夜が這い降りてくる
純和風な日本家屋にまったくもって相応しくない、ひどく高級そうな革張りのソファに沈み込んだそいつは気怠げに欠伸をした。
長い黒髪を外出するときのように結うわけでもなく、見るだけでも鬱陶しいそれをソファの端から垂らし、なにやら物憂げに目を細めて手のひらを額に乗せている。
本人にとっては美しい人間が扇情的なポーズをとっているつもりなのだろうがアレが男よりの、それも本体をデフォルメしたってどう足掻いても可愛くならない触手生物だと知っているこちらとしては余計な想像を働かせて勝手に吐きそうになっている。
「いっ……!?」
そして首元が焼ごてに当てられたように熱くなる。
「なーんか、失礼なこと考えてたでしょ」
「……」
火傷が痛くて答えられる状態じゃありません。
そんな風に装いながら目を逸らす。多分バレているが、おしおきは終わったので良しとする。
「…… ねえれーいちくん、れーいちくん。カレンダー持って来てよ」
ソファに寝転がったままのあいつが目を瞑ったまま言った。
「はあ? そこから見えるでしょうが。とうとうアンタも盲目白痴にっと!?」
最近、漸く料理スキルも上がって文句を言われなくなったので世に伝わる神話群を調べていたのだが、得意気にそのネタで反抗しようとした瞬間背後に一本のナイフがビィィンという恐ろしい音を立てて刺さった。視界の端で数本の髪の毛が散っていくのが見える。
「令一くんなんて将来禿げればいいのに」
「ああ、今その未来がチラッと見えましたよっ! 頭皮ごとずるっといく未来がね!」
首輪は熱くならない。
だいぶこの生活にも慣れて来て混乱していた意識も落ち着き、ついでにあいつもやたらめったらおしおきをすることはなくなった。さっきみたいに思考を読まれたときや、敬語がぽろっと取れると熱くなったり絞まったりバリエーションを増やしたおしおきをしてくるがそれだけだ。リアクションも単調なものしか出てこない。多分あっちも見飽きたんだろう。俺ももう慣れてしまった。
人、それを諦めと言う。
「カレンダー」
「はい、どーぞ」
目の前に壁から取ったカレンダーをチラつかせる。
するとどこか楽しげににやりと口を歪めた邪神は 「くふふ」 とまた気持ち悪くくぐもった笑い声を漏らした。
「れーいちくん、ちょこっとおつかいに行って来てよ」
随分と唐突だな。
こういうとき相手が母さんだったりしたら特売日なのかなと思うのだが、こいつの場合そうはいかない。厄介ごとの匂いがする。
だが、俺に選択肢などない。
「場所はどこです?」
投げやりに了承の意を込めて訊く。
いつもノーヒントの奴だが流石に場所くらいは吐くだろう。
「ここいらで一番小さくて黴臭くて煤けててボロい神社があるんだけどね?」
ひどい言い様だ。
いくら元々敵対していたからといって笑顔で言うことか?
「そこに夜中の二時ピッタリに入るんだよ…… ああ、鳥居はくぐっちゃだめだよ」
そう言われて奴が手を振るうと俺の首に嵌った、冒涜的なチョーカーのようなものが逆十字のネックレスへと姿を変える。
外出の許可が降りたときはいつもこうだ。首になにか付けていることと逆十字は変わらずにころころと呪いの外装を変えてくる。
「オカルト関係、ですね。なら刀も持ってったほうがいいか」
こいつが行けと言って平和に終わった試しがない。
それは悲しいほど俺が知っている。
「赤竜刀持っていくんだね」
その言葉にピタリと竹刀袋に刀を入れる手が止まる。
「これに名前なんてあったんですか?」
「そうだよ。ああ、由来が知りたければますますおつかいに行ったほうがいいね。多分それをあの旅館に置いた私の友も来ているだろうし」
その言葉に衝撃が走った。
「え、あんた友達なんかいるの?」
「激おこスティックファイナリアリティおしおきドリーム!」
首絞めと火傷が同時に襲いその後一時間ほど俺は気絶した。
「ま、そういうことで頑張ってね」
そう言って手をフラフラと振りながら再びソファに沈み込んだあいつはつまらなそうに欠伸をする。
「その友とやらのヒントはないんですか?」
「はあ?」
勿体ぶったように、心底可哀想なものを見る目で奴は 「私にそんなサービス精神があると思うの?」 とのたまいやがった。
「いや、全然」
イラッときたので即答してやるといつの間にか背後に立った奴からヘッドロックを食らう。
「それはやめろ! 死ぬっ!」
奴が紛れもない人外だと嫌な実感の仕方をしてから息を整えた。
「とりあえず、適当に探して来なよ。聞き込みでもすれば大丈夫でしょ」
「は、はい……分かっ、りました。で、なにを買ってくれば?」
冗談みたいなやりとりばかりだが俺にとってはわりとマジで死に瀕していることが多い。あやふやな話題逸らしで目的のおつかいを忘れたらそれを各目になにを命令されるか分からないのでちゃんと訊いておかなければならない。
「お酒」
「は?」
聞き間違いか?
