グリフォンのスイーツパーラー
萬屋から出て、真宵さんについていくこと体感10分程。
萬屋から伸びた赤煉瓦の道を辿っていくと、薄い桃色のファンシーな喫茶店が見えてきた。可愛らしい外装に、木製のテラス席もある。扉も両開きの木製で、その中心にロゴマークなのかドーナツの絵の真ん中の穴に、ピンク色の鳥の羽根が一枚描かれている。
スイーツパーラーと言っていただけあって女性向けのお洒落で可愛いお店という感じだな。
ガラスケースが表まで見えていて、中には可愛らしい見た目の一口ケーキやマカロンなどが並べられている。
フルーツも取り揃えてあるようで、美味しそうな果実が並んでいる。
「開店準備中ですわね」
「え、そんなときに来て良かったんですか?」
「話を訊くだけなら問題ないのですよ。それに、手伝いに来ているかたもいるようですし」
真宵さんの視線の先を辿ると、そこには真っ黒な翼を窮屈そうに折りたたんだ刹那さんの姿があった。
「あ」
「お、旦那。先日ぶりだなあ。さっそくデートかい?」
俺に気がついた刹那さんが笑顔を見せるが、その笑顔は真宵さんを見たことで凍りついた。やはりこのヒトは創設者だけあって畏れられているのだろうか。
アルフォードさんがかなりフレンドリーなだけに、この反応が新鮮だ。
「い、いったいなにがあったんだ?」
「えっと、鏡界を案内してくれているだけ……ですよ」
「貴方も熱心ですわねぇ」
「そ、そうかい。あー、話があるのか? なら、ルルフィード嬢は中だぜ」
髪をまとめるためか、それとも食品を扱う店だからか、刹那さんは頭にバンダナを巻いている。
いつもは肩のあたりで緩く結んでいる藍色がかった黒髪を、今日はポニーテールにしていた。そのせいか、前は気がつかなかったが、耳元に太陽の形をした地味な色合いのイヤリングをつけていることに気がついた。
しゃらりと揺れるそれに既視感を覚えて考える。多分、アルフォードさんの店でも似たアクセサリーがあったんだな。ということは、あれも姿形を人に近づけるためのものなんだろう。
「なら、中に入らせてもらいますね」
真宵さんは胸の前で手を合わせてニッコリと笑った。
有無を言わさない雰囲気をビシバシと感じる。強引だなあ。
「俺があんたを止められるわけがねぇからなあ」
「本来、鴉は蛇もつついて食べてしまうでしょうに」
「俺ぁ草食派なんだよ。生肉は勘弁願いてぇな」
ああ、確か神中村で俺達の監視役をやっている間は木の実を食べてたとか言っていたっけ……。鴉って雑食でなんでも食べるもんだと思っていたが、鴉天狗の彼がそうなら、案外動物の鴉と鴉天狗って違うものなのかも?
カランと乾いたベルの音が鳴り響き、木製の扉を引いて店内に入る。
すると奥から「たったったっ」と慌てるような、しかし軽い足音が近づいて来た。
「刹那さん、今はまだ開店準備中ですわ! お客様はまだ……あら?」
カウンターの向こうからやってきたのは女の子だった。
真っ白な長い髪をしているのだが、毛先のほうだけが濃い赤色をしていて、その紅玉のような瞳をパチクリと瞬いて真宵さんを見ている。
服装はふんわりとした可愛いエプロンドレスで、その白い髪を纏めるためなのか、レースでできたベールのようなものを被っていた。
「鏡の神様ですわー!?」
「わたくしは一応、境界の神様なのだけれど」
困ったような真宵さんのツッコミが入る。
すごいなこの子、真宵さんにツッコミをさせるとかなかなかないだろ。
閑話休題。
「あの、失礼いたしましたわ。ワタシはLulufeed・Adrasteiaと申します。昔のことではありますけれど、女神ネメシス様のお車を曳いていた漆黒のグリフォンの一族の出身でしたの」
「そちらの方々ははじめましてですわね」とルルフィードさんがふんわりと笑う。お嬢様然とした雰囲気のいいヒトだ。
「えっと、はじめまして。俺は――」
俺と紅子さんも挨拶を返してお辞儀をする。
すると彼女はスカートの裾を両手でつまみあげての礼をした。
……こういうのなんて言うんだっけ。外国の淑女がする礼の仕方だよな。
「ああいうのは、カーテシーって言うんだよ」
「あ、それだそれ」
紅子さんの補足でやっと思い出した。
にしても女神ネメシスの車を曳くグリフォンね。ネメシスって言葉は聞いたことがあるような気がする。結構有名な女神だよな……?
