図書館司書さんはオカルトマニア
「それじゃあ、明日」
電話口の向こう側からくすりと笑う声と「またね、お兄さん」という言葉と共に通話終了の無機的な音が鳴った。電話をかけてきたのは紅子さんのほうなので、当然切るのは向こうだ。
「明日か」
現在時刻午後4時。
買い物も今から行けばいいし、神内は既に帰宅している。夕飯のメニューも決めていなかったことだし、明日のおやつが神内の奴に食われないよう、今から嫌と言うほどたらふく食わせてやるとしよう。
「よしっ」
買い物だ。
「ふっふっふ……」
俺は大変満足である。
買い物から帰ってきてから時間をかけてじっくりと手軽なものから作り始め、性懲りも無くつまみ食いをしに来た神内の口にクッキーを一枚捻り込む。
「あむ……ん、れーいちくん、そんなに急かさなくても私は逃げないよ?」
「わざとらしく声に出すな。黙って食え。そして感想を言え。あんたは味の向上に貢献しろ!」
リップ音。
いくら綺麗な顔をしていても、相手がこいつだと思うだけで鳥肌ものだ。
明日の分まで食われたらたまったものじゃないからな。今のうちに詰め込むだけ詰め込んで暫く甘い味が口の中にしつこく残留するようにしてやる。
「警戒してる猫みたいだよ? 可愛いね」
「黙れっつーの!」
「感想を言えって言ってるのに黙れだなんて、私にどうしろというの?」
「余計なことを言うなって言ってるんだよ」
「余計なこと? 余計なことってどんなことかな。人間の定義って曖昧で分からないなあ」
「こういうときだけ分からないフリするんじゃねーよ!」
「人間の定義って曖昧で理解できないなあ」
「言い直してもダメだ」
そんな言い合いをしながらお菓子を作り始めて数時間。
延々と神内の口に作ったものを捻じ込んでいたら、さすがの邪神もホットケーキ連続30枚はキツかったらしい。微妙に苦しげな表情になってきた。
「ううん、甘味という娯楽でもやはり度が過ぎれば拷問になるんだね……人間の体って興味深いなあ。必死になって私を潰そうとしてるところもなんだか面白いし、いいよ。私をもっと苦しめてごらん!」
いや違うな。
変態臭さに磨きがかかっただけだった。
俺は黙らせる為にまたドーナツを奴の口に突っ込み、そんな調子で夜が明けていくのだった。
◆
街中をふらふらと歩きながら目指すべき場所を目指す。
片手には冷凍バッグ。そして、貴重品の入ったショルダーバッグ。
旅行用の荷物は駅前のコインロッカーに100円をねじ込み、預けてきている。
これから待ち合わせの喫茶店に行くというのにあまり荷物を持ち込むべきではないだろう。
現時点で既に五分ほど約束の時間を過ぎているため、今から紅子さんの口からどんな皮肉が飛び出してくるのだろうかと少し楽しみにしている自分がいる。
――れーいちくん
違う。
俺はドMなんかではない。あいつとは違う。あのクソ邪神野郎の変態臭さとは全く違う。
好きな子から出てくる言葉には総じてフィルターがかかって見えるものなのだ。いや、これも変態臭いな。違う、違うぞ。俺は変態なんかじゃない!