「お酒だってば」
「分かりましたよ…… 行けばいいんでしょう。行けば」
コンビニで買えよ。なんでわざわざ……
◆
そこはボロボロの神社だった。
特定の場所や名前を言われたわけではないので確証はないが、名前さえ掠れてしまって読めないこの神社のことだろうと当たりを付けた。
午前二時まであと一分。
深呼吸して腕時計を見つめる。
足はすぐさま神社内に入れるようにと敷地の前に踏み出しておく。
ピッタリと言っていたのだからピッタリでないとダメなのだろう。
妖怪や神話生物相手に立ち回るときに飛び出さないようにと財布はウエストポーチの奥底にしまってある。
動きやすい服装だ。いざというときのためにポーチの中には小さなナイフも入っている。
まったく、ナイフに刀とは銃刀法違反もいいところだ。
しかし、幸いにも周りには人っ子一人いないし、決して狭苦しいわけでない道路には車一台通らない。…… そう、不自然なくらいに。
「二時…… !」
一歩踏み出した時、世界が変わった。
古ぼけた神社は消え、目の前には車が二台くらい十分通れる広さの石畳が直線上に続いている。その両脇には祭りの出店のようなものが延々と続いていき、真っ暗闇だった雰囲気はどこへやら明るく賑わっている。
「目玉焼きー! 目玉焼きだよー!」
「専門書売ってるぜー! 人間に混じって暮らしたい奴には入り用だぞー!」
「骸金魚救いだー! どうだー? 挑戦する奴はいないかー!」
陽気な声。物騒な言葉。
目玉焼きの言葉に、そんな出店があるものなのかと目を向ければ〝 言葉通りの商品 〟が見えて顔が青ざめていく。
金魚掬いの方へ視線を向けるとそこには想像していたものとはまったく違う光景が広がっている。
人間ほどもあるでかい金魚の目は白く濁り、鱗は乾いて魚とは思えない様相をしている。さらにそれが背ビレで空を泳いでいるのだ。挑戦者らしき三つ目の男が柄杓で水を掛けようとしている。それが「骸金魚救い」なのだろう。
人間がこの場にいることで誘拐されるかもしれないと身構えたが、立ち止まった俺を追い越していく人外達は迷惑そうに俺を避けて祭りへと繰り出していく。
それを繰り返してようやく詰まった息を吐き出して頬を叩いた。
「お酒…… だっけ」
歩き出そうとしたとき、背後から声がかかった。
「おんやあ? 人間が〝 あやかし夜市 〟に迷い込むなんて久し振りだねぇ!」
硬直し、身構える。竹刀袋にかけた手は慌てて 「や、やめておくれよ。アタイはなんにもできないんだから!」 と言った女性にそっと押さえられた。
黄色い着物に橙色の紅葉模様の着物の女性だ。
しかしその短い茶髪から覗く丸い耳と腰の辺りから大きく垂れ下がる太い尻尾が彼女が人でないことを教えてくれる。
ますます警戒して今度はポーチの中のナイフに手を添えようとして、また止められる。
「だ、だからやめておくれ! ここの夜市じゃあ人間に手を出すのはご法度なんだよぉ! ただでさえアタイは弱いってのになにもできはしないよ!」
その必死さに手を添えたままだが一応話は聴くことにした。
「…… 俺はおつかいに来たんですけど、ここはどこなんでしょう? あと、あんたは?」
「よかった。話を聴いてくれるんだね? アタイは絹狸さ。今日は特別な日だからこの先に出張呉服店を開いているんだよ」
きぬたぬき? 逆から読んでもきぬたぬき…… 冗談だろうか。
「だからその手を下ろしてくれって…… 分からないなら調べてみておくれよ。ここは一応電波も入るようになってるからさ」
遠慮なく端末で調べることにした。
出てきた情報は鳥山石燕の創作妖怪であるとされる話。さらにその名前が布を打って柔らかくする砧から来ていることが分かる。確かに、一応そんな妖怪は存在するようだ。
