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祓い屋と悪霊

 昔々、草花が元気をなくしてしまう時期がありました。

 それは寒い寒い、冬と呼ばれる時期です。

 冬は作物が育ちません。

 人々はこの時期になる前に食糧を溜め込み、備えました。

 けれどそう上手く行かない時もあるのです。

 作物が育たず、人々は危機に陥りました。

 そんなとき、まるで流れ星のように大きな花が空を流れて行ったのです。

 花から撒かれる花粉が萎れた草花に降り注ぐと、不思議なことにその元気を取り戻しました。

 草花は人々と共に大きな花へ祈りを捧げ、寒い冬に負けじと育っていきました。

 あるとき、その中の一輪の花が大きなお花の神様と同じような姿になり、人々は神様が誕生したことに大喜びしました。

 大きな花の神様は沢山の人々に囲まれて幸せです。

 そして人々は神様が寂しくならないようにと、神様のために管理する者を選びました。

 その管理者は神様の夫と呼ばれ、その役目は代々受け継がれていき、神様が眠る際には一緒に眠り、平和を願うのです。

 神様は千年眠り、起きた際にそれまで蓄えた力で、冬の間草花達が元気でいられるように守ります。

 繰り返し、繰り返し。永遠に。けれど夫がいる限り、きっと神様は寂しくないでしょう。

 今でも花の神様はこの地のどこかで、静かに暮らしています。

 めでたしめでたし。




 挿し絵には大きな花の中心に妖精のような女性らしき姿が描かれている。

 花の形がありふれたものなので確信は持てないが、これが桜の精霊…… 青葉の正体なのかもしれない。

 表紙に桜が描かれているくらいだし、きっとそうだろう。


 それにしても、空を流れていく花か。

 明らかに普通ではない。ただの怪異の類なのか、それともニャルラトホテプ(あいつ)と同じ神話生物の類なのか…… 勘でしかないが、後者な気はしている。


「とりあえず、青葉ちゃんのことはなんとなく分かったな」

「良かった。どうやらキミに悪い影響はないみたいだね」

「え」


 紅子さんが神妙な顔で頷くものだから、俺はなにかまずかったかと絵本の内容を思い返す。

 けれど、特に変なところはなかったように感じるが……


「ほら、読む前にお兄さんったら怯えていただろう? それで気になっていたんだよ」


 ああ、確かに。

 読む前はなんとなく嫌な予感がしていて、それは悪寒にも近かった気がする。原因は掴めてるけどな。

 この絵本に出てくる〝 大きな花 〟は奴の…… ニャルラトホテプに関係するなにかか、または同じ分類に存在するものだろう。

 要するに都市伝説とか怪異とかのローカル的なものじゃなくて、もっと大きな規模で厄介な神様とかそういうものってことだろう。

 見ただけでアウトな生物。それが俺の思うところの神様とやらだ。

 神様だって悪に堕ちているものがいたり、善とされていたり様々だ。善と悪。その性質が人間にとって有益か、有害か、その程度の違いしかないのだろう。

 この絵本に出てくる神様は、有益なことをした。だからいい神様。

 しかし、神話だとそうとも言い切れないのが悲しいことだ。


「ま、アタシなんて可愛いくらいの相手だね…… お兄さんの話からすると、青葉って子はこの大きな花に影響された桜の神様なんだろう。いいのかな? 下手したら結構おっかないことになるよ、これ」