「確か……喫茶店はこっちか」
地図アプリを確認しながら道を行く。
冷凍バッグには勿論約束の通り、気合いを入れたエクレアにおはぎ。ついでに人数分の減塩クッキーやら手製のポテトチップスやらと、甘いものに飽きたときに向けたお菓子も用意してある。
喜んで……くれるだろうか。
神内には散々試作品を食わせて珍しく美味しいとお墨付きをもらえたことだし、自信作ばかりが入っている。見た目にもこだわっているし、食が進むように甘すぎない程度の調整もした。リンのために辛いお菓子も用意した。
もはや旅行の準備よりもお菓子の準備に時間をかけたくらいだ。
「っと、こっちか。紅子さん、迷わなかったのかな」
紅子さんは案外抜けている……というか、細かいことが苦手なんだよな。
方向感覚も紅子さんにおいては〝細かいこと〟に分類されるらしいし、ちょっと前にペアで行動したときはさらっと間違った方向に行こうとしていた。
「アリシアちゃんと一緒に来ているならなにも問題がないんだが」
喫茶店『シメール』
金髪美人の女店主と、その姉妹だというおっとり美人とクール美人が切り盛りしていると噂の、スイーツ店だ。
アリシアや紅子さんが好きそうなのはともかくとして……とても入りづらい。男一人でどうやってこんなところに入れというんだ。
「リン……これ、無謀カウントにならないか?」
「んきゅっ、きゅっ」
俺は、店の前でぬいぐるみっぽい生き物に話しかける情けない男だった。
しかも心なしか呆れた目でリンに首を振られる。虚しい。
大人しく、黙って入ることにした。
カランコロンと鈴が鳴り、店内の注目が一斉に集まる。
これだけで心が折れそうになったが、眉を下げて周囲を見回すことにする。
そうすれば、すぐにあの大きな菫色のリボンが目に入る。
しかし、今日はいつもの菫色のリボンに真っ白なレース付きだ。
白のブラウスの上から朱色のカーディガンを着て、いつもより長い赤スカートをはき、赤の中折れ帽。
彼女の向かいにはこちらもロリータファッションに身を包んだ可愛らしいアリシアが座っている。
ああ、気合い……入れてきてんのかな。
俺も素早く自身の身なりを確認しながら席まで近づく。
おかしくは……ないはずだ。多分。
男友達もいないから、どれくらいが年相応なのかとか、似合うのかとか、そういうのがよく分からないんだよなあ。
「二人とも」
「あ、下土井さん」
「遅い」
声をかければ、アリシアからは今気がついたような声が。
紅子さんからは、極寒とも言うべき冷たい言葉が飛び出してきた。
「お兄さん、今が何時で、約束の時間が何時か、答えられるかな?」
「十分……遅れました。ごめんなさい」
「まあいいけれどねぇ。お兄さんの払う額が遅れるだけ増えていくだけだからさ」
「え、え?」
「ほらアリシアちゃん。もう一品頼もうか」
「え、紅子お姉さん。いいんですか?」
「いいよいいよ。どうせ払うのは令一さんだから」
――令一さん
その言葉に、ドキリとする。
いつものからかいの言葉のひとつ。そのはずだ。
なのに、理想の夢と同じ言葉だというだけで、こんなにも動揺する。
「ま、冗談だよ。アタシが払うから……」
「いいや、俺が払うよ。元々そのつもりだったし、待たせたのは俺だからな」
「冗談だって言ったよね? 別に頑なになる必要はないよ」
「俺がしたいからするんだよ。紅子さん達じゃなければ払わないけどな」
「そうやって断言するのもどうなのかな」
困り眉になりつつ、こめかみを押さえる紅子さん。
目線を露骨に逸らしたり、髪をいじってみたり、俯いたり……彼女がそうするときは決まって照れているときのはずだ。今までのパターン的に。
分かっていることを悟られると困るのは俺だから、絶対にその癖を指摘したりしないが。
「知ってます、これ。あたし、お邪魔虫ってやつですね。あなたみたいなボンクラにお姉ちゃんは渡しませんって言うところですか? それともあたし、退散しましょうか?」
「お願いだアリシアちゃん。君まで言葉で遊び始めないでくれ」
アリシアだけは俺をからかったりなんてしないって思っていたのに。
思わぬところで裏切られた気分だ。
「アリシアちゃん。おにーさんみたいなのはボンクラじゃなくて、〝ヘタレ〟って言うんだよ」
「そうなんですか」
女性二人からの皮肉と毒舌が冴え渡る。
ヘタレなのは悲しいことに事実だ。そしてモテないことも経験がないことも残酷な程に事実だ。だが、それをなぜこうしてなじられないといけないのかと。
俺ならいじめてもいいってもんじゃねーぞ。
「あのな、俺でも傷つくんだからな? 分かってるか? 事実ほど言われたくないものってあるんだよ」
