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認められるということ

「……アリシアちゃんは、もう大丈夫だね」


 寄り添い合い、疲れ果てて眠ってしまった二人に毛布をかけながら紅子さんが言う。

 アリシアは瞬間的にとはいえ、死ぬ程の痛みを経験している。ジェシュのほうはどうやらそんな主人の彼女に引きずられているらしく、アリシアが気絶するように眠るとすぐにその体を抱きしめながら眠り始めた。


「ああ、どうする? まだ昼前だし、もう少しなんか調べられると思うけれど」


 俺が提案すると、二人も頷く。


「あ、そうだ。俺とアリシアが資料室調べたときにさ、古いほうの部屋は調べられなかったんだよな。透さん古文とか分かったりしないか?」


 図書館司書なんだし、という理不尽な期待を持ちながら彼のほうへ目線を移動させると、透さんは苦笑いをしながら「尽力するよ」と答えた。

 どうやら挑戦してみてくれるらしい。


「それじゃあ、俺は華野ちゃんを誘って古いほうの資料室かな。彼女もここの管理をしているわけだし、内容を知ってるかもしれない。あとは、紅子さんが狙われていることも一応言っておいたほうがいい。考える頭は多ければ多いほど力になるからね」


 透さんが資料室なら、俺と紅子さんはどうしようかな。

 他に調べられることか。もう一度詩子ちゃんのところへ行ってみるか? それか、村の中を歩き回ってみるとか……ん、そういえば神社に行ったときは気にしてなかったけれど、今思えばおかしな事実があったな。


「なあ、透さん」

「ん、どうしたの?」

「運転手の遺体って神社の前に置いたんだよな」

「そうだね……あ」


 そう、運転手の遺体は華野ちゃんと透さんが神社の前に安置していたはずだ。

 なのにさっき見に行ったときはなくなっていた。これってかなり変だろ? 

 まさか、神社にいるおしら様とやらが遺体を食べた……とか。そんな想像ばかりが頭の中を支配している。

 蜘蛛っぽい見た目で神様ってことは大きいのだろうし、蜘蛛が人の頭をバクッと食べる場面なんかホラー映画とかホラーゲームで散々見るだろ。簡単に想像できる。


「それも含めて、華野ちゃんに訊いてくるよ」

「ごめん、ありがとう透さん」


 華野ちゃんがなにかを知っているとするのなら、多分神社の前に遺体を安置したのも意図があるだろう。今のところ、彼女がなにを知っているのかも分からないが、あの子は詩子ちゃんを視ることができているわけだし、なにか察していてもおかしくない。話を訊く価値はあるはずだ。


「俺達は……詩子ちゃんに祠の中を見せてもらうことってできるかな」

「うーん……彼女が地縛霊なら、場所に思い入れがあったりするからそう簡単にはいかないと思うけれど……どうやら大人が嫌いなようだし、アリシアちゃんならすぐに話がついただろうけれど、二人はこのままにしてあげたいからねぇ」


 心地良さげに眠る二人の邪魔はしたくないものである。


「高校生のアタシでも大丈夫かな」


 紅子さんが独り言を言うように首を傾げた。

 さらりと揺れるポニーテールが肩にかかり、その隙間から真っ白い肌の頸が覗く。幽霊らしく白く透き通るような肌だ。そして同時に昨夜の温泉で恥ずかしがる彼女の姿まで思い起こさせ……って、俺はなにを見てるんだ! 煩悩退散! 煩悩退散! 今は真面目な話をしているんだぞ! 馬鹿か俺は! 


「紅子さんなら大丈夫だと思う」

「なにを見ているのかなあ、お兄さんは」

「うっ、なんでもない。なんでもないぞ」

「すぐに視線に気がつく紅子さんも大概だと思うよ?」


 透さんが口元に手を添えて笑う。

 その言葉に紅子さんはその紅い瞳を目一杯に見開くと、その次の瞬間には声にならない様子で口元を金魚のようにハクハクと動かした。

 真っ白い肌の彼女は照れればすぐに分かる。


「そ、その話は今は関係ないかな! それより調べに行くんだよね、早く行くよお兄さん!」

「え、あ、え? 紅子さん……?」


 ごく自然に俺の腕を掴んで立ち上がる彼女に、釣られて俺も立ち上がる。

 透さんはそんな俺達を微笑ましいものを見るような目で笑い、手を振った。


「いってらっしゃーい」

「べ、紅子さん!」

「ほらほら、足を動かしてよお兄さん」


 透さん、応援してくれるのはいいんだけれど強引すぎやしないか? 