「でも人探しを引き受けたのは俺だからな……」


 脅し混じりだったが。


「アタシも……一 回相談を受けちゃったからにはやるけれどね」

「助かるよ」

「どういたしまして?」


 念のため絵本を借りることにして、紅子さんには敦盛春樹の事務所に行くことを告げた。

 何回かアポを取ろうと電話してみたものの、繋がらないのだ。

 人外が関わっているわけだし、もし万が一危ない目に遭っていたら困る。だからさっさと直接会おうというわけだ。


「場所は駅二つ離れてるだけだな」

「いやあ、それにしてもお兄さんと一緒に電車に乗ることになるとはね。ご近所以外のデートは初めてだね。ドキドキするなぁ」

「やめてくれ、通報されたらどうしてくれるんだ」

「大丈夫、大丈夫。アタシがちゃんと証言してあげるから。〝 ダーリンです 〟って」

「やめてくれ……」


 ニヤニヤしながらからかってくる彼女と、周りの痛い視線から流れるように移動し、数十分後電車から降りた。

 その間にもわざとなのか知らないが腕を絡めてくる彼女を突き飛ばすことなんてとてもできるはずがなく、されるがままになっていた。

 両腕が空いていたらまず間違いなく顔を覆っていただろう。


「そういう反応をするからアタシも調子に乗っちゃうんだよ?」

「分かってる……」


 理解はしてるんだけどな…… どうしようもないんだよ、こればっかりは。


「さて、場所はどこ? お兄さん」

「ちょっと待ってくれ。ナビを見てみる」


 スマホを鞄から取り出し、ナビを起動する。

 そのとき、鞄の中でグースカ眠っているリンの頭を撫でてやると 「きゅ……」 と寝惚けながら人差し指の腹にすり寄って来た。

 起こしてごめんな、まだ寝てていいんだぞ。


「ふふ……」

「なんだ?」

「いや、なんでもないよ」


 紅子さんがなにか優しい目で見て来ている気がするが、本人がなんでもないというならそうなんだろう。きっと訊いても教えてくれないだろうし。

 ナビを見ながら歩き、ふと周りを見渡すと掲示板が目に入った。


『○○大学の生徒が行方不明となっています』

『見かけた方は下記までご連絡ください』

『〒○○○−○○○ ○県 彩色(いろどり)町 ○○−○』

『電話番号……』


 顔写真付きのそれを見て、俺は思わず足を止めた。


「どうしたの? お兄さん」

「この人……」


 その写真に写っている人は、先日あの桜の枝を折ろうとしていた男だった。なんだか見覚えのあるブランドのアクセサリーをジャラジャラと付けた状態の写真で、いかにもスレていそうな人物。

 そしてなにより……


「なあ、紅子さん」

「…… なにかな?」

「紅子さんがあのアクセサリーを欲しがったのは、なんでだ?」

「気づかなくてもいいことってのは案外あるものだよ、おにーさん」


 青葉から受け取ったブランド物のピアスと、指輪。

 先日見たとき、この大学生はなにをつけていたっけ? 

 こんなピアスと指輪ではなかったか? 

 桜を害そうとした男は…… ? 仮にも神様と呼ばれる存在を害して、無事でいられるものなのか? 





「見て、彼お土産に桜の花びらを乗っけてる」

 顔を上げた彼女は悲しそうにケラケラと笑った。




「まさか……」

「はあ、せっかくなにも言わないであげたのにねぇ」


 紅子さんは困ったように髪をかきあげると、ポケットに入れていたアクセサリーを取り出す。


「呪われてる」


 息を飲む。


「でも、これの元の持ち主が呪われていただけで、譲渡されたキミやアタシには影響を及ぼさないから大丈夫。人間のお兄さんに持っていてほしくないのは、アタシの気持ちの問題だよ……」


 人間の俺より、妖怪の自分が持っていた方が万が一がなくていいっていうことか? なんだよ、それ。

 そんなこと聞かされたら、 「なんで言わなかったんだ」 なんて怒れないじゃないか。

 心配してくれるのは嬉しいんだけど、それで紅子さんが危険に晒されるのは違うんじゃないのか? 

 言ってくれれば廃棄くらいしたのに。


「たらればの話はこれでお終い。さっ、早く事務所に行こうよ」

「…… ごめん、紅子さん」

「謝罪は嬉しくないかなあ……」

「ありがとう、紅子さん」

「それでよし」


 辿り着いた事務所には、やはりというか誰もいなかった。

 見るからに真っ暗で僅かな電気もつけられておらず、接客するだろうカウンターには薄っすらと埃がついていて暫く営業していないことがわかる。


「これはこれは」


 言いながら紅子さんがスタスタと中に入り、電気をつける。

 やはり妖怪だからか夜目が効くらしい。俺には暗くて見えなかったので、正直ありがたかった。


「ひどいな……」


 明るくなってもやはり、事務所内は酷い有様だ。

 高枝鋏やら庭師としての道具はある程度手入れしてあるようだが、その他の場所には乱雑に書類が置いてある。


「暫く帰ってないのか?」

「…… かも、しれないねぇ」


 紅子さんはそう言うと足取り軽く中を物色し始める。


「ちょ、紅子さん! あんまり荒らしちゃまずいだろ!」

「大丈夫だよ。だいぶ杜撰(ずさん)なお人らしいね。これなんか三ヶ月も前の書類だよ?」


 彼女がピラッとこちらに向けた書類には確かに三ヶ月前の日付と判子が押されている。どうやら仕事の依頼だったようで、この辺にある大きな公園の名前が書いてあり、その書類の近くには公園の全体図やら時間配分やらが書かれた書類があった。

