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足売り婆さんの対処法

 ―― それは、秘色いろはが中学一年生だったときのこと。


 ギイ、ギイとブランコが揺れる音が、夕方の公園に響いていた。

 ブランコを漕ぐ音など珍しくもない。しかし、なぜだかそれが気になった少女の足は引き寄せられるように公園内に入った。

 寂れた公園だ。遊具も少なく、普段からあまり使われることのない場所で、近道に利用する者がたまにいるくらいの人気のない場所である。

 そんな公園に人がいることに興味を持ったのだろうか? 少女はふらりと立ち寄り、そして落ち込んだようにブランコに座っている女性に出会ったのだ。


「お姉さん、どうしたんですか?」


 声をかけたのも偶然だった。

 見知らぬ人に声をかけるような気概も本来はなかったのだが、そのときだけは少女もなぜだか声をかけてしまっていたのである。


「め……」

「?」


 ぶつぶつと呟いているらしい女性に近づき、その隣にあるブランコに座る。そうして、耳を澄ませる。


「めだ…… ま…… めだ、ま…… がほし、い」


 少女はよくある怪談だ、と納得して尚その場に居続ける。

 そのままでは目玉を取られてしまうのでは? という不安も僅かに彼女にはあったが、それでも動く気にはなれなかったようだ。


「目玉はあげられませんけど、飴玉ならありますよ」


 そう言って彼女の傷だらけの手に飴玉を握らせて少女はにっこりと微笑む。

 そして傍に置いたバッグからスケッチブックと鉛筆を取り出して彼女の正面に立った。


「あなたの目の色はなんでしょう?」

「く、ろ…… めだ、ま……」

「わたしは緑色なのであげられませんね」

「め…… がないと……」


 苦しむ様子の彼女を哀れむように少女は見つめ、そこに少女がいることを示すように会話を続ける。

 その間にも少女は目以外の部分を中心に女性を描いていった。


「どうしてそんなに目がほしいのでしょう?」

「あの…… ひと、みつけ、られ…… い」

「なるほど、会いたい人がいるんですね」

「どこ、にも…… いけな……」

「あなたは、ただ迷子になってしまっただけなんですね……」


 少女には元々霊能力などなかった。

 しかし、とある出来事が起きたことでこうしてあの世の存在を見るようになっていた。それは幸いなのか、不幸なことなのか、それは少女にしか分からないことである。


「あなたは、目がなくても綺麗ですね。きっと、目があったら…… こんな感じなんでしょうか……」


 他意はなかった。

 しかし、女性のことを思って描いたその絵は不思議と彼女に似合っているような気がして思わず彼女に見せていた。

 目がないのだから見えないはずなのだと気づいたのはその後だ。しかし、顔を伏せて呻いていた女性が顔を上げると、無残に切り裂かれていた顔の傷は薄まり瞼を震わせていた。


「ああ…… ああ…… !」

「えっ、うそ……」


 瞼を開いたその下には黒真珠のような瞳。

 ボロボロになっていた服は整えられ、信じられないといった風に少女を見つめていた。


「目…… 私の目…… ! ありがとう、ありがとうっ!」


 女性が笑う。

 少女が自身の持った紙を見ると、今度は絵の目玉が消えていた。

 それは先ほどの彼女の姿に他ならない。


「あ、えっと……」

「ありがとう、これであの人のところへ行ける…… その絵、貰ってもいいかしら」

「あー、えっと、どうぞ?」


 スケッチブックから破り取り、女性へと渡す。

 女性がその真実の姿を己の目で確認し、大事そうに抱える。

 すると、みるみるうちに絵は引き裂かれ、花弁となり女性の手を取るように渦巻いた。行く先には眩い程の光に溢れ、彼女を安らぎに導いている。よく見れば、他にも透明な人物や動物達が集まってその中へと入って行くのが見えた。


「ありがとう、ありがとう…… 優しいお嬢さん。ねえ、これからも私のような迷子に道を教えてあげて………… けれど、きっとあなたの描いた私達の絵を誰かが見てしまったら、きっとあなたが一人になってしまう。だから、決してその絵を人に見せてはいけないわ…… いいわね」


 女性はそう言って手の中にある飴玉を頬張った。

 コロコロと転がる音はどこか鈍い鈴のようで、彼女の新たな旅立ちを祝っているかのよう。

 どこかで慣らされた鈴の音が響く。光は大きくなっていき、女性は少女に背を向けて歩んでいく。


「さようなら、ありがとう」


 彼女の行く先には同じくらいの歳であろう男性が手を振っている。

 そこに飛び込んで行った彼女の結末は、途中で光が収まってしまったため少女には分からなかったが、きっと幸せだろうと彼女は思った。


( なんだろう、あたたかい…… )


