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エピローグ「桜と藤の香る里『神中村』へようこそ」

 翌日の引越し作業に関してはすぐに済んでしまった。


 議員の一人だという意外な権力者を伴ってアルフォードさんが訪れ、俺達と華野ちゃん、それから詩子ちゃんへの挨拶に来た。

 驚くことにその正体は化け狸だったわけだが……人間の世界できちんと正規のやりかたで権力を持った類の怪異なので、彼に協力を求めることになったんだとか。


 それからは二人がかりで村人達への説明を行なっていた。

 要約すると村に残って村興しをするか、それかいくらかの引越し資金を貸りて都会に引っ越すかの二択だったんだが、二人の巧みな話術による言いくるめじみた説得により、村人の過半数はここに残ることにしたようだった。


 そうして同意を得て、資料館はいったんそのままに藤棚の移設が真っ先に行われたのである。


 ◆


 あれから――大蜘蛛退治からは実に二日は経っていた。

 窓から吹き込む風がそよそよと俺の頬をくすぐっていく。

 視線だけを窓に向ければ桜の花弁が一枚、風に乗って流されて来たところだった。


「お待たせ」


 と、そこで扉を開けて紅子さんが部屋に入ってくる。

 その手に持っているのは土鍋だ。ここ数日で華野ちゃんに料理を教えてもらっていたようで、すっかりと失敗が少なくなっていた。

 彼女が来たので体を起き上がらせようとするが、気が急いてしまっていたようで身体中に激痛が走る。


「いっ……!」

「もう、お兄さん。あんまり無茶な起き方しないでよ」


 呆れたような、心配そうな、そんな複雑な表情で紅子さんは言って、俺の背中をさする。


 仙果の効果が切れたことによる三倍の痛みは昨日嫌という程味わったのだが……実は今も普通に痛みの後遺症が続いている。ただでさえ大怪我だったので、反動が酷い。

 三倍期間も紅子さんはお世話をしてくれようとしていたんだが、さすがにベッドから一歩も動けなくなった俺の世話をさせるわけにはいかず、ちょっとだけ刹那さんや透さんに助けてもらった。トイレにも行けなくなったのはわりとマジでヤバイと思った。最終的にアルフォードさんからの手助けで、一時的に痛みを抑える点滴をもらい、なんとかなったのが幸いか。二人には今度お礼をしなければ……。


 だから、こうして痛み三倍期間が終わったあともしばらくはあまり激しく動けないのだ。


 ギリギリで俺が持ち直したあと、刹那さんは新聞配達があるからと帰ってしまったし、透さんも有給休暇は三日分しかないからと言って、渋々帰っていった。

 唯一、アリシアだけはご実家に連絡を入れて華野ちゃんや詩子ちゃんと村の復興の手伝いをしている。


 そして俺は療養しながら、紅子さんと今まで以上に戯れのような会話を重ねて距離を縮めていっている。

 俺個人としては蜜月なんじゃないかってレベルで満足しているんだが、ときおりアリシアと華野ちゃんから厳しい視線が飛んでくるので調子には乗れない。まだ付き合ってもいないのに、なにやってるんだってそのうち文句言われそうだ。


「はい、食べられる?」

「あ、えっと、自分で食べられるよ、紅子さん」

「あのね、こういうときくらい欲望に忠実になってみてもいいんだよ? ま、その童貞臭さがお兄さんらしいところだけれど」

「せめて誠実と言ってくれないか?」

「このヘタレ」

「あまりにも正論すぎてなにも言えない」


 やっぱり彼女には口で敵わない俺なのだった。


「この資料館以外は随分と工事や移設が進んだみたいだよ。藤花の精霊達も人間に上手く化けて挨拶周りをしているようだし、あの森の中はすっかりと様変わりしているんだって。アリシアちゃんが言っていたよ」

