妖怪退治、見学
◇
――忘れないで。
◇
あれから一週間、二週間と過ぎて年を無事に越すことができた。
新年前に年賀状を書かされたり、大掃除をやらされたりしたがそれも終わり、〝年を越す瞬間に地球上にいない人物が異界に飛ばされる〟多数の事故を紅子さんや秘色さん達と処理して回った。概ね間に合ったので、新年早々神隠しに遭う人々は極小数で済んだようだ。
精神的に弱かったり、異界のものを口にしたり、長時間異界に留まったりした人間は変異してしまうので救出もスピードが命なのだ。
そして、救出の際には記憶をぼかす効果のあるらしい録音機器を俺達が耳栓をしてから再生させる。
この音声は同盟の者ではなく、なんとアートさんと同じケルベロスの一体が話しているものであるらしい。そいつは声で他者の波長を乱し、混乱させて情報を刷り込むとかなんとか…… とにかく、余計な記憶は消せるし上書きもできるのだ。当然、敵対はしたくないな。
変異してしまった手遅れの極小数はどうやら、人肉食の同盟メンバーが手配されるとのこと。最初は俺も苦言を呈したが、そうしないと生きていけない妖が同盟メンバーであること自体が貴重で、良いことだというので口を噤んだ。
必要なことを制限したらそれはそいつらの飢え死にを意味する。健常な人間を襲うより、神隠しに遭った哀れな人間。それも死を待つのみである手遅れレベルのものを襲うほうが…… まあ、納得はできる。見たいとは思わないが。
ともかくそんな一幕もあったが、同盟側の仕事を手伝うのにも慣れてきた。
と、言ってもまだ今回のような大規模かつ全員で手分けして行う仕事しか参加できてないけれど。
紅子さんとコンビで動いたり、秘色さん、桜子さんコンビと行動したりいろいろだ。
前にアルフォードさんが言っていた〝 人間のメンバー 〟はどうやら年末年始に忙しかったらしく、まだ会えていない。現実世界の図書館勤務らしいが、年末もやってるものなのか? 別の用事かもしれないが、まあ、俺みたいなのが特殊なのだ。仕方ない。
レイシーとアリシアは順調に図書館での手伝いを覚えていっているようだ。字乗さんのいうことも、たまに反発するがよく聞くらしい。
字乗さん本人に言わせれば 「可愛らしい反抗期じゃないか」 などと嬉しそうに笑っていた。元が恋文の集合意識だからか、女性的な面が強く、母性本能でもくすぐられたのかもしれない。
そして、レイシーの外での居場所はやはり…… なくなっていたようだ。
今でも泣き腫らしたアリシアの顔が思い出される。
彼女がいた病室には今、別人が居座っていた。自分は一人娘だと言われた。嗚咽と悔しさでアリシアは、そう言いだすのにも時間がかかっていた。
勿論、アルフォードさんをはじめとして、その場にいた全員が根気よく話を聞き、そしてきちんと自分自身の目で真実を見つめてきた少女を穏やかに受け入れた。
特にペティさんは姉妹を気に入ったらしく、自身の近くにレイシーの部屋を配置するようアルフォードさんに要請していた。多分、彼女が世話をするなら問題はないだろう。
「よもぎ! どうしてこの本は読んじゃいけないのじゃ!」
「それは魔道書なのだよ。まだ君には幾分か早い」
「魔法…… ! よもぎ、私様は魔法が使ってみたいぞ!」
「ふむ、興味があるのだね。いいだろう、だけれどそれはまだ早いからこっちの本にしようか。順番に覚えていこうじゃないか」
図書館に様子を見に来てみれば、字乗さんにレイシーがお願い事をしているところだった。
元は中学二年生だったとのことだが、そういうものに憧れる年頃か……
「お姉ちゃん……あんまり危ないことはしないでよね」