「……」
黙るなよ。
「ごめん」
途端にシュンとしてしまった彼女に驚く。
まさかこんな素直に謝ってくるとは思っていなかったからだ。
「い、いいよ。俺もその分言い返させてもらうし……にしても紅子さんも、アリシアちゃんも、今日はすごい可愛い格好してるな」
「そういう下土井さんこそー、気合い入ってるじゃないですか? これには紅子お姉さんもドッキドキのワックワクです」
「どこぞのダミ声のクマみたいな台詞を言うんじゃない。負のイメージがつくだろうが」
「照れるよね、まったく。おにーさんだって今日は珍しくゆったり目じゃない服なんだね。雑誌でも見たの?」
見事に俺の行動が理解されている。
その通り、雑誌を参考にして用意した服装だ。
「けど、二人とも可愛い服でいいのか? 行くのは山の中の秘湯だぞ」
「乙女心の分からない下土井さんはオトメイト作品でもプレイして人生やり直してきてください」
「アリシアちゃん、オトメイト作品は対象が男性だからこの場合は不適格じゃないかな?」
違う、そうじゃない。
「そうですね。では、乙女心の分からない下土井さんはギャルゲーでもプレイして人生やり直してきてください」
アリシアの切れ味が鋭すぎて、俺はもうなにを言っていいのか分からなかった。
「口が鯉みたいになってるよ。はい」
「んぐっ」
なにも言葉が出てこないままに口をぱくぱくと動かしていたら、おもむろに紅子さんがフォークを突き出した。
その先に乗っかったショートケーキの一欠片が口の中に押し込められる。
「べ、べべべ、紅子さん……」
「なにかな? フォークは新しいやつだからなんの問題もないね」
間接キスではなかった、だと。用意が良すぎる。
しかし人生ではじめての「あーん」体験だった。我が生涯に一片の悔いなし。完。みたいな気持ちになりながら「うまい」と呟く。
ここのケーキがこれだけ美味しいとなると、俺の手作りお菓子のハードルが俄然高くなっていってしまう。
「まあ、でも安心してほしい。動きやすい服なら持ってきているよ。心配してくれるのはいいけれど、褒めてからすぐにそういうことを言うのは分かってないねぇ。上げて落とされて喜ぶのはキミか、キミのとこの神様くらいだよ」
だから俺はドMじゃないっての。偏見だ。風評被害だ!
「なにかな。ああ、もしかしてクリームでもついてる?」
紅子さんはなにを勘違いしたのか、首を傾げて自分の口元を紙ナプキンで拭う。
「俺にお手製エクレアを所望しておきながら、そうやって鼻の頭にクリームつけてまで美味しく別のものを食べるのは妬けちゃうってことだよ」
「え、鼻? 嘘、ちょっとお兄さんっ、早く言ってよね」
珍しく慌てる姿なんて見れたので心のアルバムにしまう。これはSレア紅子さんだな。
「……下土井さん、嘘ですよね」
アリシアのジト目が刺さる。
「ああ、嘘だ」
「お兄さん!」
「日頃のお返しだよ」
「もう、意地悪だねぇ」
ちょっと顔を赤くしてぷんすか怒る姿も、普段皮肉屋で斜めに構えている節のある彼女には珍しい。珍しいづくしだ。今日はいい日になるだろうな。
「で、だ。噂の司書さんはまだ来てないのか?」
ここには紅子さんとアリシアと俺だけ。紅子さんが呼ぶと言っていた男性がまだ来ていないのだ。まさか俺よりも遅刻してくるとは、なんて奴だ。
自分自身も遅刻常習犯だということを棚に上げながら、俺は周囲をキョロリと見回した。
見事に女性客ばかりの中、俺が黒一点と化している。
「お兄さんも座ってなにか頼みなよ」
「ああ、そうするよ」
四人席ではあるが、積極的に紅子さんの隣に座ろうだなんて勇気は出てこない。かといってアリシアの隣に座るのもなんだか犯罪臭がする。
迷った末、二人の座っている席の隣が空席になっていたので、俺はそちらに座った。
「なに遠慮してるのかな。隣、おいでよ」
「いいのか?」
「緊張しちゃって変なおにーさん。なになに? アタシを意識しちゃってヨコシマな気持ちになっちゃう? 言ったでしょ? 〝アタシはたとえ押し倒されたとしても抵抗しない〟って」
半分合っていて、半分間違えている。
というか、その文句は夢の中の脱出ゲーム限定の話だろうに。からかうのはよしてくれ。
「じゃあ、隣座るからな」
「甘酸っぱーいですね。紅子お姉さんも下土井さんも見せつけないでくれますか? あたしの前に砂場ができちゃいそうですよ」
甘すぎて砂を吐くってか。
成就してないわけだし、俺は絵に描いただけの甘さなんて認めないぞ。
「それにしても遅いな」
「ああ、多分もうすぐかな。キミが来る前に連絡があったから」
