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白い幽霊と古き資料

 森から出ると、遠くに白い影が見えた。


「あれ、詩子ちゃんじゃないか?」

「うん? あ、本当だね」


 詩子ちゃんは白装束をなびかせながら村の中を見回るように歩いているようだった。

 子供達が花一匁(はないちもんめ)をしている中に勝手に入り込んで遊ぼうとしたり、かくれんぼに混ざろうとしたり、本当に子供が好きなんだろうな。

 不思議な話だが、子供達に混ざろうとする彼女はすり抜けることなく遊びに参加している。

 いつの間にか遊んでいる人数が増える現象というのは、きっとこういうことなんだろうな。そう思わせる姿だった。

 子供達にも視えている……のか? いや、子供達も生まれたときに納めた身代わりがあるはずだから、無意識に遊んでいるだけで気がついていない可能性のほうが高いか。


「あっ」


 子供が転んで、思わず声に出てしまった。

 けれど、その子供に駆け寄る詩子ちゃんの姿に釘付けになる。

 太陽は既に天辺まで登っているから、早く資料館に戻って合流と、お昼ご飯作りを手伝わないといけないのに……不思議と目が吸い込まれるように白い幽霊へと向けられる。


「……」


 紅い瞳が責めるように俺を見つめる。

 けれど、どうしても気になってしまって「ごめん」と口に出した。


「――」


 遠くのほうで、子供の泣く声が聞こえる。どうやら怪我をしたようで、膝を抱えて大声で泣く。ああ、あんな時代もあったっけなあなんて思いつつも様子を見守っていると、詩子ちゃんが子供の傷に手のひらを触れさせ、目を伏せる。

 彼女の声は聞こえないが、きっと優しく声をかけているのだろうことは分かった。


 そして、子供が突然泣き止む。

 詩子ちゃんが触れさせていた手を離し、身を翻す。

 目を白黒とさせながら怪我をしていた子供は膝を見るが、もう既にそこには傷跡がなかった。

 遠目にそれを確認して、俺も資料館に帰ろうと歩き出した。

 なぜ、あんなにも目が惹かれたのか……それは分からなかったが、詩子ちゃんが優しい顔で子供の傷を治すところを目撃できたのは幸いだったろう。

 ……あんなことができるなんて知らなかったけれど、あの心優しい幽霊ならば紅子さんを害することもないだろうと確信できた。

 だからこれはこれで良い収穫となったと言えるな。


「治癒の力だねぇ……普通はあんなことできないし、あれも彼女の才能かもしれないよ」

「才能か……詩子ちゃんが死んだことにもなにか関係がありそうだけれど……本人に訊くわけにはいかないからなあ」

「それに、彼女ってここ50年くらいの記憶しかないって言っていたんだよね。なら、死んだときの記憶も、生前のことも多分覚えていないと思うよ」


 だから、あの治癒の力が彼女の死に関係があるかどうかも分からない……と。

 今一番謎なのはこの村の神様のこともそうだが、詩子ちゃん自身もかなりの謎だ。そこらへんのことが資料館で分かればいいんだが。


「それじゃあ、アタシは一応さっきのことを透お兄さんやアリシアちゃんに共有しておくよ。確か透お兄さんは古いほうの資料室だったよね」

「よろしく。俺は華野ちゃんとお昼ご飯作ってくるから……なにかリクエストあるか?」

「昨日のカレーが残っていたりとかするんじゃないの?」

「……それもそうだな。あとはサラダくらいか。なら、夜のリクエストとか」

「夕飯ねぇ……えっと、クリームシチューとかどうかな? また汁物になっちゃうけれど。ダメかな」


 遠慮がちに聞いてくる彼女に頷かない俺がいるわけがないだろ。


「食料を使わせてもらってる身だし、少ない材料でたくさん作れる汁物のほうが負担は少ないと思うし……華野ちゃんに提案してみるよ」


 二つ返事で了承することは決まっていたが、一応ちゃんとした理由もあるのだ。あくまで俺達は想定外のお客さんだからな。


「そ、そっか。楽しみにしているよ。それじゃあ」


 廊下で分かれて、ほんの少しの間だけ思い出す。

 自分から訊いてなんだが、リクエストをしてきたときの紅子さんは目線を逸らしていて頬をかいていた。ちょっと恥ずかしかったのかもしれない。

 これだけ楽しみにしてくれているとなると腕がなるな! 