「大丈夫じゃアリシア! よもぎだけじゃなくてペティにも頼むからな! 私様の師匠達になってもらうのじゃ!」
アリシアは積まれた本を字乗さんのところへ持って行ったり、必要なくなった本を棚に戻しに行ったりしている。レイシーも同じような仕事をしていたようだが、どうやら今はサボりを兼ねて字乗さんに話しかけているらしい。
「…… あ、下土井さん。あなたも来てたんですね。その、赤座さんは?」
アリシアがこちらに気づいてパタパタと小走りでやってくる。
もうすっかり落ち込んだ様子はなくなっているが、自由奔放な姉に苦労しているみたいだ。
赤座…… 紅子さんは今日一緒に来ているわけではない。リンに案内してもらって一人でこちらに来る練習をしているから、お願いするわけにもいかなかった。そもそも、彼女は昼間学校に行っている。日中暇な俺がおかしいということを忘れてはいけない。
朝、奴が仕事に行くまでに屋敷のことを終わらせているので昼間はふらふらとするのみだ。
「紅子さんは学校だよ。なにか用でもあった? メールしておくこともできるよ」
「あたし…… 強くなりたいんです。お姉ちゃんって無鉄砲だから。だから赤座さんにご指導願えないかなって」
「ああ、なるほどね。アリシアちゃんは本の中でナイフを使ってたから、近い武器を使ってる紅子さんに教えてもらいたいのか」
「ええ、そうです。下土井さんは長ものを使っていますし、ご指導をお願いするのはあの人かな、と」
「おんやあ? アリシア。修行したいのかい?」
二人で話していると、レイシーの相手をしていた字乗さんがいかにも面白いものを見つけたと言わんばかりの顔でこちらへやってきた。
「…… 否定はしないわ。あたしは人間だから、少しでも強くならないと足手纏いになるもの。そんなんじゃお姉ちゃんと一緒にいられない」
「ほう、そう考えているのだね。レイシーは気にしないだろうが…… うん、そういうことなら、紅子を見習うのもいいけれど、いろはや桜子に師事をするのもいいと思うよ。紅子はどうしても捨て身なきらいがあるからね。君に適用するには危険すぎる」
ああ、言われてみれば確かにそうだな。
桜子さんもカッターナイフで戦うから参考になるだろう。
そして、紅子さんは幽霊であることを前面に利用して暗殺や一撃必殺に秀でている一方、噂の力で復活することを前提に立ち回っている感じがするから、アリシアちゃんが参考するには少し向かないかもしれないというのも理解できるな。
簡単にやられるつもりもないが、やられたらそれはそれで復活際に奇襲ができる、紅子さんはそう考えてる節があると思う。
「どんな人なんですか?」
「人間の中では異常な霊力を持っている子、かな。方向は限定されるけれど、優秀な霊能力者だよ。そして、〝 シムルグの雛鳥 〟…… 神格の庇護を受けている人間になる。つまり、後ろ盾もバッチリな君達の先輩、だね」
その〝 君達 〟ってもしかして俺も含まれてる?
「小姓君も殆ど独学だろう? このよもぎちゃんから依頼してあげるから、アリシアと共に学んできたらどうだい? 私はレイシーへ基礎魔術を教える必要があるから。身を守る術は本人も得ていて損はないだろう?」
「お願いするわ。あたしもあんたのからかいにとやかく言っている場合じゃないの。本気なんだから」
「おやおや」
ニヤニヤとしながら彼女の態度を見守る字乗さんに 「そういうところが反感持たれるんですよ」 と言葉を投げかける。
なんでこうも人外は人を面白がるのだろうか。軽く見ているわけでないことは護身を教えることからして分かることだが。
というか俺を奴の小姓扱いするな!