 それ以来、いろはは〝 迷子 〟を見つけるとちょっとした手助けをするのである。

 行くべき場所へと行けるように、その切っ掛けができるように……


 そうして(よすが)となる似顔絵を描き、彼女は死者の(はなむけ)として贈るのだ。






「ここは……」

「繋げてくれるのは嬉しいけど、放り出すのはどうかしてるわよ……」


 俺とアリシアはどこかの道路に立っていた。


「あれ、下土井さん?」


 けれどそこはドンピシャだったようで、背後から聞き覚えのある抑揚のない声がかけられる。


「秘色さん」

「あの人が秘色…… いろはさん?」


 空色のようで、そうでない秘色(ひそく)の髪の色。翡翠の瞳。赤と黄色のヘアバンドに黄金の羽飾り…… 紛うことなく秘色いろはさんだ。


「あんな明るい茶髪の人っているんですね。いや、大学生なら染めてるんでしょうか」

「え?」


 アリシアの言った言葉に耳を疑った。

 思わず聞き返してしまったが、アリシアもこちらを見上げて 「あたし、なにかおかしいこと言いました?」 と尋ねてくる。


「えっと、彼女の髪色って茶色?」

「ええ、鳶色と言うのでしょうか。あまりにも綺麗なので地毛なのかなあ、と」

「……」


 おかしい。俺には明るい水色系の髪に見えているのに。何故だ? 

 普通に考えれば彼女の髪色ってかなり異端なのは分かるんだが、俺とアリシアの見え方が違うことに意味はあるのか。


「…… ああ、わたしの髪のこと」


 秘色さんは俺達の間を二、三度視線を往復させると納得したように言って首を傾げた。


「先生が言ってた…… んですけど、わたしの髪は名前と同じ、秘色。でも、それは霊力が髪に宿っているから、そうなっているんだそうです。だから、霊的なものが分からない人は、わたしの髪が茶色に見える…… みたいです」

「へえ」

「ということは、あたしには霊的な力がない…… !? そ、そんな! それならお姉ちゃんを守れないのに!」


 悲観したように叫ぶアリシアを 「まあまあ」 と宥めて本題に入る。


「そのために見学に来たんだから、な?」

「見学…… ?」

「そう。この子アリシアちゃんって言うんだけど、お姉さんがあちらの住人になっちゃって…… 唯一記憶があるんだよ。だからお姉さんを守るために強くなりたいんだって。そこで字乗さんから提案があったんだよ。先輩の秘色さん達の見学に行ってみたらどうかって。勿論、秘色さんが嫌なら無理にとは言わないよ」

「そう…… 今回の仕事は下調べだけ大変だったけど、解決は簡単。見ていきたいなら、好きにすればいいです」

「ありがとう」


 許可を得たので安心する。

 福岡県だろ? 秘色さんの許可が得られなかったらどうやって帰るんだよと。


「それと、アリシアちゃん」

「は、はい? なんですか」

「わたしの髪が茶色に見えてても、霊的な力が一切ないってことにはならない…… あなたは、お姉さんのことも見えるし、あちらに行くこともできてる。関わる力はちゃんとある。安心して。でも、対処する力は今のところなさそうだから、気をつけて」

「は、はい! ありがとう秘色さん!」

「名前で呼んでもいい。敬語もいい。呼びづらい?」

「んんっ、分かったわ。いろはお姉さんって呼んでいい?」

「もちろん」


 秘色さんは子供の扱いが上手だな。

 俺はあんな風にできない。


「いろは! …… と、後輩ちゃんとよく一緒にいる男と、誰?」

「ああ、おかえり桜子さん」


 秘色さんが首を巡らせ、やって来た桜色のセーラー服の少女を迎える。冬なのにセーラー服と同じ色のマフラーを巻いているだけでコートなどは一切着ていない。寒くはないのだろうか。


「下土井令一だよ。令一。こっちは……」

「アリシアです」

「ふうん、そっちの子は初めてだから自己紹介しようか。ぼくは彩色町、七彩高等学校の元七不思議。家庭科室の桜子さん、だよ。今はいろはに取り憑いている…… 悪霊さ」

「悪霊……?」

「名前ばかりの悪霊」

「いろは!」

「ふふ、だってそうでしょう」


 格好つけたようにポーズを取る桜子さんに秘色さんがからかうように声をかけた。

 へえ、秘色さんってからかったりするんだなあ。自分のストーカーさえ害がないからって放っておくような人だし、声も平坦だし、表情も怪異と対峙してるときは平静だし、あちら側の住民と近い性質があるんだと思っていたな。

 もしかしたら、紅子さんよりもよほど幽霊っぽいとか失礼なことを考えていたのだが、案外そうでもないのか? 


