混沌と理不尽を運ぶ渦潮
「着せましょうか、着せましょうか」
赤いセーラー服が翻る。
「まだらの血化粧がキミには良く似合いそうだ」
金切り声の響かせるそれにおぶさるようにして、彼女は囁く。
「地べたに這いつくばって、吠えればいい」
真っ赤な斑点がポタリ、ポタリと地面に落ちてはできていく。
そして一層大きな悲鳴をあげて真っ赤な影が薄れ、収縮し、真っ黒な人魂のような形になる。
するとセーラー服の彼女…… 紅子さんの横から橙色の人魂が飛んでいき真っ黒な炎を包み込む。
黒い炎はやがて人魂の中に溶けて消えていき、少しだけ色を濃くした人魂が残るが、その色もしばらく経てば元の鮮やかな橙色に戻っていた。
「紅子さん……」
「お兄さん、こんなところで奇遇だね」
時刻は深夜。
俺は普通にコンビニへ行こうとしていたのだが、それは彼女が近所の小学校から飛び出して来るまでだった。
塀の上を飛び越え、彼女は赤い影としか言いようがないそれを追いかけていた。そして俺の目の前でそいつを仕留めると、一仕事終わったとばかりに改めて挨拶して来たわけである。
「一体なにしてたんだ?」
「同盟のお仕事だよ。この小学校に赤いちゃんちゃんこが出るっていうから退治しに」
「え…… ?」
赤いちゃんちゃんこが赤いちゃんちゃんこを退治するとはこれいかに。
「お仲間って言っても中身のない害悪だから同盟のメンバーとしては退治対象なんだよ。それに、同じ赤いちゃんちゃんこだからアタシの力も強くなる。一石二鳥だね」
「紅子さんがそれでいいならいいのかな……」
赤い影のようにしか見えなかったから退治するときも躊躇なくできそうではある。
だからといって自分と同じ存在を殺すのは理解できないが。
「同盟ってそんな仕事もあるんだな」
「うん、あれ…… そういえばお兄さんって掲示板知らないんだっけ? …… あ、そうかそうか、お兄さんは同盟所属じゃないからか!」
掲示板? と訊き返すと勝手に疑問を解決しながら彼女が頷く。
話に出してもらわないとなにに悩んでなにに納得しているのかさっぱりなので教えてほしい。
「なにかあるのか?」
「えっとね、キミはアルフォードさんの万屋には行ったことあるんだっけ?」
「ああ、あるな」
「あの人の店の奥に大っきな屋敷があるんだよ。アタシみたいな見た目が未成年の妖怪は現実で一人暮らししづらくてね。そこが集合住宅みたいになってて、拠点にしてるんだ」
紅子さんはいったいどこに住んでいるのだろうと思ってたが、そんなところがあったのか。人外達の集合住宅…… 少し気になる。
「そこにね、同盟のメンバー向けにお仕事の依頼書が打ち付けられた掲示板があるんだよ。ほら、ゲームでありがちなクエスト掲示板っていうの? それを想像すれば大体合ってる」
なるほど、そんな風になってたのか。
「…… お兄さん、スマホ借りていい?」
「え? あ、ああ」
なんの躊躇いもなくすぐさま渡すと、紅子さんは一瞬驚いたように目を見張ってため息を吐く。
「あのね、そう簡単に自分のスマホを人に渡すもんじゃないよ?」
「紅子さんなら平気だろ」
より一層大きなため息をわざとらしく吐き、紅子さんは前髪を耳にかける。
そして改めて俺のスマホをしばらくいじり、こちらに見せて来る。
そこには〝 アルフォードの同盟記録 〟というホームページが表示されていた。
「はっ!? ホームページ!?」
「当たり前だけど、普通の人には辿り着けないよ。これは一度でもあの人に会ったことのある人じゃないと見られないからね」
なんらかの魔法が使われているのかどうなのかは分からないが、これもありがちといえばありがちか。必要な人以外には見えない店やホームページ。
なんだか人外らしい部分が見えて少しだけ面白い。
「これ、アプリなんだけどさ。ここにも電子掲示板として依頼書が載ってるからお兄さんもどうかな?」
「俺が?」
「うん、お兄さんってあの人のせいで事件に巻き込まれることがほとんどでしょ? まだ刀を振り慣れてないみたいだから、こういうので練習すればいい。それと……」
紅子さんはその赤い目で俺をまっすぐと見つめる。
