唯一の合格者
「……と言っても、あんまり話すこともないのよ」
「なにを言う! 我と真白の思い出はたくさんあるだろう!」
「破月くんが話すと長くなっちゃうじゃない」
「んぐっ……〝くん〟付けは卑怯ぞ真白!」
「はいはい」
破月さんをあしらうように真白さんが手を振る。
白に藤の散った着物がその度に衣擦れの音を立て、彼女の簪が揺れた。
なんだこの……なんだろう。俺達っていつもこんな思いを皆にさせていたのか……? いざ見せつけられるほうとなるとすごく気恥ずかしいな、これ。
これを微笑ましげに見守ってくれていた透さんってすごいんだな。
「この子達の本題は、もし人とそうでないものが結ばれたらどうなるのか……よね。まあ、まだあなた達はその一歩も踏み出せていないようだけれど」
「うぐっ」
はい、その通りです。ヘタレですみません。
「ねえ、真宵さん。本当にこの話、聞かないとだめかな?」
「だーめ」
「……」
笑顔の威圧で紅子さんが押し黙った。
どうやら逃げることは許されないらしい。なんの罰ゲームだよ。
「そうねぇ、まずは恋愛に関してはなんの問題もないと思うわよ。私が破月の変態っぷりに苦労したくらいで、あなた達はそういう変な性癖とかなさそうだし」
平然と下ネタギリギリのラインを攻めてくるな!?
涼しい顔をしながらなんてことを言うんだこの人!
言いたいことを八割くらい喉の奥に押しやって、頷く。多分心境が顔に出ているだろうが、それくらいは許してほしい。
紅子さんだって口元がかなり引きつっているからな。
「まあ、色々あるのよ。その点あなた達は両方人型だから苦労はないでしょう。お付き合いも、そのあとも」
「いや、真白には悪いことをしたなあ! 本性でするのはさすがに」
「黙りなさい」
「ふぐぉっ!?」
真白さんの裏拳が破月さんの懐に綺麗に入った。
いや、なんだこれ、なんだこれセクハラか? パワハラか? アルフォードさんあたりに言いつければこの状況をなんとかしてくれるか? いや、だめだ。それだとアルフォードさんと真宵さんの喧嘩が始まって更なるカオスに包まれるだけだ……カオス、嫌な響きだ。
「あの、そっちの話はあんまり……」
「ごめんなさい。このバカドラが」
紅子さんが遠慮がちに言い出すと、真白さんが申し訳なさそうにする。
いや、あなたも大概です。
「えっと、紅子ちゃんだっけ」
「え? あ、えっと、はい……そうです、けど」
珍しい。紅子さんが敬語だ。
それだけ雰囲気に気圧されているというか、怖がっている状態に近いか。上司の友人夫婦から下ネタ含めた恋愛指南をされるとか……逃げられないだけに本当にパワハラじみている。本気でやめてほしい。これが社会の縮図か……?
「おいおい、あんまりそういう話を長引かせてやるでない。巫女さん、そういうのは簡潔にするのじゃ」
「あの……お二人とも、困っています」
助かった!
ウサギ耳を揺らした優梅さんと、困った顔をした遊幸ちゃんから助け舟が出されたのである。
縋るように視線を向けると、優梅さんはにかっと笑って口を開いた。
「大丈夫じゃ。赤い竜の包帯を巻いて、肉体を得ていれば幽霊でもやれるからのう」
「わー! 優梅! なんてことを!」
笑顔で聴いていた遊幸ちゃんが途中で止めに入るも、色々と裏切られた形になる俺達は俯いた。き、気まずい……!
「あの、そういう話は」
「いじめすぎちゃったかしら」
さらっと真宵さんが言う。
やめてやってくれ。紅子さんは自分でわ下ネタを言うのはいいが、言われるのは苦手なんだよ。この子をこれ以上困らせないでくれ。
俺も無駄な煩悩が顔を出してきそうになるから! 変な想像をしそうになるから! せっかくここまでずっと耐えてきているのに……!