「桜子さん、調査どうだった?」

「うん、上手くいってるみたいだよ。いろはの流した対処法の噂がちゃんと広まってる」

「でもいいの? 桜子さんが大変」

「ぼくを誰だと思ってるの? きみに取り憑いた悪霊。きみがやっとのことで封印した悪霊。きみが血で絵を描いたのに浄化されなかった悪霊。家庭科室で両手両足を包丁で磔にされ、衰弱して死んでいった悪霊。このぼくが、本体でもない噂の塊に負けるわけないだろう?」


 さっぱり話が見えないのだが、桜子さんがだいぶやばい悪霊であることはなんとなく分かった。

 他の皆から聴いてる限り秘色さんはかなりの霊能力者で、霊の絵を描くことで浄霊ができるらしい。それも結構強い霊能力に分類されるようだから、そんな彼女が血を使って絵を描いても浄化できなかったというのはものすごいことなんじゃないか? 


「ぼくが怖い? アリシアちゃん」

「…… 悪霊なんでしょ」

「ざーんねんながら、ぼくはいろはとの契約で人を殺せないんだ。いろはからの一方的な契約だったから随分縛られてしまってさあ…… 窮屈でたまんない。でも、元々いろはの体を乗っ取って復讐しに行く予定だったから問題はないけれど」


 おい、それ問題発言じゃないのか? 秘色さんはこの人を封印してるとはいえ放置してて本当にいいのか? 


「そんなこと言って、そんな気はもうない癖にね」

「うっさいぞ、いろは」


 …… いや、すごく仲が良さそうだ。これなら問題なさそう。二人は友達と言っていい関係に見えるぞ。


「さて、きみたちはなにしに来たんだい? 偶然会うにしては遠いところだけれど」

「見学させてほしいって」

「へえ、まあ構わないけれど。決めるのはいろはだからね」


 そこで桜子さんが 「じゃあ」 と続ける。


「経緯と、ぼくたちがやった対処をきみらにも話す必要があるようだね」


 もちろん、見学するのにそれは必要だろう。じゃないと今後の参考にもなりやしない。

 桜子さんは歩きながらにしようと秘色さんの背を押しながら進み始める。

 ここで、経緯がやっと分かった。


 ここらで蔓延している足売り婆さんの噂のことからだ。

 放課後、とある少年が帰り道を歩いていると前方から大きな風呂敷を背負った婆さんが歩いてくる。そして少年に 「ぼうや、足はいらんかね?」 と尋ねるのだそうだ。

 少年は疑問に思いながら、風呂敷を見て驚愕する。風呂敷の中から人間の足が覗いていたからだ。

 そこで少年が 「いらない」 と叫びながら逃げ出すと婆さんはありえない速さで少年に近づき、足を引き抜いて風呂敷に加えてどこかに去ったという。

 足を「いる」と答えた場合は三本目の足を無理矢理くっつけられるらしい。

 こいつの通常の対処法は、 「自分は分からないが誰々が足をほしがっているらしい」 と自分以外の誰かに押し付ける必要があるのだ。

 これを秘色さん達は利用することにしたらしい。


「成果は…… まあ聴いてみれば分かるさ。あとはぼくが頑張るだけなのも、ね」


 意味深に笑った桜子さんと、秘色さんが喫茶店に入る。

 その喫茶店は中学生など、学生の集まる場所だったらしい。耳を澄ませてみれば…… いや、澄ませなくともその言葉はあっさりと俺達の耳にも届いた。




 ―― ねえ、家庭科室の桜子さんって知ってる? 