カラン、コロン、と鈴のなる音がしてそちらを向く。
そこにはいかにも真面目そうな見た目の男がいた。なんとなく委員長を連想するような、少し近寄りがたい感じの男が辺りを見回す。まさかとは思うが、あの人か? 紅子さんがオカルトマニアだって言っていたから、もっと奇抜な……ルーン文字のマントでも付けているような男のイメージがあった。
これを聞かれたら怒られそうな内容だ。聞き耳ピアスはさすがに……つけてきてないよな。
さとり妖怪の加護を受けた〝聞き耳ピアス〟があれば俺の思考なんて筒抜けになってしまうだろうが、普段からそんなものを付けるはずもない。無駄なことを心配するより、確認が先だな。
「もしかして、あれが」
俺が全部言い終わらないうちに男がこちらに気がついた。
「あ、紅子さん! 久しぶり、元気してた? えっと、君にこういうのは失礼にならないんだっけ」
一見真面目で堅物そうな顔が、ふにゃりと笑顔に歪む。
これが本当の破顔というやつだろうか。今までの人生の中で十分学んできたと思っていたが、どうやら俺が知っている〝破顔〟は本物の三割にも満たなかったらしい。仏頂面やポーカーフェイスのほうがよほどお似合いだと思った彼のギャップには、それほどの衝撃があった。
「久しぶり、透お兄さん。ご覧の通り、アタシは〝活き活き〟としているよ?」
言外に、既に死んだ身である紅子さんのことを彼は問うた。
そしてそれに紅子さんが頬づえをついたまま軽く手を振って答える。
問題ない。そういうことだろうな。周りの客に聞かれても不振に思われない程度の会話だった。
「ごめんね、待たせて」
「いや? 大丈夫だよ。透さんもほら、座って座って。まだバスの時間も問題ないし、軽食でも摂っていくといいよ」
「うん、そうする」
「待って。俺のときと対応が違いすぎないか? 紅子さん」
俺には代金をふっかけようとしていたくせになんて人だ。
「令一お兄さんは特別かな」
どんなことを言われようと、文句をつけてやると思っていた俺はしかし、見事に撃沈した。
「えっと、タマゴサンド単品で……飲み物は水でいいです」
「あ、あたし紅茶のおかわりをいただきたいです」
「そうだね、アタシも追加でストレートティー」
「俺は……」
お菓子作りに没頭してほとんど寝てないんだよな。
眠気覚ましにコーヒーでも飲むか。
「アイスコーヒーで」
注文を取っていた女性が席を離れる。手持ち無沙汰な時間ができたので、ここで自己紹介タイムだ。
「俺は下土井令一です。紅子さんとは一年くらいの付き合いで……」
「ちょっとお兄さん」
呆れ顔の紅子さんを見て正気に戻る。
待て待て待て。なんで俺はこんな牽制もどきをしているんだ。この人は紅子さんにとっては兄みたいなもので他意はないって言ってたじゃないか。
〝何年付き合ってます〟なんて言いかたで様子見だなんて……いや、そもそもあの人のほうが付き合いが長いって分かってるのに俺はなに言っているんだ。
「うん?どうしたの?」
「あ、ああ、なんでもないです」
彼には気づかれてない……? なら好都合だし、そのまま自己紹介の続きをするか。危うく黒歴史が誕生するところだったな。
多分、紅子さんにはバレバレなんだろうけれど。
「ええと、今は23歳で……非常に不本意ですが、邪神の、小間使いやらされてます」
「うんうん、噂はかねがね。紅子さんがよく電話で話してくれるから会えて嬉しいな。俺は古矢透。よろしく、下土井くん」
「え、電話で話って……一体なにを聞かされてるんです? 俺の情けない話でもしてるんですか?」
彼女だったらやりかねない。
方々で貶されてるかと思うと悲しくなるが……いや、さすがにそんなことはしないか。なんだかんだ、紅子さんも性格が悪いわけではないし。
「きみとペアで事件を解決した、とか。きみが危なっかしくて離れられない、とか。こないだなんて、紅子さんのために一人ででっかい化け物に立ち向かったとか、そういうお話を聞かせてくれるんだよ。俺はオカルトな話を聞くのが好きだからね。昔は彼女の体験した話とかが多かったけれど、最近はもっぱらきみのことばかりで……」
「透さん、そこまで」
「うん」
「まあ、キミの失敗談を面白おかしく語ると楽しんでくれるものだからね。ついつい話しちゃうんだよ」
誤魔化したな。
そうかそうか、なるほどね。ふうん。
「なにその顔」
「別に? よろしく、古矢さん」
「俺は25ではあるけど、きみとは仲良くしたいし、いろんな話も聴きたいし、令一くんって呼んでいいかな?」
「いいですよ。なら、俺も透さんって呼びます」
