうか。私は何に対して苦しんで、痛みを覚えているのだろうか。考えれば理解できそうな気がする。理解してしまう気がする。
思考に沈みながら思わず胸を押さえてどうにか思考を止めた。そんな私の様子を見て、何も理解することなく首を傾げている彼女が本当に恨めしい。私が何も言っていないから、理解できないのは仕方ないことだけれど。
結局、私の言葉を受け入れたジョゼは引き返すことを了承してくれた。ここまできたのと同じく、二人で協力しながらダンジョンの外を目指す。
疲弊した体は、奥へ進んでいたときよりも自由に動いてはくれない。しかし、体力の有り余っているジョゼがフォローを入れてくれる。それを受けると、思ったように動かない体でも休んではいられないと思ってしまい、結局私は進んできたときと同じかそれ以上に頑張った。
だからというわけでもないと思うけれど、大きな怪我もなく地上へ戻ることができた。非力なコロクルが多少頑張ったところで、ギガースの全力からすれば誤差。戦闘という面においては、私はあまり役には立っていないだろう。
ジョゼがギルドへ向かうにあたって、私は外套をすっぽりと被り静かに離れる。勿論、私の正体を晒すわけにはいかないからだ。だからギルドでは今まで通りただの子供として振舞っており、ジョゼのパーティメンバーとしてそこへ入ることはない。
つまり、私は正確には冒険者ではない。登録はしていないし、勿論ギルドカードすら持っていない。そんな私が冒険者としてのあり方をあれほど真面目に考えていたかと思うと、少しおかしいなと感じた。
冒険者としての報酬は全てジョゼのギルドカードへ入れることになっている。最初は現金として半分出してもらい受け取るようにと言われたが、下手に怪しまれても面倒だ。
それに私たちの目的は同じということになっている。共同の資金として里に送るための物資を買うために使えばいいと言えば納得してくれた。
路地裏でジョゼが買い取りを終わらせるのを待ってから合流する。ギルドカードを見せてもらえば結構な金額になっているのがわかった。
あくまでも目的を果たすための手段でしかなかった冒険者としての活動だが、中々に良いものかもしれない。今回の仕事が終わったあともジョゼと協力関係を続けるのなら、冒険者としての仕事を続けるのもいいかもしれない。
「凄いわね、さすがギガースの戦士さん、ってところかしら」
「たしかに戦闘に関してはギガースであり、そして戦士として鍛えてきた身である以上、それなりの腕があると認識している。だが、スムーズに探索できたのはお前の技術あってこそだ。もう一度謝罪する、過剰評価などと言ってしまった。君は最高のパートナーだよ」
大真面目な顔で私の頑張りを認めるその姿を見て、馬鹿じゃないのかと思った。そんなに嬉しそうに最高のパートナーだなんて、まだ騙されているというのに本当に人を疑うことを知らないお人好しだと呆れてしまった。
だというのに、私は自身の頬がだらしなく緩んでしまうことを止められない。だから咄嗟に顔をそらす。口元を手のひらで覆って、彼女の言葉にどうにか小さく答えた。
「……真面目に返さないでよ、もう」
駄目だったか、なんて頭をかいているその姿が本当に腹立たしい。腹立たしいくらいに私の胸中をかき乱す。駄目だなんて言ってないし。
本心をそのままなんて言えるわけもなく、だから服の袖を引っ張って顔をこちらに向けてもらう。そうしてもう一度小さく、けれどはっきりと呟いた。
「認めてくれて、ありがとう」
その私の言葉を聞いて、彼女は一度呆けたような表情を浮かべてから、一つ頷いて私の頭をそのばかでかい手のひらで撫でた。だから私は子供かっていうの。
彼女のその言葉が、行動が、私の心の中の閉ざされた部分を叩いている。その無骨な見た目に似合わない優しさで。私はもう、閉ざした扉の手前まできてしまっている、そんな気がした。でもまだ、その取っ手を握ることはできなかった。




