【幕間】紅子さんと赤い竜
とある場所、この世ともあの世ともいえないどこかのお店。
真っ赤な長い髪を揺らしながら〝 万能 〟な道具を売る赤い竜。
〝 彼 〟の店の奥には、実は大きな大きな空間がある。
赤煉瓦でできた古い大きな屋敷。しかし、中は仕切られ人外達の集合住宅となっている〝 同盟 〟組織だ。
人間が好きな人外達は人間と共に生きるために自分で生活をしている。しかし、外見年齢や見た目で普通の住宅に住むことができない存在も確かにいるのだ。
この赤煉瓦屋敷は、そんな人外達のために用意された居場所である。
その中の一室、ドアプレートに 「赤いちゃんちゃんこ」 と書いてある部屋を覗けばそこには長い黒髪をベッドに投げ出して眠っている少女がいる。プレートの下に小さく書き足された 「赤座紅子」 という言葉は、その少女の名前だ。
《red》―― 赤いちゃんちゃんこ、着せましょうか? 《/red》
眠っている彼女が口にしたあと、パチリと目を開ける。
「うーん、ゲームオーバーだね。残念、残念」
紫がかった黒い髪をかきあげながら呟く彼女の脳裏には、先程までの夢の光景が過っていた。
彼女の脱出ゲームに誘われた哀れな人間。
借りた夢の空間で、彼女はいつもの通りに 「アタシを殺した凶器を探して」 とスタートの合図を言った。
制限時間は1時間。四つの、いや五つの部屋の中から彼女を殺した〝 ガラス片 〟を探すゲーム。
「今回の人は中々に情熱的だったねぇ」
確かになにをしても抵抗はしないよとは言ったけれどね?
などと言いながら、彼女は自分の衣服を握りしめる。無意識に行われたそれに彼女…… 赤座紅子はハッとして手を離し、溜め息を吐いた。
「あーあ、〝 なにをしても 〟って言うのはやっぱり失敗なのかな」
〝 そう 〟なってしまいそうなときはすぐさまタイムアップにし、逃走するがとてもいいゲームだったとは言えない。
恐怖の感情をそれなりに食べなければいけない彼女は、中途半端にゲームが終わってしまうと食料供給にならないのだ。
憂いを帯びた瞳を細め、立ち上がり身支度をする。
本質が幽霊である彼女は思考さえすれば着替えも指パッチンどころか、瞬きひとつで済ませることができるのだが、そこは気持ちの問題である。
生前の生活習慣というものは、幽霊が本質である彼女にとってとても重要だ。やらなくなってしまえば段々と人間らしさが失われていくのが明白だからだ。
魂と理性がはっきりしている彼女はそうして自分自身が〝 都市伝説 〟としての本質に近づきすぎないようにしている。
そも、彼女は〝 赤いちゃんちゃんこ 〟ではあるが、赤いちゃんちゃんこという怪異の本体ではない。
元となった怪異がどんな人物だったのか、それとも創作話からの発祥なのか、それすら彼女は知らない。
言わば、彼女は〝 赤いちゃんちゃんこ 〟という職業に就いた幽霊なのだ。
「アタシはレア物なんだし、しっかり生きてなくちゃねー」
ま、もう死んでるんだけど…… と冗談を口ずさみながら彼女は部屋から出る。
都市伝説というものの成り立ちは、まず噂がたち、それを知る人間が多くなることで引き起こる。
きっかけとなる怪異一人では抱えきれなくなった〝 畏れ 〟が溢れ出し、渦巻き、そして怪異の体を作り出す。
そこに怪異の元となった〝 噂 〟や〝 話 〟と酷似した経歴を持つ魂が偶然近くにあることで〝 理性のある怪異 〟が初めて成立するのだ。
彼女の場合、赤いちゃんちゃんこの〝 首を切られて真っ赤な上着を着たように死んだ 〟という記述の通りに死んだ。
そして偶然近くに赤いちゃんちゃんこの分身ができていたために引きずられ、都市伝説として生まれ直した。
このプロセスを通しているために、彼女は自身を〝 レア物 〟と呼称したのだ。
各地で異変を引き起こし、ときに人間を死に誘う怪異は理性や魂のない噂の塊であり、噂の通りに行動することしかできない分霊のようなものであり、始まりの怪異のイミテーションでしかない。
それを潰して回るのも〝 同盟 〟の仕事だ。
霧散した同じ存在の噂の力はそのまま彼女に蓄積し、彼女の体が壊れても再生可能にするストックとなっている。
だから、桜の木の下で殺されたときも無事でいられたのだ。