そんなすごい役職に就いているはずのグリフォンがなんでこんなところでスイーツ店なんて開いているんだろう。それに、漆黒のグリフォンの一族って言っていたのに彼女は真っ白だし。
……そこの事情は多分、初対面で訊くようなことじゃないよな。気にしないようにしよう。
「わたくしはこの子達の案内をしているのです。おもてなしをしてあげてちょうだいね」
「分かりましたわ、真宵様。今お菓子をお出しいたしますわね」
「開店前なのにごめんね」
「いいえ、大丈夫ですわ。早朝にいらっしゃるお客様もたまにいますし、手伝ってお菓子や果物を代わりに持っていく刹那さんのような方もおられますの」
「あー、まあ、そうだな」
突然話を振られて刹那さんがバツの悪そうな顔をする。
それを見て、やっぱりふんわりと笑ったルルフィードさんは「応援していますからね」と続けた。応援……?
「甘さ控えめのパイといつものように果物を用意させていただきますわ」
そう言って彼女が店の奥へと引っ込んでいく。
その背中には小ぶりな白い翼と、翼の根元に付けられたリングが見えていた。
尻尾はないのか、それともロングスカートの下に隠れているのか分からないが、髪だけでなく翼まで白いとグリフォンというよりも、どこか天使みたいだなんて印象を受ける。物腰柔らかで口調も優しいから余計そう思える。
俺達は店内の席に着いて、彼女が帰ってくるのを待った。
「彼女、里が滅んでいるのよ」
「え」
唐突に言った真宵さんに紅子さんが声をあげた。
俺は声すらあげられなかった。いきなりなんてことを言うんだ、このヒトは。
たとえそれが本当のことでも言っていいことと悪いことがあるぞ。本人の過去なんて本人が語りたがらない限り言うべきことではない!
「貴方達はまだ知らないでしょうから、覚えていてちょうだいね。同盟にも『敵』はいるのですわ」
「おいおい、せっかくアル殿が伏せていることを言うこたぁないんじゃねぇか? 神さん」
「そろそろ言うべきでしょう。あのトカゲは慎重すぎるのです。この子達にも危機感を持って、身を守ってもらわなければなりませんのよ?」
「あー、多分そりゃ分霊がいるから安心してるんだろうが……」
目の前で進行していく話題について行けず、疑問符が頭の中を埋め尽くす。
同盟に敵……? こんなにいいところなのに。
「彼女の里を襲ったのは人間ですわよ」
その言葉に、更に俺は息を詰めた。
「ネメシスのグリフォン……アドラステイアの一族は日に透かすと虹色に輝く漆黒の翼と体毛が特徴的なグリフォンなのです。それに加えて、グリフォンという種族は金や宝石などの宝を抱えて護ると言われていますわ。欲目に眩んだ人間が血眼になって探していてもおかしくないくらいの、価値のあるものです」
「俺達みたいな幻想の連中は珍しい特徴があったり、人間が欲しがるようなお宝を持っていたりするもんだ。だからこそ、こうして同盟に身を寄せたり、その特徴を隠すためにアル殿から特別な装飾品を貰っていたりするんだぜ」
人間は人魚や河童のミイラで喜ぶような種だ。価値のあるもの、珍しいもの、知らないもの。知識や蒐集欲には非常に貪欲である。
……だからこそ、狙われた。
それはきっと人間社会で問題になっている象牙の問題や、密猟の問題と同じなのだろう。その目が幻想的な生物に向けられているという一点だけを除けば。
「彼らはそれぞれ目的も違い、狙っているものも、蒐集しているもの種類だって違いますわ。けれどそいつらは皆、同じ単語を使って自身を名乗るのです」
それは――。
「コレクター、ですわ」
真宵さんの言葉に重なるように言ったのは、焼きたてのパイを持って戻ってきたルルフィードさんだった。