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ただ一人の姉として

「お兄さん、そっち行ったよ」

「はいよ!」


 自身に襲いかかってくる蜘蛛を、回し蹴りでこちらに飛ばしてきた紅子さんに返事をして走りつつも一閃。

 ひらりと翻るスカートを気にしないようにしながら、紅子さんと並走して林の中へ向かった。

 さすがに蜘蛛の数が少なくなってきた。犠牲者はこの何十年かで随分と出ていたのだろうが、3桁を超えることは恐らくない。そんな数の犠牲がこの村から出ていたら、多分この村の規模はもっと大きかったはずだし。


 それにしても、100も行かないとはいえ、これだけの犠牲が出ているとヤマタノオロチとか、軽率だがそういう神話を思い出すな。

 ……そして、悪い怪物は人間に倒されるのがお決まりのパターンということも。


「っふ、弱点が分かっていれば、アタシにだってなんとかなるものだよね」


 ガラス片を蜘蛛の眼窩に刺し、紅子さんがすぐさまその場から離れる。軽やかに踊るような彼女は、その身軽さを利用してひらひらと舞う蝶のように蜘蛛を退治していく。もう二度と捕まらないようにと、油断せず。

 掴み所のないその仕草はしかし、俺の動きと合わせて連携している。

 紅い瞳と視線が絡み合い、どちらが言うでもなく互いに獲物を仕留めていく。ときには協力し、ときには互いにトドメを任せて。

 互いが対処しきれないときはカバーに入り、しかし決して自分の身を晒して庇うことはない。


 そんな信頼関係。

 いつか憧れた彼女と、背中合わせに共闘する。

 その喜びに俺の中でチラチラと燃える炎が大きくなるのを感じた。


「おっと」

「紅子さんっ」


 紅子さんの目の前に普通よりも大きい蜘蛛か落ちてくる。

 それを見て反射的に赤竜刀を投げ、落ちてきた蜘蛛はあっさりと刺し貫かれて絶命する。


「ありがと、令一さん」

「狙われやすいから仕方ないよ。だから任せてくれ、紅子さんが無傷で生還できるようにな。リン、戻ってこい」

「きゅっきゅい!」


 木の陰に隠れた蜘蛛を手元に帰ってきたリンを変化させて斬り払う。

 黒豹に乗ったアリシア達に先行してもらっているが、取りこぼしがあるのはまあ仕方がないな。なるべく早く祠に辿り着くのを優先させているのだし。


「ありがたいけれど、キミもこれ以上怪我しないでほしいかな」

「ああ、ほら。終わったら看病してくれるんだろ? そのときに紅子さんまで怪我してたら申し訳ないからな。だから、余計に……だよ」

「そっか、それじゃあ怪我ひとつできないねぇ」


 笑いながら走る。

 刹那さんも上空に少し見えるし、透さんも走って追いついて来ている。

 そして二人で共闘を重ねながら、俺達は祠に辿り着いた。

 相変わらず扉は閉ざされている。今はもう、中から開けようとする音は聞こえなかった。


「蜘蛛の巣が邪魔だねぇ」

「下がっていてくれ、俺が焼き斬る」

「……うん」


 彼女がそこにいることを確認し、上段に構える。

 上段とは剣道においては『火の構え』と言う。相性はいいはず。まあ、相性が良い悪い関係なくぶった斬るだけなんだがな。


「――ふ」


 息を短く吐いて目の前の蜘蛛の巣を捉え、力を込める。

 するとリンに呼びかけることもなく剣先に薔薇色の炎がチラチラと宿り始めた。決意を固めるたびにその炎は強くなり、守る為の刃を強靭で鋭いものにしていく。


 そして、上から下へ。全力の斬りおろし。


「お兄さん、いつのまにこんな……」


 後ろで呟く彼女の声にほんの少しだけ笑みを浮かべた。

 どうだ、俺だって強くなっているんだぞ。もう君に守られてばっかりの情けない男じゃないんだ。


 蜘蛛の巣が焼き切れていき、地面に辿り着いた赤竜刀が重い音を立てる。

 容赦なく振り下ろした一撃はしかし、祠に傷一つつけることなく蜘蛛の巣を焼き尽くしてみせた。


「開けるよ」

「ああ」


 俺が周囲を確認し、紅子さんが祠に手をかける。

 遠くから閃光のようなものが見えた。それと、上空に舞う黒い鴉の姿も。

 刹那さんは道具で撹乱しながら、そして……。


「華野、ここで降ろしますよ!」

「ええ、ありがとう」


 ストン、と黒豹が舞い降りてくる。

 そしてその一瞬で人形を抱えた華野ちゃんをジェシュの背中から下ろし、アリシアはすぐさま林の中へと消えていく。笑ったまま、蜘蛛の眼窩に十字架ナイフを突き刺しに行く。なんという戦闘狂だ。


