【幕間】聖夜の宴会
このお話は、砂鉄 / 蹉跌の国の女王本編後のクリスマス編となります。
幕間ではありますが、初登場のキャラも出るので、飛ばさず読んだ方が後々同キャラが出てきた際混乱することがありません。
ぶつり、と首に這わせたガラス片が肉を切る音が響く。
「今宵のお相手様は貴方でしょうか」 と言わんばかりの態度で艶めかしく誘ってやれば、こうも簡単に行くものなのだなと彼女―― 紅子は独り不愉快そうに息を吐く。
勿論、本日の夢の行方は彼女の勝利で幕を閉じていた。
ゲームをするにも解答はひとつだけ。
すなわち精神をすり減らしながらも彼女の首に埋まったガラス片を取り出し、差し出すこと。これに気づけば重畳。
ゲームを始めた頃に出会い、これをクリアした上で彼女に 「痛くはないのか」 などと問うてきた男は良い。自分をなにかに投影することもなく、比較するでもなく、紅子自身の状況を見て、それでも気遣ってきた本物のお人好しだ。
その心に偽りはなく、文句なしの合格者だった。
少々オカルトに傾倒し過ぎているきらいがあるので、こちら側に近づき過ぎないよう彼女なりに気を遣っていたのだが…… どうやら引き寄せる体質も持っているらしく、下手に遠ざけるより引き込んでしまったほうが早いと先日人間ながらに同盟メンバーとなったばかりの者だ。
引き寄せる体質を持つ者は案外そこかしこにいるもので、得てして彼らは好奇心が強い。生まれ持つ才なのだろうが、彼らが巻き込まれてしまわないようにと気を張っていなければならない身としてはいいのやらよくないのやら。
仕事が繁盛するのは良いことではあるのだけれど…… と紅子は思い巡らせる。
最近彼女が気にかけている目つきが残念な男は、怖気付いていることを〝 可哀想だから 〟と言い換えて誤魔化した最低な奴だと認識している。
紅子のことは恐るべき怪異であり、怪異慣れしているからこそさっさとゲームを終わらせようとしていたというのは構わない。
しかし、〝 嘘はつかない 〟と明言している彼女に対して上っ面だけだけの同情を寄越してきたのがいけなかった。
紅子の首の傷口に手を入れる。これは試練のようなものなので、これができても、できていなくても、そうすることを嫌悪されても彼女は構わない。
だが、〝 自分が嫌 〟だから嫌と言うのではなく、〝 君が痛そうだから嫌 〟と彼女自身の心を勝手に代弁しようとした。その小さな〝 嘘 〟がなにより気に食わなかったのだ。
だからこそ、紅子は彼…… 下土井令一を嫌いだと評する。
他人のためと言っておきながら、その実自分のために〝 善行 〟をする彼が、とにかく気に食わない。
それは〝 自分からなにかを奪われるのが嫌い 〟な彼女にとって、他人のチャンスや責任を奪い取るようなそんな行為が地雷であるからこそだ。
しかし、常日頃嫌いだ嫌いだと言ってはいるものの元来の性格故か、紅子には彼を見捨てるという選択肢はない。
からかい癖はあるものの根は真面目だからか、一度やると決めたことはやり通すことにしているのだ。
なんだかんだで行動を共にすることも多い。知らぬ存ぜぬよりも、身近で監視していたほうがまだ安心できるというものだ…… と彼女は結論付ける。
毎夜夢の中で行うゲームのせいで寝た気がしないと愚痴りつつ紅子は長い黒髪を櫛で梳き、頭の上の方でいつものようにポニーテールに…… と、ここまで来て彼女は少し考える。
「お兄さん、クリスマスはろくな思い出がないとか言ってた気がするなぁ……」
困ったことがあればたまに電話をする仲ではあるので、世間話に興じることもままある。彼のご主人様についての愚痴をうんうん聴いてやっているときに、一度言っていた気がするような? …… と、記憶を辿る。
「ああ、そうだった。確か魔道書をばら撒く羽目になったとか、なんとか…… 本の管理者だし、字乗さんが嫌がりそうなことだなぁって思ったんだったかな」
思い出したので満足した紅子は、止めた動きを再開する。
今日は頭の上のサイドで三つ編みでも編んでみようか、などと鏡を見ながら丁寧に髪を梳く。たまには髪を下ろしたままにしてみるのも面白いだろう。