「んー、じゃあ敬語もなしでどうかな?」
「……分かった。透さんもそれでいいよな」
「うん、よろしく」
よく考えれば同性で、人間の友達ができるのはこの生活が始まって以来初めてだぞ……快挙だ。天を仰いで俺は顔を覆った。感動で前が見えない。
秘色さんのときも勿論嬉しかったが、この喜びはまさに別格だ。
「あたしはアリシア・ルイス。お姉ちゃんがあっちの住民になっちゃったから、お姉ちゃんを守るために色々学んでるところですね」
「ああ、こないだからお手伝いしてくれるレイシーちゃんの妹さん? よろしくね」
「よろしくお願いします! 古矢さん」
アリシアとは顔見知りじゃなかったようだが、透さんはレイシーのことは知っていたみたいだな。
「自己紹介、する必要はないと思うけれどね。アタシは赤座紅子。キミらを引き合わせることができて喜ばしいよ」
そう言って紅子さんは自己紹介の締めを行う。
それからは軽食を摂りながらの雑談が始まった。
「透さんって司書なんだよな。字乗さんのところでバイトしてるって聞いたけど、どんなことしてるんだ? 俺も結構あそこに行くんだけど、透さんとはいつも会えなくて」
「ああ、俺も令一くんのことは聞いてたんだけどね。バイトに行くのも休日の合間にとかだから、なかなか会えなかったよ。内容は、字乗さんの指定する本を探したり、整理整頓したり、そんな感じだよ。たまに魔道書みたいのが混じっててびっくりするけど」
一般人になんてもの見せてるんだあの付喪神。
「そ、そうなんだな。怖くなったりはしないのか?」
「初めて見たときに多少はね。でも、それよりも好奇心が勝っちゃって……もっと読みたいってなっているうちに時間が過ぎて行っちゃったりして、たまにバイト時間いっぱい本を読んでるときもあるんだよね」
わあ、これは筋金入りのオカルトマニアだ。
「え、あたしがそんなことしたら怒られるんですけど」
「アリシアちゃんはまだ早いってことじゃないかな」
「えっ、古矢さんもパンピーのはずじゃないですか」
「うーん、手厳しい。でも字乗さんのことだし、アリシアちゃんも頼めば教えてくれると思うんだけどな」
「あたし、向いてないって言われてるんですよ。魔法や魔術の適性はないって」
ああ、一応お願いはしたことがあるんだな。
でもレイシーは魔法を教わってるだろ。姉妹で得意不得意が真逆なのか?
「紅子さんや桜子さんを参考にしろってことは、体を動かす方が向いてるってことだもんな」
「ええ、でも武器もないのにどうしろって言うんでしょうね」
紅子さんも、桜子さんも武器ははっきりしてるもんなあ。
学べと言っても今のままじゃやりたくてもできないだろう。
カランコロン。
再び店の鈴が鳴り、なんとなく音の出所に目を向ける。
「お、いたいた。アリシア!」
一瞬、自分の目を疑った。
店に入ってきたのは、完全に私服のペティさんだったのだ。
「え、ペティさん? なんであんたがここにいるんです? 呼ばれてないはずですよね」
アリシアの辛辣な歓迎を受けてもペティさんは笑顔のままこちらにやってくる。
「今日の俺様は郵便配達員だ。ほれほれ、よもぎのやつからアリシアにプレゼントだ。間に合って良かったぜ」
「あたしにプレゼント? 嫌がらせですか?」
嫌そうな顔をしながらアリシアが小包を受け取る。
「開けてみろよ」
「分かりました」
渋々ながらにアリシアが小包を開ける。
中には手のひら大の十字架が収まっていた。クロスしている部分には宝石かなにかを嵌めるような窪みが空いているが、中身はない。装飾品としては未完成もいいところだ。
「これは、なんですか?」
「お前の武器だよ」
「え?」
アリシアは勿論、俺まで目を白黒とさせてしまった。
どう見ても十字架なんだが。
「グリップはお前の手に合わせてオーダーされてるぜ。こっちの窪みはお前の努力次第だ。使い方は、ここを押すだけ」
ペティさんが十字架の裏部分を押すと、なんと十字架がナイフになった。
確かに、アリシアは〝アリス〟になっている間ナイフを扱っていた。
「あたしの手に合わせてって……うわあ、ぴったり。どういうことですかこれ怖い」
「こないださ、よもぎのやつが握手を求めてきただろ? あのときにお前の手のサイズを測ったんだよ」
「ええ、怖いんですけど……」
ああ、足売り婆のときか。
しかし、握手だけで手のサイズを測るとかあの付喪神すごいな。恐怖さえ感じる。しかもぴったりときた。
「製作者は赤い竜の旦那だ。赤竜刀以来の武器作りで楽しかったってよ」
「アルフォードさんが作ったなら安心だな」
ん、ということはなにか宿っていたりするのか?
