心とは何処にあるのでしょうか?
駅から駅へ移動し、俺達は山を登るバスへと乗った。
バス内ではおやつにと用意したお菓子を広げて、親交を深めるように雑談をする。
「……お兄さん、やっぱり料理上手いよね」
隣に座っている紅子さんが、エクレアを幸せそうに頬張りながら言う。
神内を無理矢理付き合わせて一生懸命作った甲斐がある。これだけ嬉しいことはないな。
あとなんか……いや、女の子が口いっぱいにスイーツを頬張って食べる姿って癒されるよな。視線に困りつつ、俺も自作クッキーを摘む。
すると、紅子さんの言葉を聞きつけたらしいアリシアが、前の席からひょっこりと顔を出して興奮気味に口を開く。
「ええ、意外な特技でした。下土井さんってなんか不良っぽいですし。あ、でもそういう人が意外とオトメンだったりしてギャップ萌えーなんですかね? 乙女ゲームの王道パターンです」
「あー、いるよね。そういうキャラクター。見た目は怖いけど実は優しいとか、ど近眼だっただけとか……」
アリシアの隣に座っている透さんが相槌を打つ。
真面目な委員長みたいな雰囲気なのにそんなことまで知っているのか。とことんイメージを裏切ってくる人だな……古矢透さん。
別にそれが悪いってわけじゃないが、意外なものは意外だ。
「後者のはちょっと分かりませんが、ありますね。現実の下土井さんはただのヘタレですけれど」
「一言余計だよ!」
思わず声をあげた。
「ふふ、みんな思うことは同じだね」
「ま、まさか透さんも!?」
「んー、俺はまだ令一くんのことよく知らないし……でも誠実な子なんだなっていうのは分かるよ」
「と、透さん……」
そんなことを言われたのは初めてだった。
やっぱり同性の友達がいるのっていいな。いくら口で負け越していても、俺を肯定してくれる人がいるってだけでなんか頑張れるし。
「うーん、秘湯があるのは確かみたいだけど……今の季節桜は散り始めてるかもね」
「ん、透さん。なに見てるんだ?」
「パンフレットだよ。なかなか見つからなかったけど、紅子さんから連絡があったその日に探しておいたんだ。ほら」
前の席から差し出されたパンフレットを手に取り、広げる。
紅子さんもエクレアを食べ終わったのか、手をウェットティッシュで拭きながら、俺の肩に寄りかかるようにして覗き込んできた。
わざとだな、この人はもう。
「ふうん、随分とまあ……子供っぽいパンフレットだねぇ。企画を通したちゃんとしたやつじゃなくて、この分だと個人で制作したパンフレットなんじゃないかな」
文字のフォントも、イラストも、見出しも、なにもかも見やすさが皆無なパンフレットを読みながら彼女が言う。多分、公式のものじゃないんだろうな。
むしろそれを手に入れてきた透さんがすごいのか。
「あ、でもこのキャッチコピーだけは真剣そのものじゃないですか? ほら、この〝心の在り処を知れる場所〟って文句です」
「景色には自信があるようだし、心が洗われるような場所なんだろうねぇ。まあ、アタシの場合は魂が洗われる……っていうのかな」
どっちもそんなに変わらないだろ。
いい景色を見れば自然と心が豊かになるからな。
「あー、でも心が洗われるような景色は見れないかもですね」
「どうした? アリシアちゃん」
俺が声をかけると、窓の外を見ていたアリシアは「気づかないんですか?」と呟き、バスの行く先を指差す。
「霧が出てきちゃいました」
「本当だ。盆地にでもなってるのかな」
透さんが地図を眺めるものの、事実行く先に霧が広がっている。
細い山道を走っているのに、果たしてこのバスは大丈夫なのかと心配になってくる。
ガタガタ、ガタン。
道が悪いのだろう。車酔いするような人にとっては地獄とも言える車内で、俺達は自然とバスの行く先へと目を凝らす。
「えー、本日はご乗車ありがとうございます。えー、まもなく〝神中村〟付近へ到着します。停車までシートベルトを外さないようにしてください。本日の案内はこの青雉が務めました。お疲れ様です」
バス内にいるのは勿論、俺達だけである。辺境の村にやってくる人なんて滅多にいないということだろう。このバスだって、本来は山を越えた先の温泉地へと向かう線なのだから。
俺達に向けて運転手さんがマイクをオンにしてアナウンスする。
しかし、霧がどんどん濃くなっていっているが大丈夫なのか?