 ―― なあに、それ

 ―― とある学校に、いじめっ子のお嬢様がいたの。その子はいろんな子をいじめていたんですって。でもあるとき、あまりに大人数をいじめていたものだから、その全員に復讐されてしまったんですって

 ―― いじめっ子なら別にいいじゃない。いい気味よ

 ―― それが、その桜子さんは家庭科室の床に、両手両足を包丁で刺されて磔にされてしまったの。その時期はね、冬休みだったのよ。教職員も鍵の確認をするだけで、中までは見ないの。桜子さんはそのまま血を流して、苦しんで、そして衰弱して死んでいった…… ね、いくらなんでもやりすぎでしょう? 今でも桜子さんは自分に復讐した子達を探しているんですって。そして、似た子を見つけたのなら、その両手両足を自分と同じように滅多刺しにしてしまうんですって


 ―― 両手両足を? 

 ―― 両手両足をよ。それでね、使えなくなった両手両足を治すために人のものを取ろうとするんだって

 ―― 両手両足…… それって、足売り婆さんとなにか関係あったりする? 

 ―― 足売り婆さんって誰かをイケニエにしないと逃げられないでしょう? そこでね…… 誰かが言ったの。 「私はいらないけれど……」



『〝 家庭科室の桜子さん 〟が欲しいと言ってました』



 ―― そう、答えればいいって




「それって……」

「わたしたちの作戦、分かってくれました?」


 秘色さんが向かいの席で微笑む。

 俺とアリシアは隣に座り、秘色さんと桜子さんが向かい側。けれど、常人には桜子さんは視えないようで、彼女がキャラメルフラペチーノを飲んでいても誰も気づかないし、先程噂で盛り上がっていた少女達のドーナツを一つ摘み上げても気づかない。というか盗みはやめなさい。


「つまり、あの噂が流れてれば桜子さんのところに足売り婆さんが来るってことか?」

「探し回るより、効率的。最初はわたしが引き受けるつもりだったんですけれど、桜子さんがダメだって言うから……」

「絵を描く必要があるのに自ら誘き寄せようなんて、はっきり言って馬鹿のやることだね」

「馬鹿じゃない」

「ばーか」


 秘色さんはむっとしたようにしているが、これは桜子さんが全面的に正しいな。向かってきた婆さんの足がめちゃくちゃ早かったり問答無用で足を捥ぎにくるやつだったらどうするんだよ。


