雷鳴竜「破月」
頬に当たる風が心地好い。
俺と紅子さん、そして真宵さんは今、その三人を乗せてもまだあまりある巨大なドラゴンの背中の上にいた。
そんなドラゴンの鼻先を、白い羽織を鶴のようにはためかせた真白さんが〝空を飛んで〟並走している。いや、並飛翔?
空を飛ぶ巫女なんてゲームの世界だけじゃなかったんだな……なんて感慨深く思う。怪我の療養中、透さんにオススメされたいくつかのゲームや漫画を読んでいたのだが、その中に確かそんな設定の話があったはずだ。
「……破月さんって、西洋竜だよねぇ」
紅子さんが呟く。
ドラゴンの上に乗っているため、俺が背中の棘を腕で捕まえ、彼女がそんな俺の腰に腕を回して振り落とされないようにしていたときだった。
ちなみに、真宵さんは慣れているのか尻尾のほうで横に腰掛け、景色を眺めている。
「そうだな、背中に翼があるタイプのやつ」
「アルフォードさんと一緒だよね。なにか関わりがあったりするのかな」
「我は……」
低く、しかし心地好い声が響く。
あ、聞こえていたのか? 風を切って飛んでいる上に、俺達の乗っている背中と頭までには結構距離があるのに。普通は風の音で聞こえないはずだ。
「聞こえてましたか」
「ああ。本来ならば我の背中にいようとも、風の勢いでお前達が飛ばされてしまいかねないからなぁ。風の流れを少し緩やかにしている。それに、我は竜ぞ?」
「そうだったね。普通は人間基準じゃ推し量れないかな」
俺より怪異である紅子さんのほうが身体能力も、視覚や聴覚も優れているのだが、彼女は生前からの癖や生活をとても大切にしている。基準が人間から逸脱していないので、竜と人間の感覚がかなり違うことを失念していたんだろう。
それはもちろん、俺自身もそうだが。ついつい人というのは自分基準で考えてしまいがちなのだ。
「我は雷鳴竜、破月。月を引き裂かんとばかりに轟く神立なり。我は苛烈な雷そのものの権化なのだ……我が嫁にはこてんぱんに負けてしまうがなあ」
含み笑いをする音が聞こえてくる。
真白さんのほうが強い、と言うべき言葉はにわかには信じがたい。けれど、本人……本竜? がそう言っているわけだし、真白さんも彼に対してはかなり強気というかなんというか……ツンデレみたいな態度をとっているし、どこか既視感を覚える。
……主に俺の腰に手を回している後ろの子とか。
「いてっ」
「なにか変なことを考えているよねぇ。お兄さん、そういうときは急に黙るから分かるんだよ?」
後ろから回された腕に力がこもる。苦しくて思わず声が出たが、彼女は怪我から復帰したばかりの俺に遠慮してそこまで強く締め付けてきていない。
それとなにより、あんまり腕で締め付けられると背中に当たるというかなんというか。痛みよりご褒美的な感覚が強くてそれどころじゃない……!
「ご、ごめんって」
「ほらまた変なこと考えてる。こんなところで欲情するのはやめてほしいかな、この童貞」
「だったら締め付けるのはやめてくれって」
「どうしてかな、どうしてやめてほしいのかな? ふふふ」
ここまで来て気がついた。
この子、わざと胸を当ててきているな?
いつも思うが誘い受けするのもいい加減にしてくれよ! そのうち本気で俺の理性がブチ切れたらどうするんだこの子は!
「胸が当たってると変なこと考えちゃうからやめてくれ!」
「……まさかそんなに素直に言われると思ってなかったよ」
お互いに大ダメージじゃないか……! なにやってるんだ!
「はっはっはっ、よきかなよきかな。なるほど、真宵殿がお前達を連れて来た理由が分かった。これは我らが適任だなあ」
破月さんが豪快に笑った。
さっきから真白さんも自分達が適任だとか言っていたが、どういう意味だ?