驚くだろうか? と脳裏に浮かぶのは同じ怪異仲間や学校のクラスメイトなどではなく……
「ううん、なんでだろうねぇ……」
そんな考えを頭を振って払い除け、紅子は黙々と朝の準備を進めていった。
本日はクリスマス。お祭り好きな人外達が騒ぎに騒ぐ日である。
普段遠方に住んでいて、鏡界にある屋敷へはやって来ないような者も集まってくることとなる。
人外というものはどうにも長命故にか、刺激を求める生き物だ。あと酒好きが異様に多い。
紅子は実年齢で言うと、あと二ヶ月で20歳になるのでギリギリ酒を嗜んではいけない年齢だ。世間では20歳前にも手を出す人間がいるが、彼女は未だに手を出したことはない。まさか正気を失うまで飲むということはないだろうが、自分がどうなるか分からない以上醜態を晒したくないので飲もうという気にもならないのだ。
だが、人外達は人に勧めるのも大好きである。並みの人付き合いくらいしかしない紅子にはアルハラもいいところだ。
相手が神であったりするので、無下に断るというのも自ら人間の意識に寄せている紅子にとってはやりづらい。
良い情報交換の場にはなるのだが、いかんせんデメリットも多い。
「ああ、なら盾にでもなってもらおうかなぁ……」
先程まで誘ってやろうかと検討していた顔を思い浮かべる。
彼…… 下土井令一ならば年齢も22歳と自分とそう変わらないし、紅子に酒を勧めてくる輩を防ぐ盾くらいにはなるだろうと判断する。
彼が潰されたら潰されたで、後で盛大に面白がってやればいい。
うん、そうしよう。
結論を下して紅子は部屋を出る。
部屋の外では既にクリスマスパーティーという名の宴会の準備が始まっているようだ。
妖怪の癖に朝から大はしゃぎでご苦労なことだねぇ、とそれらを横目に彼女は玄関から外へ出て急ぎ足で現世への門を目指す。
「よぉー、ベニコ! 今日もあいつんとこか?」
「おやおや? デートのお誘いだね? そうなんだね? 是非とも私にもお話を聞かせてほしいね! 恋文が必要なときはきちんと〝 れくちゃあ 〟するから教えてもらえるかな?」
通り過ぎざまに亡霊の魔女と文車妖妃に出会い、苦笑をこぼす。
「必要になるときは永遠に来ないから安心してくれていいよ? やるなら紙切れに託すのではなくて、自分でやるだろうからねぇ。いや、ありえないけれど」
「むう、恋文に残すのは良いことなんだよ? 先の世にも語り継がれるのだから」
「語り継がれたりなんてしたらとんだ恥だよ…… 少なくともアタシはね。キミを否定するわけではないけれど、アタシはそういうの好きじゃないんだよ」
気まずくなる前にと足早に立ち去る。
終始仲の良い亡霊魔女と付喪神はその様子を微笑ましげに見送って互いに顔を合わせた。
長く退屈な生の中で、人外というものは刺激を求める。
それは他人の色恋沙汰でも同様のことなのだ。滅多にない〝 イベント 〟が喜劇に終わるか悲劇に終わるか。そんな予測を立てながら下世話に楽しむのが常である。
短い生を生き肉体を主体とした人間とは違い、人でないものは精神に重きを置いて生きる者達である。
人外にとっての〝 長い退屈 〟は致死毒にもなり得る恐ろしい概念なのだ。
「…… あれ、アルフォードさん…… が、2人?」
そうして門へ向かっている途中で、飛びながら樹木の飾り付けをする影が2つあることに気づく。
それも、その影はどちらも赤く長い髪を揺らし、頭上に突き出た大きなアホ毛がくるりと揺れるアルフォードのものである。
ただし、片方は本来のアルフォードよりもかなり小さい。
分霊でも出して協力して飾り付けているのだろうか…… と紅子が疑問に思って近づくとその会話が漏れ聴こえてくる。防音用の結界すら張られていないので、特に聞かれても困る内容ではないのだろう。
そう判断して聞き耳を立てると…… 小さいほうが随分と幼気な話し方をしているのが分かった。
「そっかぁ、お前が楽しくやってるみたいでよかったよ。いじめられでもしてたらオレが令一ちゃんを捌きに行くところだった」
「れーちゃんはそんなことしないからだいじょうぶだよ」
…… 捌く? いや、お兄さんの話なのか?
