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文車妖妃の大図書館

新章開幕

―???―


 そのとき甲高いブレーキ音が、響いた


「ああ、ジェシュ! ジェシュ! やっと見つけたのに!」


 少女が道路の真ん中で横たわる黒い影を抱き起す。

 彼を轢いた車は猛スピードで曲がり角を走行していったが、少女の目にそんな姿は入っていない。

 そう、たとえそんなスピードで曲がり切れるはずがないことも、その先が行き止まりになっていることを知っていても、少女にとっては目の前のことが全てだったのだ。

 腕の中で体を無理な方向へ曲げられ、血塗れになっている黒猫はもう動かない。


「ごめんね、ごめんね、私がドアを開けっ放しにしちゃったから…… お外は怖かったよね。ごめんね、ごめんね、早く見つけられなくてごめんね……」


 泣きじゃくる金髪の少女は道路の真ん中から動くこともせずに留まり続けている。


「お姉ちゃん! ジェシュ見つけ…… ジェシュ!? そんなっ」


 長い金髪の少女に短い金髪の少女が駆け寄ると、その腕の中にいる黒猫に悲痛な声をあげた。


「お姉ちゃん、ジェシュを連れて行こう? お父様とお母様に言わないと」

「いや、いやだ! ジェシュはまだ大丈夫……」

「お姉ちゃん……」


 妹らしき少女が何度言おうとも姉は動かない。

 しまいには雨まで降り出したが、少女は構わず泣き続けていた。


「お姉ちゃん、あたしお母様達を呼んで来るわ。だから、ちゃんと待ってるのよ。風邪ひかないように、せめて端に避けて……」


 妹の進言も構わず猫を抱きしめる少女は答えない。


「待ってるのよ?」


 悲痛な面持ちで妹が去ると、再びその場所は少女の泣き声だけが響くようになった。

 けれど、そんなタイミングを計るように彼女に影が忍び寄る。


「どうしましたか、お嬢さん?」


 泣き続ける彼女の頭上に影が指す。

 降りしきる雨が、背後から現れた男の傘によって遮られたのだ。


「ジェシュが、大切な猫が事故で……」


 やっとのことでその言葉を口にした彼女はなおも泣き続けている。


「そうですか、それはそれは残念なことです。ところでお嬢さん? その猫、とても大切な子なんですか?」


 とても残念だと思っているとは思えないような口調で続ける男に、少女は 「当たり前です!」 と返した。


「それは、あなたの命よりも?」

「それは…… そうよ! だって初めてのペットだったんだから……」

「そうですか、それはそれは大切な猫ちゃんなんですね…… くふふ、では、その猫を失わずに済む方法があると言ったらどうしますか?」


 胡散臭い笑みを浮かべ、からかうように質問する男を彼女はキッ、と睨み口にした。


「そんなのっ、できるならいくらでも実行しますよ!」

「…… あなたの命に代えても?」


 男の質問に少女は僅かな不信を滲ませるが、少女はどうしようもなく幼かった。勢いで一生のお願いを使ってしまうような、そんな軽い気持ちで〝 その言葉 〟を口にする。


「ええ、もちろん!」


 黒い三つ編みの男はその言葉に 「くふふ」 と笑みを浮かべ、 「約束ですよ」 と念押しする。

 まるでこれだけ忠告したのだから、これ以降文句は受付けぬとでもいうように。


「〝 約束 〟するわ!」

「…… 契約、成立です。では、この液体をその子の口の中に垂らしてみてください。みるみるうちに回復するでしょう。今、やってください。お金は取りませんよ」


 少女は差し出された赤い小瓶に戸惑いを示した。

 けれど、お金は必要ないと言われて迷いを捨てることにしたようだった。

 猫の口を上向きにさせ、開く。その中に件の小瓶に入った赤い液体を少しずつ、少しずつ流し込む。

