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紅い記憶

 うとうとと、彼女の低い体温を隣に感じながら微睡む。

 ほんの少しだけ。ほんの少しだけ。そう思いつつも、肩に乗る少女の頭を撫でる。こんなときくらいしか、それは許されないから。


 願うならば、彼女のことをもっと知りたい。

 いつもクールで、皮肉や気丈さで着飾った彼女も等身大の高校生であったのだと知ってから、その気持ちがどんどん強くなっていく。


 彼女を守るために、できれば全てを知りたい。

 そんな傲慢な考えが鎌首をもたげて心にのしかかってくる。


 そう思うたびに、手を伸ばそうとするたびにするりと逃げていく紅い蝶。

 この指に留まってくれないかと、そんなことを願いながら目を閉じる。


 目頭が熱い。

 頭がぼうっとする。

 心臓がドクンと強く脈を打つ。


 そうして、俺は夢を視た。


 ◆


「……」


 目を開くと、そこには教室が広がっていた。

 一瞬、また誕生日のときのように理想の夢が広がっているのかと思ったが、それも勘違いだと気づく。


「おはよー!」


 ガラリ。

 俺の背後で教室の扉が開く開き、一人の女子高生が入ってくる。

 慌てて避けようとした俺は、その子が構わず俺に向かって歩き、すり抜けていくのを呆然として見守っていた。


「夢? 記憶、か?」


 まだ判断はつかない。

 けれど、ここが現実ではないのは確かだった。


 ガラリ。

 今度は教室の反対側。後方の扉が開くと、教室は一瞬だけ静まり返った。

 教室にいた生徒達が一斉にそちらを向く。俺も目を向けて、そして息を飲んだ。


 赤いセーラー服の上に、えんじ色のカーディガンを着た少女。

 黒髪をポニーテールにして頭上でまとめあげ、菫色のリボンで着飾っている見覚えのある少女。

 彼女は、その紅い瞳でクラスの生徒達を一瞥(いちべつ)すると、ふっと微笑む。優しい視線だった。


 それだけで、彼女が『紅子さん』本人なのだと確信する。


「あの、おはよう赤座さん」

「うん、おはよう」


 声をかける生徒に紅子さんはクールに微笑んだまま、返事をしていく。

 それから窓際の一番後ろの席まで優雅に歩いていき、カバンを置いて席に着いた。



 声をかける人間こそあれど、彼女の元へは誰一人寄っていくことはない。

 遠巻きに挨拶をされて、そして見られて、教室は徐々に喧騒を取り戻していく。


 そんな中でただ一人、紅子さんは頬づえをつきながら窓の外を眺めていた。


 ここは――紅子さんの記憶の中だ。

 それに気がつくのに、そう時間はかからなかった。


 そうして観察しているうちに、俺はこのクラスにイジメが起きていることを知った。一人の女子生徒が複数の女子生徒に強く当たられ、イジメを受けていたのである。


 それをいつもつまらなそうに、紅子さんは見て見ぬ振りをしていた。

 彼女はいつも、窓際の一番後ろの席で本を開き、ただ一人黙々と読書に励んでいたのである。


 どうやら紅子さんは一人でいるのが好きなようで、遊びに誘われてもなにか理由をつけて断ることのほうが圧倒的に多い。

 それはイジメに関しても変わらず、無干渉。


 ただ、当たり障りなく他人と接しているため顔は広く、周りとの輪を乱すことはなかったようだ。


 教師に言いつけられたことも守り、成績優秀。


 寡黙でクールな優等生。それが周囲からの紅子さんの印象だった。


 幾度目かの授業の風景を眺めていると、急速に視界が明滅する。


「な、なんだ?」


 押し出されるような感覚。

 追い出されるような感覚。


 それと同時に、場面は次々と移り変わっていく。



 ――余計なこと、しないでよ。



 紅子さんとはまた違う女性の声が聞こえたことをキッカケに、ガラガラと教室が崩れていく。当たり前の日常が崩壊していく。


 黒板の端は鋭い刃物で切り裂かれたように切り落とされ、床に落ちる。

 床に落ちた破片は、なぜだか黒い髪へと変化する。


 教室が壊れていく。

 当たり前が壊されていく。

 その中でも、唯一変わりのなかった紅子さんの席が段々と薄汚れていく。穢されていく。


「な、なんだなんだ!?」



 ――やめて。



 今度は紅子さんの声と同時に、頭の痛みと共に場所がトイレの風景へと切り替わる。


「ごめんなさい」


 一人の少女が紅子さんに謝っている一場面。その少女はイジメを受けていた子だった。


