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讃えよ雪花、訴えよ胡蝶、生まれ出ずるは報せ神

 リイン、リインと、鈴の鳴る音がした。

 心の中に、何者かの思考が入り込んでくるような、そんな感覚。

 押し流そうとしてもどうにもできずに、意識が遠のいていく。


 そして、俺自身の意識すら食い潰されて、〝彼女〟自身の記憶としてそれを体験することとなるのだ。


 リイン、リイン。


 記憶を蘇らせるような鈴の音が。

 しかし、彼女自身ではなく俺の中にその記憶を呼び起こす。


 ――そう、それは白い蝶の記憶。


 沈み込んでゆくように。思い出に浸るように。

 思考が、煙る。


 ――夢を、夢を見たんだ。予知夢を。防げない、未来の記憶を。


 詩子ちゃんの声が頭の中に響き渡る。

 そうして、俺の意識は思い出の中に溶けていく……。


 ◆


 夢を、夢を見たんだ。予知夢を。防げない、未来の記憶を。


 山々の窪地にあるこの土地の北のほうが崩れる夢だ。

 ああ、いつものかと、こ綺麗な布団から身を起こして枕元の鈴を鳴らす。


「はい、ねえさま。おはようございます。いかがなさいましたか?」

「いつものやつさ、詠子(えいこ)。北の崖のところ、青ケ谷さんのとこの坊ちゃんが足を踏み入れ、崩れた崖と共に川へ落ちるだろう。準備したまえ」

「はい」

「それと、もっと話し方を柔らかくすることを要求するよ。姉妹なんだから」

「う……ごめんなさい、ねえさま」

「家の中でならいいだろう?」

「ええ、そうね」


 彼女――詠子は私の唯一の家族。なによりも尊い、我が妹。

 村の人達は予知を見ることのできる私をどうやら神聖視しているようで、妹のこの子でさえ気安く接することを制限しようとする。それ、全ては私のためだとうそぶいているが、ただの他人様が私の心を勝手に語ろうなどというその態度がそもそも気に入らない。

 私は神なんかではないのだ。奴ら大人にはそれが分からんらしい。素直に私を頼り、はにかむ年下の子供達のほうが余程私の気持ちというものを分かっているだろうさ。


 私の予知は決して覆らないということを理解しきれていない子供達は、私を責めない。

 たとえば、今日という日に亡くなるだろう男の子も。その子と親しい子供達も、私を責めることはない。

 どうしようもないからだ。私だって、叶うのならこの身を持ってあの子達を守ってあげたい。身を削って傷を癒すことができようとも、死者を蘇らせることはできないのだ。


「ねえさま」

「ああ、今行くよ」


 リン、と鈴が鳴る。

 訪問する際に持つようにと渡された鈴。そして、その鈴を私の手首に結ぶのは我が自慢の妹が編んだ組紐だ。肌身離さず、いつも身につけている。


 さて、今日も仕事を始めよう。


 ――



 ある日、黒ずくめの旅の法師だと名乗る男が現れた。

 明らかに怪しい風態。以前出会った真っ赤なおかしな男と似た人間とはまた違った気配に、すぐさま村の人間には相手にしないようにと通達した。

 いずれは消えるだろう。村の人間が私の指示に従わないことなどないのだから。


 それから、また夢を見た。


 今度は、村全体が揺れる夜の夢。村の多くの人間が、そして詠子が崩れる家屋に巻き込まれてゆく予知。

 それを見て、私は恐怖というものを思い出してしまった。

 揺るがぬと信じていた妹の未来と、潰える運命にあると知った絶望を。


 私は、詳細を黙っていた。

 村の人間にはただ、大きな災害に備えよとだけ命じるだけ。


 そして、自室で布の人形を作る妹と村の様子を鑑みて……とっくに気づいていた。そして放置していた問題が間近に迫っていることを悟った。


 黒ずくめの法師は既にいなくなっていたが、村全体に大きなヒビを入れて去っていったことは知っていた。

 そして、あの赤い男の忠告が現実のものとなりかけていることが理解できていた。


 けれど、私は止まるつもりがない。

 いくら現人神(あらひとがみ)と言われようが、私にはできないことが多すぎる。

 予知は揺るがないからと、死にゆく者をはなから気にかけず、見捨てていた。助けようとする努力も、予防しようとする努力もとっくに諦めてしまっていた。そんな私の「罪」は必ず罰せられる。そうでなければならない。


「もしかしたら、本当に神様になれたら……守りたいものを、全部守れるのかもしれないね」

「どうしましたか? ねえさま」

「いいや、詠子。君の白無垢姿を見るまで私はいなくなるわけにはいかないな、と思っただけさ」

「……そう、ですね。そんなときがくればいいのに」

「そんな暗い顔はおやめ。大丈夫だよ、君のことは私が守るから。きっと、きっとね。君の未来は明るい。予知のできる私が言うのだから、本当のことだよ」


 ひとつ、嘘をついて微笑む。

 ああ……本当に、神様になれば運命とやらを覆すことができるのだろうか。


 だから、私は知っていてなお、罠に足を踏み入れた。

 きっと痛い目に遭うだろう。苦しいだろう。死ぬとはそういうことだからだ。


「ねえ、ねえさま。いかないで」

「……」


 その日、一度だけあの子は私を引き止めた。

 ずっと作り続けていた、私と、あの子にどこか似ている人形を胸に抱いて。

 私は、全てを知っていた。

 これから、私は死ぬだろう。この子や、村の人達のために、永遠に予知を続ける神さまとなる。外から持ち込まれた儀式。本当に効果を成すかも分からぬその儀式を信じた者達の手によって死んでゆく。


