薬草の魔女と悪魔の猫
近代的なデザインの外装とは違い、ペティさんのお店の中は想像するような魔女の工房のようになっていた。なぜ外装だけ普通の病院っぽくなっているんだ。これなら外装も魔女っぽくしたらいいのに。
「現世っぽくするのもいいんだけどな、薬の保管をするとなると魔法の通りが良い木製のほうがやりやすいんだよ」
バツが悪そうにペティさんが言った。
「ここの棚の木材は全部この森の木を切り出して作ってるんだ。魔力が豊富だから、電池みたいに使えるんだよ。だから一度魔法をかけておけば、持続時間がかなり長いんだ。数十年は持つんだぜ。俺様も楽できるところは楽したいからな……それに、修行して早く迎えに行きたいし」
「そういえば、アタシも何度かその話を聞いたけれど、いったいどういう経緯なのかは訊いても大丈夫なのかな?」
恐る恐る紅子さんが言った。
彼女自身も人に過去を探られるのが苦手であるからだろうか。遠慮がちに、けれどペティさんにはっきりとその旨を伝えている。
「聴くか?」
気にはなっていた。
彼女は無言を肯定と受け取ったのだろう。
待合室にあたるだろうこの場の……入口のすぐそばにある木でできた丸テーブルを指し示す。そして俺達が座ると頬に手を当てて、懐かしそうに目を細めた。
それから、彼女の過去が紡がれていく。
その語り口はまるで御伽噺を読み聞かせるかのように穏やかで、そして客観的だった。
いや、実際に客観的だったのだろう。まるで本を読むかのように。目を瞑って彼女は言葉をひとつひとつ選びながら語りきかせていく。
――それは、一人の村娘と猫の物語。
「……あるとき、金と金の猫の間に、全く色味の違う灰色の猫が生まれました」
そしてそれは、魔女と悪魔と言われた猫の物語だった。
◆
多くの金色の兄弟達に紛れて、灰色の猫が一匹だけ混ざって産まれたため、その猫は悪魔だと言われてしまいました。
その猫が産まれたのは村一番の権力者の家でしたが、家の人間も皆猫を不気味に思い、更には村人に後ろ指を指されて責められたため、早々に灰色の猫を道端に捨てました。
「なんだ、埃みたいな灰色だって言うから見に来てみれば。綺麗な銀色じゃないか。私はお前のこと、好きだよ」
しかし、それをその家で最も変わり者であった娘が拾いました。
娘は知識のない村人達の中で、唯一知識があり、薬草を使って怪我や病気を治していました。
そして娘は知っていました。先祖に灰色の猫がいたのなら、もしかしたら灰色の猫が産まれるのは自然なことなのかもしれないということを。それらを村の人達に伝えても、思い込みはなかなか払拭されません。
娘は親にねだり、森の中に小さな小屋を建ててもらって薬草を集めていたので、その場所に猫を連れて行きました。そうして猫は彼女の飼い猫となったのです。
それから二年、娘は育った猫と一緒に野山を駆け回り、薬草を探して過ごしていました。
猫は娘に名付けられて賢く素早く育ち、彼女の薬草探しを次第に手伝えるほどの嗅覚を発揮しました。娘はますます薬の研究に勤しみ、そして村の外から来た薬学の本を読み耽りました。
この頃にはもう、誰一人変わり者の彼女を構う人間はおりませんでした。
訳の分からない技術を研究するその姿を不気味に思っていたのでしょう。けれど、娘の薬を頼ることだけは取りやめませんでした。その薬が有用であることは、村の誰もが知っていたからです。
とても身勝手なその扱いに、しかし娘は不満を口にしませんでした。
なぜなら、娘には薬草の研究する場所と材料、そして猫がいればそれだけで幸せだったからです。
しかし、そんな幸せは長くは続きません。
ある時、風の噂で魔女狩りの情報が回ってきました。
彼女は良家の娘と言えど、村人からすれば怪しいことばかりする娘です。そして、そんな彼女を慕う銀色の猫は村人達にとっては、娘を誑かす悪魔に他ならないのでした。
村人は再三娘に猫を殺すように申し出ます。
けれど彼女は決して首を縦には振りません。
そんなやりとりが数十も積み重なれば、村人達の対応は自ずと知れてきます。
とうとう、心まで悪魔に染め上げられた娘として、娘を『魔女』として村人達は糾弾することに決めたのでした。
