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祝福の鐘を鳴らしたら  作者: 古賀幸也
第三章 罪には罰と許しを与えること
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第三章13

 飼い主の命令に忠実に従う犬。そのように振舞う人が嫌い。だから話を聞いたとき、そして実際に彼らを見たとき、最初に覚えたのは嫌悪感だった。

 主のご機嫌を窺って、尻尾を振る女。それを従える男。私の嫌いなものが詰まったような光景に催した吐き気を堪えることに意識の何割を持っていかれたことか。


 それでも、私は無邪気な少女を完璧に演じてみせた。知っているけれど知らない、無垢な少女というものになりきった。自分の意思を別のところに置くようにして、体は動く。

 当然のことだ。だって私自身が、その一番嫌いな主に忠実な犬なのだから。飼い主の命令には逆らえないし、完璧にやり遂げなければいけない。だから訓練を受けた体はその命令通りに、目の前の相手を油断させるために無垢な少女を自然に演じた。


 見返りがなくとも、生きるため。ひたすらに命令されたことをこなす。

 毎日、毎日……何十回も、何百回も。どんなに辛いことだろうと、汚いことであろうと。


 物を盗んだ。子供を攫った。親を脅した。人を、殺した。

 最初は泣いて、吐いて、震えて、悪夢で飛び起きるような有様だった。でも、今はもうどんな命令を受けても、ただの作業と変わらずこなすことができるようになった。


 できるようになってしまった、というほうが正しいのだろうか。それについての正しい判断はもう、自分にはできないのかもしれない。

 普通の少女。普通の倫理観を持った少女。普通の人生を歩んできた少女。それを真似て、それらしく振舞うことはできるけれど、私にとっては遠すぎる普通だから。そんな風になってしまったから。


 無感情に盗む。無表情に攫う。無意識に脅す。そして、無意味に殺す。

 だから今回もそのつもりだった。つい感じてしまった嫌悪感に蓋をして、彼らの情報を集める。それが与えられた仕事だから。犬は生きるための餌をもらうためにそれを忠実にこなす。


 そのはずだったのに……。


 つい、拳をかたく握る。今回の仕事のために与えられた宿の一室。誰も見ていないからこそ、普段は抑えているものが出てきてしまった。

 振り上げて、振り下ろす。小さな拳が枕にあたり、軽い音を立てた。もう一度振り上げる。今度は力をこめて振り下ろした。先ほどよりも大きな音が鳴り、心の淀みが少しだけ晴れる。


 久々に一人になれたから、気が緩んでしまっているのかもしれない。大きな音を立てて宿の主人や他の客に怪しまれるようなことがあれば自分の首を絞めることになってしまうというのに。

 首を数度振るう。あいつらのせいだ。調子が狂う。気に入らない犬と、その飼い主ならまだ良かったのに。それならば、日頃から感じている怒りややるせなさと同じ。蓋をしてしまえる。


 思い出す。今日出会ったあの四人組を。飼い主と犬。そうだと思った。けれど違った。ただ私が知っているものに当て嵌めてしまってそう見えただけ。

 笑っていた。自然に笑っていたんだ。本当に幸せそうに。信頼の滲む笑みを、互いに向けていたんだ。利用して、利用されているだけじゃない。上辺だけのご機嫌伺いではない。


 気付けば奥歯を噛み締めていた。歯が擦れる嫌な音が鳴る。僅かな痛み。その痛みはむしろ都合が良かった。それに意識のいくらかが割かれて、胸のうちの不快感がマシになる。

 盾役として皆を守ろうとあの男は頑張っているのだと少女が言うのを聞いて、そう答えるように言い含められているのだと疑った。けれど本当にそうなのだ。彼女たちの反応からそうわかった。


 何故。何故そんな関係を築けるというのか。彼らの関係性は見ればわかる。リクという男を主として彼女たちはそれに従っている。そしてそこには、信頼関係があった。恐らく、命を預けられるほどの。

