水晶柱の森
さくさくと地面を踏みしめる。
水晶がぼんやりと暗闇に浮かび上がり、岩にはりついたコケもほのかに光っている。あれらの光は全て魔力という本来目に見えない力が、目に見えるほどに強く、重くそこにあることを表しているとは真宵さんの言葉だ。
俺達の中にも魔力というものはあるという話だが……あんまり実感はないな。人間には必ず霊力が備わっていて、魔力はその精神性の強さに比例して備わるものらしい。精神力が強ければ強いほど、魔法の適正が高くなるらしい。
ということは、アリシアはあんまり精神的に強くないってことだよな……字乗さんに魔法を学ぶのを断られたということは、そういうことなのだろう。逆にレイシーは精神的に強いのか。あんなに子供っぽいのに、結構意外な話だった。
「この森では大きな水晶を目印にするといいですわ。ほら、ここをご覧ください」
「あ、傷がついているんだねぇ」
紅子さんの言った通り、真宵さんが示した水晶には大きな傷がついていた。なんだかもったいない。
「これは目印になっているのかな」
「ええ、これはペチュニアさんによるものですわ。彼女の店までの道のりにはこうして、左右にある大きな水晶に傷がつけられているのです。慣れれば問題はありませんが、この森では水晶や魔石が次々と生えてきますし、彼女が次々と採集していくので、外部から来た者のために一部だけを残してあるのですわ」
「親切だねぇ」
「そりゃお客さんが来れなくちゃ意味がねーからな!」
「おっと」
気がつくと、脇の道にもなっていない場所からペティさんが姿を現した。その背中にはパンパンに膨らんだ大きなリュックを背負っていて、腕にも植物が一杯に収まった籠を持っていた。まるで重さを感じさせることなく手を振った彼女に、手を振り返す。
「久しぶり……と言っても三週間も経ってないかな」
「よう、ベニコ。そうだぜ、俺様にとっちゃ久しぶりってほどじゃねえな。そういうところは相変わらず、人間臭いのな、お前は」
「アタシはまだ死んでから二年と半年くらいなんだから、そう簡単には時間感覚まで変わったりしないよ」
憂いを乗せた瞳で、そしてどこか頑なに紅子さんが言う。
彼女は幽霊ではあるが、誰よりも……きっと俺よりも人間であることにこだわっている。その力は怪異に相応しく、強いものだがあまり怪異らしくしている場面には遭遇しない印象があるくらいだ。
俺が彼女の怪異らしさを垣間見たのなんて、初対面のときと雨音の怪異のときくらいじゃないか?
「幽霊なんだから着替えも一瞬だし、寝なくても問題ないのにな。俺様なんて研究に夢中ですぐにそんな習慣忘れちまったし……あとはお師匠様のせいで魔法を扱えるようになるまで、一睡もしなかったからなあ。ま、そういうところは好感持てるから、頑張れよ」
「うん、そうするよ。ありがとう、ペティさん」
紅子さんと一通り話し終えてから、ペティさんが真宵さんに視線を向ける。
「……と、放っておいちまってすまない。俺様になにか用か? 創設者サマ」
「わたくしはこの子達を案内しているだけですわ。そう警戒なさらないでくださいな」
……真宵さんってどこに行っても警戒されてるな。
やはりこの胡散臭い雰囲気が原因なのだろうか。
「そうかそうか、なら今度は俺様の店ってことだな。いいぜ、じゃあ適当に森の案内でもしながら向かうか。ちょうど帰るところだしな」
そう言いながらペティさんについて行くことになったのだが……。
「で、あれが甘草って言ってな。ほら、よくのど飴なんかに使われてるんだが、知らないか?」
「聞いたことはある……かな」
困惑しながら紅子さんが返事をする。
こんな調子で延々と森を歩きながら植物の解説をしていっている。それもいちいち植物を採取して見せてくるものだから、道を進むのも遅くなっている気がするぞ……そう、ペティさんはなんと薬草オタクだったのだ。