「えー、霧が非常に濃くなってきたため、バスごと村内へ一旦避難いたします。ご了承ください」
ああ、やっぱり。
納得しかなかった。
「お、見てよ令一くん。あれあれ」
透さんが指差す方向を見れば、なにか小さな木の板の看板があった。
目を凝らす。しかし、バス内から霧の中を、それも遠くを見るのはさすがに無理があったようでなにが書いてあるかは分からない。
「紅子さん、あれ見えるか?」
「え? ああ……ただ村の名前が書いてあるだけだよ。うーん、なにか、上から書き直した後みたいになってるのは分かるんだけど……それ以上はちょっと分からないかな」
怪異の紅子さんでも、さすがにそこまでは分からないか。
霧の中を見通すことなんて普通はできないからな。なにが書いてあるか分かっただけ十分すごい。
「わっ、洞窟ですか……?」
気がつけば、前方の壁に穴が広がっていた。
洞窟というにはあまりにも短く、まるでゲートのように開いたその穴をバスは潜っていく。
「お、あんなところに注連縄」
透さんが呟いたときには、既に短い洞窟を通りすぎるところだった。
「注連縄? どこにあったんだ?」
「洞窟の入り口だよ。かなり太い注連縄が上のほうにぶら下がってたんだ」
「オカルトの匂いですね」
村の入り口に注連縄ね。普通なら変わってるとか、信心深いんじゃないかとか、そんなことしか思わないだろうが……あいにく俺達はなにかオカルト的なことが起こると確信してここ訪れている。
それを加味すれば、村の入り口みたいなところに存在する注連縄なんて、怪しいことこの上ない。覚えておこう。
「………………」
「どうした? 紅子さん」
「いいや、なんでもないよ……」
ぶるりと、体を震わすように紅子さんは自身の腕で体を抱き込んでいる。
洞窟を抜けたからかほんの少しだけ肌寒くなってきているし、体温の低い彼女には辛いのかもしれない。
「もう、なんでもないって言ってるのに」
上着を脱いで彼女の膝に被せる。
紅子さんは少しだけ不満そうに言っていたが、最終的には上着をしっかりと掴んで俯く。怪異とはいえ、一応生身なんだ。冷やしてしまったら風邪をひくかもしれない。
……いや、怪異が風邪をひくかどうかは知らないけれど。念のため。
「……心の在り処なんて、誰も分からないものだよ」
「紅子さん?」
「ああ、なんでもない。ねえ、赤いちゃんちゃんこはいかが?」
「いらないよ。どうしたんだ? 脈絡もなく」
「ううん、なんでもないよ。本当に。たまになんでもないときに言えばYESって言ってくれるかなって思っただけ」
「肯定しても危害は加えないのに?」
「怪異にとっては噂のプロセスを踏むことこそが大事なんだよ。噂の段階さえ踏まなければ人間にとっても問題なく終わる。それだけのこと」
紅子さんは人を殺さないために一工夫しているからか、もしくは自分が生きるために必要だからか、そういうことにも詳しいな。自分自身のことだからだろうか。
「あと、4日ね」
「あれ、そんなに泊まるっけ?」
「ああ、うん。怪異調査なんだから、長引けばそのくらいいる必要があるかもね」
「温泉もあるみたいですし、ちょっとくらいは長居したいです。でも一週間とかになると大変ですから、あたしは三日くらいがベストですね」
ちゃっかりアリシアが自分の希望を言う。