 最初は猫が飲み込まないため口の外に溢れていた粘度のある液体は、少し経つと今度はまるで猫が飲み込むように口の中へと消えていった。


「え!?」


 猫の体はいつの間にか彼女の知る愛らしい姿へと戻っていた。

 怪我もしていない。あれだけ滲んでいた血もどこにもついていない。曲がった体は正常に戻っている。


「ね、大丈夫だったでしょう? それでは、私はこれで失礼します」

「あ、ま、待って!」


 彼女が呆然としている間に男は踵を返す。


「くふふふふふふ」


 長く黒い三つ編みが楽しそうに揺れていた。


 それは、ずっと前のこと。

 序章はとっくに始まっていたのだ。



 ――



「なるほど、それで君はこちら側に来ようとしていたんだね」

「は、はい」

「そう堅くならなくても良いよ。私はただのいち教師だから」


 人ではないけどね、と付け加えて笑うこのヒトはナヴィドさん。

 イラン出身のシムルグという神なる鳥…… というやつらしい。要するに神様。

 秘色(ひそく)いろはさんの保護者が人間じゃない、同盟所属のヒトということは知らされていたけど、まさか相手が神様だとは……


「下土井さんの同居相手も神様でしょう?」


 秘色さんにツッコミを入れられたが、確かにあいつも神様だ。邪神だけどな。

 ナヴィドさんは金髪の長い髪を肩の横で三つ編みにして、青空みたいな綺麗な青色の瞳をしている。赤縁メガネは知的な印象を与えてくるし、お洒落な外国人といった風貌だ。巨鳥のときも金色の太陽に輝く羽毛で、青い瞳だったし、本来の姿と人型の容姿はかなりリンクしているみたいだ。

 あいつも同じくらいの黒髪に三つ編みと爬虫類みたいな不気味な黄色い瞳をしているが…… あいつに比べてこのヒトは人称が同じ 「私」 だけど、雰囲気は真反対だ。あいつの話し方は胡散臭さしかないが、このヒトはどこか安心感を与えられる。優しそうな紳士って感じがする。


 秘色さんは自ら庇護下に入ったと言っていたが、このヒトならなにも問題ないように思う。俺みたいに理不尽な扱いをされてはいないかと心配していたから、会ってみてそれが杞憂だと思い知らされた。


「ね、知り合いも増えるでしょ。おにーさん」

「ああ、ありがとう紅子さん」

「知り合っちゃいけないやつにも知り合っちゃったけどねぇ」


 さっき会ったリヴァイアサンのことか。

 まあそうだな。


「ま、ちょくちょくこっちに来るといいよ。お兄さんの経験値にもなるだろうし、息抜きにもなるだろうから」


 本当にありがとう。

 ちょっと気が滅入っていたかもしれないな。


「見えてきましたよ」


 秘色さんがぽつりと呟くと、前方に赤い縁の鏡が現れた。

 その鏡は俺たちを映し出すと蛇の目のようなものが真ん中に浮かび上がり、こちらを観察する。

 目は俺をじっと見つめていたが、鞄の中から飛び出してきた小さな赤い竜を認めてその目を閉じる。

 すると、鏡の中にはなにも映らなくなった。


「さ、入るよ」

「鏡はいろんなところにありますから、慣れておいたほうがいいです」


 そう言ってナヴィドさんと秘色さんが鏡の中に足を踏み入れていく。


「さっきのは、お兄さんがここを通ったことがないから見られていたんだよ。検問されていたようなものだね。ただ、アルフォードさんの化身を借りてるから許可が下りた…… ってことだ」

「なるほどなあ……」


 随分と厳重な警備だ。

 一般人が魔境に迷い込まないようにしているのだろうか。

 紅子さんたちの話を聞いてると、あちら側には友好的とはいえ人外パラダイスになっているようだし。


 そして、鏡を抜けると一気に視界が開けた。

 真っ赤な煉瓦でできた巨大な屋敷がそこにはあった。

 ただ、赤いと言っても目に痛いわけではなく、優しい色合いのものだ。ツタがところどころ張っていて、赤と緑のコントラストが綺麗だ。レトロな貴族の屋敷といった雰囲気だな。