「答えなければ猶予はあると思ってたから……」

「だんまりでもNOと捉えられるよ。当たり前だろ?」


 しかし、こうして二人が話しているのを見ると本当に仲がいいな。

 桜子さんはどうやら秘色さんのことをかなり大切にしてるみたいだ。多分、本人は認めないんだろうけれど。自称悪霊…… だし。


「下調べと調査ってつまりこの噂の操作のことだったのか。それは時間がかかるだろうな……」


 そもそも信じてくれる人は少ないだろうし、何日前からやっているかは知らないが、それなりに時間がかかるだろう。噂の伝播なんてまちまちだろうしな。

 そんな爆発的に広がるものでもなし…… 桜子さんは実体化してない紛うことなき幽霊のようだし、実質噂を広げられるのは秘色さんだけなのだ。重労働だったろう。


「それで、結局いつ頃から始めるんですか?」


 アリシアがショートケーキの苺を頬張りながら秘色さんに尋ねる。

 おいおい、噂の確認のために入った喫茶店なのに満喫してるよ…… ま、なにも買わずに去るのは店に失礼だからいいんだけど。


「夕方。川沿いに人気のない公園がある。そこなら目撃もされにくいし、対処しやすい。時間も噂にある夕方にらなってからが本番だと思う」

「…… もうすぐ午後4時になるね」

「いろはー、それちょっと貰ってもいい?」

「はい、どうぞ」

「んむっ」


 桜子さんの言葉に、予想していたのか秘色さんが切り取ったガトーショコラをその口の中に押し込む。

 ナチュラルに分け合いっこをしている上にフォークは秘色さんのなのだが…… 仲の良い女の子ってそういうところあるよな。


「美味しい?」

「濃厚なチョコレートで大変美味しゅうございますとでも言えばいい? やっすい味しかしないけど」

「お嬢様だったのに一人称はそれでいいの?」

「ぼくはぼくなんですー。ぼく、人に指図されるの嫌ーい」


 ふい、とそっぽを向いてケーキを完食。

 彼女が視えない人にとっては秘色さんが二つもケーキを食べたように見えたかもしれない。


「さて、いっちょお仕事しますかー。いろは、会計ー」

「はいはい、外で待ってて」

「い、いくらだったっけ……」


 慌てて財布を取り出すアリシアを制して自分の財布を出す。

 秘色さんは既に会計を終えてるから、中学生で後輩のアリシアには奢ることにする。これくらいなら懐は痛まないし…… 姉の為に頑張ってるんだから応援してあげたいからな。


「俺が出すよ。お小遣いは大事にしたほうがいい」

「か、借りは返しますからね……」


 受けてはくれるのか…… 年上から奢るって言われるとちょっと気を遣わせちゃうかな。悩みどころだ。


「そうだ、桜子さんの戦い方を見たいって言ってないよな?」

「う、あの人苦手です…… 悪霊っぽくはないけど、なんとなく。でも話してみます」


 小走りで桜子さんのところまで行くアリシアを見送りながら会計を済ませ、外に出る。

 そこでは桜子さんがふわふわと浮きながら幽霊らしく手を垂らしてアリシアをからかっていた。ぷんすこ怒るアリシアを秘色さんは微笑ましく見ているが、周囲の通行人は二度見している。そりゃあ、桜子さんは普通の人に見えていないだろうし驚くよな。

 様子を見るに桜子さんはアリシアをわりと気に入ってるみたいだし、戦いを見せてもらう件についても話してあるんだろうな。姉の為に人に習う。そしてその向上心。そんなところを見て桜子さんはあんな態度をとってるんだろう…… 多分。


「公園で待ち伏せするんだったっけ?」

「ええ、そこなら人の目を気にする必要がありませんから。人避けをしなくても済みます」

「普通は人避けするのか? その、結界張ったり?」

「そうですよ…… ああ、そういえば下土井さんはまだ大規模依頼しか受けたことないんでしたっけ。それなら分からないのも無理ないです。異界なら必要ないですし、大規模なときは他の人がやってくれてますから。それと、敵となる〝 人でないもの 〟が獲物を捕まえる為に結界を張っている場合もあります」


 冬桜のときに青葉ちゃんが確かやっていたな。

 桜の木から無数の蝶が飛び出して行って結界が張られていたんだったか。

 なんとも幻想的な光景だったが、あれが獲物を絡めとる蜘蛛の巣のようなものだと考えると少しゾッとする。使っているのは蝶々なのにな。


「それと、結界がそこにあるか否かは霊的なものに鈍感な人は気付きにくいです。ある程度訓練すれば才覚も開きますが、生まれつきで対策を学んできた人とは違っていきなり霊的なものが視えるようになってしまうので、精神的に無防備になりやすい。ですから、アリシアちゃんは慣れるまでアルフォードさんのところの道具に頼るといいと思います」


 視えるようになる道具があるのか。まあ、あそこならあるだろうな。なんせ腐臭さえ隠せる香水が堂々と商品として並べられてるくらいだし。


「霊的感覚が一切ない人はごく僅かです。殆どの人は、意識をしていないから見えない、聞こえない、触れられないだけです。そこになにかがある。なにかがいる。そんな雰囲気に飲まれたときなら、あるいは視える人に意識を誘導されれば自然とそこにいるものも視えるようになりますよ。桜子さんのことも、わたしが声をかけてから気づいたでしょう?」


 秘色さんの言葉にアリシアが頷く。

 そうか、俺には初めから見えてたけど、アリシアには見えてなかったのか。


「初めから視える人は意識していなくても視えてしまうので、まず人でないものを無視する訓練から始まりますね。どうしても意識が向いてしまう人は幼い頃に襲われて亡くなる可能性も非常に高くなります。対処法か、目をつけられにくくする方法を学ばないとまともに生きていけないのだそうですよ。わたしは、後天的に視えるようになったのでそこまで大きな苦労はしてませんけれど」

「あれ、そうなんだな。てっきり秘色さんは初めから視える人だったんだと思ってたよ」

「わたしは、中学生の頃怪異事件に巻き込まれて助けてもらったことがあったんです。その後から才覚が開いたらしくて…… 自然と視えるようになりました。だからアリシアちゃんも、そのうち視えるようになると思います」