そう思って紅子が近づいていくとぱきりと小枝を踏み、一斉に2人の爬虫類のような黄色い瞳が向けられ、背筋を駆け抜けるような怖気に襲われた。
隠れたり足音を抑えて幽霊のように気配を消すことが得意な彼女ではあったが、今回ばかりは少し動揺していたらしい。
けれど、彼女はまるで動じていないというように振る舞いながら、いつもと同じように薄く笑みを浮かべて彼らに向かい合う。
「アルフォードさん、なにをしてるのかな? それと、そっちのアルフォードさんは…… ?」
一瞬の沈黙。しかし、彼らは相手が紅子だと分かると途端にその顔をふにゃりと笑みに変えて何事もなかったように 「なんだー、紅子ちゃんか! えっと、こっちの小さいオレのこと? 紅子ちゃんもいつも見てるはずだよ? 分からない?」 と明るい声で応える。
「べにちゃん、わかんない? たしかに、いつもはあんまりかおをあわせたりしないかもだけど……」
そこまで言われて紅子は 「もしかして」 と呟く。
「赤竜刀…… リン、なのかな?」
「わー、すごい! だいせいかい! いつもあるじちゃんがおせわになってまぁす!」
「リン…… ってキミの分霊だろう? なんでこんなに違うのかな」
困惑しつつも確認のために紅子がアルフォードに問うと、彼は 「名前をつけてもらったからだよ」 と非常に嬉しそうに答える。
「名前…… リン、だね。鱗だからリン、なんて聞いてるけれど…… そんな単純なものでもいいのかな?」
「そりゃあね! オレ達にとっては名前ってとても大事だからさ。元はオレの分霊。でも、今は赤竜刀になって名付けもされた。だから今のこの子は分霊としての意識と刀剣としての意識が半分ずつくらいなんだよね。ねー?」
「ねー?」
大きなアルフォードと小さなリンが目を合わせながら 「ねー?」 と言って笑い合う。まったく同じ顔のようで、少しだけ凛々しいような気もするリンは心底嬉しそうにしている。紅子も令一と仲良くしている姿を見ていたが、神の分け御霊のカケラとはいえ、ここまで慕っているとはと驚いた。
(…… 案外お兄さんってすごいのかねぇ)
神妖に好かれるのはその優しさ故か。
それとも、彼がどうしようもなく愚かで人間らしい傲慢さを持つからか。
…… 紅子には、神妖の言う 「愚かしく醜いからこそ愛おしい」 という感覚が理解できない。嫌いなものは嫌いだし、苦手なのだ。
「あ、でもオレのことはれーちゃんにはないしょにしてほしいんだよね!」
「ううんと、何故か聴いてもいいかな?」
身長120㎝程しかないリンが紅子を見上げる。口元に人差し指を立て、ご丁寧に 「しいー」 のポーズだ。その仕草のひとつひとつがどことなく幼いように見えるが、中身はアルフォードと同じ年齢のはずだ。刀剣のほうの意識に体が引っ張られているのかもしれない。
「だってさ、れーちゃんはオレがひとがたになれることしったら…… いままでみたいにかわいがってくれなくなっちゃうでしょ?」
少なくとも令一は人型になれることを知ったくらいで態度を変えたり邪険にするような人間ではない。
紅子が訝しんでいると、リンは 「ぺっとかんかくでさ、なでなでしてくれなくなっちゃわない?」 と弁解する。言い方が悪かったのだと思ったのだろうか。
思い返してみれば確かに、令一はリンのことを四六時中鞄の中に娯楽用品やおやつまで入れて連れ歩き、顎の下を撫で回したり頭をこちょこちょとくすぐったりと猫可愛がりしている。
その小さな小さなドラゴンが人型になれる上にアルフォードと同一の知識を持つ存在であることを自覚すれば、子供扱いやペット扱いはしなくなるのかもしれない。そういう意味であれば、確かに対応が変わってしまうだろう。
「べにちゃんはあるじちゃんにこのこと、いう?」
蛇が睨むような、そんな目をしなくとも当然そんなことはしない。
紅子は困ったように微笑みリンの頭に手を乗せる。
「言わないよ、誓ってね。アタシは嘘なんてつかないよ。知ってるだろう?」
「うん! しってるよ! ありがと、べにちゃん!」
幼い笑顔に釣られて彼女もにっこりと笑みを浮かべる。
クールぶってる彼女も子供の笑顔には弱いのだ。
「っと、そうだ。アルフォードさん、今回の宴会って人間の参加はありなのかな」
「れーちゃんつれてきてくれるの!?」