「あれ、紅子さんは見にいかないのか?」

「……アタシ一人で行っても、ねぇ」


 視線を逸らしていた彼女が流し目でこちらを見る。

 その仕草に心臓が跳ねて、その真意を理解した。もしかして、一緒に行きたい……とか。自惚れかもしれないが、そういうことだろうか。


「痛みも引いてきてるし、散歩してもいいか?」

「え? あ、別に催促したわけじゃないかな……どうしても生まれ変わったこの村を見て回りたいって言うなら、アタシは止めないけれど」


 だんだんとか細くなっていく紅子さんの声に微笑ましくなって、ベッドの横に座っている彼女の手を握る。


「一緒に行ってくれないか? 俺は紅子さんと、もっと仲良くなりたいよ」


 前よりも積極的に。じゃないと逃げられてしまいそうで、言葉で繫ぎ止める。卑怯かもしれないが、そうすれば彼女には効果覿面だから。


「……そんなに言うなら、やぶさかじゃないけれど」

「うん、それじゃ散歩に行こう!」


 そう言って立ち上がろうとして、停止する。


「ごめん、紅子さん。ちょっと立つのだけ手伝ってもらってもいいかな」

「本当に大丈夫なのかな?」

「一回立てば大丈夫だから」


 ああもう、本当に肝心な時に恰好がつかない。


「ふふ、そういう情けないところがお兄さんらしいよね」

「もっと格好いいところを見てほしいんだけどなあ」

「それは十分見たから、しばらくはいつも通りのキミを見ていたい気分かな」

「……」


 顔を覆った。それは反則だよ紅子さん。


「あははっ、やっぱりこうでなくっちゃね。いつまでもやられっぱなしのアタシじゃないんだよ」


 悪戯が成功した子供のように彼女は笑って喜ぶ。

 ここしばらくは俺が彼女をからかっていたから、逆襲されてしまったようだった。


「はい、それじゃあ行こうか」

「ああ」


 手を取ってもらい、支えられて立ち上がる。

 それから二人で、すっかりと様変わりした村の中へ踏み出していく。


 資料館の裏の森……というより林は桜の木がより一層花を咲かせ、村中に藤棚を用いた休憩所が設けられている。

 さわさわと揺れる(こずえ)に、風に乗って舞う桜と藤の花弁。


 注連縄と霧で覆われていた神中村は、風花が舞う穏やかな雰囲気の村にすっかりと生まれ変わったのだ。


「風が気持ちいいね」

「ああ。新鮮で、花の香りが運ばれてくる。いい景色だよ、本当に」

「……この景色を作ったのは、お兄さんだよ」


 その言葉に、俺は思わず隣を見る。

 穏やかな表情をした紅子さんは、自身の胸に手を添えて尚も続ける。


「アタシが今キミの隣にいられるのも、詩子ちゃんが華野ちゃんの守護霊になれたのも、この村がこんなにも清々しくて美しい場所になったのも、全部、キミの努力が実を結んだ証なんだよ」


 俺は……その言葉を聞いて、不思議と目頭が熱くなってきてしまった。


「全部、キミが守ったものだ。キミの愚かなほどの優しさが、守り通したものだよ」


 胸の内で渦巻くその気持ちはただ一つ。


 ――報われた。


 そう、そのただ一つだけだった。


「ありがとう、紅子さん」

「どういたしまして。怪我で気が滅入っているみたいだったからね」


 そうだ、俺は守れた。

 犠牲になった人もいたけれど、大事なものは全て、守りきった。

 救いたいと思っても救えなかった、今までとは決定的に違う結末。


 俺が望んだ結末だ。

 俺が、(こいねが)った未来。


 この、美しい光景の全てが! 


「ねえ、令一さん」

「なんだ?」

「怪我が治ったら、一緒に藤棚の綺麗な露天風呂に入りに行こうか」

「えっ」


 彼女の言葉に思考が停止する。

 いや、きっと今度も俺は見張りとかで……。


「一緒に、だよ。混浴。今ならできるらしいから。それとも、童貞君には辛いシチュエーションかな?」


 挑発的に笑う彼女に、俺も笑って返す。


「そこまで言うなら、覚悟はあるんだろうな? 言っとくけど、俺そこまでされて理性が持つ気がしないからな」

「できないよ、令一さんは。だってヘタレだもの」

「本当にそう思うか?」

「誠実な令一さんなら、お付き合いもしていない女子相手にそんなことをしない。そう分かっていて、言っているんだよ」

「……あー、そう言われちゃうとなあ」


 俺の負けだ。

 誠実さを買われていると宣言されてしまうと、裏切るわけにはいかなくなってしまう。精々俺は無心で風呂に入るように注意しよう。


「それじゃ、一旦資料館に戻ろうか」

「ああ、しばらくはここにお世話になることだし……その間はいっぱい話そうな」

「もちろん」


 こうして生まれ変わった神中村を見守りながら、俺は怪我が回復するまで療養することとなった。

 神内からはアルフォードさんから連絡が行っていたらしく、珍しく了承の意をもらって俺の滞在が決定したのだ。


 風花舞う桜と藤の里。

 そんな村の再スタートは、始まったばかりであった。

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