俺としては邪神野郎から離れられて、紅子さんといられるなら何日でも問題ないのだが……透さんは仕事もあることだし、本当は短く済んだほうがいいんだろうなあ。
「俺は三日分は休みを取ってるけど……一応有給も残ってるし、いざとなったら職場に連絡するよ」
「いざとなるような場面がなければいいんですけどね」
アリシアが手元の十字架を眺めながら言う。そのときなんて来ないほうがいい、それは当たり前だ。不足の事態に陥ってしまうということは、この村の〝なにか〟を俺達だけで対処できなかったってことになるからな。
「まもなく停車します。村の方にバスの滞在許可をいただいてくるので、ご乗車の皆様は車内でお待ちください」
霧はいよいよ濃くなっていて、バスが村の中に入るまで一歩前も見えないような状態になっていたから、運転手さんも一旦ここで休憩するのだろう。このまま霧が晴れなければ、もしかしたら彼も泊まるのかもしれない。
けれど、このまま外に出て霧の中、細い崖道をバスで帰っていくよりも村に泊まるほうが何倍もいいだろう。前も後ろも見えないのにバスで帰ったりなんてしたら命の危機だ。
「村の中は少しはマシみたいですね……紅子お姉さん? 大丈夫? どうしたんですか? 体調が悪いんですか? それとも下土井さんにセクハラでもされました? ダメですよ。ちゃんと爪で引っ掻いてやらなくちゃ」
「……お兄さんのせいじゃないよ。単純に車酔いかな」
――お兄さんのせいじゃないよ
その言葉に、一瞬だけ言葉が詰まった。その言葉が、明確に俺の心の奥底に残ってしまっているからだ。
彼女の……一年前の夏。亡くなった青凪鎮の最期の言葉。それが俺の中に根強くこびりつき、消えない痕となって深く、深く、刻み込まれていた。
「おにーさん?」
「いや、大丈夫。ちょっと思い出に浸ってただけだ」
まさか彼女にトラウマを刺激するからその言葉を言わないでくれ、なんて言えるわけがないだろう。紅子さんはあの件に全く関係ないどころか、知りもしないのだから。
「紅子さん。車酔いしたなら薬でも飲むかい? あ、いや、市販薬って怪異に効くのかな……」
透さんが薬を取り出して困ったように言った。
確かに、人の体とは違うだろうし、効くかは分からない。むしろなにか余計なことをしたほうが悪化させてしまう原因になるかもしれない。
なら、安静にしててもらうしかないか。
そうして運転手の青雉さんとやらが交渉しにいった場所を見ると……
「このガキ!」
窓の外には、運転手が子供を引っ叩く衝撃の場面が広がっていた。
「はあ!? なにやってるんだあのおっさん!」
俺は素早く席を立つと、バスの出口に向かう。
さすがにあんなことをしている人を放っておけるものか。
「待って、お兄さん」
「紅子さんは安静にしててくれ。アリシアちゃん、紅子さんが無茶しないように見張っててくれないか?」
「珍しく意見が合いましたね。がってん承知です」
「アリシアちゃん、アタシは大丈夫だって」
「いいえ、だめです。ダメダメです。大人しく休んでてください」
「俺も行ってくるよ。ちゃんと待っててね」
同じく席を立った透さんと急いでバスから降り、尚も怒りに震える運転手を引き剥がす。いったいなにがあったのかは知らないが、中学生くらいの子相手に手をあげるなんてどうかしてる!