「創作妖怪なんじゃないのか?」
そんな失礼な言葉にはあ、とため息をついた絹狸は自嘲するように笑う。
「今の世は妖怪にとっちゃ生きづらいもんだよ。畏れと信仰で生きるのはもう限界を迎えちまったから皆人間の中に混じって、〝 そういう奴がいる 〟だとか〝 そういうお話がある 〟って知られることで生きてるんだ。認知度が高ければ高いほど力は強くなるし、旧神もみーんなその方針をとってる。だから作られた都市伝説やら怖い話やらに出てくる奴らも嘘から出た誠になるのさ。創作妖怪とはいえ、アタイの生みの親は有名だからこうしてアタイがいるってわけ」
絹狸が言うには神も妖怪も本来は同じものなのだとか。
それが善に傾いているか悪に傾いているのかの違いであり、どちらも知られていなければ消滅してしまう存在だという。
そして、それら全てを引っくるめて〝怪異〟と呼ぶとか。
ただ、旧支配者や元から存在した太古からの生物は別に信仰や認識がなくても生きていける、と。
「で、アンタはおつかいだっけ? 誰の遣いなの?」
彼女の営む呉服屋を放っておくことはできないため、一緒に向かいながら話をする。
道行く妖怪達は人間が珍しいのかチラチラとこちらを覗き見ている。うすらぼんやりと暗闇に浮かぶ提灯代わりの鬼灯が道を照らしていた。
「神内千夜って、知ってますか?」
「じんない?」
不思議そうに首を傾げていた彼女は思い当たる節があったのか硬直した。
「あー、アンタあれかい。厄介者に気に入られちまった哀れな子羊二号ってアンタのことかい」
なんだそのいらない称号!?
「それってどういう?」
「まあそれはそれとして、酒を買いに来たって言ってたよね」
露骨に話を逸らされたが皆あんな奴に関わりたくないのだろう。その気持ちはすごくよく分かる。
「今日は古椿から香りの高い良い酒が取れる年に二度のうち一度目の日さ。最初の方に採れば採るほど香りは強くて度数も高い高級なものになるんだよ。今日のは強すぎて人が飲めるような代物は採れないけど、アンタの主人に届けるなら最初の方を狙った方がいいね」
そう言って椿の柄が入ったガラス瓶を手渡してくる。
「あ、ありがとうございます」
「いいってもんさ。ここはあやかし夜市。 『同盟』 所属の元締めが支配する安全な百鬼夜行なんだからね。ここでは人間に害を加えたら罰則が待ってる。人間が迷い込んでも比較的安全だし、いつでもおいで」
これは嬉しい誘いだった。
握手をしてぱたり、と揺れる尻尾を見て癒される。
今度からあいつから逃げるときがあったらここに来よう。
「ところで、その椿とやらはどこにあるんです?」
「あー、この道をずーっと行ったところに神社がある。そこでお願いすれば貰えるよ。アタイは店があるから案内できないけど、大丈夫さね」
「あ、それと…… 千夜さ、ま…… の友が来ているはずだって聴いたんですけど、分かりますか?」
顎に手を当てて少し考えた素振りを見せた絹狸がまた尻尾をぱたり、と振った。
「ふむ、アタイにゃさっぱりだね。そもそもここは旧神の縄張りだから旧支配者側の人で無しのことはよく分からないんだ。それだったらここの元締めに訊いてみるのが一番だと思う」
「そうか…… いろいろ助けてくれてありがとうございます」
「いいってもんさ。それじゃあね」
彼女の店を出て、真っ直ぐ神社の方面を目指した。
すれ違う人外達にはすぐに慣れた。
比較的人間の姿に近かったり動物の姿だったり、あいつやクトゥルフ神話の生物と違って旧神側の生物達は心臓に悪くない健全な姿形をしているようだ。
勿論伝承には気持ち悪い姿形のものもいるようだが、そういうのは人型をとったり化身になったりして人間に害がないように配慮しているらしい。