「さて、手伝いに行かないと」


 そうして俺は、華野ちゃんと一緒に余ったカレーに乗せる小さなハンバーグを作ってハンバーグカレーにしたり、サラダを作ったりしてお昼にしたのであった。

 夕飯をシチューにする許可はもちろんもらえた。その代わりに、ホットケーキミックスがあったので3時のおやつにホットケーキを作る約束を華野ちゃんとしてみたりとか。


 それから、再び俺達はアリシアの自室に集まって会議を開くことにしたのだった。


「寝ちゃってごめんなさい……」

「いやいや、急な激痛に襲われた後だったし、体力が持たないのも仕方ないよ。元気になった?」


 シュンとするアリシアに透さんが尋ねる。

 アリシアはその膝の上に黒猫を抱きながら、するりと背を撫ぜた。

 黒猫……ジェシュは気持ちが良いのか、彼女の膝の上で足を体の下に畳み、所謂(いわゆる)香箱(こうばこ)座りの状態でくありと欠伸をこぼす。

 すっかりと関係の修復は済んだようだった。


「もう大丈夫です。あのときは疲れちゃっただけですから。それより、紅子お姉さんは変わりありませんか? どこか怪我したりとか」

「おにーさんが心配性なくらい守ってくれいるから、アタシは問題ないよ」


 ふっと微笑んで言う紅子さんに、俺のほうが照れてしまった。

 こう、なんだかくすぐったい気持ちになるのである。


「それなら良かったです。それで、ええと、あたしはあのあと起きてジェシュとお話しをしながら、できることを確認してみていたんですよ。もしかしたら、神様に立ち向かうことになるかもですし……というより、あたしが見てるだけなのが気に食わないだけですね。紅子お姉さんのことは、あたしだって好きですもん」

「……」


 紅子さんは俺の隣に座ったまま、そっと目を明後日の方向へ向ける。

 ポニーテールの隙間から見える肌はやはり、赤くなっていた。最近の紅子さんはよく照れる。

 素直に感情を表してくれるようになったのだと思うと感慨深いな。

 前は不敵で、どこか掴み所のない感じが常だったからだ。

 ひらひらと風に舞いながら常に飛び続けていた蝶々が、翅を休めて花に止まっているような……少々詩的だがそんな違いを感じている。

 休むべく止まり木のようなものだと俺達が認識されているのなら、それはそれで嬉しいものだ。


「ジェシュは猫であって邪神でもありますから、全てはあたしの心次第……らしいです。だからあたしが大きくなってって願えば……」


 アリシアが宝石を嵌めた十字架を手に目を瞑る。

 するとジェシュの姿は見る見るうちに大きくなり、やがてしなやかな黒豹のような姿に変化した。


「い、今はこれで限界ですけど……これならあたしもジェシュに乗って移動できますし、ジェシュがそばにいるからなんとか逃げることもできます。足手纏いにはならないはずです」


 額に汗をかきながらアリシアが言う。この状態でもだいぶ無茶をしているのがよく分かる。けれど、俺達と一緒に紅子さんを守りたいという意思は十分すぎるほど伝わってきた。

 黒豹のようにしなやかな黒猫は、黙ってアリシアの頬にその頭をゴツリとぶつけるとみるみるうちに元の大きさまで戻る。

 あのサイズの猫に頭突きをされると痛いんじゃないだろうか。


「ジェシュ、おっきくなってるときはそれしないでって言ったじゃない」

「そんなのボクの勝手でしょ?」


 やはり痛かったみたいだ。猫にとっての愛情表現の一種なのは分かるが、あれは絶対に痛い。


 ともかく、アリシアは十分に彼と語り合い、強くなるための一歩を踏み出したのだろう。そんなアリシアの想いを無下にすることはとてもではないが、できないな。


「無茶だけはしないようにね」

「紅子お姉さんにだけは言われたくありません!」


 澄ました顔をしていた紅子さんの口元が、見事に引きつった。

 いいぞ、もっと言ってやってくれ。俺からだといつものことすぎてあんまり忠告を聞いてもらえないんだ。


「……善処する、かな」

「むう、あたしの目を見て言えます? それ」


 紅子さんの目が泳ぎだす。

 自分でも分かっているだろうに、彼女は魂が狙われている此の期に及んでもまだ、無茶をする気だったのか。それとも、いつもはなにも考えずに突っ走るから自分でも止まれるかどうか分からない……とか? 