いや、本当はなんとなく分かっている。この二人が、人間と竜という異種族の夫婦だからなのだろう。つまりは、俺達にとっての人生の先輩というやつだ。真宵さんはだからこそ、二人の話を俺達に聞かせようとしているのだろう。
……思えば、絵描きの祓い屋である秘色さんに話を聞かせてもらったときも紅子さんはどこか複雑そうな顔をしていた。異種族恋愛の、その成功例を聞いて自分の気持ちのことを考えていたのかもしれない。
あのとき既に彼女が俺に対してそういう気持ちを持っていたかどうかは分からない。しかし、その体験に少なからず思うところがあったはずなのだから。
「あの、破月さんは西洋竜ですよね。だったら、その、名前は……」
俺は質問しかけて言い淀む。
これ、言ってもいい質問か?
「我の名前か。西洋よりこちらに住み着いた際に名を改めてなあ……この国の言の葉は誠に美しい。女も……こうして、美しいからなあ。我もお気に入りだぞ」
遠くに見える竜の瞳がこちらをぎょろりと見つめた。明らかに紅子さんを見ているそれに、思わず俺は視線を塞ぐように体をズラす。
見かねたのか、真白さんが破月さんの耳元に向かった。
「破月、それセクハラよ。人の想い人にまで変なことしたら承知しないわよ」
「分かっている。なに、我が組み敷くのは真白だけ……」
「そういうところだって言っているでしょう!」
真白さんの踵落としが綺麗に脳天に入る。
俺はそれを見て溜飲を下げるのと同時に、ほんの少し痛ましい気持ちになった。
あんなことを他人に言うつもりはないが、紅子さんにセクハラをしてしまわないよう俺も気をつけないと……。多分紅子さんなら暴力で訴えてくるんじゃなくて、言葉責めされることになるんだろうが。
まあ紅子さんに言葉で負かされるくらいはいつものことだし……じゃなくて、だから、俺はドMじゃないってば! 神内とは違う、俺は神内とは違うんだ……。そう、ただ好きな女の子からかけられる言葉ならなんでも受け入れられるっていうだけだ! ……あれ?
「お兄さん……」
呆れたような声が聞こえる。
紅子さんからの視線が突き刺さっている気がするぞ。
「と、ともかくだ。破月さん達の話を聞けるわけだ」
「まあ、そういうことになるかしら。ゆっくりしていってくださいね」
「ありがとうございます」
やがて、山間を超えて山頂へ。
大袈裟に雲の上まで飛翔した破月さんに、息を飲む。
耳が詰まるような感覚がするのは飛行機と一緒である。しかし、それ以上に生身で体感する雲の上の景色というものは美しかった。
「術がかかっていますから、飛行機に乗るより楽でしょう?」
いつのまにか俺達のそばにまでやってきていた真宵さんが言う。
なるほど、雲の上に生身でいるのに少ししんどいくらいで済んでいるのは術のおかげなのか。
見渡す限りの雲海、そして頭上に輝く反対になった太陽。
太陽で目が焼きつかないのも、術のおかげだろう。不思議と快適な温度で、風景写真を見るくらいの気持ちで眺めることができていた。
「では、行くぞ」
「はい?」
そして――急降下。
背中の棘に捕まったまま、俺達は命綱のないジェットコースターを楽しむハメになるのだった。
「普通分かるわよ! いつもいつも調子に乗ってばっかりで……!」
「す、すまなんだ真白」
そして現在は、先程から懇々とドラゴンと人間の違いについて説教をしている真白さんと、されている破月さんを眺めている。
「お茶をどうぞです」
「ありがとう」
小さな子供が縁側に座る俺達に抹茶を持ってきてくれて、大人しく受け取った。
あとでちゃんと名前を聞こう。
「そっちの子達に謝りなさい!」
「すまない、お前達」
破月さんや真白さんも、多分落ちそうになったら助けてくれたんだろうが、本気で怖かったので首を横に振る。
「許せません」
「なぜだぁ!?」
神社に着いてからも、このヒト達は非常に賑やかなのであった。