 頭上には抜けるような青空に白い雲。空では優雅に泳ぐ美しい妖怪。

 地上にはウサギの耳を生やした少女やら、行きに見かけた魔女帽子の女の子、大きな旅行鞄のようなものを軽々持ったツノの生えた男の子、工具類を持ち歩いている男の子など、様々だ。


 人外達が闊歩する中に、俺と秘色さん…… 人間が二人だけ。

 ちょっと新鮮な気もする。

 俺達が談笑しながら歩いていると、雑踏の中の一人…… 魔女帽子の子がこちらに気がついてやってくる。


「よお、学者先生!」

「やあ、ペティちゃん」


 白地に黒のリボンや、緑色のクローバー、灰色の猫の模様が散ったエプロンドレスを身につけている少女は魔女の格好そのものだ。

 それにしては白いし、周りに浮かぶ人魂が気になるが。


「なあ、師匠がどこにいるか知らないか? 待ち合わせしてたはずなんだが、時間になっても来なくて」

「ケルベロスさんは見ていないよ。部屋には尋ねてみたかい?」

「あー? 部屋に行ったことはなかったな。よし、ちょっと行ってくるよ…… ところでそっちの奴は? お雛以外にも見慣れない奴がいるな」


 魔女っ子が俺のほうを見る。

 紅子さんはここを住居にしてるらしいし、多分〝 お雛 〟っていうのは秘色さんのことだろう。神鳥シムルグの庇護下にあるから雛…… ってことか。

 だから初めて見る俺に対して自己紹介しろと? 普通に興味があるだけかもしれないが。


「俺は下土井令一です。えっと…… ニャルラトホテプにこき使われてます」

「ああ、例の哀れな奴って噂の…… はー、苦労してそうな顔してんな」


 そんなに苦労人みたいな顔してるのか? 

 それにしても、会う人会う人に〝 噂の奴 〟って言われるんだが、どんな噂が広まってるんだ。不本意すぎる。


「俺様はPetunia(ペチュニア)Crooks(クルックス)。亡霊の魔女だ。魔女の亡霊じゃないぜ。亡霊の、魔女だ。よろしくなレーイチ」


 それのどこに違いがあるのかと疑問が顔に出ていたんだろう。

 ペチュニアは 「まあそうだよな」 と言ってから改めて説明を始める。


「俺様は死んでから魔女になったんだよ。魔女の亡霊って言うと、まるで生前から魔女だったみたいだろ? だから〝 亡霊の魔女 〟だ。生前のペットがな、俺様が死んだことで暴走を起こしてやらかしてるらしい…… だからそれを止めるために魔女になったんだ。ただ、まだ解決に向かわせて貰えてないけどな。実力不足だからってさ」

「事情があるんだな…… さっき師匠がアートさんみたいなことを言ってたけど、それって魔法の師匠があのヒトってことか?」


 俺が尋ねると、知り合いなんだなと笑顔で彼女は頷いた。

 なるほど、一人称についてはスルーを決めていたがもしかしてアートさんの影響か…… ? あのヒトも一人称〝 俺様 〟だしな。


「で、お前達は……」


 ペチュニアさんが言い終わるより前に彼女の側から電子音が響く。

 それは誰かからの着信だったようで、なにかを取り出すこともなく彼女は帽子のツバの内側を押した。

 そして暫く小声で問答していると、突然大声をあげた。


「はっ!?」


 俺達がそれに注目していると、彼女はバツが悪そうに眉をひそめて右の手のひらを垂直に立て、片目を瞑る。その表情から 「すまん」 と言いたいのだということがすぐに理解できた。