「や、やめましょう。この話はやめましょう」
「あら? 子供を持つって大事な話だと思っていたけれど……そうよね、時代は変わっているし、子供のいない夫婦も普通になっているんだっけ」
「そうさなあ。それを選ぶ若者も少なくないと聞くぞ。我らの時代ではあまりなかったことだ」
ズレている。この二人、圧倒的に俺達の認識とはズレている。
俺達にとってセクハラになっていることも多分意識になさそうだ。
「その、ちゃんとお付き合いするまでそういうのは……」
「お、お兄さん……あの、えっと……ごめんね。ちょっと、席を外したいかな」
「……ゆ、遊幸ちゃん。ちょっと付き添ってあげてくれ。頼む」
「はい、かしこまりましたです」
紅子さん……恥ずかしさで泣きそうな顔になっていた。
せめて彼女だけでも逃がそうと、この場で一番まともそうな遊幸ちゃんに付き添いを頼んだが、大丈夫かな。
「あの、そういう話題をまだお付き合いもしていない俺達に出すのは、現代ではセクハラって言うんですよ。紅子さんなんて相当恥ずかしそうにしてましたし、俺だって、今その話をされるのは嫌です。ちゃんとそのときになったら二人で話し合うものなんですから、これ以上は結構です」
思ったよりも怒りの声が強くなってしまった。俯いて、膝の上で拳を握り込む。そうしなければ、殴りかかってしまいそうだった。
このヒト達は俺よりもずっとずっと年上で、しかも格上で、強いのに。
それでも、言葉で思わず噛みついた。紅子さんをちょっとでも傷つけようものなら、たとえそれが言葉によるものだとしても俺は許さない。
いじめるのも大概にしてくれ……!
「……そうね。貞操観念がしっかりしていてなによりよ。これであなたもこいつみたいにケダモノだったら彼女が可哀想だもの。もしそうなら逃してあげようと思っていたけれど……これなら大丈夫かしら」
「え」
真白さんの言葉に顔を上げる。
「相思相愛。それで結構。けれど、私達のような人とそれ以外の恋には〝そのとき〟というものがあるわ。運命……いえ、こう言う言葉を使うのは、自分の意思がないみたいでなんだか嫌ね。とにかく、必然としてやってくる〝そのとき〟があるのよ。この浮き世では 『合うも不思議、合わぬも不思議』ひとえに全てはその蝴蝶の夢。そしてそれは無数にある選択次第でどのようなものにでも変わるわ……って、これの半分はただの受け売りだけれど」
儚く微笑むその白い鶴のような女性は、袂で口元を隠しながら笑った。
気の強そうな、いや、実際に気の強い人であるのにどこか儚いのは彼女がその名前のように真っ白だからか。
「カマをかけてごめんなさい。あなたなら、彼女を不幸にすることはないでしょう。あなたの様子を見て心の動きを少し観察させてもらったけれど、推察するまでもなかったわね」
「えっと……?」
聞き耳のイヤリングでも所持していたのか、と観察してみても彼女にはそれらしきものがない。
目を白黒とさせている俺に、真白さんは「仕草で心の機微を感じ取ることくらいはできるわ」とウインクしてみせる。
そんな、ほんの少しの茶目っ気に毒気をすっかりと抜かれてしまった俺は脱力する。
「いじめたかったわけじゃ、ないんですね……」
なによりも、俺の観察をしたかっただけ……と。
「ええ、あの子は特別なの。あやかし夜市の鈴里しらべに唯一認められている元人間だものね」
「……? それってどういう」
「あのさとり妖怪は意地が悪くてなあ。己が見つけた元人間の怪異を同盟に入れる際に、ちょっとした〝試験〟を受けさせるのだ」
真白さんの言葉を受け継ぐように、破月さんが言った。
「そして、その試験に合格したのは……赤座紅子。あの子が始めてだったのよ」
息を飲む。
「い、いつからそんな試験……を?」
「何百年と前から」
その試験というものは、それほど過酷なものなのか?
それを……紅子さんが?
「ひとつだけ訂正しましょう。しらべは同盟に所属させるために試験を受けさせるわけではありませんわ」
真宵さんが嫌らしい笑みを浮かべて指を立てる。
「では、どういった意味、で……?」
「食事のためよ」
その言葉を聞いて、俺は思い出した。鈴里さんの好物を。
彼女は、殊更〝絶望〟という感情を食べることが好きなのだ。同盟に所属していながら、非常にさとり妖怪らしいその二面性。
その食事のために試験を……? ということは、はじめから合格させる気もない試験であるということで……。紅子さんはそれに合格しているということで?
「うふふ、混乱しているわねぇ」
そして、そんな俺を愉快そうに真宵さんが笑って見つめていた。
「あなたは〝月夜視〟に目覚めていると聴いているわ。気になるなら、見てみるかしら? あの試験にはわたくしも協力しているの。ここに鏡があるわ。これに触れればその記憶に触れることができるでしょう。訓練代わりに覗くことをわたくしが許可いたしますわ……さあ、どうしますか?」
試すように、真宵さんが蛇のように俺を見つめる。
その瞳に捉えられて動けない。
目の前に差し出された鏡を見つめて……俺は。