…… そして、感謝を伝えたくてあの世から逃亡した青水香織に攻撃されたときも。
下土井令一は気づいていなかったが、桜の木の下で殺されたときが最初ではなかったのだ。
「あの世には行きたくないからねぇ」
都市伝説として生まれ変わった彼女はあの世に行くことを免除されている。都市伝説はもはやただの幽霊ではなく、都市伝説と言う名の概念であり、元の人物とは別人になったと数えられるからだ。
妖怪となった元人間も同様。
だからあの世の住民は彼女のような〝 成り上がり 〟とも取れる存在を基本的に嫌っている。
「よお、紅子」
「おや、ケルベロスさん。おはようございます」
紅子がそう挨拶すると、あの世の住民であるケルベロスは眉を跳ね上げて彼女を睨む。どこにも例外はあるもので、彼は特に彼女への当たりはきつくなく、むしろ親しみを持っている方だ。
「ああ? あのなあ、俺様がテメーの名前で呼んでやってるんだ。テメーも種族名で呼ばれてーのか?」
「ふふ、そうだね。分かってるよ。おはようございます、アートさん」
「…… それでいい」
気に入らないはずの彼女に紫色の番犬は目を細めて答える。
「ところで…… キミは地獄の門を守る狼だよね? こちらにいてもいいのかな?」
それを言われた瞬間、ケルベロスは再び険しい顔をした。
そして口をひき結んでグルルと低く唸る。
「うるっせぇ! 死んだあいつが門番を任されて、兄の俺様が外周り? 脱獄者の討伐周り? あんなクソまずいモンばっか食うはめになるとか…… あの冥王この野郎!」
「兄弟にでも取られたのかな?」
「ッチ、嫌なこと思い出させんなよ。ああー、甘いもんでも食わなきゃやってらんねー」
そう言いながら、ケルベロスは去っていく。
残された彼女は 「ふうん、兄弟ねぇ」 と呟いて階下に行く。
彼女は三階の部屋から下まで降りる際、ケルベロス以外にも沢山の人でないモノにすれ違った。
ドアの前を通る度にドアプレートを確認してみれば 「文車妖妃」 「フェンリル」 「キマイラ」 「グリフォン」 「おしら神」 「吸血鬼」 「ひきこ」 「グレムリン」 「カシマ」などなど、実に様々な人外達の存在が示唆されている。それも、古今東西雑多な種族達が。
そして、そこを管理しているウェールズという国を守護する赤い竜…… 万屋の店主アルフォード。
彼の鱗さえ持っていれば辿り着けるこの異空間は、どこからでも繋がる。そして、大体どこにでも行くことができる。
「土曜日か…… どうしようかねぇ。お兄さんでもからかいに行く? うーん、最近会いすぎてストックがなくなりそうだからねぇ」
ストックがなくなれば、魂ごとの消滅が待っている。
都市伝説となった彼女はあの世に行くことは、もうできない。
行きたくないとは言ったが、実際にはもう行きたくても行けないが正しい。
「あれれ、紅子ちゃんもしかして今日は暇ー?」
彼女が一階に辿り着くと、そこには真っ赤な髪を靡かせてダンボールを抱えたアルフォードがいた。
「ああ、管理人。今日は現世の学校も休みだしね…… 特に用事はないよ」
「そっか、そっか、それなら少し手伝ってくれないかな? 報酬ならちゃんと出すからさ!」
「それってキミの激辛お菓子のことかな? それなら遠慮するけれど」
「ルルちゃんのケーキをつけるよー。オレはあんまり食べられないからね。甘いものも美味しく食べてあげられる人に食べてもらったほうがいいだろうし」
随分と年上の、そして格上の、国ひとつを守護する竜に彼女が砕けて話しているのは初対面時のことがきっかけだった。
彼、アルフォード自身が畏まって対応されるのを嫌うことから彼女もそのように接している。なにより人外というものは自身のあり方をアイデンティティとしているものが多い。
そのため基本的に彼らは言葉を崩すことが少ないものだ。
彼女がときおり丁寧になるのは人間性が強いためである。
余談だが、ルルというのはピンク色をしたグリフォンの従業員の愛称である。
「ルルフィードさんか。それは楽しみだね。でも、アートさんには分けないのかな?」
「アーティーちゃんはやけで食べるんだもん! 怒ってばっかりいると美味しいものも美味しく食べられないよねー。だからあげないんだよ」