 そして、また暫く会話した後に溜め息を吐いた。


「ケルベロスさんからかい?」

「ああ、なんか仕事が入ったらしくてな。あー、また迎えに行くのが遅くなる……」


 俺が疑問を顔に浮かべていると、紅子さんが小声で「ペティさんは悪さするペットを迎えに行きたいんだそうだ」と教えてくれた。

 さっき自己紹介のときに言っていた、解決に向かわせてもらえないというのがこれだろうか。


「学者先生とイロハは依頼を受けに来たんだよな?」

「まあ、一応見に来ただけだけどね」

「ええ、最近は色々あるみたいだし……」


 確認するようにペチュニアさんが言うと、二人は少しだけ答えに窮したようだった。


「レーイチはこの屋敷に来るのも初めてだろ? ベニコだけでもいいだろうが、なんなら今暇になった俺様が代わりにこの中案内するぜ。もちろん、お前達がよければだけどな」


 彼女は明るくウインクしてポーズを決める。

 こういうところに、ナルシストっぽいアートさんの影響が強いんだろうなあと実感が湧いてくる。ペチュニアさんがやると微笑ましいだけでそんなに痛くないが。



「ああ、なら頼めるかな? 君達もそれで大丈夫?」

「すみません…… こっちも用事があるので」

「ああ、構わないよ。元々紅子さんに教えてもらう予定だったから。えっと、助けてくれてありがとうございました」

「ああ、残念。せっかくお兄さんと二人でデートできると思ったのにねぇ」

「また冗談を言うなよ」

「…… 邪魔して悪いな、ベニコ」


 ペチュニアさんは少し考えてそう言った。

 茶化したような口調だが、言葉を出す前に眉を跳ねあげていたのが気になるな。なにか驚くような発言でもあったか? 


「本気のクセにな。無意識か」

「は?」

「いーや、なんでもないぜ」


 笑顔で彼女は帽子を取ると、胸の前で持つ。

 そして随分と優雅な仕草でお辞儀をすると 「改めて、亡霊の魔女〝 Petunia(ペチュニア)Crooks(クルックス) 〟だ」 と自己紹介を繰り返す。


「ペチュニアだと長いから、Pety(ペティ)って呼んでくれよな。得意分野は〝 嘘を見抜くこと 〟と、薬草学研究だな。民間療法とか、魔法薬には精通してるぜ。あとは結界の看破にすり抜け…… まあ、普通に想像する魔女らしくはないな。他人を傷つけることよりも癒すことの方が得意だよ」

「アタシのことはもう知ってる…… よねぇ。赤いちゃんちゃんこの紅子。最近は外で活動することのほうが多いね」

「改めて下土井令一。邪神のせいで人間関係が希薄でな。こっちには知り合いを増やしに来たんだ。あいつに対抗するには一人じゃなにもできないからな」

「ふうん、なるほどなるほど。ま、俺様も邪神には興味がある。関わりたくはないけどな。こっちの都合もあるが、相談くらいは乗ってもいいぜ。ほれ、連絡先だ」


 さすが、理解が早い。

 ペティさんからトンボのようなものが飛び立ち、ふわりと俺の手のひらに着地するとそれは連絡先が書かれたメモに変化した。

 続いて彼女のエプロンドレスの中から取り出されたのは普通に最新式の携帯電話だった。

 どうだ、と言いたげな顔でウインクしている。あの格好でどうやって買っているんだろうか。

 現代に行くときは普通に着替えてるのか? 