「ありだよ。好きにしていい…… あ、そうだ。令一ちゃんって料理できるんだよね? なら、参加費ってことで令一ちゃんに料理かお菓子作ってきてもらってよ。紅子ちゃんはこっちのメンバーだからなくてもいいけど、夜まで時間はあるし…… ……ゆっくりしてきたらいいよ」
「下世話だよねぇ……」
嫌そうな顔をしながら言う紅子を見て 「ごめんごめん、でもほら…… 色恋沙汰は最高の娯楽だから」 とアルフォードが笑う。
他人の感情の浮き沈みを娯楽と言い切るところはやはり人外なのだなぁ、などと改めて認識して紅子は溜め息をついた。
これはさっさと退散したほうがいいらしい。ずっと会話を続けていたらもっと気疲れしそうだと歩みを再開する。
「それじゃあ、夜にまた来るよ」
「うんうん、またねー紅子ちゃん」
「あるじちゃんのてりょうり、ちゃんとさいそくしておいてね!」
「はいはい、伝えとくよ」
随分と長く立ち話をしてしまったなあ、と彼女は自然急ぎ足になる。
門を抜けると、そこは学校の女子トイレの中だ。
赤いちゃんちゃんこのルーツを持っているので当然、選ぶのはそことなるわけだが…… 人目を気にしなければならない部分については彼女も失敗したと思っている。
幽霊の括りではあるので人から見えなくなることもできるし、なんなら隠れたり隠したりすることは得意なので不自由はないが…… いろはのような〝 視える 〟生徒がいないとも限らない。どちらにせよ、気を張らなければならないのである。
普段はない、頭のサイドで揺れる小さな三つ編みが首元をくすぐり、下ろした髪が寒空の下風に吹かれる。リボンはもちろん、いつもと同じ薄紫のものだ。
赤と白のチェック模様のマフラーで包帯ごと首元を隠し、幽霊とはいっても寒いものは寒いので赤いセーラー服の下に黒いインナーとタイツを履いている。
それからえんじ色のダッフルコートを羽織れば、そこらにいる普通の女子高生となんら変わりない少女となる。
いつもよりお洒落な風体で木枯らしの中を駆ける。
目指すはいつも苦労させられている男が不本意に住んでいる大きな屋敷だ。
途中、忘れていたとばかりに懐からスマホを取り出し、コールする。
これから会おうというのに、連絡も寄こさずに行くのは親しい仲だとしても失礼である。なによりあの邪神がいるかどうかで彼女の行動は少し変わるのだ。
「もしもし…… 紅子さんか?」
歩くスピードを下げ、向こう側から聞こえてくる声に返事をするべく声をかける。
「ああ、お兄さん? 寂しくなったから来ちゃったよ。屋敷についたら上がってもいいかな?」
「どうしたんだよ、いったい。紅子さんが? 寂しい?」
「失礼だよねぇ……。アタシだって人肌恋しくなることくらいはあるよ。だからね、ほら、恋人のいない〝 寂しい 〟クリスマスを互いに埋めてしまおうじゃないかって提案してるんだよ」
「もっと素直な誘い文句はないのかよ」
含み笑いが小さな板切れの向こう側から響いてくるのが分かり、紅子も他愛のない言葉遊びを中断する。
「アタシと2人きりでクリスマスデート…… とはいかないけれど、ちょうど〝 こちら側 〟で宴会があるんだ。キミもどうかな? いろんな神妖が集まるから、挨拶的な意味でも、コネクション的な意味でも参加して損はないと思うよ」
「ああ、なるほどな。いつも俺の為にありがとう、紅子さん」
「…… 別に。ええと、参加費代わりに料理かお菓子を用意して来いってアルフォードさんが言ってたから、キッチンの用意でもしておいてね」
「そうか、了解。なあ、紅子さんはなにか食べたいものあるか?」
「アタシ?」
「参考までに、な」
少しだけ思考を巡らせて、放棄する。
「小腹を満たせるものならなんでもいいと思うけれどねぇ」
「あえて食べたいと答えるなら?」
しつこいぞ、とは口に出さず仕方なく紅子は今思い浮かぶものを答えた。
「ううん、えっと…… 温かい、ミートパイでも食べたいかなぁ」
「よし、じゃあそれにするか」
「いいの? 材料とか大丈夫なのかな? それは」
心配になって訊けば、令一から軽い返事が送られてくる。
「足りないものはなさそうだから問題なしだぞ。ついでにケーキも焼けるくらいの材料はある。あいつがホールを二つは作れって言ってたからな」