「分かった。お姉ちゃんのためにもあたし、たくさん頑張ればいいのね」

「うん、無理しない程度にね」


 秘色さんが微笑んでアリシアの頭にぽふぽふと手を乗せる。

 そうして彼女から霊やそれに類することについて細々としたレクチャーを受けながら目的地に到着した。

 川沿いの随分と大きな公園だが、今は夕方で尚且つ平日だからか人通りが少ない。いるとしても、犬の散歩をしている人がときおり通るくらいだ。


「林の中なら目立たない。こっち」

「随分と詳しいな。秘色さん、ここに来たことあるのか?」

「昨日、散々歩いて噂を広げたから…… その成果」

「あ、ごめん」


 一人で噂を広げるのにどれだけかかったのか。考えるだけでも恐ろしい。

 人と協力したとしても相当時間がかかるだろうに。


「ここで、待つ…… 噂が本当なら、もうそろそろ活動開始時間」

「来なかったらどうするんだ?」

「それはありえない。この手の怪異は、知ってる人にしか見えないし、聞こえない。怪異のほうも、狙わない。だから桜子さんの噂と一緒に流しておけば必ずここに来る」


 噂をした人、聴いた人のところにやってくる。そういう怪異って多いけど、足売り婆さんもそういう類なのか。


「ここの怪異は意思のない噂の塊だから、反応も対応も単純。下準備の噂広げるほうがよほど大変だった」


 だからあとは仕上げるだけ…… か。


「ふふん、ようく見てなよおチビちゃん。ぼくは後輩ちゃんとは違って後のない戦い方なんてしないんだ。後がないってことは、死に直結する。きみが参考にできないやりかただからね。ぼくはいろはがいる以上、やられるわけにはいかないのさ」

「分かったわ」


 なるほど。桜子さんがやられると秘色さんも危険に晒されるから、彼女は紅子さんのように捨て身で行かないのか。自称悪霊なのに随分と秘色さんのことを気にかけてるんだな。本当に悪霊なのか、少し疑ってしまいそうになる。


「さて、夕刻から随分経ったし…… お出ましみたいだよ」


 ぴた、ひたり、ひた、ひた、ひた、ずる、べしゃり。

 そんな湿ったような足音を立ててひと抱えもある風呂敷を担いだお婆さんがこちらへやって来る。

 夕日が空の向こうへ落ちていく。藍色の夜と夕日のオレンジが混ざったその狭間の時間に、後ろの景色を僅かに透けさせたお婆さんがまっすぐと、桜子さんへと向かっていった。

 透けたお婆さんとは違い、人間のようにはっきりと佇んだ桜子さんはそれを堂々と迎えた。


「お嬢ちゃん、足はいらんかね。足はいらんかね……」


 ぶつぶつと落ち窪んだ瞳で呟くお婆さんに、桜子さんは 「ああ、憎い憎い。人のものを取ろうとする奴が憎い」 とちっとも恨めしそうじゃない声色で返答する。あくまで彼女は悪霊として振舞っているようだった。


「足はいらんかね。足は、足は、足は」

「なら、お前の足をもらおうか」


 桜子さんが持っているのはカッターナイフではなく、包丁。

 桃色の人魂から取り出したそれで彼女は身を低くし、お婆さんの抱擁を避けるように足元をすり抜けると背後から心臓の位置をひと突きにする。

 途端に真っ黒な煙がその場で破裂したように広がり…… そして大気中に消えていった。

 本人達が言う通り、退治はとてもあっさりとしたものになったな。まるで苦戦することなく、桜子さんはお婆さんを躊躇いなく殺した。いや、消滅させた? どちらでもいいが、人の仕事ぶりを見るのは少なからず参考にはなる。

 噂を広めるなんて絡め手のようなやり方は初めて知ったからな。


「うーん、あんまり参考にならないかね、これは。ごめんねー、チビっこ」


 桜子さんは軽い調子で言いながらこちらに戻ってくると、途中で秘色さんと控えめなハイタッチ。 「おつかれー」 とまるでバイト終わりの学生のように続けた。それに対するアリシアはというと……


「いいえ、見ることも経験だもの。あなたみたいにあたしは嫌味なんて言いませんよーだ」

「んふふ、言うなあ。いろはと仕事してるとき以外は暇だし、うん。修行にちゃんと付き合ってあげるよ。退屈はしなさそうだし」


 無事、アリシアは桜子さんに気に入られたみたいだった。

 これで参考にできる相手ができたな。

 俺も秘色さんの霊感講座が参考になったし、学ぶことは多そうだ。

 ハロウィンのときは声真似に惑わされて紅子さんの足手纏いになってしまったし、二人で行動しながら仕事をこなす見本を見れるのは貴重な体験だ。


「いろはー、帰ろうか」

「うん。二人も一緒にどうぞ」

「ありがとう」

「助かるわ」


 もう少し、このメンバーで仕事を見せてもらおう。

 鏡の門を潜りながら、俺はそう決意したのだった。


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