まるで子供のように頬を膨らませるアルフォードだが、その表情はダンボールに隠れて彼女からはよく見えていない。
けれど、彼女にもその言い方によって大体どんな顔をしているのかは想像ができていた。
「あー、腐肉ばっかりだって文句を言っていたけれど」
「仕事だもんね。脱獄した死者は食い殺してでも連れ帰る。それがアーティーちゃんだから」
「ゲームなら毒でも食らいそうなところだね」
「死者を食らってるだけに?」
「既に死んでるのに食い殺してでもとは…… ってツッコミが入らないのは気にならないのか」
「だって本当のことだからね。仕方ないよ」
やれやれと首を振るアルフォードにやっと紅子が動き、彼の腕の中に積まれた段ボールから一つ受け取る。
「これをいくつも持てるだなんて、さすがドラゴン。すごいね」
「まあね、そんなに誉めなくってもいいんだよ? だってオレすごいから」
「はいはい、そのお強い守護竜様はこれをどこまで運ぶので?」
「店まで行こう。まだ誰も来てないみたいだから品出ししとかないと」
「品出しするほど売れているわけじゃないだろうに」
「気分の問題だよ、大体はね。勇気と埃とほんの少しのスパイスでできてるオレ達には心の病が一番の大敵だよ」
「そんなマザーグースみたいなことを…… 概念と噂と信仰でできている、だろう」
マザーグース曰く、女の子はお砂糖とスパイスとたくさんのステキでできていて、男の子はカエルとカタツムリと子犬のシッポでできている…… と諳んじてみせてから紅子は首を傾げた。
「あれ、順番が逆なのかな?」
「どちらでもいいんじゃない? 完璧に諳んじることができなくてもふわっと覚えていれば大体合ってるよ。そのふわっとでも存在できるのがオレ達だからね」
ふわふわと笑いながらアルフォードは言葉を流す。
「さて、と。手伝ってくれてありがとう紅子ちゃん」
アンティーク調の店の中に入り、その奥に彼はダンボールを置く。
続けて入れ替わるように紅子がダンボールを置くと、その拍子にコロリとなにかが溢れ出した。
「おっと…… アルファードさん、これは?」
彼女が咄嗟に手を出し、掴み上げたそれを元に戻さず尋ねる。
その指先に摘まれていたのは真っ黒な球体だ。ビー玉のようなそれを一通り眺めながら彼女は手で弄ぶ。
どうせここでお茶をするならと話のタネにする気なのだろう。
「うーん、なんていうか…… 恐怖の感情を詰め込んだ妖怪向けの緊急食料…… みたいな?」
「なんだそれ」
呆れたような顔で言うが、彼女の手は速やかにその球体を元の場所に戻す。
長く触れていたくないとでもいうようにさっさと立ち上がって首を振る。
「ほら、定期的に人を食べないと生きていけない人外もいるでしょ? 〝 自分が必要な分だけ襲う 〟ことは許可してるけど、同盟所属の子って大体お人好しばかりだからね。人食いなのに人に恋しちゃったとか、そういう子向けの携帯食だよ。飢え死にされたら困るからね」
人工物に近いから美味しくはないんだけど、と続けるアルフォードに紅子は微妙そうな表情をする。
理解はできるが実感はしたくない。そんな表情だ。
「キミだって赤いちゃんちゃんこに沿った脅かし方で恐怖した人間の心を食べるでしょ? それすらしたくない子は定期的にこれを食べてもらうんだ。よく漫画とかで吸血鬼がトマトジュース飲むのと似たようなものだよ」
「詳しいねぇ……」
「管理人だもん」
「そりゃそうか…… ま、否定はしないよ」
自己否定するほど彼女は切羽詰まっているわけではないのだ。
それに、彼女が知る限りこの異空間の屋敷で生活する吸血鬼はそういう存在だった。紅子は過去になにがあったのか知らないが、かの吸血鬼が完全草食主義者ということは知っている。それと、ヴァンパイアハンターを恐れているということも。
そういう存在もいるのだから必要な処置なのだろうと納得する。
「確か、二階の彼女がそうだったね?」
「ああ、オーラルちゃんのこと? そうだね。彼女はかの吸血鬼カーミラに魅入られ、そして生存した…… はずが吸血鬼になっちゃってた、娘みたいな存在なんだ。自分を吸血鬼にしたカーミラちゃんがハンターに殺されちゃったから、それで怖がってここに拠点を置いてるんだよ」