服のデザインから蜘蛛であることが分かる女の子や帯が蛇のように蠢いている女性。たまに突撃してくるすねこすり。
沢山の妖怪達を横目に神社を目指していると、俺を追い越して行こうとした女性からその豪華な帽子がはらりと落ちた。
「あらいけない」
「大丈夫ですか?」
帽子を拾って手渡そうとして硬直。
あまりにも、美しすぎたのだ。
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「うふふ、人間が迷い込むだなんてとっても珍しいことですわね。拾ってくださってありがとうございます」
あいつも大概美しすぎる容姿をしているが、その性格のせいで魅力は半減どころか最低値まで落ちる。それでも見た目だけはいいあいつと同じくらいか、それ以上にその女性は美しかった。
つばの広い帽子には月を象った飾りとリボンがついており、服装は深い藍色の肩出しワンピース。スカートの端には月とそれを覆う雲の模様が刺繍され手には白い手袋。藍色のリボンを使って腰の辺りで一括りにされた金色の髪に、月のような金の瞳。帽子が落ちて見えた側頭部から生える彩度の低い黄色の美しい二本の巻き角。
人でないことがありありと分かるその美しすぎる容姿に、硬直した体をなんとか動かして帽子を手渡す。
「どこかに向かおうとしていたようですけれど、貴方も椿のお酒を頂きにいくのかしら? 今宵の美酒は人間には強すぎると思うのだけれど」
「は、はい…… でも俺が飲むわけじゃありませんから…… あ、それとここの元締めも探しているんです」
詰まりつつ答えると微笑を漏らしながら女性が 「うふふ」 と笑う。
「そう、貴方がそうなのですね…… 元締めなら奥の方にいるでしょうけれど…… そうね、特別にわたくしが案内してあげますわ。どうかしら、ご一緒しませんこと?」
目を細め、面白いものを見るような目に少々の既視感を覚えつつも了承の意を伝える。
彼女は月の模様が描かれた扇子で口元を覆って小さく笑った。
相変わらず奇妙な出店の多いこと。
しかし食べ物関係の店が多くなってきたところで俺の腹が少しばかりきゅう、と情けない音をあげた。夕飯は食べたとはいえ深夜までずっと活動して歩いているのだ。小腹も減るものだ。
「あらあら可愛らしいわね。そうねぇ、これなんてどうかしら? とっても、とっても美味しいわよ?」
どこか粘つくような絡みついてくるような声に自然と手が伸びる。
辺りは不思議と静寂に支配されていた。
にやにやとどこか覚えのある笑みを扇子で隠し、こちらを観察する彼女に違和感を覚えつつも俺の体は自然と動かされる。
そして普通のイカ焼きに見えるそれを手にした瞬間、辺りに喧騒が戻った。
「それを食べてはいけません、人間」
口に入れる直前で鋭い声が飛び、びくりと震えてイカ焼きを取り落とす。 「あ」 と言って追った視線に映ったそれはイカ焼きなどではなく、何かの大きなタコかイカの足を焼いたような、もしくは触手のような得体の知れないものに焼き目のついた物体だった。
「それは…… いえ、詳しく言う必要はありませんね。そんな趣味の悪いものを食べてはいけません。それ以上人をやめたくないならば妖怪の跋扈する世界で食事をしてはいけませんよ」
俺を止めたのは女の子だった。
見た目は高校生くらいで、ショートにした黒髪に鈴のリボンがついている。
髪から覗いた耳には、目玉のような不思議な模様のイヤリングが揺れている。服装は少々幼いように見えるが先ほどの女性と同じようにフリルが沢山ついた格好をしている。しかし上がドレスのような外見をしているのに対し履いているのは下駄というちょっとチグハグな格好だ。
そして彼女は完全に人型だった。どこにも妖怪の特徴らしきものは見えない。
だけれど、人をやめたくないならとは一体どういうことだろう?