うわあ、と言いたい言葉を飲み込んでから紅子は口にした。
「それは大変だねぇ。手伝うよ」
「お、助かる」
「なら、もうすぐ着くから待っててね。おにーさん」
「ああ、あいつは今日仕事があるらしいから気兼ねなく来てくれ」
「おっと、それは朗報だね」
彼の邪神が居ては都合が悪い。
だというのに、事前に連絡を取らなかったのは今回の一件が思いつきの行動だったからだろう。決して気を急いていたわけではない。決してだ。
それから間もなく、屋敷に到着した紅子はキッチンの準備をしていた令一に招き入れられたのだった。
「あれ、今日は髪おろしてるんだな」
「うん、まあ…… 別に毎日一緒ってわけではないよ」
「ああ、そうだよな。女の子だもんな。髪長いからそういうのも似合うな」
「…… ふうん、童貞のお兄さんでも良し悪しを褒めるくらいはできるんだねぇ」
「それ関係なくないか…… ? 久しぶりだな、その文句」
「そうだったかな……」
目線を逸らし、 「早く準備をしないといけないんじゃないのかな?」 と彼を急かす。宴会は夜からだが、来る神妖の数は多い。参加費といっても全員分用意するわけではないが、せめて多目に持っていくべきだろうと提案する。
それと、アルフォード用に特別辛いミートパイを作るように注釈を加えながら。
「アルフォードさんって辛いもの好きなのか?」
「そうだよ。甘いのはダメなんだよ、あのヒト」
ドラゴンで火を噴くからだろうか、なんてくだらない考察をしている彼を突っつき、急いでミートパイとケーキ作りの下準備を始める。
紅子は凝ったものが作れないため彼の指示を所々仰ぎながらの調理となったが、2人で行った為か下準備やらはすぐに終わり、あとは本格的に仕上げるだけとなった。
ついでにお昼ご飯をいただき、舌鼓を打ってから調理も再開。
夕方、妖怪が大手を振って歩き出す時間帯には全ての支度が終わり、温かいミートパイ複数とケーキがホールで一つ。それからアルフォード用にと用意した特別製ミートパイが一つだ。
ついでに、紅子が 「リンもアルフォードさんの分霊だから辛いものが好きだと思うよ」 と教えたため、小さな辛口ミートパイも用意されている。
これでどちらも喜ぶこと間違いなしだろう。
「よし、行こうか」
「ま、待ってくれ。リンがいないのにどうやって行くんだ?」
令一に呼び止められてそういえば、と紅子は思う。
彼は道案内なしでの行き方を知らないのだったか、と。
「せっかくだから今登録しちゃおうか」
「登録?」
「うん、同盟の者は皆この行き方を知ってると思うよ。勿論、秘色さんも。個人識別みたいなのができるようになってる門があるんだよ」
「別の行き方があったのか」
「ああ、リンについてったほうが早いのは確かだよ。でも皆に分霊を貸すわけにはいかない…… そう思わないかな?」
「アルフォードさんが大変になっちゃうな」
「その通り。お兄さん、この屋敷に大きな鏡はあるかな?」
「姿見か? ある。こっちだ」
令一に案内された先で紅子は頷く。
姿見ならばなにも問題はない。
「メモしてもいいけれど、なるべく覚えるようにするんだよ」
紅子はそう言って手の中にいつものガラス片を呼び出し、鏡に触れさせる。
それから、令一をもう片方の手で手招きして隣に来るように促した。
「一緒に通るだけでも登録はされるけれど、手順はしっかり覚えた方がいいからねぇ。アタシはこのガラス片だけれど、お兄さんは手形を取るようにべったりと利き手をくっつけてごらん。ああ、アタシの右側にね。利き手はアタシと同じだろう?」
「えっと…… これでいいのか?」
「よろしい。それから、ノックをする」
紅子は右手でガラス片を鏡に触れさせながら、もう片方の手で独特なノックのリズムを刻み、呼びかけとなる言葉を紡ぐ。
「葦原の谷の神」
視線で令一に復唱要求をすれば、すぐに理解し彼女の言葉をなぞるように同じ言葉を繰り返す。
「あ、葦原の谷の神」
令一の復唱を聞いてから続ける。
「標の梲侵さず」
「標のツエ侵さず……」
「飛び越えるその術で錠を開け」
「飛び越えるその術で、錠を開け」
「開門」
「開門」
その言葉を言った途端、鏡の中に映っていた二人の姿が溶けて混ざるように渦巻き、真っ黒に塗りつぶされていく。
「これでよし。もう手を離してもいいよ」
「ああ…… すごいな」