「さて、雛鳥の予定はどうなっていたかな…… 依頼掲示板を見ればいいのだけれど、私は電子の海は得意でなくてね」
「よもぎ! これ読めないのだが?」
「それは……」
字乗さんが少し困ったように呟いた後だった。
レイシーに魔道書の説明をしながら考えている彼女の肩が揺れ、図書館の入り口に視線が動く。
「烏楽の烏か。ちょうどよかった、いろはが今どこでなんの依頼を受けているかの情報はあるかい?」
図書館の扉が開けられたのと、その言葉は同時だった。
「おっと、相変わらず反応が早いな。ほれ、いつもの新聞と、こっちは前に頼まれてた情報だ…… 俺の新聞を頼りにしてくれるのは有り難ぇが、篭りっきりになってると干物になるぜ? …… さて、質問はナヴィド殿の娘さんのことかい?」
「ああ、そうだよ。いろはの仕事をこの子達に見学させてやろうと思ってね。許可はとってないから、あくまで提案だけれど。それと、本や文は涼しくて暗い場所に保管するものだ。たまには日干しも必要だがね。干物になりやしないさ」
「あー、例えが間違っていたようだ。カビが生えるぜ? 司書さんよ。そんで、雛鳥ちゃんなら今は日本にいるはずだよ。確か、福岡で起きてる〝 足売り婆さん 〟の行方を追っている最中だったか」
「福岡……」
おいおい、彩色町は東京だぞ…… 大学に通いつつそんな遠くまで依頼の為に出歩いてるのか。すごいな、彼女。
「ふうん、それならこの図書館から転移できるよ。このよもぎちゃんが特定してあげよう。それから、彼女に見学させてもらえるように頼むといい」
字乗さんは喜色満面で乗り出して来ている。ノリノリだ。
つまり、決定事項なんだろう…… 俺に選択肢はない。というか、秘色さんのやりかたは興味がある。彼女達と行動したのも、冬に咲いた桜のときと、それ以降ちょこちょこと同行したくらい。
ただ、別行動も多かったので詳しい活躍を見れたことはない。
かえっていい機会かもしれない。
「じゃ、俺は次のとこに行くから。頑張れよ」
爽やかに彼は手を振って去っていく。
カア、カアと多くの烏の声が響く。烏天狗の烏楽さんは翼を広げて窓からその集団の中に飛びこんで行った。
「分かった。妖怪退治系ならどうせ長引くんだろ…… それなら屋敷に留守電入れとくから、ちょっと待っててくれ」
そう言いながらスマホを取り出して連絡を取る。
奴は仕事中だろうから、屋敷のほうにだけ留守電を残しておく。
最近こればっかりだが…… 怒られない、よな? 前はかなり拘束されていたが、今は案外そういう自由だけはあって、かえって不気味さが増している。
なにを考えてるんだか。
「連絡はした。行ってみようか、アリシアちゃん」
「ええ。あたしも護身用のナイフ持ってくけど、下土井さんは?」
「俺は……」
言いかけて、鞄の中から赤い影が飛び出してくる。
「きゅい!」
それはペロペロキャンディを抱えたまま浮遊する手のひらサイズのドラゴン…… リンだった。
「俺には相棒がいるからな」
「きゅきゅーい!」
「わっ、可愛い…… あの、この子は?」
おお、そういえばアリシアが正気に戻ったとき、ずっとリンは刀の状態だったからな。
「リンはアルフォードさんの分身で、俺の刀なんだよ」
「んきゅ、きゅう〜」
あれは喜んでる顔だな。声だけでも分かるが。相棒扱いがよほど嬉しかったのか、空中で小躍りしている。
「あのときの…… あの、撫でても…… ?」
「リン?」
「んん、きゅい」
「いいってさ」
「あーっ! なぜじゃ! なぜ私様には触らせてくれんのにアリシアは良いのじゃ!」
「乱暴に撫でるからさ。そこも少しは学ぶといいよレイシー」
そうそう、注意しておいてくれ。リンも撫でられるのは吝かじゃないはずだからな。
ただ乱暴にグリグリされると痛がるだけで。あと、動物を触りたいときは保護者にまず許可を得ること。これは大事だよな。
「さて、雑談はここまででいいかな。扉を開けるから行っておいで」
「はい!」
「ああ、行ってきます」
「それから、アリシア」
「なに?」
「少し、手を握ってくれないかい?」
「え……」