 思慮深い癖に脳筋という厄介な性格をしているこの人には、透さんもただただ苦笑いを浮かべるしかないようだった。


「いやあ、こうしてると紅子さんも若いね」

「……今、それ言う必要あったかな? 透お兄さん」

「というか、透さんもそれほど俺と離れてないだろ。そんなこと言える立場か? あんた25歳でしょう」

「あはは、細かいことは気にしないで」


 誤魔化したなこの人。


「こほん、ともかくです! あたしも紅子お姉さんのことは大好きですから、守りに入らせてもらいますからね、透さんは調べるほうをよろしくお願いします」

「うん、そういうのは得意だよ。あ、それと資料室で気になるものを見つけたんだよね。見てほしいんだ」


 これ幸いとばかりに透さんが古そうな本を取り出した。どうやら読むときに痛まないように透明なシートで覆ってあるらしい。

 これは多分、元々なんだろうな。華野ちゃんがどれだけ資料を大事にしているかが分かるというものだ。


「まずはこれ〝お宮参りの歴史〟について書かれているよ」


 透さんがパラパラとページを捲りながら該当の場所を開く。

 俺達はそろって書物を覗き込むが、黒猫のジェシュだけはやはりアリシアの膝の上でくありと欠伸をしていた。


 ◇


 災害を予知せしおしら神を利用するべし。


 かの神を祀り上げ祟りを鎮むと共に、自らの名を記しし身代わり人形を納め、年ごろ祭りの日に一枚願ひを織り込みし衣を重ね着さすることとす。


 名を人形に貸し与へ、おしら神の罰を一度ばかり肩代わりさするもの。これをお宮の身代わり雛と呼ぶ。


 身代わり雛は生まれし子が7歳になる年に作り、名を入る。

 さることに祟りを受けてぬやうにするなり。


 身代わり雛は神社に納め、それを模せし写しを家屋に飾る。


 家屋に飾りし守り雛が壊れば、祟りを受けとめ役割を果たししためしとなれば、我が身が美しくばいま一度雛を作り神社へ納めるべし。


 ◇


「つ、つまりどういう意味ですか?」


 アリシアがギブアップした。俺も同感だ。なんとなく分からないでもないが、細かいところが合っているかちょっと自信がない。


「えっと、要約すると……祟り神であるおしら様に災害を予知してもらうためには、名前を預けた身代わり人形を必ず納めて、お祭りのときに願いを込めて重ね着させる。この身代わりのことを〝お宮の身代わり雛〟って言うんだって」


 ここまではなんとなく分かった。

 おしら様の祀りかたはネットで調べたりしたものと大体は一緒だな。

 やはりイレギュラーなのは名前を預けて身代わりにするっていうことくらいか。


「それで、お宮の身代わり雛は子供が七歳になったら作ることって書いてある。多分、七歳までは神のうちってことで見逃されていたとか……そういう事情があったのかな? 今は生まれたときに身代わりを作るみたいだから、ちょっとだけ祀りかたが変化してるんだね」


 子供のうちは見逃されていた……か。

 その辺を聴くと、詩子ちゃんの大人嫌いを思い出すな。あの子は関係ないはずなのに。なぜだろう。


「で、本物の身代わり雛は神社に納めて、もう一つそっくりな雛を作って家に飾るんだって。家にあった身代わりが壊れたら、神社の物も壊れたことになるから、自分の身が可愛かったらもう一度身代わりを作って神社に納めなさいって書いてあるんだ」

「なるほど」


 身代わりが壊れることもあったのか。


「それから、身代わり雛関連でこっちの資料も見てほしい。資料というより、ちょっとした怪談みたいなものらしいけれど、この村特有のフォークロアだね」


 フォークロア……この村に伝わる伝承のこと、だよな? 

 確か都市伝説のことはネットロアと呼んだりするって聞いたことがあったような……? 


「記述はどれかな?」

「ここだよ」


 紅子さんの質問に透さんがもう一冊本を取り出して開く。

 俺もそれを覗き込んだ。



 ◇


 神社へ参りし際ひとがたとみに罵り始め、我が身に縋り咽び泣くを目撃す


「我らも生けり! 我らも生けるなり! 死ぬまじき、死ぬまじきぞ」と人形等が懇願しきけり


 こは夢かと目を見張れど、目の前の景色は消えず

 もしかしてこれこそを付喪神と言ふかもしれぬ

 げに奇々怪界なり


 ◇


「えっと……?」


 アリシアが目をグルグルと回し始めた。

 彼女には古語が難しすぎたらしい。


「要約するとこうなるよ……」


 透さんは目を瞑り、(そら)んじるように低い声で語り出した。


 ◇


 神社へとお参りしたとき人形達が私を罵りはじめ、私に泣きついてきた。


「我らも生きている! 生きているのだぞ! 死にたくない、死にたくないのだ!」


 ……と、人形達がしきりに懇願した。

 これは夢なのだろうかと目を見開いたが、目の前の光景は変わらない。

 もしかしたら、これこそが付喪神というやつなのだろうか。

 まことに不思議で奇怪である。


 ◇


「付喪神ねぇ」


 思案するように紅子さんが呟く。

 そうか、身代わり人形が付喪神なんかになったら大変だよな。死ぬのがお役目みたいなところがあるわけだし……けれど、人形が付喪神になったところでなにをできるでもないだろうし、謎は深まるばかりだ。


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