鏡を食い入るように見つめながら令一が言う。
それになんだか面白くなった紅子は 「そうだろう?」 と得意気に口にする。
「今のでお兄さんの霊波が登録されたから、今度からはノックと〝 開門 〟って文句だけであちらに繋がるよ」
「へえ、どうなってるんだ?」
「夜刀神って神様がセキュリティを作ってるんだってさ。指紋認証みたいなものだよ。それの霊的、オカルト的なバージョンだよね」
「へえ、あのヒトがね」
「あれ、夜刀神に会ったことあるの?」
「前に、夜市でな」
「そっか。なら話が早いねぇ。とにかく、リンがいないときにあちらへ行きたくなったらこれを使うといいよ。アタシも一応鱗は持ってるけど、こっちを覚えておいて損はないからね」
水の膜を抜けるように鏡の中に足を踏み入れた。
令一もその不思議な感覚に目を白黒させていたが、紅子が早くしろと言わんばかりに腕を掴んで歩き出せば慌てて着いて来る。
「一応看板はあるから、それに沿って行けば着くよ。お兄さんのことだから滅多なことにはならないはずだけど、念のためここを通るときは足早に。声をかけられても知り合い以外には返事しちゃだめだよ」
「分かった」
つい先日、青葉の姿をしたリヴァイアサンに騙されたばかりなのだ。
本人に警戒してもらわねば、紅子のいらん苦労が増えるばかりなのである。
次第に灯りが増え、古今東西の提灯やらランタンやらの合間にイルミネーションが入り乱れて飾り付けられている。
節操なしなその雰囲気はさすがいろんな国出身の神妖が一堂に会するお祭り…… といった雰囲気だ。
宗教、国の違いなど関係ないとばかりに並べ立てられた様々な物は実に日本らしい装いではないか。
中間に位置しどこにでもある万屋だが、今回はどうやら日本寄りの飾り付けをしたようだ。もしかしたら令一が来るからなのかもしれない。皆に引き合わせるのならばこういうイベント時が一番だから、本日の主役にされたのだ。つまりは。
「ついたよ」
同じような鏡の扉を抜ければ、そこかしこに雪が降り積もった万屋と、その奥に見える屋敷がある。
庭木にもイルミネーションが飾り付けられ、全体的に赤と緑と白で構成されたクリスマスカラーが派手派手しく主張している。
「あら、こんばんは紅子。それと、人間さん」
大きな耳あてをした少女が振り返ると、その顔に見覚えがあった令一が 「鈴里さん」 と声を漏らす。
夜市を取り仕切るさとり妖怪も今日、この場は挨拶回りに来ているようだ。
「こんばんは…… 言っておくけれど、お酒は飲まないからね」
「分かっているわ。無理には誘いません」
このさとり妖怪はいくら飲んでも潰れない、所謂〝 ワク 〟というやつである。酒好きな鬼相手でも平気で飲み交わすので、実はとんでもなく長命なのかもしれない。紅子も令一も他人に年齢を尋ねるような性格ではないので、真相は闇の中だ。
「お、来たな! 本日の主役だぜ!」
「待っていたよ二人共」
今朝も紅子に絡んできた亡霊魔女のペチュニアと文車妖妃の字乗よもぎが玄関をそれぞれ開き、迎え入れて来る。
これでは本当に主役のようだ。今更ながら他人のフリをしたくなった紅子だが、それをぐっと堪えて溜め息をつく。
「溜め息なんかついてると幸せが逃げるぞ」
「やかましいよ」
誰のせいだと思っているんだ誰の、と眉間を揉むように顔を手で隠す。
「んきゅー!」
と、そこへ全力で飛び込んでくる赤くて小さな塊が一匹。
「リン! ここにいたのか」
「きゅいきゅい、きゅうん!」
「どこいったのかと思ったよ。里帰りか?」
「きゅうん」
「そうか、よかったな」
側から見れば話が通じているのではないかと思うくらいの会話だ。
リンが直接話さなくともニュアンスで理解できれば、まあなんの問題もないのだろうなと遠い目をする。きゅうきゅう言っているドラゴンと今朝の姿は幼気な雰囲気は変わらないが、態度にギャップが存在する。
多分、ここまで甘えるのは令一にだけなのだろう。
「やあ、令一ちゃん! 今日はオレ達の宴会に来てくれてありがとうね。ゆっくり楽しんで行ってよ」
「ああ、そうするよ。そうだ、これ参加費なんだけど…… あ、アルフォードさんはこっちな。辛いのが好きって聞いて分けて作ったんだよ」
「わー! 令一ちゃんありがとう! できる主夫は違うね!」