「なにやってるんですか!」
「ああ、お客さん。だめですよ、バスで待っててください。私ならまだしも、泊まりの予定のお客さんまで受け入れられないって……」
興奮した様子で捲したてる運転手の言葉を、アリシアと同じくらいの年頃の……巫女服を纏った少女が甲高い声で遮った。
「うるさいわね! 帰りなさいったら帰りなさいよ! 余所者なんか泊めないんだから!」
「だーかーらー、お嬢ちゃん、あの霧が見えないんか? あんなんじゃあどこにも行けねぇよ。バスごと崖下に落ちて俺らに死ねって言ってんのか? あ?」
俺達に対する態度と180°変えて運転手が少女に詰め寄っていく。
「それより、さっきの、謝りなさいよ。あんたのためよ! わたしに手をあげるなんて大人のやることじゃないもの!」
「そうだろうなぁ。でもこっちも仕事でさ」
二人の睨み合いは続く。
しかし、これはいったいなにがあったんだ? なんでこんなに交渉が拗れているんだ。少女にとっては俺達を泊めたくないみたいだが……ちゃんと宿の予約は取ってあるはずなのに、なにかおかしいな。
「ほら、カノちゃん。落ち着いて。いいじゃないか泊めても。資料館がダメなら村のみんなのうちに泊めるのでもいいからさあ」
「……それはだめ! 泊めるならうちの資料館しかないわよ。あんた達のボロ家に都会の人を泊めるなんて鳥肌が立つわ! 礼儀知らずじゃない!」
初対面の大人相手に「あんた」とか言っちゃう時点で礼儀を語るのは間違っているが、もしかしたら複雑な事情を持っているのかもしれない。
日和見主義っぽい他の村人達は遠巻きにして運転手と彼女の言い争いを見ているだけだし、口出しだけじゃなくて俺達がちゃんと止めないと。
「運転手さん落ち着いて! 手をあげるなんて以ての外ですよ!」
「お客さん! なにするんですか!」
「えっと、口の中切ったりしてないかな。怪我は?」
俺が運転手さんを羽交い締めにして、透さんが少女に怪我の有無を聞く。
少女は申し訳なさそうな顔をすると、「平気よ。わたしが強く言っちゃったせいだからいいの」と返事する。
「この霧だとバスで道を行くのは危ないし、俺達は予約を取ってここに泊まりに来たんだけど……それは知らなかったかな?」
「え、予約? そんな話聞いてないわよ……ちょっと! 誰よ、予約なんて受け入れたの!」
ギャラリーからの返事はない。
少女はその沈黙に少し気圧されたように怯むと、透さんに「嘘じゃないわよね?」と確認した。
「うん、嘘じゃないよ。ちゃんと予約は取ったはず」
「……そう、それなら仕方がないわね。分かった。それなら資料館しか泊まる場所がないの。そっちに来てちょうだい」
「俺はガキなんかの世話にはならねぇからな!」
「ちょっと運転手さん落ち着けってば!」
なんだよこの運転手。 とんだ地雷じゃないか……
「いたっ」
「ふんっ、さっき泊めてくれるって言ってましたね? お願いしてもいいですか?」
運転手は俺を思い切り振り払うと、先程声を上げていた村人に声をかけにいく。なにがなんでもあの少女の言うことには従いたくないようだ。あれだけ慇懃無礼な態度だと大人を怒らせるのは分かるが、こっちはこっちで大人げがない。
「行っちゃったね」
「フラグってやつじゃないよな……?」
「うーん、それはどうかなあ」
オカルト的事案が起きるかもしれないのに孤立するのはマズイ気がするんだが……だとしても二手に分かれるわけにもいかないし、ほぼ一般人の透さんやアリシアを派遣するわけにもいかない。
俺がいければ一番いいのだろうが、体調が著しく悪そうな紅子さんに二人を任せてしまうわけにもいかない。万が一があったとき、あの体調の悪そうな紅子さんに戦わせるような真似をさせたくないからな。
俺が、今一番元気があって戦力にもなるのだ。離れるわけにはいかない。
「様子を見るしかないな」
「一応気にかけてはおくよ。今日は資料館ってところに行ってみようか」
「ああ……」
後ろ髪を引かれつつも、俺と透さんはバスに戻る。