 仕事の書類だろうに、いいのだろうか。


「さあて、お楽しみはこれからだよ。夜にはまだ早いけど、おっ始めようか」

「ちょっと、さすがに奥は行っちゃ駄目だよ。そっちって住居スペースだろ?」


 紅子さんの際どい言葉は置いといて、彼女がカウンターの奥へ行ってしまう前に引き止める。すると彼女は不満そうにこちらを見て、それからニヤッと笑ったと思うと 「据え膳、据え膳」 と言いながら奥に消えて行ってしまった。


「だから、ああもうっ!」


 仕方ないので紅子さんを追いかける。

 決して不法侵入ではない。もしかしたら奥で人が倒れているかもしれないし? …… なんて言い訳を頭の中に並べながら早足で部屋に入る。

 すると入ってすぐの場所に紅子さんが立ち止まっていたため、彼女にぶつかりそうになってから一歩引いた。

 こちらの部屋も真っ暗だ。何も見えない。


「どうしたんだよ、紅子さん」

「…… あー、っと、これは…… どう、うーん……」


 珍しく紅子さんは困惑しているらしい。

 歯切れの悪いその様子に俺が彼女の肩に手をかけると、 「わっ」 と小さく驚いてからこちらを向く。

 事務所の明かりで照らされた彼女の顔色は良いとは言えない状態になっていた。


「えっ、どうしたんだよ!?」

「えーっと…… お兄さん……」


 心底言いにくそうに彼女が口を開閉し、まさか死体でも転がっているんじゃないかという予想が頭の中に過ぎる。

 怪異である彼女がここまで余裕を無くすというか、動揺するのはあんまりないから余計に不安感が増した。


「なにがあったのか、教えてくれるか?」

「…… 見た方が早い、というか………… 人間の業は深いねぇ」


 本当になにがあったんだよ。


「電気、つけるよ」

「ああ」


 覚悟して、真っ暗闇の中を睨みつける。

 やがて部屋にも入りたくないと言いたげな様子で紅子さんが電気をつけると、その衝撃的な光景が目に飛び込んできた。


 部屋には壁の色が分からなくなるほどの写真が飾られていた。

 どれもこれも、同じ女性の写真。それも目線が微妙に外れていたり、後ろ姿を撮っていたり、本人の許可を取っていない撮影であることは間違いない。

 その中には制服を着ている写真もあり、その制服は紅子さんと同じ七彩高等学校の物だ。

 ドン引きしながら少し大人っぽい私服の写真を手にとって裏返すと、先月の日付と時間、七彩高等学校から多くの入学者を出す七彩大学の名前が載っている。

 高校生のときからずっと撮影をしているのかもしれない。

 女性は珍しい薄い色の髪に、泣きぼくろ。それに羽根飾りのついたヘアバンドをしている。大人っぽい笑みが似合う人だな。

 その視線はことごとく外れているが。


 つまりこれは……


「ストーカー、か」

「さすがにこれは気持ち悪いよねぇ……」


 あの紅子さんが顔色を悪くするほどの気持ち悪さらしい。


「あーっと、日記? 日誌? とにかく観察記録的なのがあるみたいだから見てみようか」

「帰ってきたりしないか?」

「平気平気。ほら見てよお兄さん。どの写真も、真夜中に撮ったらしいものはないけど、少し暗くなった時間までの写真はあるだろう? つまりストーカーの彼は夜まで帰って来やしないんだ」