「ねえペティさん。こちらの窪みはアリシアちゃん次第っていうのはどういうことなのかな? なにか秘密があるの?」
ワクワクとした顔で透さんが言った。
真面目そうな人がこうして好奇心の塊のようなことをしているとギャップがあるな。
「アリシアは人間だ。一人で行動するのは向いてないんだよな。だから、〝友達〟を作れ。仲良くなったりだとか、契約を交わした奴らから力を借りろ。その窪みはそのためのものなんだと。力ある奴らは自分の力を結晶にすることができるからな」
それはつまり、召喚術みたいなことをしろってことか?
なんだかよりファンタジーな感じになってきたな。
アリシアも目を白黒とさせてその話を聴いている。
「えっと、じゃあ紅子お姉さんとか……?」
「アタシはやりかたなんて知らないよ」
紅子さんも困惑している。
幽霊が力の結晶化なんてできるのか疑問だが、紅子さんだとできてしまいそうなのがなあ。
「ベニコは根本的に無理だな」
「ええっ、なんでですか! 頼りは紅子お姉さんしかいないのに!」
「頼りにしてくれるのは嬉しいけれど……ペティさん。なんでか教えてもらっても? アタシが幽霊だから?」
「いんや、お前の性格が問題なんだよ」
「これほど性格も器量もいい女を捕まえてなにを言うのかな」
軽口を叩く紅子さんにペティさんが真面目に答える。
「ほんの一部でも、自分が損なわれる。奪われる。そんなの嫌だろ?」
「……参ったねぇ」
紅子さんは〝奪われる〟ことが嫌いだ。
アリシアを助けたくとも、無意識のうちにそう思っていたら上手くいかない。
そういうことなのだと、ペティさんは言った。
「だからさ、アリシア。頑張れよ。いろんな経験をして、そんでお前が〝ほしい〟と思ったやつを、信頼できると思ったやつを勧誘するんだな。それまではただの相性抜群なナイフだ。精々お姉ちゃんのために努力しろよ。じゃあな」
ペティさんはそう言って、沈んだ様子のアリシアを置いて去っていった。
「あたしに、できますかね」
「ごめんね、アリシアちゃん」
「いえ、紅子お姉さんが嫌なら仕方ないですし、お姉ちゃんのために努力するのは当たり前のことです。その、これからもよろしくお願いします」
しおらしく、けれど決意を秘めた目でアリシアは言い切った。
努力は〝当たり前〟のことだと。
これなら、きっとこの先も大丈夫だろう。
「うん、俺も、みんなも相談に乗るからさ。なにかあったら一人で抱え込まないで相談してほしいな」
慈しむように透さんがアリシアに声をかける。
そしてちゃっかりと「みんなで電話番号とメッセージ用のIDを交換しておこうね」と連絡先を手に入れている。
これから向かうのはオカルト案件の疑惑がある場所だし、連絡を取り合うのに必要だろうな。堅実だ。
「さて、もうすぐバスの時間だよ。お勘定は俺がやるから、先に行っててね」
透さんの一言で俺達は店から引き上げる。
「え、でも」
「いいからいいから。俺が一番遅かったんだから払うよ。そのかわり、なにか不思議なことがあったら真っ先に俺に教えてね?」
茶目っ気たっぷりにそんなことを言われてしまっては、納得するしかないじゃないか。
そうして、俺達はようやく山奥の村へ向かい始めたのだった。
村の名前は『神中村』
秘湯のある、桜の隠れた名所なのだという――