 ギイ、と祠の扉が開く。

 その中には横向きに倒れた詩子ちゃんの姿。


「詩子!」


 すぐさま華野ちゃんが彼女に縋り付き、揺さぶる。

 すると詩子ちゃんは眠っていただけだったのか、その白い睫毛を揺らしてゆっくりと目を覚ました。


「……華野」

「詩子、聞いて。やっと、やっとあのおしら様を……ううん、あなたに取って代わっていた偽物の神様をどうにかできるのよ」

「……なにを」


 詩子ちゃんが起き上がり、目眩を起こしたように額を押さえる。

 それから俺達を視界に入れて、ようやく状況に気がついたようだった。


「祠が開いている……君達が?」

「ああ、詩子ちゃん。紅子さんが狙われていることは話したよな」

「聞いたよ。それがどうした。もしかして、彼女をここに匿いたいのかい? それなら構わないが、ここは狭くて冷たくて、中々に怖いぞ」


 祠が開いたことに気を取られているのか……いや、詩子ちゃんは事情をなにも覚えていないのだったか。


「今から俺達はあの偽物の神を討つ。でも、その前に助けなくちゃいけない人がいるんだ」

「討つって……まあ、君達がその子を助けるためにはそうしなければならないのだろうが……しかし、先程からなにを言っている? 偽物とはどういうことだ」

「詩子、詩子、あんたが本当の神様だったのよ。わたし達は、藤代家があんたとこの祠を守ってきたのは間違いなんかじゃなかったの!」


 詩子ちゃんの薄い瞳が驚きに開かれる。そして「まさか」と口にした。


「詩子ちゃん、よく聞いてほしい。あの神様の中には……キミの妹さんがいる。キミのことを忘れたくなくて、そして人形の付喪神達に飲み込まれて利用されてしまった、キミの妹さんが」

「私の……妹」


 目を泳がせて、しかし彼女は紅子さんの言葉をしっかりと復唱して胸に手を当てる。


「思い出せない、な。悪いね、私の記憶は雪のようなものだ。積み上げても無意味。長い時を生きているのだから、当たり前だが」

「いいや、思い出せるはずなんだ。君は未来を視ることができた。それなら、きっとこの人形に込められた過去も視ることができるはずだ……俺達は、そう思っている」

「そんな荒唐無稽なことを」


 そうやって苦笑する詩子ちゃんに焦れたのか、華野ちゃんは彼女の前に立って人形をその胸にに押し付けた。


「やってみなきゃ分かんないじゃないの! だからさっさと試してみるの!」

「華野……全く、君はいつまで経っても子供っぽいな」

「いいから触れてみなさいよ!」

「もう」


 押し付けられた人形を驚きながらも詩子ちゃんは受け取った。そして、その姿をマジマジと眺めて「覚えがある……ような気がする」と呟いた。手応えはあるようだ。


「……えっと、額を合わせて集中してみてくれ。そうしたら、多分引っ張られるような感触と一緒に記憶が見られるはずだ」

「おにーさん、説明が下手くそだねぇ」

「しかたないだろ、ほとんど無意識に使ってるんだから」


 詩子ちゃんは目を瞬かせてから、そっとその瞳を隠して人形に寄り添う。

 彼女にとって、記憶は雪のようなものだと言う。


 そう、降り積もった雪は溶けて、記憶は忘却へと流されていくものだ。

 けれど、そこにある雪解け水の水面に映った光景を、見つけられたのならば? 


 白い睫毛が震える。

 そして、「つう」と彼女の頬に透明な雫が垂れていった。


「やっと、見つけた」


 震えた声で呟かれた言葉に、俺達はこの試みが成功したことを確信する。

 そして、その色素の薄い瞳が再び現れたとき、詩子ちゃんは前よりもずっと綺麗に、ふわりと笑った。


「私は神様だが、それ以上にただ一人の姉として責務を果たしたかった。だからあの子の魂を救えなかったとき、私は絶望の波に飲まれるように記憶を押し流されてしまった……それでもこうして幽霊として、存続していたのはきっと今日このときのためだったんだろう」


 穏やかに微笑んで白い幽霊が、否。お報せ様が言霊を紡いでいく。


「なあ、君達。本当に詠子を助けてくれるのかい?」

「うん、必ず」

「最初からそのつもりでここに来たんだからな」

「あんたの妹をあんたが助けてあげなくてどうするのよ」


 紅子さん、俺、そして華野ちゃんと続いて言霊が折り重なって力を増すように。全員分の想いが信仰となって詩子ちゃんに集まっていく。

 彼女ならできる、という信仰が。


「……ありがとう、私はもう大丈夫だ。あとはあの子を、迎えに行くだけ。そうしたら……全てが終わったら、隠居して華野の守護霊でもやろうかな」

「え、いいの?」

「ああ、神様だからね。あの子とは違って、私に成仏の選択肢はないのさ」


 白い神様に紅子さんが複雑そうな顔をする。

 しかし、なにも言わずに彼女は背を向けた。


「さあ、この人形を壊そう。そしてあの子に私の姿を思い出させるんだ」


 ここからが、本番だ。

 白き神と、偽物の神。その信仰の行方がこれから決まる。


 俺はそして、赤竜刀を人形に向けて構えた。


 ――しにたくない。


「ごめん」


 人形から聞こえてくる小さな意思に目を伏せて、貫く。

 青白い炎と共に、悲鳴が轟く。そして、後に残った人形の中には、真っ二つに割れた木札だけが静かに横たわっていた。

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