 確かに深夜の写真はないし、薄暗い写真の裏を見ても時間は遅くて 午後7時までのものしかない。


「じゃあ、観察記録だ」






 ◯月◯日


 昔のことを書く。

 俺ん家は代々庭師をやってるらしいが、それはとある桜のためなんだと。

 ご神木だから大切にするようにと念入りに教えられてたし、桜の下で会う子供を紹介されて 「将来きみのお嫁さんになるんだ」 とベタなことを言われて調子に乗ったっけな。

 えらく可愛い女だったが、年の差が酷すぎてロリコン疑惑がかけられちまうし、さすがに無理だっての。

 そんなこと言ってもちっとも撤回しやがらねー変な子供だったな。


 ◯月◯日


 変なのが見える。


 ◯月◯日


 赤い糸みたいなのが俺の小指を捕まえてて、あの女はすぐ俺のことを見つけ出しちまう。あの女、十年以上経ってるのにちっとも姿が変わらねえ。気持ち悪い。逃げたくても赤い糸とかいうふざけたモンのせいで無理だ。

 あの桜の手入れはきっぱりやめた。両親はとっくに死んでるし、文句は言われねえ。気持ち悪い。


 ◯月◯日


 ずっと変なものが見える。

 最近だと追ってくるし、良いことなんかねえ。

 仕事も手につかねえし、最悪だ。


 ◯月◯日


 追われてるときに声が聞こえた。

 女の声だった。見たら、学生の女が俺を追ってきていたやつを見ながら俯いていやがる。

 寝覚めが悪くなりそうで近寄ったんだが、その前に追ってきてたやつは花になって散った。

 女の手元を見たら追ってきてたやつを描いたスケッチブックと、それに突き立てるカッターナイフがあった。

 助けられたのは俺の方だった。

 女は俺に見られたことに目を丸くして驚くと、 「今のは忘れてください」 っつって、逃げ出した。

 あれなら助けてくれるんじゃないかと思った。


 ◯月◯日


 二度目の接触で赤い糸を切ってもらった。

 そしたら、あの子供はもう俺を追えなくなったみたいだった。

 やった! やった! やったぞ! 助かった! 

 忠告的なものを受けたが今はいい。

 気分がいいから景気良く一杯飲もう。



 ◯月◯日


 あの花吹雪は綺麗だった。

 もっと見たい。


 ◯月◯日


 あの気高さを保存しないのはもったいない。

 もっと見ていたい。

 桜なんかより、ずっといい。


 ◯月◯日


 いっそあの花吹雪になれればいいのに。






「うっわ」


 俺の言葉は見事に紅子さんとシンクロした。


「青葉って子、きっと本気だったんだろうねぇ。絵本のことも考えると……」

「庭師の敦盛さんは管理者ってことか」


 管理者は桜の夫とも呼ばれる。そして、桜が眠るときは一緒に眠る。桜の神様へ捧げられた生け贄みたいなものなのか。

 それを代々受け継いでいて、一族は疑問もなく桜の世話をしていたのか? 他にも桜の放棄をしている人がいてもおかしくないのに、青葉が庭師のおっさんに執着しているのはなんでだ? 

 まさか、眠る時が近づいているとか…… ? それなら焦るのも分かるんだが。それとも、本気で惚れていたとでも言うのか。


「考えていても答えは出ないね。そこは本人に訊かないと意味がない。想像したくても、アタシはそういうのと無縁だからねぇ」

「可愛いからモテそうだけどな」

「…… そんなことはないんだよ」


 少し俯いた紅子さんは首を振るとこちらに顔を向け、笑う。


「お兄さんも褒め上手だね。アタシ大好きになっちゃうかもー」

「棒読みすぎるぞ、紅子さん」

「ふふっ、まあ、褒め言葉は素直に受け取っておくよ。ところで、これからどうするのかな?」


 事務所には結局誰もいなかったし、むしろ問題しか見つかっていないしな。

 どこにいるかも分からない、ましてや顔もろくに知らないおっさんを探すよりも、この大学生を探して周辺を調べた方が早く見つかる気がする。

 でも、そうなるとストーカーのストーカーをするというか…… その大学生には悪いことをすると思う。

 こちらには紅子さんがいるので俺一人よりは警戒されない気がするが、一体どうやって話しかけるか。


「もう夕方だし、もしかしたら大学にこの〝 いろは〟って子がいるかもしれないんだよねぇ。なら張ってみて考えればいいんじゃないかな。ほら、いなければ明日に回してもいいだろう?」