「相談できる友達もできるよ、きっと。アタシ以外にもね」
こんなところを覗くのは人外ばかりだけどね、などと付け加えているが俺にはちゃんと分かる。
心配されているのだ。秘色さんに会って、同じ人間の仲間ができて安堵したことを見抜かれている。
たとえ相手が人間じゃなくとも、紅子さんは邪神によって終わらせられた俺のコミュニティを再び作るための場を示してくれている。
「諦めてばっかいないで多少は自立しなよ、人間」
厳しい目線。
いつも楽しそうに細められた赤い瞳が俺を睨め付ける。
初めて彼女から言われた 「人間」 という呼称。そこには呆れや侮蔑も含まれていたが、確かに激励だった。
ここまで言われてなにもしなかったら、それこそ馬鹿な奴だ。
そもそも、言われるまで分からなかったなんて駄目駄目だ。
これは忠告。彼女なりの気遣い。人間に近い視線を持っている彼女だからこその、優しさ。
「なら、今から行くか」
「…… そうこなくっちゃね」
満足そうに頷いた彼女のそばに近づき、「リン」と呼ぶ。
鞄の中で眠っていた小さな小さな赤い竜がひょこっと顔を出し、きゅわっと鳴いた。
「こっちだよ」
鱗があれば中華街から道が繋がるが、リンがいることでどこからでも繋がるようになっているらしい。意思を持っているからか、それとも紅子さんもなにかしているのかは分からないが。
ともかく、紅子さんの先導で歩き出す。
一歩踏み出せばなにかを突き抜けたような感覚がして雰囲気がガラリと変化する。
周りには人魂や行灯が照らす道が続き、曲りくねり上へ行ったり下に行ったりとにかく変な道筋を辿っていく。
赤いコウモリが頭上を飛んでいき、横を魔女の帽子を被った少女が駆けていく。
ガラガラと本で一杯になった牛車のようなものを曳きながらすれ違う少女がいる。
尻尾と胸元だけ黒い真っ白な小鳥が弧を描いて飛んでいる。
黄金に輝く巨大な鳥が優雅に羽ばたいている。
人外達の通り道。
どこにでも繋がっている脇道。
幻想がすぐそばにある世界。
思わず見惚れていた。
そして、その中に見覚えのある姿を見つけてしまった。
桜色の髪、桜をモチーフにした可愛らしいドレス。
「青葉ちゃん…… ?」
思わず立ち止まり、そちらへ駆けた。
「あいつ…… お兄さんダメだ!」
追いかける、追いかける。
桜の木が伐り倒され、もうこの世にないはずの少女を求める。
脳裏に蘇るのは、今まで救えなかった人達の姿。
ぎゃあぎゃあと化け物の鳴き真似をしてまで死に救いを求めた青凪さんの、満足そうな顔。
嫌だ、もっと生きていたかったと叫びながら愛する人の目の前で塵となった青水さんの泣きそうな顔。
そして、愛する人に拒絶され癇癪を起こす桜色の精霊。
青凪さんも、青水さんもどうしようもなかった。
青葉ちゃんは精霊だからまだ生きているのか? いやいや、もしかしたら、他人の空似かもしれないぞ、なんて疑問を積み上げながら横道に逸れていく。
紅子さんの肩に留まっていたリンも置いて来て、道案内は途絶えた。
「あ、あのっ!」
桜色の精霊が振り返る。
以前の威圧的な雰囲気も、少女らしい雰囲気もなくどこか別人のような妖艶さで。
「…… ああ、この間ぶりだね」
どこかちぐはぐな雰囲気はそのままに、しかし俺と知り合いであることを否定しない青葉ちゃんに困惑する。
彼女の恋路を邪魔したのだからすぐさま攻撃されてもおかしくないというのに、その表情にはなにも浮かんでいない。
些細な違和感が積み重なる。どこか楽しんでいるような表情。優雅な仕草。なんとなく、そんな素振りを見せる奴を俺は知っている。
「どうしたの? ボクを殺したのはキミなのに」
息が詰まる。
指摘されてなにも言えずにいた。
「よく言うよ、死の責任はその当人にしかあり得ない。そもそも、あなたは青葉ではないだろう」
後ろから聞こえた声に我に帰る。
「青葉ちゃんじゃない…… ?」
薄々そうなんじゃないかとは思っていたが、それにしたってなぜ彼女の姿を取っているのかが分からない。なにせ姿はそのまま青葉ちゃんだ。
彼女は現実のあの桜の木周辺にしかいられないはずだった。知り合いも少ないだろう。なぜ彼女の姿をしている?