 トイレの中で、一対一の話し合いが行われている。

 その雰囲気は、お世辞にも良いと言えるものではなく、険悪極まりないものだ。


「それで? アタシがキミを許せばはい終わり。ハッピーエンドってなる魂胆かな。その謝罪ってさ、〝謝りたい〟んじゃなくて〝許してほしい〟んだろう」


 優しい笑みを消し、俺の知っている皮肉気な、馬鹿にするような、そんな表情で彼女が言う。


「え、一緒でしょ……」

「ううん、違うねぇ。結局アタシの意思は関係ないんだよ。キミが、キミの自己満足で謝りたいだけ。アタシを言い訳に使わないでくれるかな? そういうのは嫌いなんだよ」


 目を瞬く少女に紅子さんは呆れたように首を振る。

 覚えのある理論だった。俺がいつか彼女から言われたことだった。


 曰く「アタシを言い訳にして逃げるな」と、そういう意味の言葉。


 そうして紅子さんは少女に背を向けてやれやれと手をあげた。

 トイレの入り口は少女が陣取っているため、紅子さんはそれに背を向けた形になった。


 トイレに入るのかもしれない。

 今更ながら、ここは女子トイレだよな? 


 しかし、身動きしようとしても緩慢にしか動けない。

 それに、すごく嫌な予感がしたんだ。目が離せなかった。



 ――見るな。



 頭の中で声が聞こえてくる。

 それでも、俺は目を逸らさない。


「っ……」


 俯いていた少女が顔を上げると、その顔はまさに鬼と言えるほどに歪んでいて、どれほど人を憎んだらそんな顔ができるんだと言うほどに……殺意に溢れていた。


「なっ」


 そして強く強く、両手で紅子さんの背を突き飛ばす。殺意すら込めているように。

 そうして、たたらを踏んだ彼女はあまりに強く背を押されたせいで頭からその『窓』へとぶつかった。


 キラキラと、破片が飛び散る。



 ――見ないで。



「紅子さん!」


 緩慢な動きしかできず、ひどく苛立ちながら俺は窓を覗き込む。

 その下では、紅子さんが諦念さえ浮かべた顔で笑っていた。


 ……笑って、いた。


 そして近くにあったガラスの破片を手に取って――



「勝手に見るなんて、最低だよ」



 視界がブレる。

 押し戻される。


 そうして俺は、頬に受けた衝撃で目が覚めた。


「…………」

「べに、こ……さん?」


 俺が目を覚ますと、紅子さんは膝立ちになって俺をその強くて紅い瞳で睨んでいた。

 その手は振り切ったままに停止している。頬の痛みに、ああ俺は引っ叩かれたのかとやっと理解した。


「最低……だよ。最低、人の記憶を勝手に見るなんて、キミはどこまでアタシを侮辱すれば気がすむの?」

「え、俺、そんなつもりは」

「うるさいっ……油断してた。キミのことだからって、アタシは油断していたんだよ。それでも、キミのしたことは最低極まりない。人には見られたくないものだってあるんだよ。そんなことも分からないのかな!?」

「……ごめん」


 謝っても、当たり前だが彼女の怒りは冷めやらない。


「信頼した、アタシが馬鹿だった」


 吐き捨てるように。

 泣きそうになりながら、彼女は俯いたまま部屋を飛び出していく。


 明らかに、紅子さんは冷静じゃなかった。

 それだけ、見てはならないものを見てしまったということなんだろう。


 俺はまだ、この力を制御しきれいない。

 そんなのは紅子さんだって分かっているはずだ。それでも、それを分かっていても彼女は俺の所業を許せなかった。そういうことなんだ。


「知りたいと、思っちゃったからか」


 ひとりごちる。

 彼女を守るためにその全てを知りたいと、そう願ってしまったのがいけなかったのか。


 じくじくと痛む胸に、彼女を追いかける勇気も湧かずに俯く。


 ――その心まで、守りたいと思った。


「なのに、傷つけてばっかりだ」


 人によっては彼女の行いは理不尽だと言うだろう。

 だって俺はこの月夜視の制御ができていない。まだできるようになったばかりで、暴走してしまっても仕方ないと言えるほどに未熟だ。


 けれど、俺が彼女を傷つけてしまった事実は変わらない。

 俺が「全て知りたい」なんて傲慢なことさえ思わなければ、あの記憶を覗き見ることもなかったんじゃないか? 


 そう思えてならない。


 それから夕食のときも、就寝前も、彼女は一言も俺と言葉を交わしてはくれなかった。

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