 〝秘色(ひそく)いろは〟

 写真の裏に載っていた名前だ。恐らくストーカーされている女性の名前だろう。

 日記を見る限り、不思議な力を持っていそうな子だ。

 俺みたいに刀を振り回すだけじゃない。ちゃんとした霊能力みたいな、そんな感じの。

 そちらの切り口からなら、自然に声がかけられるかもしれない。

 同じオカルトに携わる人間として……


 よく考えてみれば、俺は妖怪やら神様やらには会ってきたが同じような立場の人間には会ったことがない。

 周りの連中が皆限りなく人間に近い見た目をしているせいで気づいていなかったが、〝 見えて、対処する 〟ことかできる仲間はいなかったな。

 青凪さん達は対処のできない人間だったし、青水さんは綺麗に見せかけているだけの…… 悪くいえば死体だった。

 押野君も対処のできない人間だ。


 俺と深く関わって共にオカルトを乗り越えた人間というのは、実はいない。

 邪神は邪神だし、紅子さんは人間らしいが赤いちゃんちゃんこというれっきとした都市伝説だ。人間ではない。

 ケルヴェアートさんは地獄の番犬。しらべさんもさとり妖怪。アルフォードさんも本性は赤いドラゴンだ。


 なんてことだ、俺は人外共に囲まれすぎてぼっちになっていた。


 …… っていうか、そうだ。俺はニャルラトホテプに強制ぼっちにさせられてしまっていたんだった。忘れていた。


 あまりにも皆が人間くさくて、忘れてしまっていた。

 俺と紅子さん達は、根本的に違う生き物のようなものなんだって。


「どうしたのかな? お兄さん」

「いや、その…… オカルトに対応できる人間の仲間って、今までいなかったんだなあと」

「ああ、そういえばそうだね」


 紅子さんは包帯で覆われた自分の首を撫でながら、言う。


「お兄さんは、寂しい?」


 寂しくないといえば、嘘になる。

 ニャルラトホテプ(あいつ)と二人きりだったときと比べれば随分と心に余裕ができた。

 それはひとえに、すぐに連絡がついて気遣ってもくれる紅子さんみたいな相談相手ができたからだろう。

 だから感謝している。俺が沢山の物を失い、地獄にいるという認識を忘れさせてくれて。


「今は、そんなに寂しくないな」

「そっか」


 真っ赤な柘榴のような瞳はこちらからふい、と逸らされて瞼を落とす。

 紅子さんはそれ以上聞いてこなかった。


「お兄さん、急がないと大学の辺り探しに行けないよ」

「ああ、もう行こうか」


 黙したまま自然に隣を歩き、電車に乗る。

 大学に着く頃にはもう暗くなり始めていた。


「夜はアタシ達の時間だねぇ。今夜はどこまで行こうか?」

「家に帰るまでが調査だな」

「つれないねぇ」


 言いながら人を探す。

 けれど写真を見たとはいえ、いつ出てくるか、もしくは既に出ている一人の人間を探すのは難しい。

 そもそも、大学の授業は全員同じ時間に始まるわけでも、終わるわけでもないのでこの行動はもはや賭けに近い。

 雑踏の中二人だけで立ち止まり道行く人を観察していると、周囲の大学生の視線が自分達にちらほら向けられていることにも気づいてしまう。

 こちらがあちらを観察しているのと同じで、女子高生と大人の組み合わせに不審な目を向けてきているのだ。

 さっきから、からかいまじりに紅子さんが話しかけてくるのもその大きな要因になっているだろう。


「うん?」

「どうした? 紅子さん」


 そうやって視線を忙しなく動かしていると、紅子さんがなにかに気がついたように首を傾げ、ある一点を見つめて目を細めた。


「みいつけた」


 ねっとりと、そう呟く彼女に少しだけ背筋がゾッとする。

 だが、そのすぐあとに同じ方向へ目線を移動させた。

 そこには確かに写真通りの女の子がいた。空のような明るい髪に海外の海のようなエメラルドグリーンの瞳。写真とはまた別の私服らしき格好だが、頭につけた羽根飾り付きのヘアバンドは特徴的だ。間違いなく彼女が〝 秘色いろは 〟さんだろう。