「主夫じゃねーから!」
「うんうん、いいツッコミだね。これは美味しくいただくね! それじゃあごゆっくりー」
万屋としての主催だからか、アルフォードはそのまま流れるように会場内を練り歩き始める。そこかしこでテーブルに着いている者がいたり、ゴザを敷いて樽から一気飲みをしている鬼連中がいたりとなかなか混沌としている。
這い寄る混沌も喜びそうな宴だが、生憎と彼は招待さえされないのでこの場にはいない。
ざまーみろとでも思っているのか、少しだけ剣呑な表情になってその光景を眺めていた令一は隣の紅子の視線に気がつくとへらりと笑って手を引いて歩き出す。
「っとと、お兄さんどこいくの?」
「適当に座ろうよ。ほら、リンにも辛いミートパイあるからなー」
「きゅーい!!」
リンの喜びように微笑ましく思いながら紅子は取られた手を振り払い 、「一人で歩けるよ」 と肩をすくめてみせる。
子供じゃあるまいし、迷子になるわけはないのだ。むしろ迷子になるとしたら屋敷内に慣れていない令一のほうである。
あちらこちらに人のようで人でない者達がいる中、唯一の人間である令一がテーブルを探していると手招きする人物がいた。
「こっち空いてるぜ」
その人物は長い癖毛気味の黒髪を後ろで一本に束ね、同じく真っ黒な翼を背もたれで圧迫しないよう横に広げてスペースを取っていた。それでも窮屈そうだが、それが精一杯の譲歩なのだろうことが伺える。人好きのする笑みで手招きする彼に、紅子と令一はお互いに目配せしてから問題ないと判断してテーブルに近づいていく。どうやら、他に同席している者はいないようだった。
「えっと、確か新聞記者の烏天狗…… だったかな」
「御名答。俺は烏楽刹那っつーんだ。ただ、他の烏天狗とはちょっと違うがね…… まあそれはいい。俺もあんたには興味があったんだよ。参考までに取材させちゃくれないか?」
「え、俺か?」
「そ、あんただあんた。正確には俺の新聞は副業なんだが…… 最近はこっちのがメイン収入になっちまってるしな。名もそっちで知られてるし、新聞記者の烏天狗として覚えておいてくれ」
印象はとくに悪くなく、新聞記者にありがちな強引な態度や鼻持ちならない態度は見当たらないようだ。紅子は横目に会話する二人を眺めながら席を立ち、三人分の飲み物を持ってくる。
刹那の分もカップに残っていた色から勝手に判断して同じものを用意してくると、二人して 「ありがとう紅子さん」 「お、悪ぃな」 と感謝の言葉が返ってくる。
刹那がする取材は言いたくないことは言わなくても良いと前置きしてから始まった。
彼の主人に関する真面目ないくつかの質問と、そうなった簡単な経緯。それから好きな食べ物や好みの女性のイメージのような必要あるのか分からない質問まで様々だった。
特に好みの女性の質問に関しては紅子が 「キミもか」 という視線を向けると 「ちっと下世話か」 と中断してみせた。空気の読める記者で助かる限りである。どこかの亡霊や付喪神とは大違いだ。
「…… さて、次で最後の質問だな。なあ、あんた。今までどっかで逸れの烏天狗なんかを見たりしなかったか? 金目の烏天狗なんだが」
「…… いや、烏天狗にあったのは烏楽さんで始めてのはずだ」
「アタシもないねぇ」
「そうかい…… 変なこと訊いて悪かったな。ただ、どっかで見つけたら俺に知らせてほしい。探しカラスなんだよ」
冗談かなにかを言うように軽い口調で言って刹那は話を締めくくる。
男であり、気安い口調であるからか、令一も自然と会話が弾む。たまに噛み合わないこともあるが、それは人とそうでないものの価値観故のことなのでお互い気にしていない。
そのうち令一との知り合いがこちらのテーブルにやって来てはミートパイやらケーキやらを持っていき、作ってきたものは残り僅かとなる。
様々な種族が入れ替わり立ち代わりでやってきては、やはり酒を勧めてくるがそのことごとくを紅子は受け流し、令一は断りきれなくなって飲まされている。そのせいか、段々と夢見心地になってきているようだ。普段は猫のようなつり目だが、今は見事に半分蕩けてまるでマタタビに頭の八割を占め切られた猫のような表情に変化している。
大分刹那が酒を引き受けてくれたものの、令一はどうやら存外酒に弱いようでぐでんぐでんだ。