 ああいう人ってプライドが邪魔して質素な服を着る発想がなさそうなんだが。


「それじゃ…… 掲示板は遠目にも見えるな? あと、アプリはもう入れたか?」

「まだだねぇ。ここならすぐダウンロードできるから、すぐやっちゃいなよお兄さん」

「ああ……」


 スマホを起動すると、WiFiを選択するときのように勝手に通知が出る。


 [アルフォードの同盟記録ver4.3.1をダウンロードしますか? ]


 YESをタップするとすぐさまダウンロードが開始され、数秒で完了する。開いてみれば依頼掲示板の他に某青い鳥のような機能やチャット機能、現代で言う6ch掲示板みたいなものまで備えてある。

 同盟全体の情報網になっているのかもしれない。


「当たり前だが、普通の奴にはそれは見えないし、辿り着けない代物だっていうことを覚えておけよ。グレムリンの奴らが現実の電波を一部ジャックして開設した人外専用のネットワークだからな。外ではそのネットワークの存在は認識されないし、意識されない認識障害みたいなのが起こってる。存在を知ればその認識障害の影響は受けなくなるが……」


 彼女が言いたいのは、つまり使ってるところを見られるなということだろう。

 普通の人間に認識できないということは、俺がこれを見ているときに覗き込まれたら〝別のなにかを見ているように見せかける〟ようにしなければならないわけだ。

 相手になにが見えているのかも分からないのに誤魔化すのは難易度が高い。気軽に使うなら人外の前でってことだな。


「よろしい。問題ないぜ。よし、なら他にも案内するぜ。掲示板はいつでもそれで見られるからな。お前達は知り合いを作りに来たんだろ?」

「まあ、そういうことになるねぇ」


 心なしか紅子さんがつまらなそうな顔をしている気がする。


「なあ、なにか食べるところとかないのか? もしくはお土産とか」

「あー? 突然どうした……」


 ペティさんは紅子さんを見てすごく面白そうな顔をした後、納得したように頷く。

 紅子さんは無意識なようで、その様子になぜ自分を見るのかと首を傾げている。


「紅子さん、お腹空いたのか?」

「は、は? なに言ってるのお兄さん」

「不機嫌そうな顔してるぞ」

「……」


 愕然としたように戸惑った彼女は頭に乗せたベレー帽を取って顔を隠し、 「このっ、馬鹿」 と呟いた。

 困ってペティさんの方を見れば、こちらも呆れたように俺を見つめて 「あーあ、乙女ってのが分かってねーなぁ」 と苦笑する。


「乙女? いや、は、え?」


 いやそんなはずないだろ、と可能性を切り捨て俺は困惑する。

 だってあの紅子さんだぞ。常々俺みたいな奴は嫌いだって言ってるような子だ。優柔不断だし、彼女の脱出ゲームは文句なしの不合格だ。優しさと弱さを履き違えている俺を彼女は嫌ってるとまではいかなくとも、少なくとも苦手なはずだ。