「マヨヒガというお話はご存知ですか? その場所にあるものを持ち帰ると幸福になれますが、そこで食事すると二度と帰れないという伝承です。その話以外にもイザナミ様は黄泉の食べ物を食べて地上には帰れなくなられてしまいましたし、人外の世界のものを食べると人の世に戻れなくなる話というものは多くあるでしょう。ここもその例外ではありません。食べるならもっとまともな見た目のやつを持ち帰ってから食べてください。持ち帰って食べるならば問題はありませんからね」
一気に喋った彼女がりんご飴の出店を指差す。
そこでようやっと先ほどの女性がその場からいなくなっていることに気がついた。
「…… またあの人の仕業ですか。まったく性格の悪い」
呆れ笑いを浮かべている女の子だが、俺はなにも言っていないはずだ。
「分かりますよ。だって私はさとり妖怪ですから。さて、お初にお目にかかります厄介者に気に入られた哀れな子羊二号さん。私はこのあやかし夜市の元締め…… 『同盟』 所属の鈴里しらべと申しますわ」
ちょん、とスカートの裾を軽く抓んでお辞儀をする鈴里さん。
さとり妖怪といえば心を読むことで有名だ。なるほど、納得した。
しかしこんなところで元締めに会えるとはラッキーだ。
絹狸も言っていた 『同盟』 について軽く疑問に思いながら答えようとすると見事に先回りされた。
「同盟というのはつまり、〝 恐怖による存在ではなく、認知による存在の方法で人間と共存しましょう 〟という考えの元に集まった旧神を中心とした集まりのことです。今はこちらが主流で、それを犯す知性や理性のない妖怪や、人類を脅かす旧支配者側の者を取り締まったりしている、ようは警察みたいなものですね。キチンと規則が決まっていて、全ての人外に対応しています。勿論、人を食べることでしか生きられない者も存在しますので〝 食べる分だけ取ること 〟なんてルールもありますが」
それじゃあ、あいつはその同盟と敵対していることになるのだろうか。
「いえ、かの邪神は弱った旧神を匿ったり、規則の一線を超えぬように知識を与えるだけでことを起こすのは人間だったりとルールの穴を付いて行動しているので取り締まりはできません。こちらとしても派手に動いてくれさえすれば旧神総出で嬉々として封印してやるんですが、そんな隙は見せてくれませんから……」
嫌そうな顔で言う彼女に同意する。
確かにあいつはそんな簡単にボロなんて出さないだろう。
早く封印してくれないかな。
「そうしたいのは山々ですがこちらも規則を作った各目上、規則違反していない者には手を出せないんですよね…… ところで、貴方みたいな警戒心の強そうな方が彼岸のものを口にするとは考えられません。一体誰に唆されたんですか?」
唆された、のだろうか。
でも親切にしてくれたあの女性のことはあまり疑いたくはない。
「はあ…… 貴方が捜しているのはその女性ですよ、残念ながら。かの邪神とほぼ同類です。初恋は叶わないんですよ、諦めてください」
いやいやいや別に恋なんてしてないから!
確かに人間離れした美貌だったからついつい心を許していた気がするけど!