「詠子、なにを泣いているんだい?」

「…………だって」

「いいかい、詠子。どこへ行ったって、見えなくたって、私はお前のお姉ちゃんだよ。お姉ちゃんは妹を守るものだ」

「でも、見えなかったら、分かりません」

「そうだね、そうしたら、心に思い浮かべてごらん? 私の顔を、声を、言葉を。お前の心の中を覗いてごらん? そこに、必ずあるはずだよ」


 静かに頷いて、目を瞑る詠子の髪に触れる。


「詠子は心配症だね。ただちょっとお祈りをしてくるだけだよ。今までとほとんど変わらない。そうだろう?」

「……うん」


 素直に頷いた詠子を抱きしめて、離す。


「ずっと、君を守るよ。私が、ずっと。だから安心おし」

「うん……うん」

「約束だよ。私を、忘れないでくれ」

「うん、約束する。ねえさまを、私は忘れない」


 次の日には、あの子はもう引き止めなかった。




 白い雪が桜のように積もる森の中。やがて、その純白の花は紅梅の色へと姿を変える。

 雪の届かない暗い祠は、けれど外よりも凍えるように冷たかった。


 外界とこの身を繋ぐ唯一の絆の証がチリリと音を鳴らす。

 呻き声すら出せぬ灼熱の痛みに息を漏らし、床板をギギギと爪で引っ掻いた。


 痛い、辛い、苦しい。

 でも、神様になれば、あの子達をきっと救うことができるから。

 痛い、辛い、苦しい。

 こんな苦しみ、あの子を失うだろう絶望に比べれば、なんて易いもの。

 痛い、辛い、苦しい。

 ああうるさいな。祈りの声なんて聞きたくない。あの子の声を聞かせてくれ。

 痛い、辛い、苦しい。

 私がいなくともあの子は歓迎されるのだろうか。寂しくはないだろうか。

 痛い、辛い、苦しい。

 まさかいじめられてなんかいないだろうな。そうしたら許さないぞ。

 痛い、辛い、苦しい。

 痛い、辛い、苦しい。

 痛い、辛い、苦しい。



 ――ああ、どうして私がこんな目に遭わないといけないんだ。



「っ……」


 私は今なにを思った……? 

 そんなの、いけない。そんなことを思ってはダメだ。

 私は、私は神様に、なるんだ。そうして、運命を変えるんだ。


 でも、嫌だ。

 嫌だ、嫌なんだ。あの子を守るなんていうちっぽけな約束ひとつ、守れそうにないことが。あの子の晴れ姿をこの目で見られないだろうことが。


 あの子は寂しくないか、なんて……違うだろう。私が寂しいだけなんだ。


 寂しい、寂しい、寒い、寒い、みんなのため、あの子のために、頑張りたいけれど、気持ちが抑えられない。真っ暗な気持ちが、この期に及んでどくどくと内側から溢れ出てくるのだ。


 嫌だ嫌だ。寂しい。痛いのは嫌だ。辛いのも嫌だ。苦しいのが嫌なんだ。


 私は死にたくない。

 当たり前だろ。誰が喜んで死ぬものか! 

 地の底から湧き上がり、体を這い回るような絶望と恐怖に唇を噛みしめる。


 せめて美しく死にたい、なんて馬鹿なことを思っていた。

 なんて、なんて醜い。私はこんなにも醜い人間だったのか。

 大人が憎い、あの子が妬ましい、どうして私がこんな目に! 


 嫌だ嫌だ嫌だ、あの子に合わせてくれ! どうかこの黒い気持ちを抑えつける術をくれ! 

 憎い、憎い、憎い。

 妬ましい、妬ましい、妬ましい。


 私じゃなくて、あいつらが死んでしまえばよかったのに。

 死の直前の恐怖で祠の扉を引っ掻く。


 出して、出して、出してくれ。


 チリチリと鳴る鈴が落ちていきそうな思考をつなぎとめる。


 出して、出して、出して。

 このまま手遅れになる前に。


 きっとお前達を恨んでしまう。妬んでしまう。害してしまう! 

 そんなことがないように、お願いだから開けてくれ。


 私は――






 ……




 ガラガラと崩れ去る家屋の中、なにかを探すあの子の手に触れて引っ張り、外へと連れ出す。


 家屋は、あの子を連れて私が出てくればすぐに崩れ落ちた。

 目的は達成した。やりたかったことを、できるようになった。

 守るという約束を果たせた。


 けれどなぜだろう。

 ちっとも嬉しくなく、私を置いて村の人間の中に紛れていくあの子を見送った。

 どうしよう、誰もが似たような顔に見えてくる。視界がブレる。


 神様になって、運命を変えた。

 なのに、黒い感情が沸き立つようにふつふつとこみ上げてきて、それを直前で抑え込む。


 ああ、でも、守らなければ。

 こんな状態でも、あの子だけは、守るんだ。


 降り積もった雪のように溶けて消えていく記憶を、必死に繋ぎ止めながら……


 おしら神として、私は此処へ永遠に足止めなのだ。





 ◆


 寂しげなその少女の背中を、俺はなにもできずに見ることしかできなかった。

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