 ありえないって。


「うーん、今お前達にピッタリなスポットは図書館だな。間違いないぜ」


 断言したペティさんは俺達二人の手をそれぞれ取るとそのまま駆け出す。俺達は戸惑ったまま、手を引かれて走った。

 けれど、向かう場所は図書館と言っていたのに外だ。赤煉瓦のお屋敷から抜け出し、奥へ奥へと走っていく。

 きょろきょろと辺りを見回している紅子さんも、ここまで来たことはなかったんだろう。

 そして迷路のようになっている赤い薔薇園を更に奥へ。

 薔薇園の垣根は自動販売機と同じくらいの高さがあって、周りが見えなくなる。

 そして、長い長い薔薇園を抜け出すとそこにはこじんまりとした建物があった。


 ちょっとした小屋くらいの大きさしかないのに、図書館? とは思うが、女の子が好きそうな場所なのは確かだろう。

 トランプの模様に合わせてハート、クローバー、スペード、ダイヤの意匠と、まるでお菓子の家のようなメルヘンな雰囲気の漂う建物だ。


「こ、ここが図書館…… ?」


 やっと手を離され、ゼエハアと息を乱しながら休憩する。

 そんな俺に比べて紅子さんは普通に辺りを見回しながら 「こんなところあったんだねぇ」 と呟く。

 やっぱり彼女も人外だ。体力が違いすぎる。


「悪い、構わず走っちまった」

「いや、大丈夫。俺が貧弱なだけだ」


 息を落ち着かせて改めて建物を見る。

 俺一人だとすごく入りづらい少女趣味っぷりだ。

 なんとなく不思議な国のアリスを彷彿とさせるな。


「きっと驚くぜ」


 ペティさんが通常よりもずっと大きい、小さな小屋に似つかわしくない両開き扉を開けはなつ。

 すると、その先に見えた光景に俺は言葉をなくしてしまった。


 先に見える本、本、本、本の山。

 小屋の中には到底収まりきらないようなだだっ広い空間が広がり、この世の全ての本が集まっているんじゃないかと思うくらいの本の量がその中に収納されている。

 天井はもはやどこにあるのか分からないくらいで、螺旋階段とエレベーターがどこまでも続いている。

 明らかに小屋より大きなその空間に俺も、紅子さんも驚きで押し黙った。


「にしし、驚いたか? 驚いたな?」


 すごく楽しそうにこちらの反応を伺ってくるペティさんに生返事をすると、建物の中に引っ張り込まれる。

 図書館の中央には、両面開き扉を全開にしてちょうど通れそうなくらいの手引き車というのか? そういうのが置いてある。


「あれは文車(ふぐるま)って言うんだよ、お兄さん」

「へえ」


 紅子さんが訂正してくれて助かった。

 とにかく、そのくらいの大きさの文車が図書館中央にある。

 それに向かって手を振ったペティさんは入り口から少し入った場所に立ち止まる。歩いて行こうにも中央まで随分と距離があるようだ。


「行かないのか?」

「ああ、待ってれば分かるぜ」


 数秒後、足元にある石のタイルが矢印のタイルに変化する。

 それは中央に向けた矢印で、俺達がそれを確認した直後、滑るように俺の体が引っ張られた。床が滑るわけではないらしい。


「おや、よく来るお客さんかと思ったら、新顔二人もいるのだね」


 その少女はしいて言うのなら、緑…… だった。短い茶髪によもぎ色のベレー帽をしっかり被り、コートはアシンメトリーの黄緑と濃い緑のものだ。スカートは茶色で、真ん中に葉っぱの模様が入っている。

 本を開いたまま、こちらを向いた少女は幼い容貌には似つかわしくない知的な雰囲気が漂っている。


「ちょうど良かった、ペティ。解決してもらいたい問題があったのだよ…… っと、君達はなにか用かな」

「アタシ達はペチュニアに案内されて来たんだ。もしかして、キミが例の…… 文車妖妃(ふぐるまようひ)かな?」

「おや、私のことを知っているのだね。如何にも。私は文車妖妃の字乗(あざのり)よもぎと言う。私を知っているということは……」


 神妙な顔をした字乗さんは顔を伏せる。

 俺達がごくり、と息を飲んで彼女の言葉を待っていると、視界の端にペティさんが呆れているのが見えた。


「恋愛相談をしにきたのだな!?」

「は?」

「いやいやいや」


 紅子さんがすかさず否定する。


「なに? 違うのか…… お前、赤いちゃんちゃんこだろう? アルフォードから聞いているぞ。恋愛相談をさせてやれとかなんとか」

「アルフォードさんの言うことを間に受けないでくれ。アタシはちゃんと否定したからね」

「ふむ、そうか……」


 ペティさんは相変わらず俺達を面白そうに観察していたが、区切りのいいところで 「ところで」 と口を出す。


「ヨモギ、なんか用があるんじゃないのか?」

「…… ああ、そうだった。ちょっと厄介なことになっていてだね。掲示板まで行くのは面倒だし、機械の操作は得意でないし、誰も来ないようならそこの扉を現実に繋げて適当な一般人に解決させようと思っていたところだよ」


 それってだいぶ問題があるんじゃないか? 