「さて」
鈴里さんが背後を振り向いた。
「見ているのでしょう。出てきなさいよ、夜刀神」
強い口調で言われたその名称に周囲の空気が凍りつくように冷えていき、悍ましい雰囲気へと変わっていく。
まるでなにかに睨まれているような、絡みつくようなねっとりとした視線。それが俺を捉えて離さない。
しかし、それも次第に落ち着いていく。
視線を落とすと、ネックレスが自己主張するように仄かに光っていた。
「え? え?」
空間が捻じれ曲がっていき、そこに巨大な目玉が現れる。
縦長の瞳孔で、ギョロギョロと瞳を動かしてはこちらにピッタリと目を向け、止まる。空間に走るように入った鱗模様の罅に俺が連想したのは巨大な〝 蛇 〟の目玉。
目玉が動き出し、俺の背後へ回る。
「っひ!?」
突然のことに悲鳴を上げて逃げようとするが、それよりも早く瞳孔がぐわっと開き、そこから俺の背後から抱きしめるように白い手袋を嵌めた手が伸ばされる。
肩や頬にかかった金色の髪がくすぐり、その形の良い唇が耳元で囁くように開かれた。
「あなたの側に降り立つ夜太刀…… 夜刀神の縛縁真宵、と申しますわ。よろしくしてくださいね? 無貌の愛し子」
耳に息が吹きかかりぞわぞわと肌が泡立っていく。
その感覚は、そのねっとりとした感じは、あいつにそっくりだった。
「離れなさい。人間をからかうのも大概にしないとあの子に怒られますよ」
「仕方ありませんわね…… うふふ、わたくしが人で無しで奇人な邪神の友ですわ」
あいつにどんな友達がいるかと思ったら同類かよ。だが納得はした。
この粘つく感じは間違いなく性格の悪いあいつの友だ。
そんな俺の思考を読んだのか、くすくす笑っている鈴里さんが見えた。
「夜刀神…… ってことは神様、なんですか?」
「ええ神様ですわ。ですが、千夜には遠く及ばぬ知名度しかありませんの。わたくしなんてとってもマイナーな、ただの祟り神ですもの」
ただのじゃない!? この人もやっぱりろくでもなかった!
「ところで、わたくしを探していたようだけれどなにか御用なのかしら?」
やっと離れてくれた夜刀神さんが扇子で口元を隠す。
「あ、そうだ赤竜刀! …… あれをあの旅館に置いたのはあなただとあいつに聴きました。あれについて教えて欲しいんです」
「赤竜、ですか」
竹刀袋から刀を取り出して見せるとそれをまじまじと見た鈴里さんが呟いた。
「それは〝 無謀断ちの刀 〟ですわ。号はあなたが言った通り…… 赤竜刀ね」
「無謀…… 断ち?」
俺が繰り返すと 「うふふ」 と笑った彼女が続ける。
「そう、無謀を勇猛へと変化させるという、人間にピッタリな刀ですわ。うふふ、そう、あれをあなたが使ったのね。可哀想に」
「は、はあ?」
別に哀れまれる筋合いはないんだが。
「だってそうじゃない。あれを使う機会がなければ今頃あなたはお仲間と一緒の場所に行けたのだから…… 精神が強くて幸運だというのも残酷なものですわね」
その言葉に頭の中が沸騰するように様々な思いが駆け抜けた。
それの大部分は怒りで、焼き切れるようなその感覚に思わず握りしめた刀をそのまま彼女に振り下ろす。
お前に何が分かる。
あの惨状で、どうすればよかったというんだ。
胸の中に渦巻く気持ち悪さに気分は最悪だ。
「あら怖い」
軽く避けられた一撃は地面に吸い込まれるように当たり、地響きが起こる。それだけ威力の乗った一撃だった。
鈴里さんが顔を顰める。
「その威力があればアレを喜ばせるのも当然ですわね。ともかく、確かに〝 むぼう 〟を断ち切ったのでしょう。アレを切ったのだから〝 無貌断ち 〟にもなりましたわ。素敵よね」
「〝 アレ 〟って…… 友達じゃないんですか?」
絞り出した言葉に彼女はさも当然のように続けた。
「友達ですわ。ただ、アレは人間の絶望が間近で見たくて行動していて、わたくしは人間の味方をしているという違いはありますけれど。だから救済処置としてその刀を無断で置かせて頂きましたの。じゃないと愛しい人間の死ぬ数が増えてしまいますから」
胡散臭い。
本当にそんなことを思っているのだろうか、この人は。
今更ながらに帽子の下から覗く二本の巻き角が悪魔の角に見えてきた。
「それで、その刀のことですわよね。わたくしは号と由来を気に入って購入しただけですから、詳しい効果は存じ上げませんわ。詳しいところを知りたいのならそれを作った赤い竜に会うことね」
想像したのは巨大な竜が火を吐き出す場面だ。
「安心しなさいな。別にそのまま竜が構えているわけではありませんわ。化身が店を構えていますから、会ってくればよろしいのではなくて?」
また、化身の話か。神様ってやつはそうポンポンと分身できるものなのか?