俺が紅子さんの言葉を信じたことで、目の前にいた少女がクスリと笑う。
「バレちゃいました」
語尾にハートマークでもつきそうなわざとらしいその口調。
なにかに雰囲気が似ていると思っていたが、思い出した。この胡散臭い雰囲気、ニャルラトホテプとそっくりだ。
「まさか忠告を受けて真っ先に出会うとは思ってなかったよ…… お兄さん、そいつは要注意人外だから近づかないでね」
「ひっどーい! わたくしはただ挨拶に来ただけですのに!」
ボーイッシュな子だった青葉ちゃんの顔でそう言われるとものすごく違和感がある。
というか要注意人物ならぬ要注意人外ね。いるんだ、そういう人。
「青葉ちゃんじゃないなら、あなたは?」
「…… 訊いてくださいましたね?」
「ちょ、お兄さん」
「わたくしはリタ。リタ・メルビレイと申します。お見知り置きを」
リタ、と言葉を心の中で呟いて覚える。
日本名じゃないということは外国の妖怪か神か、それらの類だろうな。
紅子さんが止めようとしたということは、ちょっとまずいことをしたかもしれない。せっかくフォローしてくれている彼女にこの仕打ちはまずい。そろそろ見捨てられるんじゃなかろうか、と思ったが呆れた顔をしているだけで別に怒っている素振りは見せていない。こればっかりは俺の自己責任ということか。
「…… ところで、なぜあなたは青葉ちゃんの姿をしているんですか?」
「あらー、名乗ってくださらないの?」
さすがに邪神かもしれない相手に名前を明かすわけにはいかない。
いつもは普通に名乗っているが、相手が相手だ。用心するに越したことはない。
「わたくし、とーっても有名なんです。リヴァイアサンって、ほら分かるでしょう?」
「…… ええ」
とんでもない大物が出て来たな。
ゲームでもお馴染みの怪物。あと嫉妬の悪魔でもあるんだったか? 四大召喚獣の水担当ってイメージだが、要注意人外である。
有名ということはそれだけ力が強いってことだろうし。
「わたくし、他人の嫉妬が大好物なの。特に美貌や恋に関わる嫉妬…… 素敵ですよね。わたくしは嫉妬に苦しむ乙女の味方ですわ」
「…… ほう」
嫉妬の悪魔という点で嫌な予感しかしない。
「だからね、いつも言ってあげるの。〝 わたくしが嫉妬する相手を見返すくらい綺麗にしてさしあげます 〟って」
優雅に手と手を合わせ、しなを作りながらリタは言う。
いい笑顔だ。邪気のない綺麗な笑顔だ。でもそれならなぜこんなにも怖気が走るのだろうか。そんな必要、ないというのに。
「それを心の中で承諾したなら契約成立です」
「一方的な、だけどね」
紅子さんの注釈に嫌な顔ひとつせずにリタは続ける。
「わたくしはただ美を望む乙女に力添えをしているだけ…… 嫉妬相手に復讐して願いを叶えたあかつきには、嫉妬される程の美しさを得るの。そう、嫉妬される側…… つまり〝 わたくし 〟になるんです」
ぞっとした。
願いを叶えるだとか言っているが、つまりその人の心を食い潰して成り替わるということなのだ。なんて詐欺だ。こんなことをするのでは要注意人外というのも頷ける。
「青葉ちゃんとも契約してたのか?」
「いいえ、愚かにも人間なんかに嫉妬していた心の隙があったので、勝手に入り込んじゃいました」
契約云々も関係なし、タチが悪い。
「ちょっと魂の断片を逃しましたけど、雨を降らせて助けを求められた男性ごと美味しくいただきましたわ」
なぜ、なぜそんなことができるのか。
ふつふつと湧いてくる怒りを拳に閉じ込める。
こいつは〝 あいつ 〟と同じだ。人間も、人外も関係なく玩具としか思っていない。
楽しければそれでいい。そんな邪神……
青葉ちゃんは最期まで敦盛さんに助けを求めたのだ。
愛しい人を信じて、縋り付いて、そして、踏みにじられた。
許せない。
「お兄さん、お兄さん!」
握りしめていた拳をそっと紅子さんに包み込まれてハッとする。
目の前の大怪物はそんな俺を無邪気な笑顔で観察していた。
「やっぱり、あなたを八番目に選んでよかったわ〝 令一 〟君」
「なん、で名前……」
俺が有名になりすぎたのか、いや、それよりも以前からこいつは俺のことを知っていた?
どこかで、出会ったことがあるのか?
