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無謀な一撃

 キチキチと樹木が軋む音がする。集中したまま赤竜刀を右側面に上げ、両手で握り込み、霞の構え。狙うは得体の知れない子供だ。


 前傾姿勢のままに地面を蹴り上げる。


 祠の中からドンドンと扉を叩く音がした。

 いないと思ったら、詩子ちゃんはどうやら祠の中に閉じ込められているようだった。


 助けは期待できない。


 子供の腕や腹から鋭い爪のようなものが8本現れ、紅子さんをゆっくりと囲い込もうとしている。させない。絶対にそんなことはさせない! 


「紅子さんから離れろぉぉぉぉ!」


 側面から襲いかかり、頭を狙う。

 が、腕のような爪で斬撃は防がれて火花が散った。

 鍔迫り合いとなったせいで赤竜刀から嫌な音が鳴る。


「リン、変化!」

「きゅいっ」


 手を離してバックステップ。鍔迫り合いをしていた巨大な爪が地面に突き刺さり、その隙を持ってリンを再び手の中に呼び戻し、赤竜刀に変化させてから袈裟斬りに斬りかかる。


 地面に刺さった腕を一本斬り飛ばし、返す刀で下から上へ斬りあげる。

 またもや爪が防ごうと動いたが、今度は身を低くして爪を掻い潜り、節の部分を斬りあげて腕を落とした。

 その場で赤竜刀を振るい、血振りをして油断のないように視線を背後に移す。


「……」

「お兄、さん……? ど、して……ここ、に」


 拘束は既に殆ど意味を成していない。けれど、なおも紅子さんはその場から動けない。

 蜘蛛の巣に魂が囚われ、動きたくても動けないのだ。

 息をすることさえ苦しそうに喘ぐ彼女に、俺の中の怒りが頂点にまで達する。


 目の前の黒髪の少女から伸ばされた腕はあと6本。

 虚ろな瞳は俺を一瞥して、それから紅子さんへと向けられる。


「邪魔、しないで」


 細い声。

 俺に向けられた僅かな敵意。

 紅子さんを見る目には一切敵意が感じられないのに、俺に向けられた瞳は冷たい。


 それに、この子供……詩子ちゃんの記憶で見た妹さんと……似ている? 


「っふ」


 息を切って、上段で袈裟斬りの構え。

 ……迷っている暇はない。斬るだけだ。


「どうしてだなんて、ひとつしかないだろ。紅子さん」


 怒りと恐怖と、不甲斐なさと悔しさでないまぜになった彼女に笑いかける。


「――約束を、守りに来た」


 踏み込む。

 虚ろな瞳でこちらを睨む少女の肩口から袈裟斬りにするように赤竜刀を振り下ろす。


「……くそっ!」


 硬い。

 せめて口元から伸びる糸を断ち切ってやろうと標的を変える。

 が、滑らせた刀が強靭な糸に阻まれ鈍い音を出す。


「焼き切れ! リン!」


 赤竜刀にちらちらと燃え上がる薔薇色の炎が宿る。

 それは神の炎。赤竜の息吹。焼き切るように糸を侵食し、蜘蛛の少女をも飲み込まんと燃え上がる。


「約束はっ、違えない!」


 守ると誓った。

 助けると誓った。

 力を込める。

 誓いと決意。歯を食いしばってそれを思い出すだけで赤竜刀に宿った炎が大きく純度の高いものとなっていく。


「嫌われてもいい! 嫌いになられてもいい! それでも俺は、紅子さんを助けるんだ!」


 情けないくらいに裏返った声に、涙が滲む。

 赤竜刀が完全なる力押しで押し返されて腕が震える。


「……もう遅いのに」

「は……?」


 ぞわりと、空気が震える。

 嫌な予感がした。直感的に糸を焼き切ることを中断し、地面を蹴る。

 背後の紅子さんに抱きつくように、覆いかぶさるように飛びかかった。


 頭上からは、今までの比にならない程の巨大な蜘蛛が爪を振り下ろしてくるのが見えていた。


 ――ダメだ。覆いかぶさっても、守れない! 