紅子さんとアリシアを呼んで資料館に行くという少女に案内してもらうことにしたからだ。
「アリシアちゃん、紅子さんはどう?」
「〝どう〟ってことないよ。言ったよね、ただの車酔いだって」
答えたのはアリシアではなく、席に座ったまま不機嫌そうにしている紅子さんだった。回復したようでなによりだ。
「よかった。ならもう動けるかな? あの女の子が泊まる場所まで案内してくれるっていうから、荷物を持って行こう」
「紅子さん、確かに予約を入れたんだよな? なんか話が通ってないみたいだったけど」
彼女を責めるわけではないが、確認は必要だ。アルフォードさんにおススメされたのは俺とアリシアなのに、情けないが予約を入れたのは紅子さんなのだ。
「確かにこの村の番号を渡されたよ。アルフォードさんから直接もらったメモだったから、間違えようがないはず。出たのは若い女の子だったみたいだけど……さっきの大声を聞く限り、多分あの子ではなさそうかな」
ということは巫女服の女の子に話が通っていないだけなのか、それとも予約の電話から既に怪奇現象が起きていたのか、だな。
「深く考えるのは後にしましょうよぉ。道が悪すぎてバスはガタガタでしたしお尻が痛くなっちゃいます。よくあれでパンクしませんよね」
「一応定期的に山道を走ってるみたいだし、対策はされてるんだろうな」
「アリシアちゃん、辛いなら俺が持つよ」
透さんは泣き言を漏らすアリシアから荷物を預かって、先にバスから出て行った。その後ろをお礼を言いながらロリータ服のアリシアがついていく。目立たなければいいんだけれど。
「…………」
「紅子さん?」
「ねえ、お兄さん」
「どうしたんだ? そんな神妙に」
紅子さんはなにかを言いたげにして、それから誤魔化すように首を振って「荷物持ち、よろしくね」とのたまった。
「はいはい、お姫様」
「ありがと。でもお兄さん……恐ろしく似合わないね、そのセリフ」
「一言余計だ」
紅子さんはなにを言おうとしたのだろうか。
気にはなるが、俺は彼女の隠したいことにはあまり深く触れないことにしている。それが気遣いってやつだ。
「そうだ、運転手の人はどうしたのかな?」
「巫女服の子には世話になりたくないって言って、村の人のところに泊まるみたいだ」
「え、それなら二手に分かれたりとかするべきじゃないのかな?」
「透さんも、アリシアも、言ってしまえば一般人の枠から飛び出してはいないだろ? あの二人だけにしておくのもできないし、体調が悪そうな紅子さん一人に背負わせるのも……ほら、俺が嫌だし」
「なあに、そんなにアタシが心配?」
「うん、心配だ。できるなら今すぐ帰っちゃいたいくらいには。復活できるとはいえ、紅子さんが怪我したり死んだりしたら俺は嫌だ。だから、なにかあったらすぐに言ってほしいんだけど……」
チラリと、様子を見る。
紅子さんは小さく唇を噛むようにして首を振った。
なにか、あるんだろうなと思ってしまうのは俺が気にしすぎなのだろうか。
けれど、気にし過ぎなくらいじゃないとこの人はすぐに無茶をする。
俺に対して無責任な優しさはやめろとかなんとか言うくせに、紅子さんはいつも自分を囮にする。
今回もちゃんと見ていておかないと、一人で突っ走る可能性がある。
気にしておかないと。
「行こっか、お兄さん」
「うん」
前を歩き出す紅子さんについて歩きながら、バスの外で待っている二人と、女の子のところへ向かう。
「会議は終わりましたかー?」
「こらこらアリシアちゃん。野暮だよ」
「そういう古矢さんも興味津々でバス内覗こうとしてましたよね?」
「俺は紅子さんが困ってないか見てただけ」
「……古矢さんって妹萌えーなんです?」
「違うよ。シスコンでは断じてないよ。多分」
「あたし、シスコンとは言っていないのですが」
「……」
賑やかでなにより。
透さんも誤魔化しきれなかったようだ。お互い女の子に弱いようで苦労するな。こんなところでも親近感が湧く。共感できる男友達っていいな、本当に。
「話は終わったかしら? わたしの話し方についてはあんまり詮索しないで頂戴ね。こうしてないと無礼られるの。あんた達にじゃなくて、他の大人に」
