曇りのない刃
「アリシア、ジェシュとの連携は大丈夫か?」
「もちろんですよ。玄関に来る前、華野ちゃんにチョコレートもらってきました。ジェシュが言うにはこういうのも霊力の回復に繋がるらしいですし、大きくなったジェシュに乗って走ることなら30分くらい維持できるようになりました」
得意気に胸を張るアリシア。
「それ、本当か。すごいなこの短時間で」
まだジェシュとの和解からそれほど時間は経っていない。
なのにジェシュの黒豹化をしてすぐへばっていた彼女は、既に30分もの維持ができると豪語しているじゃないか。これは本当にすごいことだぞ。
「俺のことは気にしないでね。一応、靴は安全靴だし……刹那さんに少しだけ萬屋の道具を分けてもらったんだよね。俺は令一くん達の後方から向かって行くから、気にせず走り抜けて行ってほしいな」
一番心配なのはもちろん透さんなのだが、なんかこの人がやられる想像はつかないんだよなあ。対処法もなにも持っていないはずなのに、おかしいな。
「神社に入ってからは案内するけど、それまでは別行動で」
「分かったよ、透さん」
謎の安心感があるよな、彼。まさに兄って感じ。
「リン、準備はいいか?」
「きゅううん」
刹那さんが言っていたように、リンは俺と共に成長していく刀剣なんだ。俺が望めば、できることが増えていく。俺の発想次第で、リンは成長していく。
だから俺は直感のままにリンへと指示を送ればいい。
リンの竜化と刀剣化、竜の口から吐き出される炎を纏った赤竜刀、そして鞘の実体化。きっとまだまだやれることはあるはずだ。それを少しずつ試しながら進んで行こう。
「行くぞ」
「はい」
「うん」
タイムリミットは最低でも30分くらい。
アリシアがジェシュを黒豹化させていられる時間がそのくらいだというし、やはり逃げる手段は必要だからな。行きはジェシュも人型状態で彼女を守ってくれるはずだが、帰り道は黒豹化で一気に駆け抜けて行ってくれたほうがいい。
そして、三人と一匹で駆け出していく。
黒猫が足元で黒い煙に覆われていき、白い霧を吹き飛ばして人型に変化する。
片手でアリシアを抱え上げ、異形の片手で襲い来る蜘蛛を爪で切り裂いていく。
「リン」
「きゅー」
地面を蹴る。
目が熱い。
「感知」
言葉のスイッチで視界が切り替わる。
リンとの同調で目が冴えているのだ。霧の中、無数の熱源反応を確認。
けれど、こちらに向かってくるもの以外を無視して、正面の道を開けることを優先する。透さんが通れる道を作ることだけを考えろ。
シュルルル、と音と同時に横っ飛びして糸を引っ掴む。
それから自身の方へと力いっぱいに引っ張り、引きずられて木の上から落ちてきた蜘蛛の頭蓋を砕いた。中から人形らしきものが転がり出てきて、霧となって散っていく。
人形なんて入っていたのか。
そんな感想を置き去りに、前へ進んだ。
「鞘」
「きゅいっ」
前方から飛び交ってくる蜘蛛を左手の鞘で防ぎ、右手で斬りあげる。
それから背後に目をやって、ぐるりと体を回転させて赤竜刀を投げた。
「あ、ごめんねありがとう令一くん!」
赤竜刀が一匹の蜘蛛に刺さり、次いで竜化したリンが俺の手元に戻ってくる。
追ってきていた透さんは踵落としで一匹の蜘蛛の頭蓋を割りながら、こちらに手を振った。彼の元に複数匹集まっていたから、さすがに対処しきれないだろうと思って赤竜刀を投げたのだった。
いや、それにしても足技で対処できる透さんはやっぱり色々とおかしい。
委員長的なその見た目で爽やかな笑顔を浮かべている。
もっと蜘蛛の見た目で怖がったりさ、ほら、しないの? 俺はめちゃくちゃビビったよ?
「遅くてごめんね!」
謝るのそこじゃないから! というか謝らなくていいから!
普通は守られていないと安全に移動できないような中で平然と突き進んでくる透さんがおかしいんだからな!
「やあ!」
「上手い上手い、すごいよアリシア! 一撃必殺だ!」
ジェシュが激しく動いて片手で迎撃する中、アリシアは背後から襲い来る蜘蛛の眼窩に十字架ナイフを突き刺して対処する。
すると頭蓋が壊されていないのにも関わらず蜘蛛がひっくり返って霧になった。ジェシュの言う通り、まさに一撃必殺の技であった。
「令一さん! 透さん! どうやら頭蓋骨の中身が本体のようです! そこが狙い目ですよ!」
中身。つまり人形か?
そうか、本体は人形で、あくまで周りの肉塊やら頭蓋骨やらは鎧のようなものなんだな。ということは……この蜘蛛を構成している体は犠牲者達の体から成っている可能性があるということで。
「はあっ!」
頭蓋を叩き割ることよりも、眼窩に突きを食らわす方針に切り替える。
すると今まで硬いものを砕いて軋んでいた赤竜刀は、あっさりと中身を刺し貫いて力をそれほど入れずに対処できるようになった。
「糸っ、同じ手は食らわねぇよ!」
斬れるか?
そんな一瞬の迷いを力に変えてリンに呼びかける。
「焼き切れぇ!」
ぶわりと、薔薇色の炎が揺れる。
不思議と熱を感じないのに、刀剣に纏ったその炎は前回と違い、実にあっさりと蜘蛛糸を焼き切った。
あのときの俺には迷いがあった。
紅子さんに拒絶されるのではないか、彼女に嫌われてもいいから我武者羅にならなくては、そんな雑念が思考を支配していて、決意に陰りが見えていた。
だからこそ、今の俺は違う!
もう迷わない、もう躊躇わない。
この霧の中でさえ、思考に曇りはない。
約束を果たす!
ただそれだけを胸に俺は赤竜刀を振り上げた。
――吊橋まであともう少し。