「…… ってことは、あなたも化身ってやつなんですか?」
「ええ」
その割には角が隠れていないけど。
「本体を見た人間は血縁が絶えるまで祟られるらしいですよ。気をつけてください」
鈴里さんがさらりと言った。なにそれ怖い。
「てことは、あいつも化身…… ?」
「ええ…… そうだわ、良いことを教えてあげましょう。千夜はマゾなんですの」
存じておりますが。
そういった目線で見つめると怪しげな笑みを浮かべて楽しそうに彼女は言う。
「そのために、自宅以外では魔法は一切使わないし自身の怪我も治さないだなんていう制約を設けていますわ。あなたのその首輪は魔法の一部です。自宅以外の場所ならばオシオキをされることもありませんし、その刀を使えば簡単に立場が逆転しますわよ」
つまり、外では敬語を外しても謀反しても魔法の反撃はされない…… ?
「情報感謝致します」
実に綺麗なお辞儀だった。
◆
無事幻想的な光景の中で古椿の酒を受け取り、ついでに赤い竜の居場所の情報を貰い、俺は大きな収穫にほくほくとしながらあやかし夜市の敷地内から出た。
そこにいたのは鳥居に寄りかかって十六夜の月を見上げる我が主人。
絵になる光景だが、俺は無言で斬りかかった。
「っちょ、令一くん!?」
ぎりぎりと真剣白刃取りの状態で手を血塗れにしながら奴が焦る。
腕がぷるぷると震えているが、その頬はどこか薄っすらと染まり、口元は笑みを浮かべて喜悦すら浮かんでいる。本当、気持ち悪い奴だ。
「待って待って! それ以上いけない!」
「……」
無言で力を込める。
「ダメだって! 中身出ちゃう! 死んだら中身出ちゃうからぁ! 無差別テロでも起こす気なのお前は!?」
幸いにもこの神社周辺には人避けがなされているようなのでいくらこいつが叫んだところで警察は来ないし、俺はストレス発散できて満足できる。最高の気分だな。
「たんまっ、たんまぁぁぁ!」
「うふふ、情けないお姿ですわねお友達」
俺達の頭上の木に腰掛けた優雅な二角の蛇神が言う。
それを聞いて体良く利用されたことに気がついたがそれでも構わない。
俺は更に力を込めた。
「ック、お前の仕業ですか夜刀神!」
俺以外に奴が敬語キャラで通していることなど、知りたくもなかった。
・人無奇人
じんないあやと。人で無しの奇人。ニャルラトホテプが人間以外に使っている名前。本人は今回5ダメージ程受けてご満悦。
・絹狸
種族 九十九神。砧の九十九神。面倒見が良いお姉さん。見た目は普通でも装甲の高い服を作ってくれる。出番はほぼない。
・縛縁真宵
種族 夜刀神境界を守る蛇神。ウィキ先生だと弱小的な感じで書いてあるが一応祟り神。二角の巻き角を持った巨大な蛇の姿が本体。蛇の瞳で移動するのは 〝 カカメ 〟 光を反射する鏡のような場所であればどこでも移動可能。
・鈴里しらべ
種族 さとり。どうでもいいけど苗字を逆にしてみるとさとりんと読めるとか読めないとか。規則違反をしたら筒抜けになるので夜市は安全を保たれている。普段は普通の高校生として過ごしているがいじめなどの悪感情を食事にしているわりと性質の悪い妖怪。元締めモードのときは優しい。
都市伝説や七不思議と関わりがあるらしい。