対等な関係
「俺は……視ません」
目の前に差し出された鏡から目を逸らし、断言する。
それに目を丸くた真宵さんは「あら、どうして?」と至極当たり前のことを訊いてきた。俺にとって、当たり前のことを。
「俺は、もう二度と、紅子さんの意に沿わないことをしない」
それは、神中村で彼女の過去を覗いてしまったときに決めたこと。
「だから、俺は彼女の許可がない限り、勝手にその心を覗いて踏み荒すようなことだけは、絶対にしない!」
たとえこの場にいる全員が俺よりも強くてすごい人であろうと、俺はそれだけを曲げるわけにはいかなかった。もう二度と、紅子さんに嫌われたくなかった。嫌がられたくなかった。彼女の、人に見せたくないだろう部分を勝手に見るなんて裏切りをしたくなかった。
「うふふ、ふふふふ……」
真宵さんが笑う。
「はあ、本当に問題なさそうね」
「そうだなあ、ここまで鋼のような意思を見せつけられると、少し羨ましいくらいだぞ」
「雷竜サマはそのへん、理性がゆるゆるじゃからのう」
「おい、ウサギ」
「事実じゃろ」
真白さん、破月さん、優梅さんと反応を見て「あれ?」と思う。
まるで、また俺が試されていたみたいな雰囲気に困惑した。
「らしいわよ、紅子」
「え」
真宵さんの言葉に焦る。
どこかに紅子さんがいたのか? そんな風に辺りを見渡して見るが、その姿は見えない。
しかしよく視ていると、廊下側になにやら違和感があるような……?
そうして目を凝らしていると、違和感のあった場所がまるで蛇の目が開かれるようにぐぱりと割れる。空間に鱗のようなヒビが入り、蛇の目玉がギョロリとそこに出現すると、その中から困った顔をした紅子さんと遊幸ちゃんが現れた。
「わたくしが境界の神なのに鏡界を渡り歩く理由をご存知かしら」
真宵さんのほうへと目を向ける。
視界の端で、紅子さんと遊幸ちゃんの背後で蛇の目玉が瞬きをするように、ゆっくりとその瞬膜を閉じるように、空間の割れ目が閉じていくのが見えた。
「蛇の目……〝カカメ〟は鏡という名称の起源のひとつですのよ。蛇というものは多くの信仰に関わりが深いのですわ。蛇の姿を象徴として名付けられた多くの植物、そこから生まれた多くの加工品……蛇は祖霊のひとつですの。赤いトカゲやそこの黄色いトカゲなんて目じゃありませんのよ」
「おい、蛇の。一言余計ではないか?」
「特に現在では蒲葵と呼ばれている扇状の植物。わたくしの世代ではアジマサと呼ばれていましたが、この蒲葵の葉の代わりに扇が作られ、蒲葵の代用繊維として菅そして藁が扱われ、それらから製作された加工品……蓑や笠、そして縄、転じてしめ縄も蛇を象徴するものとして扱われました」
「無視をするでない!」
破月さんと真宵さんのやりとりを見ながら困った顔で紅子さんが俺の隣に座る。そして遊幸ちゃんは「タタタッ」と軽い足取りで真白さんの元へ行くと、座った彼女の腰にダイブするように抱きついた。
一瞬羨ましそうな顔をした破月さんは、同じく隣から腕で閉じ込めようとして、再び彼女の拳に沈んでいった。なんというか、残念なヒトだな。
「はいはい、真宵の自慢話は置いておいて……」
真白さんが遊幸ちゃんの頭を撫でながら話し始める。
「それで、許可がなければ見ないんだったわね。話は聞いていたでしょう、紅子ちゃん」
「ああ、うん……一応ね」
複雑そうな顔をした紅子さんは俺を横目に見て……それから目を瞑る。
「ひとつ、条件があるんだ。お兄さん」
「うん」
「だって、アタシばっかり見られるなんて不公平だよ。筒抜けはさすがに恥ずかしいかな。だからね」
区切る。
そして紅子さんはまっすぐと俺を見た。
「キミにあったことも、洗いざらい話して、そして見せてよ。そうしてやっとアタシ達はフェアになる。キミがアタシのことを受け入れてくれるのは……その、嫌ではないよ? でもね、キミのことを知らないままじゃあ、キミのことが不鮮明じゃあ、アタシは少し怖い」
「うん」
「アタシは全部見られているのに、キミだけなにも見せないのは怖いよ」
「うん、そうだよな」
至極もっともな話だ。
俺だけなんにも話さないんじゃ、紅子さんが不安になるのも仕方ない。なら、俺のほうも昔の出来事をちゃんと語るべきだ。
「ふむ、女のほうが素っ裸で、男のほうだけ着込んでいるのは恐怖よな」
「ちょっと破月くんは黙っていてくれないかしら?」
「んぐっ」
だんだん分かってきた。このドラゴン、めちゃくちゃ空気が読めない。読めないというか、読まない。俺達とは根本的に認識がズレているし、デリカシーというもののカケラもない。こんな恵まれた顔をしていて、本当に残念な性格をしている。脳みそまで下ネタに支配でもされてんのか。
「分かった。それなら、前は紅子さんの過去を勝手に覗いちゃったわけだし、俺から話すよ。えっと、神内のやつに攫われる前のことのほうがいいよな。そして、それからのことも」
「……うん、聴くよ」
こうして、互いに対等になるための打ち明け合いをすることになった。
ギャラリーはいるものの、そんなこと知るもんか。この人達なら茶々は入れないだろうし、俺達二人きりだとしてもきっと話し合うきっかけなんて巡っては来なかった。
だから、これがいい機会だ。
そして俺から話を切り出していく。
「あれは……何年前だったっけかな。とにかく、俺が神内に攫われたのは、高校最後の修学旅行のときだった」
そうして紡いでいく。
思い出したくもない思い出を。
しかし、それを整理するためにもいつか必要なことだったのだと思う。
だから語る。俺がまだなんにも知らなかった頃の話を。
俺がまだ、幻想を幻想だと信じていた頃の話を。
俺がこの世の裏側を知る前の話を……。