二人に隠れて村人はひっそりと処刑の計画を立てていましたが、これを偶然耳にした娘は己の末路を悟りました。
数日、彼女は悩みました。しかしその処刑が確定事項となったあとで、その憂いを捨てると行動に移ります。
なんと、娘は逃げも隠れもしないことにしたのです。
そして次の日には己の処刑が告げられる。そんなときに、娘は帰る場所となった小屋に戻り、笑顔で猫に提案しました。
「隣の山に足りない薬草があるから、探して来てくれないか? 後から私も出発する。向こうの山で合流しよう」
猫は彼女を信じ、小屋を出発しました。
「いいか、決して振り返ってはいけないぞ。私が怒るからな」
「なあう」
なにも知らない猫は振り返りませんでした。
そしてすっかりと日が落ちた頃、娘は尋ねて来た村人に薬を執拗に勧め、とうとうその身を捕らえられてしまいました。
それから、娘は死以上の侮辱を受けないためにと一芝居演じます。狂人の振りをして、誰一人としてその清らかな身に近づけさせなかったのです。
思惑通り、娘はすぐさま火あぶりの刑に処されました。
ただひとつ、猫のことを心配しながらも事切れていきました。
「ここからは伝聞なんだがな」
猫は、すっかりと日が沈んだあと、だいぶ山を登ったところで振り返りました。
……家の方向が燃えていました。
それを見て、慌てて猫は引き返します。
家は燃え盛り、猫は焦って娘を探しました。
けれどどこにも娘の姿は見当たりません。
危険を冒し、村の中へ入り込み、彼女の姿を探します。
どこにも彼女は見当たりません。
いつもと違っていることと言えば、村の広場がほんの少し焼け焦げ、火の臭いがしていたことくらいでしょうか。
そこに――ヒラリと一枚の布が猫の元に飛んできました。
それからは、彼女の匂いがしていました。
火の臭いに紛れて、しかし確かに彼女の香りが。
猫は布を持ち、焼け落ちた家へと帰ります。
娘が帰ってくると信じて。
何年、何十年、何百年と待ち続けます。
やがて村が荒廃してくると猫は危機意識を持ちました。
村がなくなってしまったら、娘が帰って来た時故郷がなくなって悲しむと思ったからです。
そして猫は結界を用いて村を囲み、かつての村人の血縁達を誘い込み、閉じ込めました。
それから、ここに入り込んだ人間を捕らえ問いかけるのです
1人できたらお友達。
2人で来たら片方だけお友達。
3人で来れば1人だけ。
何人で来ても同じこと。
あの子のお友達になってくれるかしら。
帰って来たときに、友達何人できるかしら。
そう語りかけながら――猫は今も人間を呼び込み続けているのです。
◆
「……これが、今俺様が解決しなくちゃいけないことだ」
気がつくと、俺は涙を流していた。
目の前のこの人は、この亡霊の魔女は、道を踏み外した猫を迎えにいくために努力しているのだ。
ただの村娘だったペティさんは、かつてそう呼ばれたように、本物の魔女となってまで、猫を救おうとしている。
「いやー、あの世で悠々自適に暮らしてたらかつての飼い猫が自由を謳歌するどころか、俺様の存在に縛られて人間を襲っているなんて聞いてさ、居ても立っても居られなくなっちまって……それでアートさんに弟子入りして魔法を教えてもらっているわけだ」
「……そっか、そのときが、すぐ来るといいね」
「ああ」
紅子さんの言葉にペティさんが笑顔で頷く。
「もうすぐですわ。もうすぐ訪れます。ですから、それまで精々修行に励みなさいな」
それまで口出しをしていなかった真宵さんが言った。
その言葉に目を丸くしたペティさんは嬉しそうに「そうか、もうすぐか」と噛みしめるように微笑んだ。
「レーイチ、怪我はもう平気か?」
「ああ、大丈夫。もうほとんど治ってるよ」
「なら、俺様はもうお役御免だな……精力がつく薬なら作ってやれるが……まだお前らには早そうだしなあ」
下世話なその言葉に、二人して俺達はぼふんと赤くなってしまった。
いやいやいや、あまりにも下世話すぎる。なんて人だ。
「この魔女め……」
「亡霊だけど魔女だからな」
にかっと笑う彼女は、ちっとも不幸そうなんかじゃなかった。