事情があるのなら気にすることはないだろう。
この子も多分苦労してるんだろうな。
「はい、こっちよ。霧で見えにくいでしょうけど、外よりは幾らかマシだから見えるでしょ? ほら、あそこ。あの資料館が一番大きい建物なの」
浅葱袴の巫女装束を着た少女は俺達をときおり振り返りながら、村の奥へ導いていく。白い霧の中ではあるが外の一歩先も見えないような濃霧とは違い、この村の中では遠くも一応見渡すことができる。
確かに、辺境の村には似つかわしくない洋館が森になっている手前に建っていた。
「そうだ。君の名前は? なんて呼べばいいかな」
「カノ……藤代、華野よ」
剣呑な表情で少女……華野が言う。
「えっと俺は――」
「言わないで」
「え?」
自己紹介しようとした言葉は、途中で遮られて続かなかった。
「ひとつ、質問があるの。あんた達の名前は、聞けば漢字まで分かっちゃう名前?」
脈絡のない質問に目を白黒とさせながら「いや、俺は……間違えられることのほうが多いな」と答える。下土井なんて苗字は珍しいし、伝えたとしても下戸井と間違えられることがある。令一という名前も、玲一やら零一やら、パターンが多いから間違えられることもある。いや、あった。昔の話だ。
「アタシは分かっちゃうだろうね」
紅子さんは分かりやすいからな。
「俺は多分分からないよ」
古矢は古谷と間違えられそうだし、「とおる」という名前もパターンは多いからな。
「あたしは……綴りまでは正解する人がいませんね」
うん、カタカナなら分からないわけがないが、綴りとなるとちょっと怪しいかもしれないな。こう考えると、初めて聞いて分かりやすいのは紅子さんくらいか?
「なら、あんた。名乗るのも呼ばれるのも苗字か名前、どっちかに固定しなさい。この村では絶対に両方の名前を漢字まで教えてはいけないわ。いいわね? これはルールよ」
「アタシは、元々名前でしか呼ばれてないから大丈夫だね。分かったよ、華野ちゃん」
皆、紅子さんのことは紅子さんか紅子お姉さんと呼んでるし、そこは大丈夫だな。
それにしても漢字を含めた両方の名前を教えてはいけない、か。
名前。真の名前ってやつかな。怪異や神に対して本当の名前を知られると、魂を握られたも同然だとかなんとか。そういう話があったはずだ。
あれ、でも同盟でその辺を注意されたことはないな。人間に友好的だからか? それともなにかもっと条件が揃わないと危険にはならないとか。
はっ、まさか俺が紅子さんに〝令一さん〟と呼ばれるときは否が応でも従ってしまうのは……いや、俺が名前呼びに耐性がないだけだな。分かりきっていたことだ。
「キーワード式の怪異、かな」
紅子さんがぽつりと呟いた。
それに反応したのは透さんだ。
「そうだね。キーワード式っていうと紅子さんもそうだし、あとは名前を呼ばれたら振り返ってはいけないとか……そういう感じかもしれないね。漢字まで知られちゃいけないってことは、もっと限定的な……」
小声でやり取りをする二人はまるでオカルト専門家のようだ。
俺は又聞きするくらいでそこまでオカルト方面に明るくないから、参考になる。
……もっと勉強するべきかもしれない。そうしたら紅子さんの知識にだけ頼らずに済むからな。
「ああ、そうだ。自己紹介の途中だったね。忠告通りアタシは名前だけ。紅子って呼んでくれればいいよ」
「あたしはアリシアです。別に苗字まで名乗る必要はありませんよね」
「そうだね、みんなお揃いで名前だけ言っちゃおうか。俺は透って名前だよ。よろしく」
「俺の名前は令一だよ。宿泊の話が通ってないところ悪いんだが、よろしく」
アリシアが俺達を苗字で呼ぶかもしれないのは慣れてないから仕方ないとして、一応ここは皆に倣って名前だけ名乗っておくことにする。
俺達の自己紹介を聞いた華野ちゃんは気にした風もなく「そう、よろしく」と言ってスタスタ歩いていった。
「宿泊に関しては……しょうがないわ。あんた達はなにが目的でここに来たの? 観光? こんな辺境に」