「そういうものか」
確かに、恐ろしいかもしれない。
そう思って紅子は目を細める。ついこの前出会ったばかりの秘色いろはは自分と同じか、それ以上に力の強い怪異の桜子を封印し、使役している。それに先代七不思議達は桜子と、おそらく七番目のさとり妖怪…… しらべを除いていろはに全て祓われている。
仮にも七不思議だったのだからそれなりに力はあっただろうに、それがあっさりと一人の人間に祓われているという事実が異常だ。
下土井令一もアルフォードの鱗で鍛えられた刀があるのでそれらに対処できるだろうが、それはあくまで武器に頼って得られる強さだ。
元々霊力が強くなければ〝 絵を描く 〟だけで祓えたりなどしない。
なぜ普通に祓うのではなく絵を描くことに拘るかは紅子には分からないが、むしろその方が安堵できるというものである。
彼女が本気で自分を祓おうとしてきたのなら、それはそれは恐ろしいだろうと紅子は思う。
いろはは絵を描くことのできない環境では無力化されるという弱点があるが、彼女程の霊力があるなら本来はそんなことをしなくても祓えるはずなのだ。
彼女は自らの人生ごと縛りプレイをしているようなものだが…… なぜそんなことをしているのか知らない紅子にとって、どうでもいいことだ。
強い力を持った彼女が襲ってきたら恐ろしい。ただそれだけ。
「オレの店にはいろいろあるよ。恨みをある程度のところに押し留めておく薬とかも」
「それを飲んでまで同盟に所属するもの好きなやつなんているの?」
「これがいるんだよねー。一人の人間を好きになって、幸せに暮らしたいけど周りに恨みを晴らしに行きたい自分もいる…… そんな悩める乙女に、とか」
「恋わずらいはすごいねぇ」
女性の人外はしばしば人間と共に暮らすうちに恋をすることがある。
男性妖怪はビジネスライクな者が多いので滅多にそういう報告は聞かないが、女性妖怪は情が移りやすいのでそうなることが多いのだ。
「紅子ちゃんはいいのー?」
「必要ないねぇ」
「よもぎちゃんが恋愛相談大募集って言ってたよ?」
「ああ、そっちのことなんだね」
「うん、令一ちゃんに随分ご執心だし」
「なっ」
お茶を用意するアルフォードを頬づえをついて見ていた紅子はその態勢を崩した。
「図星かな?」
「アタシはああいう偽善者は嫌いなんだよ。正義感ぶってるっていうのかな、とにかく、協力してるのは成り行きでそれ以上の意図はないから」
「ふうん、今度よもぎちゃんに言っておくよ。キミが恋愛模様に悩む乙女だって」
「その服、髪の色と同じにされたいのかな?」
「ふふ、怖い怖い。冗談だよ」
アルフォードは長く鮮やかな赤い髪を揺らしながら今度はお菓子をテーブルに置く。
彼女もまさか神格を有するドラゴン相手に〝 お前の首掻き切るぞ 〟と本気で言うわけはない。両者共に冗談である。
アルフォードが言っていた〝 よもぎ 〟というは文車妖妃という付喪神のことだ。
彼女は文車と名がついているが実際には文車の付喪神ではなく、文車で運ばれていた報われない恋文達の集合意識である。
失恋した女達の託した恋文なので、恋愛経験はお察しである。
そもそもそんな恋文の集合意識である彼女になんの恋愛相談ができるというのか、紅子は甚だ疑問に思ったが飲み込んだ。
「というか、彼女に相談する意味ってあるのかな?」
飲み込めなかったようだ。
「ちゃんと勉強はしたって言ってたよ?」
「なにで?」
「えーっと、フラワー&ドリームとか、なかよくとか、別冊フレンズとか……」
「漫画じゃないか」
やはり失恋しか見たことのない乙女には、恋愛相談で建設的な意見が言えるとは思えない。
「で、結局どうなの?」
「だから、アタシには必要ないよ」
なぜ上司のような存在の彼相手に恋バナをしなければならないのか、と紅子は溜め息を吐く。
「キミに恨みの発散は、必要ないのかな?」
「……」
からかうように恋バナを振ってきていたアルフォードが、急に表情を消して彼女を睨め付ける。
トカゲのような、人外めいた黄色い瞳に見つめられ紅子の背筋に怖気が走った。
だが、彼女は意識してリアクションを抑え、彼を見つめ返す。
「……」