 咄嗟の判断だった。


「……っ」


 全力で、その場から彼女を突き飛ばす。


「リィィィン!」


 地面に激突してすぐさま体を跳ね上げ、赤竜刀を後ろ向きに斬りあげた。

 ザックリと断ち切られた爪が一本、その場に切れた組紐と鈴の音と共に落ちる。

 真っ直ぐと俺の心臓へ向けて突き出された爪が、次の瞬間にはグニャリと視界がブレ、狙い逸れて左肩を刺し貫く。


「あ……ぐぅ……」


 地面に縫いつけられ、肺から空気が押し出されるような苦痛に、思わず言葉にもならない唸り声をあげた。


「令一さん!」


 悲鳴のように俺を呼ぶ声。

 応えることもできずに、口から出るのは浅い呼吸だけ。


 左肩から先が動かない。

 散々地面に転がって腹が痛い。さっきの衝撃で骨が折れたかもしれない。

 咳き込めば、その場に赤色が散った。


 血が込み上げてきて、息ができない。


 あのとき――青葉ちゃんの攻撃から紅子さんが俺を庇ってくれたときの光景を思い出す。


 ああ、きっとあのときも、紅子さんはこんな気持ちだったのかな。


「きゅうっ、きゅいいぃ!」

「ごめん、リン。動け、な……い」


 爪が肩から抜かれていく。

 体が持ち上がり、ゴミのように捨てられてまた血を吐き出す。


 駆け寄ってくる紅子さんを静止しようとしても、血が喉に絡まって声が出ない。


「嫌だ……やだよ、やめてよ令一さん……! アタシが、アタシのせいで……!」


 泣きじゃくる彼女に苦痛に歪んだ顔を見せたくなくて、笑いかける。


「――」


 声は出ない。けれど「紅子さんのせいじゃないよ」と。

 目が霞む。彼女の姿がブレる。くしゃくしゃに歪んだ泣き顔に唯一上げることのできる右腕で涙を拭って一言だけ。


「逃げろ」


 狙いが逸らされて彼女を捉えていた蜘蛛の巣に穴が空いている。今のうちなら、きっと今度は逃げられるはずだ。


「嫌だ!」

「わがま、ま……言うなよ……」


 巨大な蜘蛛がすぐそこに迫っているんだ。

 少女だって、まだ君を狙っている。だから逃げてと言っているのに、どうしてか彼女はイヤイヤと子供のように首を振る。


 いつもは理性的な彼女が、感情で暴走している。

 そのほうがいいと分かっているはずなのに、紅子さんは滑り落ちそうになる俺の右手を握って祈るようにその紅い瞳を閉じた。


 情けなさと、不甲斐なさと、俺に対する僅かな怒りと、失うことへの恐怖。

 そんなものが混ざり合って子供のように泣く紅子さんに、俺はどうすればいいのか分からなくてなってしまった。


 周囲を蜘蛛が取り囲む。巨大な一匹の蜘蛛と、少女がジリジリと俺達二人に近寄ってくる。確実に仕留めるために。


 このまま紅子さんと一緒なら怖くないかな。


 そんなことを思っていたとき、辺りが雷鳴でも落ちたときのように轟音と目が潰れる程の光が広がった。



「なん……」

「なにこれ……」


 二人して困惑していると、頭上から声が聞こえた。


「奴らの目は潰したぜ! 旦那方、今のうちに資料館のほうへ逃げるんだ! いいかい!」


 その声は、どこか聞き覚えのある男性の声だ。


刹那(せつな)さん?」


 紅子さんの言葉でやっと理解する。

 その声は鴉天狗の新聞記者。烏楽(うがく)刹那さんのものだったんだ。


 なんにせよ、逃げ出す時間が取れたということ。

 けれど、どうあっても俺の体は動かない。


「……ん、じん、な……とき、に……」


 意識が混濁する。


「あるじちゃんはオレがはこぶ。いくよ、せっちゃん」


 そんな言葉を最後に、俺は意識を手放した。

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