「あー、景色が綺麗で温泉があるって聞いたからだな」
「温泉地なら山を越えた場所にもあるじゃないの」
俺が答えると、華野ちゃんは剣呑な表情でこちらを振り返った。
嘘ではないぞ。アリシアのために秘湯に浸かりに来たわけだし。ついでにオカルト的事件があったら対処するだけで。
そうしたら紅子さんが一拍おいて話に入る。
「混んでいる場所が苦手でね。アタシが提案したんだよ」
「そ、そうそう。俺も混沌としたものは嫌いだし」
合わせて発言すれば、脳裏に神内の姿が浮かび上がってきて米神を揉んだ。
混沌なんて言うからだ。俺は馬鹿か。同盟ではそういうのを引っくるめて忘れて活動したいのに。
今の仕事には慣れてきたし、信頼も得てる。そのうち、アルフォードさんあたりにこの呪いを解く方法も聞きたいな。
「そうなの……着いたわ。客間の準備なんてしてないからちょっと埃が積もってるかもしれないけど、掃除は定期的にしてるから汚くはないはずよ。気になるならわたしに言って。掃除するから」
「ううん、道具さえ用意してくれれば勝手にやるよ」
透さんが答えた。
しかし、この大きな洋館を放置せずにちゃんと掃除してるのか。アリシアと同じくらいなのに、凄いな。だが……親の話題が出ないあたり、もしかしたら一人で住んでいるのかもしれないな。そこはあまり踏み込まないようにしておかないと。
「そう。あと、食事はどうするの? 幸い、昨日食糧搬入車が来たばっかりだから余裕はあるのよ」
「食材があれば俺が作ろうか? これでも料理は得意なんだよ」
今度は俺が答える。
こういうときこそ役立つのが、磨かれた家事スキルだよな。
「なら、お手伝いだけお願いするわね。みんな一緒でいいんでしょ? あ、こっちのほうは全部空き部屋だから好きに使っていいわよ。ちゃんと一人一部屋あるわ。あんまり騒がしくはしないように」
「分かった。ありがとう華野ちゃん」
「いいえ、知らなかったとはいえお客様だもの」
紅子さんの礼に当然と言った様子で華野ちゃんが答える。
すごくしっかりした子じゃないか。なんであんなに「帰れ」と食ってかかっていたんだろう……やっぱりこの村になにかあるのかな。だから帰したかったとか。思いつく理由はそれぐらいか。
「館内図を見て。わたしはここ、この部屋がわたしの部屋。なにかあったら来て。ノックはちゃんとすること。キッチンはこっち。食堂はここ。室内シャワーはこっちよ。分かった?」
「ああ、なにからなにまでありがとうな」
「温泉の場所は食事のときに言うから、とりあえず荷物を置いてくるといいわ。手伝ってくれる……えっと」
「令一だ」
「レーイチさんは一通り荷物置き終わったらキッチンに来てね」
「分かった」
華野ちゃんからの説明を受けて指定された部屋のある廊下を四人で歩く。
「一人一部屋ですね」
「え? ああ、そうなるか」
「どうしたのかな。もしかしてアタシと同室になりたい? 騒がしくするなって言われたのに、お兄さんったら大胆だね」
「違う! 防犯上の問題で男女に分かれるのかと思ってただけだ!」
ここぞとばかりにからかってくるんだから、この人はもう。
「うーん、それもそうだけれど……お兄さん、電波は生きてるよね?」
「ああ、普通にネットも電話もできるな」
「なら、お互いの部屋に行くときとかはグループチャットで連絡すればいい。そうすれば万が一はないよ。あとはちゃんと鍵を閉めておけばいい」
「オカルトな現象には対処できないんじゃないか?」
「それはそれ、なにかあったら扉を蹴破ればいい」
出た。紅子さんの意外に脳筋なところ。
ここまで食い下がるということは多分、紅子さんは一人になりたいんだろうな。ならそれを汲むか。
「分かった。じゃあそうしよう。紅子さん、アリシア、俺、透さんの順でどうだ?」
「それならいいよ」
「じゃあ、あたしはこの部屋ですねー」
「うん、そういうことならそれでいいよ。じゃあ荷物置いて来ちゃうね」
こうして俺達は資料館の一室を間借りして宿泊することになったのだった。