「紅子さん」

「なにかな?」

「手、繋ぐのはいいのか?」


 ちょっとした悪戯心だった。

 最近はわりと頻繁に手を繋いだり、彼女のほうから甘えてきたりとしてきてくれているから、以前聞いた〝手を繋ぐのは有料コンテンツ〟という言葉は無効になっているのだと思う。

 それでも、そんなことを言っていた彼女へと問いかけるのは俺自身の好奇心だとか、いつもからかわれることからの意趣返しに他ならないのだ。


「アタシと手を繋ぐのにお金を払うほどの価値なんてないでしょ。あれは冗談で言ったんだから、お兄さんも真剣に考えないでよ」


 自嘲気味に笑った紅子さんに、俺は反射的に「そんなことはない!」と叫んでいた。


「……お兄さん、恥ずかしいからあんまり大声出さないでよ」

「ごめん、つい。でもさ」


 そこで区切る。

 いつも自信に満ち溢れて余裕な彼女は、どうも狙われ始めてからというものの弱気だ。それはそれでいい。だって、それが彼女の本音なんだから。

 怖いものは怖いと言ってくれていい。不安になるのも分かる。


 でも、自分自身を否定してほしくはなかった。

 彼女は多分、自分自身も嫌っているんだろう。それはなんとなく分かっている。


 それでも、俺が好きな人を否定してほしくはなかった。

 たとえそれが本人であっても、だ。


「紅子さん、自己否定はしないでほしい。たとえ君が自分に価値がないと思っていても、俺はそんなことないって思うからさ。俺の気持ちまで否定してほしくないというか……うん、俺の我儘……なんだけどさ」

「…………お兄さんってさあ、どうしてこうも恥ずかしげもなくそんなことを言えるの? どうかしてるよ」


 俯く彼女は誰がどう見ても多分、照れている。

 この村に来てから、少々不謹慎ではあるものの、彼女の素直に照れた姿をたくさん見れて少し得した気分になるな。


「でも、俺の本音だよ。嘘をつくよりいいじゃないか」

「うん、アタシは」

「嘘が嫌い……だろ?」

「……よくお分かりで」


 続きのセリフを取られて紅子さんが苦笑する。

 そりゃそうだ、もう一年近くの付き合いになるんだぞ。それくらい分かるよ。

 ほんの少しだけ拗ねたようにする彼女は、それでも俺の手を離そうとはしない。

 随分と頼ってくれるようになった。これが俗に言うデレ期というやつなのだろうか。正直心臓が持ちそうにないからいつも通りの彼女に戻ってほしいような、このままでいたいような……複雑だ。


「さて、さて、そんなことより詩子ちゃんのところへ行くんだってば」

「あ、ああそうだったな」


 さくさくと土を踏みしめ、手を繋いだままに村の中を歩き回る。お互いになんとなく視線を合わせることができずにそっぽを向いていると、穏やかな田舎の風景が眼前に広がっていた。

 現在は昼前。村の中は家々から煙がもくもくと上がって良い香りが漂っていて、そんな香りを嗅ぐたびにお腹が空いてくる。

 昼食は俺自身も手伝って作る予定なので、なににしようか少し考えて気を紛らわせつつ、周りを眺めた。


 村の中央付近では、未来ある子供達が元気に走り回り、遊んでいる光景が目に入る。

 そう、俺達は二人して資料館前で仲良く言い争いをしていたのだった。すぐ後ろの森に入るだけなのにな。


「注連縄が多いねぇ……」

「そうだな。でも、なんだろう。微妙に違和感があるような……」


 家々には玄関先に注連縄がつけられ、そして遠くに見える断崖の壁にも上の方に太い注連縄が張り巡らされている。

 その二つを見比べて、俺はなんとなく違和感を覚えていた。なぜだろう? どこに違和感があるんだろう? 

 頭の中で引っかかった場所の正体が分からなくて、首を傾げる。


 おしら様を信仰している村なんだし、注連縄があること自体におかしいところなんてないはずだ。違和感があるのは――


「うーん、結び方が、違う……かな?」

「あ、それだ! 多分それ!」


 俺の疑問に付き合って注連縄を観察していた彼女が声をあげた。

 その言葉に、俺も合点が言って肯定する。


 そしてすぐにスマホを取り出して検索を始めた。


「こういうときは調べるのが一番だな」

「違和感の正体は分かっても、意味は分からないからねぇ」


 検索、検索と。


「結び方……これか?」


 注連縄の結び方にはどうやら二種類あるらしい。

 普通の結び方と、それを逆にした逆さ注連縄というものだ。


「紅子さん、家のやつ見えるか?」

「待って……うん、見えるよ」


 彼女は紅い瞳を細めて家々を観察し、俺のスマホに視線を下げる。

 俺よりも幽霊の彼女のほうが遠くまで見渡せるから、見分けられるだろうと思ってのことだった。


「家に取り付けられている注連縄は普通のやつだね。でも、崖にあるやつは……多分逆さ注連縄……だと思う。ちょっと近付かないと確信できないけれど」

「今はそれで十分だよ」


 検索で分かったことといえば、普通の注連縄が悪いものを神社などの神域に入れないものであることに対し、逆さ注連縄は逆に外へと出さないためのものであるということだな。

 家についているものが普通の注連縄で、崖についているのが逆さ注連縄ということは、つまり家に入れたくないものがいて、そしてそれは村の外に出してはならないものがいるということだ。