対して刹那はまだまだ平気である。天狗と鬼は基本酒に強いらしいと言うので、種族特性だろう。あちらこちらで樽のままイッキしている鬼がいる時点でさもありなん。
「だ、だいたいなぁ…… 俺だって有能なほうなんだぞ…… あいつの無茶ぶりに対応できてるしぃ、料理だって覚えたんだぞ…… 死なないためにこちとら必死でさぁ…… なのにあの野郎、なにが絶望だよ。そんなものなくても生きてける癖によぉ、んぅ、いつか殺す……」
「あー、見事に出来上がっちまってるなこりゃ」
「お兄さんは延々と愚痴を垂れ流すタイプなんだねぇ……」
せっかくの宴会だというのに愚痴大会に発展していて紅子は苦笑いを零す。
現在進行形で醜態を晒す令一を微笑ましげに見守る刹那は止める気など毛頭無いようで、ただ頬杖をついてときおり相槌を打ってやっている。
とことんまで付き合ってくれるようだ。紅子だけでは気苦労が増えていたのでありがたいことだった。
「俺…… あの頃はこんな風になれるなんて思ってなかったよ」
「んん? どうしたの、お兄さん」
静観する態勢に入っていた紅子の肩に両手を置き、真正面から見つめてくる彼は自分の代わりに酒を飲んでいたのだ。
「この酔っ払い」 などと悪態をつくわけにもいかず、ただ紅子はどうしようかと悩むばかりで令一の真意を探る。
なにか言いたいことがあるのなら聞くべきだ。ただ、ギャラリーが増えている気がするのが気になってしようがない。
「こんな風にさ、大勢で騒ぐなんてもう二度とないんだって思ってた。皆、皆、あいつに殺されて…… なにもかも取りあげられて…… なんにもなくなって…… ずっと一人で耐えてあいつに一矢報いる覚悟はあったけど、きっといつか気力が尽きて死んでたかもしれないからさ」
寂しげな顔でふにゃりと笑う。
「紅子さんに会わなかったら、きっと俺はここにいなかったんだと思う」
確かに、彼を同盟に誘ったのは紅子だけだ。
「だからさ、ありがとな。紅子さん」
純粋な感謝の気持ちが真っ直ぐに紅子へ向けられる。
まさかただの愚痴りから、こんな展開になるなどと思っていなかった彼女は肩をすくめ、無意識に長い黒髪を手遊びしながら 「どういたしまして。お兄さんのことは嫌いだけど、役に立てたならなによりだよ」 と返した。
目線は不思議と合わせられなかった。
「俺、どうしようもないけどさ…… 紅子さんは恩人だと思ってるから…… んぇ、ねむ……」
「ちょっ、お兄さん!?」
そのまま倒れこむように意識を失った令一を、刹那が受け止めるより先に紅子がそのまま支えるように肩を掴む。
「あのねぇ…… 相変わらず世話の焼ける……」
「ははっ、目出度いねぇ」
「え?」
「ん? ほら、周り見てみなよ。俺が新聞に書かなくてもこりゃあっという間に広まるぜ」
紅子が令一を支えながら周囲を見渡せば一斉に目を逸らされる。
そういえばここは宴会の場だったなと自覚すれば、一気に恥ずかしさがこみ上げてきて 「お兄さんなんか嫌いだ、ほんと嫌いだよっ」 と言いながら縮こまる。
彼女も実年齢が19歳と、かなり年若い怪異である。イレギュラーや予想外の出来事には殊更に弱い。
眠ってしまった令一を突き飛ばすわけにもいかない真面目さで、その場から逃げ出すこともできずに全力で見ないふりするしかないのだ。
「ほらほら! あんまり注目しないの! 宴会に戻った戻った!」
アルフォードの声が鶴の一声のように響き渡り、そこからまた波紋を広げるようにガヤガヤと喧騒が戻ってくる。
紅子はアルフォードに感謝しながら、顔の熱を冷ますように冷たいジュースを一気に呷った。
「もう…… なんなの…… 喜んでくれたなら、良かったけれどね……」
なるべく先程のことを触れぬよう接する刹那と会話に興じながら、紅子自身も再び喧騒の一つとなって宴会は続いていく。
早々にダウンしてしまった令一を起こしたら、なにか文句の一つでも言ってやろうと心に決めてからも夜は深まっていくのだ。
「お兄さんへのクリスマスプレゼントに、なったのかな……」
相手は年上だと言うのに、自分がサンタになる羽目になるとは思いもよらなかった。
ただ、まあ、紅子にとっても感謝されること自体は満更でもないのである。
そうして、クリスマスの夜は騒がしくも楽しく、過ぎ去っていくのだった。