 さて、どうやって話しかけようか。そう思って見ていると、彼女がこちらを…… いや、正確には紅子さんを見て目を丸くした。

 そして紅子さんが彼女に向かって歩き出すと同時に、あちらも進行方向を変える。

 俺がそこはかとなく嫌な予感を覚えながら紅子さんの後を追うと、二人はさっそく会話を始めた。

 会話の切っ掛けを必死に考えた俺の努力は一体……


「こんばんは、お姉さん。寒くないかな? 赤い衣は必要ない?」

「こんばんは、妖怪さん。寂しくはない? 手助けは必要ない?」


 紅子さんの発言に俺が慌てて間に入ると、秘色いろはさんは言葉遊びのように同じ調子で別の言葉を続けた。

 少々殺伐とした雰囲気に滅入りそうになりながらも紅子さんを庇う。

 秘色いろはさんはなんらかの手段で怪異を祓えるはずだ。紅子さんを祓われてしまうわけにはいかない。

 俺の貴重な相談相手にいなくなってほしくはない。


「あなたは…… そう、普通の幽霊じゃないんだ。桜子さんと、同じ?」

「アタシのことは〝 トイレの紅子さん 〟とでも呼んでくれればいいよ。キミが秘色いろはであっているかな?」

「ええ、合ってる」


 紅子さんの確認の言葉に続ける。


「その、俺達とある人を探しててさ。協力してほしいんだけど……」

「誰…… ?」

「あ、俺は下土井令一です」

「そうじゃなくて…… 探しているのは、誰ですか?」


 表情はわりと変わるのに、声に抑揚が一切乗せられていないため少し違和感がある。


「敦盛春樹っていう庭師の人なんだけど…… その、あー……」


 なんと言えばいいのか。


「ああ、そうだね…… 桜子さん。それって、もしかしてわたしのこと尾け回してる人のことでしょうか?」

「あ、ああそうなんだ…… でもなんで分かったんだ? あと桜子さんって…… ?」


 俺達以外には誰もいないはずだけど。


「ストーカーがいるのは、知ってました。害が特にないので…… 気にしてませんでしたけど」


 ストーカーしている時点で害はあるだろうに。


「桜子さんは…… こっちです……」


 そう言って彼女が取り出したのは、一本のカッターナイフだ。

 なんだろう、付喪神でも宿っているとか? 


「お兄さん付喪神じゃないよ、これ。量産品に魂は宿らない。むしろこいつはアタシと同じ……」


 言い終わる前に、カッターナイフから桃色の炎が燃え上がった。

 そしてそれは秘色いろはさんの隣に人型の炎を作ると、ゆっくりと鎮火していく。最後に残ったのは先程までいなかった人物と、桃色の人魂一つだけだった。


「ごきげんよう。ぼくは元七彩高等学校七不思議が六番目…… 〝 家庭科室の桜子さん 〟だ。よろしく、後輩ちゃん」


 その人は、栗色の髪の毛をハーフアップにし、桜の髪ゴムで束ねて桃色のセーラー服を着ていた。校章は七彩高等学校のもので、両手首、両足首に包帯が巻かれている。

 目は珊瑚のような薄い色で、石榴のような紅子さんとは対照的に淡い印象を受ける。

 青葉ちゃんには悪いけど、こちらの方がよほど桜の精霊っぽい印象を受ける。

 だが、七彩の七不思議には〝 家庭科室の桜子さん 〟なんてなかったはずなんだけど……


「キミ、もしかして前任の七不思議なのかな…… ?」

「そうだって言っているだろう? その耳は飾りなのかな? 後輩ちゃん」


 前任? 七不思議に前任も後任もあるのか? 

 俺の疑問気な顔に気がついたんだろう。紅子さんは秘色いろはさんを警戒するように見つめながら俺の服の裾を掴む。


「アタシは放浪してたのを腰を落ち着けて七不思議になった口なんだよね。なんでも…… しらべさん以外の七不思議は皆、たった一人の学生に成仏させられてしまったとかなんとか…… まだ残ってるのがいるとは聞いてなかったけどねぇ…… もしかして、その学生ってキミのこと?」

「…… 懐かしい」


 秘色いろはさんは、本当に懐かしそうに目を細めた。

 それは明確な肯定の返事でしかなく、俺には脅威に思えて仕方なかった。


「どこか、喫茶店にでも入りましょうか」


 この緊張した空気の中のんきにそう言う彼女は、確かにオカルトと相性が良さそうだ。




秘色(ひそく)いろはと桜子さん

 オリジナル小説 「シムルグの雛鳥」 主人公と、彼女に封印された六番目の七不思議。シムルグという神鳥の養子となり、庇護を受けている。

 「シムルグの雛鳥」は読まなくても分かるように書いています。

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