「……」
先程話題に上がったのは、恨みを抑えるための薬。
赤いちゃんちゃんこという七不思議は首を掻き切られ、血で濡れた部分がまるで赤いちゃんちゃんこを着たかのように見えるということから来ている。
勿論なぜそうなったのかは諸説あるが、大体は〝 殺された 〟や〝 いじめによる自殺 〟が挙げられる。
怪異に遭った人間が〝 質問にYESで答える 〟ことで怪異と同じ姿に切り裂いてしまう、という話からも〝 恨み 〟を持っていることが明らかだ。普通ならば。
しかし彼女は理性のある怪異である。
彼女は通常の赤いちゃんちゃんことは違い、トイレではなく夢の中で活動する。それも、自身の死因であるガラス片を探させ、時間制限ありの脱出ゲームとして。
適所適所に 「赤いちゃんちゃんこ着せましょうか?」 という質問はするものの、それに 「YES」 と答えない限りすぐさま危害は加えず、ゲームに失敗しても精神的ダメージを与えるだけに留まり対象を安全に現実へ返す。
トイレで質問し、YESなら危害を、NOなら無害で終わるだけの怪異でなく、似通った性質を有するのみでもっと複雑なプロセスを踏んで彼女は遊んでいる。
そして、彼女と同じ姿にして殺してしまったことはこれまでに一度も確認されていない。
赤座紅子という少女は赤いちゃんちゃんことしてはかなり異質なのだ。
そもそも、彼女は自身のことを自ら進んで〝 赤いちゃんちゃんこ 〟と呼称することは少ない。大体は〝 トイレの紅子さん 〟と呼んでくれと発言する。
「恨んでないわけでは、ないよ」
「…… そうなんだ」
彼女は慎重に言葉を選ぶように口を開く。
アルフォードは拍子抜けだとばかりに首を傾げる。
「ただ、復讐するという発想には至らないね、どうしても。アタシが殺された人間じゃないからなのかも」
「それも人間性なのかな? 興味あるけど、キミってレアものだもんねぇ…… あれ、キミってトイレの窓からガラスを突き破って、墜落したんだよね。さすがにうっかりじゃないでしょ? 他殺じゃないの?」
紅子は 「よく知ってることだね」 と苦虫を噛み潰したように言うと、彼の言葉にきちんと答える。
「自殺だよ、アタシはね。分かりにくいだろうけれど、自殺だ」
真剣に、彼を見つめて。
《gray》―― キラリと光る破片が、視界に映る。《/gray》
《gray》―― 上の方に、あいつらの笑い声が聞こえる。《/gray》
「アタシは、自分の手で、ガラス片を手に取った」
《gray》―― あいつらに殺されるくらいならば、アタシが。《/gray》
「ただそれだけだよ」
《gray》―― あいつらにアタシのなにをも奪わせない、絶対に。《/gray》
「だからね、恨みがないとは言わないけれど…… どうでもいいというか…… アタシがこうして怪異になって過ごすうちに、そのうちに誰もが死ぬのさ。アタシが手を下さなくても死んで地獄に行くんだろうから、別にいいんだよ」
「なるほどね、そういう考えなんだ」
「そう、噂が供給される限りアタシが消滅することはないからね」
嘆息するように目を伏せ、紅子はそこで言葉を切る。
「ところで、仕事はないの?」
「仕事? うーん、今の所は特にないかなぁ…… 気になるなら屋敷の掲示板でクエスト確認してね」
「ゲームみたいだよね」
「そりゃ、好きだもん。ドラゴンだって人間のゲームは楽しい」
「それはなにより」
お茶の追加はもうない。
紅子は立ち上がり、 「お邪魔したね」 とアルフォードに言い放つ。
彼はにこにこと笑顔を保ったまま彼女に向かって手を振る。
「紅子ちゃん」
「なんだ?」
背を向けた彼女に向かって、アルフォードは真剣な声色で言う。
「令一ちゃんに付き合うなら、リヴァイアサンに気をつけてね」
「……」
彼女は言葉を返さない。
分かっているからだ。
かの問題児が下土井令一という玩具に目をつけないはずがない。
「邪神と大怪物の2人に目をつけられるとか、とことん運がないねぇ…… お兄さんは」
やれやれ、と首を振った彼女は今日も現世へ出かけていく。
「ああいうタイプは嫌いなのにねぇ」
果たしてそれは彼に会うためか、それとも暇潰しか。
それは彼女にしか分からない。