 それがきっと〝おしら様〟なのだと、俺は結論づける。

 既に村の外にいた紅子さんに干渉してきた時点で、ちゃんと機能しているのかどうかも怪しいわけだが。


「なるほどねぇ。でも、アルフォードさんがお兄さんにここへ来るように言ってきたということは、多分アタシ達で解決できる問題だと判断したからなんだよ」


 繋いだ手を上に持ち上げて、彼女の指が絡められる。

 そして、もう片方の手で紅子さんは俺の手を包み込み、強い瞳でこちらを見上げた。


 視線が合う。


 赤く、紅く、宝石みたいな瞳は真剣さを帯びていて、力強く、泣きたくなるほどに俺を、俺だけを真っ直ぐと見つめていた。


「アルフォードさんが言うなら、きっとできる。お兄さんなら大丈夫」


 彼女の言葉がかけられるたびに、無意識化で張り詰めていた緊張が解されていくような気がする。

 まるでおまじないのように、魔法のように、その言葉が俺の中に染み渡っていく。


「でもね、それ以上にアタシが知ってるから」


 そっと目を伏せる彼女の睫毛が震える。

 ほんの少しだけの怯えを振り払うように。

 俺はそんな姿に息を飲んだ。


「お兄さんはやるときはやる人だってこと」


 それは、認められるということ。


「無謀すぎることにも、キミはいつも全力で向かっていって、いつも一生懸命に悲しいことが起こらないように努力している。それが叶わないことのほうが多いけれど、キミが諦めようとしたことはずっとなかったよね。アタシはそれを知っているよ」


 それは、彼女の信頼の証。


「悔しくても、悲しくても、キミは頑張ってるよね。いつか飼い主のやつに噛み付いてやろうと努力してるのも知ってる。一年くらい一緒にいて、理解しているのはお兄さんだけじゃないんだよ? アタシだって、ちゃんとキミの努力してるところくらい見てる」


 それは、この一年で築かれた絆の言葉。


「だからね」


 紡がれる言葉。載せられた感情の色。

 その全てを聞き逃さないように、俺は泣きそうになりながらも俯いた。


「アルフォードさんが言わなくたって、アタシはキミのことを信じられるよ」


 両手で包み込んだ俺の手に、彼女が目を瞑って頬を寄せる。


「きっと助けてくれるって、信じられるよ」


 それは、彼女なりの信頼の証。

 いつもいつも俺のことを嫌いだと言いつつも、ずっと彼女は俺と一緒にいてくれていた。

 俺の努力は、俺の無謀な足掻きは無駄じゃなかったんだと教えてくれる。


 他ならない、紅子さんが。


「いつもはこんなこと言わないけれど、アタシはね。アタシ自身のことを任せられるのはキミしかいないと思ってる。キミだから……」


 微笑む彼女に、俺は黙って流れ出しそうになる涙をまだ出て行ってくれるなと上を向いた。


「令一さんだからこそ、アタシは助けてくれるって信じられるんだよ」

「……そ……それって告白ってとってもいいのか?」


 冗談混じり言えば、「ふふふ」と笑った紅子さんがパッと手を離して踵を返す。


「違うよ、お兄さんの言葉が嬉しかったから、アタシもお返しがしたくなっただけ」


 そのまま歩いて森の中へ進む彼女を追いながら、俺は笑った。

 素直じゃないのは相変わらず。それに、アリシアやジェシュとは違って、俺達の〝そのとき〟は今じゃない。そんなの分かっている。


「ありがとう、紅子さん。俺、救われてばっかりだよ」

「お互い様かな」


 軽く言ってくるが、その言葉も始めて出てきた彼女なりの好意だ。

 だって、俺は一方的に紅子さんに救われていると思っていたから。


 彼女の過去は知らない。

 彼女の死んだときのことも、死因も知らない。

 どんな未練があるのかも、死ぬことになったキッカケを恨んでいるのかも俺は知らない。


 なにもかも知らない。


 それでも、彼女が俺と一緒にいて〝救われている〟と示してくれた。

 だから俺はまだまだ頑張れる。


 紅子さんのために。


 今、改めて誓いたい。

 彼女を絶対に守ってみせる。


 紅子さんを俺から奪わせはしない。

 彼女を失ってたまるもんか。


 彼女を脅かす全てのものから守ってみせる。

 紅子さんを守るためなら、俺は神様にだってこの(キバ)を剥く。


 紅子さんを守るためなら、俺は神様だって殺してやる! 


 そんな決意を胸に、今度は俺から手を繋ぐ。



 ――抵抗は、なかった。



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