「あ、そうだった、そうだった。アリシアはあのナイフうまく扱えてるか?」
「ああ、かなり使いこなしているよ。もうほとんど戦闘狂なんじゃないかってくらいだな」
「そうか、それは良かったぜ。あれの刀身にこの森の水晶が混ざってんだよ。アルフォードさんに協力した甲斐があったってもんだ」
そう言うってことは、あの十字架ナイフの製作にも関わっていたということだよな……。なるほど、ペティさんって結構アリシアのこと気にかけてたんだなあ。
「レイシーちゃんの魔法の腕はどうかな?」
「ああ、レイシーは使役系の魔法に適性があるよなあ。それと、空間系。不思議の国のアリス症候群って知ってるか?」
「ええと……」
知らないな。そんな病名あるのか。
「アリス症候群ってのは、ようするに視覚に障害はないはずなのに、周りのものが大きく見えたり、小さく見えたりする症状が出る病気のことだが……」
なるほど、それは確かにアリスか。あれは薬で大きくなったり小さくなったりするわけだが、それが現実で起きているように感じると。
「あいつの魔法は他者に影響させることができる……幻覚に近い空間魔法だな。だから、更にあの図書館がでかくなったぜ。ヨモギのやつが大喜びしてた」
「えっ、現実的に大きくなるものなのか?」
幻覚なら実際には大きくなったりしないだろう。
「だから言っただろ。他者に影響させるって。その他者ってのは意思を持った生き物だけじゃない。あいつ以外の全てが対象なんだよ。あいつにとっての幻覚症状が、周り全てに影響する。そしてそれをコントロールして対象を絞ることができるようになったから、魔法として実用的になったんだ」
「現実改変能力……ですわね。とんでもない逸材じゃないの」
「ああ、まったくだ」
静観していた真宵さんが口を開いたと思ったら、とんでもない単語が出てきた。現実改変とか……そんな大それたことなのか。
「でもな、レーイチ」
「え?」
「レイシーはレイシーだ。のじゃロリ我儘女王様のままなんだぜ。それと、アリシアの姉だ」
「あ、ああ、分かってるけど」
「怖がらないでやってくれよ。あいつはあいつだからさ」
さくさく、さく。
足が止まる。けれどすぐに歩みを再開して彼女達に追いついた。
そっか、そうだよな。
「ああ、もちろんだよ」
「むしろおめでたいことだよねぇ」
今度会ったときにプレゼントをあげよう。そんな風に紅子さんが微笑む。
プレゼントをしたら、アリシアに喜びながら報告するんだろうな。そんな姿が容易に思い浮かぶ。
「っと、ここが俺様の店兼家だぜ」
足を止める。
そこには、想像していたよりもずっと今時の家が建っていた。
表側は本物の薬局のような見た目だし、自動扉っぽいものも備えられている。
森の中にあるには違和感しかない建造物だった。
「ようこそ、水晶の森薬局店へ。魔女のハーブ店でもあるぜ。さあ、入った入った!」
店を指したペティさんがカーテシーでこちらに挨拶をして、それからスタスタと建物に向かっていった。
道のりは会話しながらもちゃんと覚えたし、そのうち必要になったらまたここに来ることができるだろう。
「ペチュニアの願いが叶うのも、あともう少しですわね。貴女の〝そのとき〟はもうすぐですわ」
背後から聞こえた言葉に振り向きそうになって、紅子さんに袖を引っ張られる。
そのとき……? ペティさんにもなにか……ああ、そういえば彼女は悪さをする飼い猫を迎えに行きたいのだったか。それのことだろうか?
「お兄さん、触らぬ神に祟りなしだよ」
「文字通りだな」
苦笑いをして紅子さんについていく。
俺達はそうして、目を合わせてから店の中に入ったのだった。