唐突に照れたような顔を浮かべた字乗さんに、アリシアがドン引きしたように身を引いた。それを見て字乗さんはキョトンとした顔になったあと、笑う。
「別に変な意味ではないのだよ。無事帰ってくるよう私の加護をやろうと言うのだから、遠慮なく受け取ってほしい」
「あ、な、なによ。それを早く言ってほしかったわ…… はい、これでいい?」
「ああ、構わない。それにしても……」
握手したまま字乗さんはその手を持ち上げアリシアに向かって悪戯気に微笑むと 「君の手はちっこいなぁ」 とからかい始めた。
「そんなこと言ってるとお願い聞いてやらないわよ」
「おっとそれは困る。ふふん、さて、今度こそいってらっしゃいだ」
彼女が指をパチンと弾けば図書館の扉がひとりでに開き、俺達の足元に緑色の矢印マークが浮かび上がる。
「さあ行ってこい」
「わっ!?」
「ひゃっ!」
そして、矢印マークに足が触れた途端体が勝手に滑って扉へと突進を開始した。随分と強引な出発だ。なんでこうも人外は唐突だったり強引だったりするんだ。
俺はバランスを崩して倒れそうになったアリシアを支えつつ、諦念を浮かべながら図書館の扉を潜っていくのだった。
―― 静かになった図書館で、ぱらりぱらりと本を捲る音が響く。
時折レイシーの質問が響く以外に、静かなものだった。
「なあ、紅子。そこにいるだろう? なぜ、出てこなかったんだい?」
「む? 紅子がいるのか?」
「……」
かつ、かつ、と靴音を立てて黒髪をポニーテールにした少女が姿を現わす。
その赤い目は平坦なようでいて、鋭く真っ直ぐに図書館の扉を見つめている。
「アタシが行っても、お兄さんのためにはならない。それに…… アタシもやることやらないと、ちょっとまずいかもしれないからね」
「そうかい。なら一日中夢の中で励むのかい?」
「…… そうだよ。それが、赤いちゃんちゃんこという怪異の…… やることなんだから」
後ろで手を組み、俯く彼女の表情は字乗よもぎには見えない。レイシーにも見えない。けれど、想像することはできるのだ。
「ああ、そうだ…… 紅子。1月23日は、下土井令一の誕生日だそうだよ」
「っえ?」
「ふふん、ほら暗い顔なんてするもんじゃない。君なら大丈夫さ。このよもぎちゃんを信じなさい。鬼が笑おうがなんだろうがいいじゃないか。未来のことを語っても。さあ、なにをして祝ってあげようか?」
「…… そうだね。話を聞いたからには、祝ってあげようかな」
隣で 「あいつの誕生日なのか! 私様も祝ってやろう! そのためには魔法を覚えるのじゃ!」 と騒ぐレイシーを撫で、字乗よもぎは微笑む。
年長者らしいその振る舞いに紅子は扉を見つめるのをやめ、彼女らに近づいていく。
「それ、反則じゃないのかな」
「なに、攻略本は司書の嗜みさ」
字乗よもぎの手にある本の表紙には〝 下土井 令一の人生 〟と書かれている。
この図書館には、日本全ての人間の生きている間の記録と、そして死して転生するまでの記録本が納められている。
普通の人間には見ることの叶わない、文字通りそれを任された司書の彼女は重役なのだ。
「でも、知られて良かったろう?」
「…… うん。それじゃあアタシはもう行く。今日一日頑張らないと」
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「寝るのか? おやすみなのじゃ!」
図書館から紅子が出て行き、パタンと扉が閉まる。
「今日は来客の多い日だな」
「よもぎ! 次はこれじゃ!」
「はいはい。さあて、アリシアと小姓君は上手くやってるかな」
膨大な量の棚を見上げ、字乗よもぎは溜息を吐くとレイシーの指導に戻る。
「ペティでも呼ぼうかね」
二人だけの場所に、少しだけの喧騒を求める。それは悪いことではないが、彼女の変化の表れだった。ペティも紅子も彼女にとっては〝 最近 〟できた友達である。令一も、アリシアとレイシーもついこの間。
長らく一人で図書館勤めをしてきた彼女に喧騒は煩わしいものだった。
しかし、今はそれを求めてさえいる。
「変化とは目まぐるしいものである。しかしそれも悪くない」
字乗よもぎはそうして、感慨深げに目を伏せた。