「あなたの押し付けがましい正義はとても素敵ですね。その優しさがわたくし達とどう違うのか、教えてくださるかしら? どちらもただ〝 己の為 〟でしかないのに」
「……」
違い? そんなの、違うはずだ。こいつらのやっていることが俺の弱さと同じだなんて、そんなことあるはずないんだ。
「お兄さん、お兄さん! しっかりしてよ、もう!」
呑まれかけて、目の前に巨大ななにかが落ちて来たことに気を取られ迷いが霧散する。
見上げれば巨大な黄金の鳥の姿。目の前で揺れる金色の羽毛一枚一枚が風もないのにそよそよと揺れて震える。
「そこまでだ、リタ」
巨鳥から発せられた低い声は怒りを孕んでいるようだった。
なぜ、俺を。そう思った直後頭上から声がかけられる。
「下土井さん、大丈夫ですか?」
声の主を探して視線を彷徨わせれば、紅子さんが巨鳥の背中を指さす。
そこにはついこの間知り合った秘色いろはさんと桜子さんが乗っていた。
「今、行きますね」
「あ、ちょっ、いろは! 危ないって!」
秘色さんは黄金の羽毛の波を滑り降りて、俺の目の前に着地する。
桜子さんも追って滑り降りてくるが、少しだけ浮いていた。多分着地の衝撃を逃すためだろう。
「秘色さん、どうしてここに?」
「下土井さんが危ないなって、先生が教えてくれたんです。わたしだと下にいる人なんて見えないから気づかないところでした」
「先生?」
「いろはの保護者のこと」
桜子さんが付け加える。
例の同盟所属の保護者さん…… ということはこの巨鳥ってもしかして。
「あらー、いいところでしたのに。残念ですね」
「さっさと去りなさい。君は同盟所属ではないだろう」
「そうですね、仕方ありません。それじゃあばいばーい!」
地面から水が渦巻き、リヴァイアサンを乗せる。
「ああ、そうでした。伝えるのを忘れてましたね。脳吸い鳥の噂、あれを流したのってわたくしなんです。面白い見世物だったでしょう? あなたのご主人様に負けないくらいのとびっきりだったんです」
最後にとんでもない爆弾を置いて怪物は去る。
その視線はずっとこちらを向いていた。
「お兄さん、ごめん。アタシの力不足でなにもできなかった」
「…… ううん、紅子さんは悪くなんてない。謝らなくていいよ。俺を、見捨てないでいてくれてありがとう」
「…… いいようにされちゃってさ。やっぱりお兄さんってああいう胡散臭い美人のほうがお好みなのかな?」
「そんなわけないだろ」
「即答か」
俺と紅子さんで笑う。
冗談を振って気を紛らわせてくれた彼女に感謝しないとな。
「秘色さん、それと保護者さん、助けてくださってありがとうございます」
「アタシからもありがとう。アタシだけじゃどうにもならなかったから」
巨鳥は俺達の言葉を聞いて、こちらにクチバシを寄せて来る。
そうして、秘色さんに頬ずりするとその巨体を翼で包み込み、開いたときには巨体はもうなく、その中心に30代くらいの男性が立っていた。
「私はシムルグの〝 ナヴィド・カシミール 〟だ。よろしくね。あれじゃあ話しづらいだろうから、こっちでいることにする。急いでいるわけでもないしね。君達も同盟の屋敷に向かってたんだろう? 歩きながら話そう」
ナヴィドさんが提案し、紅子さんが頷く。
よって俺も一緒だ。
ナヴィドさん、秘色さん、桜子さん、そして紅子さんと俺。
五人で本来の目的である屋敷を目指す。
夜中だということも忘れ、改めて人外が跋扈する世界へ。
今度は呑み込まれてしまわないように。
…… 俺は思い出していた。
脳吸い鳥と対峙した、あの日見た宿の主人が書いた日記を。
妻と二人三脚で始めた宿のこと。様々な苦労話…… それは思わず見惚れてしまうような艶やかな黒髪の美女と、高校生位のボーイッシュな女の子の来訪からガラリと話が変わる。
そこから先の日記には廃墟となった孤児院に肝試しをしに来る輩が絶えないことと、脳吸い鳥などという眉唾もいいところな噂が流れていることが書かれていた。
〝 二人の客が訪れてから脳吸い鳥の噂が始まった 〟
リヴァイアサンが言っていたことは、限りなく真実に近いだろう。
もしリヴァイアサンがいつも二人組で行動しているというのなら、ますます現実味が増して来ることになる。
俺は彼女を、許せそうにない。