 一般人にって…… 同盟はそれでいいのか。


「で、その依頼って?」

「ああ、これを見てほしい」


 字乗さんが文車から取り出したのは一冊の本だった。


「これ、不思議の国のアリス…… か?」


 俺が彼女の手の中を覗き込むと、そこには見覚えのある本があった。

 確かここ一週間でニャルラトホテプ(あいつ)の部屋に置いてあったのを見た気がするな。

 あいつは最近水槽を買って中でなにか変なものを育てていたようだし。不穏な動きが多い。この本があれと同一だったりするならこれにもあいつが関わっている可能性がある。


「ああ、だけれど…… 中を見てくれ」


 ページを開くと、右側に文字が浮かび上がり、左のページにイラスト…… のはずなのだが、イラストは動き出し、右の文章と連動して話を進めていくようだ。


 ―― 白いウサギがチョッキの中から懐中時計を出して 「大変だ! 遅刻しちゃうぞ!」 とひとりごとを言いながらなにやら大急ぎです。


 ―― アリスはまるで待ち望んでいたかのようにウサギを追いかけました。


 ―― アリスは持っていた包丁でウサギを刺して真っ赤になりました。


 ―― 「女王様は赤いものがお好きなのよね。遅刻を許してもらうなら、お好きなものを用意しなくちゃいけないわ。これであなたも許してもらえるわ。よかったわね」


 ―― そしてアリスは、白いウサギが目指していた木のウロにある大穴に飛び込んでいきました。


「なんか物騒だな」

「あー、スプラッタだねぇ」


 赤頭巾といい、アリスといい、なぜこうも改編されがちなのか…… 俺は困惑しながらも読み進めた。


 すると、とあるページにしおりが挟んであった。

 そのページの挿絵は、他のページとは違って同じ場面を繰り返しているようだった。

 たっぷりとした金髪に王冠を乗せ、真っ赤なドレスを身に纏った少女がドレスをたくし上げながら必死に走り、その後ろから同じく赤く染まった黒いエプロンドレスを身に纏ったアリスが追いかける。

 アリスの手には包丁が握られ、赤の女王と思しき少女はこちらに向かって手を伸ばす。

 しかし、それは叶わず地面に転び、追いかけられるのを繰り返している。

 まるでGIF画像のようだが、紅子さんやペティさんはそうは思っていないようだった。


「しおりの効果だな」

「ああ、そういうことなんだね。しおりがあるから、このページの先に進めない。だから、赤の女王も襲われる前にループする。嫌なループだねぇ」


 先のページを見ようとしても、ページは捲れない。

 たとえ捲れたとしてもその先は白紙だろう。


「なら、このしおりを…… この人が手を伸ばしたときに外せば?」

「…… お兄さん」

「ほう? いいだろう、やってみるといい。私はこの本の異変をお前達に解決してほしい。お前達の決定に任せてみるとするよ」


 俺は息を飲む。

 そして、赤の女王がこちら側に手を伸ばしたその瞬間…… しおりを外した。


 その途端挿絵のページが眩しく光り、魔法陣が浮かび上がる。


「きゃあぁ!?」


 そして、手を伸ばした状態の少女が本から飛び出し、俺達の前にどさりと落ちた。


「レーイチ、しおりを戻せ!」

「え? わ、分かった!」


 慌てて見れば、魔法陣の端にもう一人の…… アリスの手がかけられるところだった。

 しおりを元の通りに挟み込み、本を閉じる。


 光が収まると…… 図書館に現れた新たな人物がむくりと起き上がった。


「礼を言うぞお前達! よくぞ私様を救ったな!」


 べしゃっとみっともなく地面に落下していた女王は、コスプレじみた格好のスカートを払って宣言する。


「私様は赤の女王、Lacie(レイシー)。特別にお前達はレイシーちゃん様と呼んでも良いぞ!」


 あるはずのカリスマは、前後の行動で台無しだった。










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