 戦力を調べようとしていたのに偶然見えたあの四人の関係性。本来なら報告できる情報が増えたのだから良いことのはずだ。けれどそれを知って、私の心には重いものが落ちた。


 誰かに従うなんてことは、生きるためにすることだ。利害関係があれば成り立つ。だからこそ私は生きるために従っているし、恨みや憎しみはあれど、好意などあるはずもない。

 自ら望んで従った者は違うのだろうか。主となる者が違えば、あのようになるのだろうか。けれどもう私にとっては今更だ。あれは、私にとってとうの昔に諦めてしまった違ったいつかだ。


 だから、見たくなかった。昔のことを思い出してしまいそうになるから。私もそんな未来があったのかなんて考えてしまいそうになるから。命令を遂行できなくなってしまいそうだから。それは駄目だ。生きていられなくなってしまう。

 深く、息を吸い込む。そして浅く、長く吐き出した。大丈夫。感情を制御することも、訓練と実戦で散々やってきたことだ。不意打ちだったから、一人になって気が抜けてしまったからこんなにも乱れてしまっているのだ。


 呼吸を繰り返すたびに、頭の中が澄んでいく。余計な思考を排除する。

 いつの間にか閉じていた瞳を開いた頃には、もう手から力は抜けていた。


 大丈夫、私には誰かの助けなんて必要ない。

 必要があれば他人を使うこともあるけれど、助け合いなんて甘いものはいらない。


 落ち着いた思考で、自分に下された命令を再確認する。最近頭角を現してきた福者を抱えている冒険者パーティの情報を集める。こちらにとって不都合な行動をしている可能性があるため、彼らの行動と戦力について特に重点的に調べること。

 そして調査をした結果、彼らが本当にバルトリードについての情報を集めているのであれば、処理を行う。そのため、向こう側の戦力把握は早急にすませる必要があった。


 大丈夫。いつも通りだ。福者が複数人いるけれど、福者そのものを相手するのは初めてではない。彼らも人間なのだから無敵でもなければ油断もする。

 その点、この子供にしか見えない姿は有用だ。耳さえ隠してしまえば、あとは振るまいに気をつければ周囲は勝手に無邪気な子供だと思ってくれる。


 無意識に自身の人差し指に触れた。そこに嵌っているのは装飾のない無骨な指輪。しかし、それが自身を周囲から守ってくれるものであることを、私はよく知っていた。

 僅かにミスリルを混ぜ込まれたその指輪には、幻惑の魔法が付与されている。耳を普通の人間と同じようにみせる程度のもの。けれどそれが私たちコロクルにとっては重要だった。


 私がご主人様と呼ばなくてはいけない男に従っている理由の一つ。人間の社会で亜人の立場は弱い。この国そしてこの町は、他の場所よりはマシだという話を聞いたことはあるけれど、だからといって扱いが良いと言えないのもたしかだ。

 だからこそ、町で生活するにはこの指輪が必要。ただ、町で暮らすことになった原因の一端があの男にもあることを考えれば、この状況は自作自演と言ってもいい。


 それでも、今の私にはこれが必要。そしてあの男に従わなければ生きていけないというのなら、ただ従うだけ。自分でこの耳を誤魔化す魔法を使うことができればよかったけれど、あいにくと私にそんな才能はなかったようだ。それにもし才能があったとして、それを学ぶには結局あの男が必要になる。結局のところ私があの男のもとから逃れる道はないということだった。

 名前なんて覚えてない。必要はないから。ご主人様と呼べばあの男はいい気になって喜ぶ。だから媚び諂うような笑みと一緒にそう呼んでやる。生きるために。


 今回の命令だって、上手くこなしてやる。あいつらは私の正体には気付いていないだろう。なら、いつだって隙をついて殺すことくらいはできる。

 その前に情報を集める。まだあの四人組の冒険者パーティがバルトリードを探っているかどうか、確証はない。けれど仲間に亜人がいる時点で可能性は高くなる。あそこの情報を得るために、亜人であるという事実は重要だ。


 こちらの正体を覚られず情報を得るため、明日からの動きを考えなければ。そうして悩んでいると、一つ思いついたことがあった。

 彼らに対するものとしては直接関係はないけれど、使えるかもしれない。今日見た巨大な姿を思い出す。一度、彼女にも接触してみようかしら。

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