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其の七「たったひとつの答え」

 ポツリと雫が落ちていく。

 静かな世界。真っ暗な世界。


 地面は薄い水面のように、水溜りがどこまでも広がっているかのように自身の立っている場所から波紋が生じている。

 それと同時に、いくつかポツリポツリと落ちてきた雫で、どこからともなくピチャンという涼やかな音が響いてくるのであった。


「ここは……」


 確か俺は寝たはずで、そうだ……確かヒントを掴むために俺は夢の中に意識を沈めているはずなのだ。ならばここは深層心理でも表しているのだろうか。

 周囲を見渡せば、視界に赤色のなにかが入り込んだ。


「リン、そこか?」


 手探りに歩き出し始める。


「わ、なんだこれ」


 赤色の影。

 そちらを見遣れば、そこにはこちらを見る〝なにか〟があった。


「カタツムリ……?」


 思わず手を伸ばす。

 しかし指先は対象に届く前に押し返される。

 そこが鏡になっていたからだ。


「カタツムリ……か」


 それは雨音の怪異のときに出会った、神様から堕ちた怪異と同じ姿をしていた。カタツムリに手を伸ばそうとする、あのときの依頼人「村雨」と、彼にスプレーをかけて気絶させる紅子さんの姿が鏡の中に浮かび上がる。

 確か……このとき、とても大事な話をしていた気がするな。

 俺の記憶に触れ、そして思い出すための旅。それが今行っていることのはず。


 ……思い出せ、 紅子さんはこのときなにを言っていた? 




 ―― 名前くらい? 怪異に名前をつけるというのは、とっても危険なんだよお兄さん。姿カタチの曖昧なものを型にはめれば、弱体化することもあるし、手がつけられないほど強くなることだってあるんだ。




 そうだ、あのとき言っていた。

 名前をつけるということは親や恋人のようになることを指す。怪異を一番にその名前で呼び、畏れ、信仰する第一の人間。そんなものになってしまえば、怪異を見捨てる選択をしない限り、一生その怪異が付いて回ることになる……と。


 どうして忘れていたんだ、こんなこと。


 パリン。


 鏡にヒビが入り、その隙間から赤い影が飛び出してくる。

 紅色の蝶と、それを追いかける薔薇色の竜――リンだ。


『名付け』


 キーワードを胸に再び赤い2つの影を追う。


 暗闇の中、無数に浮かぶ鏡の数々には今までの思い出、その全ての情景が繰り返し、繰り返し映し出されていた。思い出の中を縫うようにして歩き、赤い影が二つ、その中の一つである鏡の中へと吸い込まれていく。


 それを覗き込めば、そこに映っているのは3人。いや4人か。俺と、アリシアと、秘色(ひそく)いろはさんと、そして家庭科室の桜子さん。

 この4人で行動したのは……そうだ、確かたったの1度きりだったはず。


 それは……そうだ。

 確か、足売り婆の怪異に対処したときだったな。

 あのときは、対処法の噂を人力で広めることでなんとかしたのだったか。秘色さんのやりかたにこんな方法があるんだと驚いた記憶である。


 触れると、鏡が割れて再び蝶とリンがふわりと飛び出してきた。

 正解らしい。ならばキーワードは……『噂』か。いや……『人為的に広めた噂』か? 


 そうだ、そうだ、思い出してきた。

 ここまで来れば鏡に触れなくても、なんとなくバラバラになった糸がひとつに繋げられるようになってくる。記憶を辿るまでもなく、俺は紅子さんがムラサキ鏡の事件のときに言っていた言葉を思い出した。


 彼女曰く。



 ――アタシ達に大事なのは人間の〝認識〟だっていうのは、もう分かるよね? 


 ――そう、だからアタシ達は自分で噂を流しつつ、人の助けになるようにしてひっそりと暮らしているわけだね。たとえば、おにーさんがアタシのことを、エッチなことをする怪異だって思い込めば、そうなるかもしれないってことだよね。


 ―― まあこれは冗談だけれど。たった一人の思い込みだけで影響なんてないよ。もっと大勢なら別だけれど。それとも想像しちゃったかな? この、スケベ。




 はっきりと思い出せる。

 あのときにこう言っていた。認識、そして噂が自分達にとって大事であると。

 だからこそ、同盟の神妖はネットに強い者も多い。自分自身で噂を流し、生きながらえる必要があるからだ。

 もちろん世間的に赤いちゃんちゃんこは有名だ。普通なら消滅の危機なんて訪れないくらいに、有名な怪異である。


 けれど、紅子さんは赤いちゃんちゃんことしては致命的な行動を起こしていた。そうしたら殺すと言われている行動をされても、殺しはしない。手を出さず、驚かすだけで逃す。


 たったそれだけの違いだが、怪異にとって人々の認識からズレた行動をするというのは命取りになるのである。散々言われていたことだ。


 そして、最後の鏡を見る。

 そこにはさとり妖怪――鈴里しらべさんがいた。

 しらべさんの目の前に、雨の中倒れた状態の紅子さんが浮かび上がる。

 それは、彼女の『不殺の誓い』を視たときの光景そのままであった。




「アタシの名前は、紅子、だよ」

「そうですか。でもそれは生前の名前でしょう? 今のあなたを構成している〝名前〟は赤座紅子ではなく、赤いちゃんちゃんこのほうですよ」

「どう、いう」

「名前は体を表す。あなたはもう、紅子ではなく赤いちゃんちゃんこです」




 今、紅子さんを構成する名前は赤いちゃんちゃんこであって、紅子ではない。

 だから赤いちゃんちゃんことして行動しなければ待つのは最終的に、消滅。


 幽霊から怪異の分け身となった彼女は、もう2度と成仏するという手段が封じられた。幽霊の身にして怪異に選ばれるということは輪廻の輪に戻る機会を永遠に失ったことと同義である。


 成仏できず、怪異として存続できないのならば、それは魂ごとこの世から消滅することを指す。


 それを覚悟しながら、それでも己の意地で不殺を貫き、誰かを殺すくらいなら消滅しても良いと紅子さんは決意していた。だったら、彼女が『赤いちゃんちゃんこ』としてこの世にあり続けるのは本当に限界としか言えない。


 パリン。

 鏡が割れる。


 鏡から飛び出してきた蝶とリンがこちらにやってきて、思わず手を伸ばした。

 差し出した手のひらの上に蝶が止まり、そして俺の中に溶けて消えていく。


 肩に乗ったリンが俺の頬に顔を押しつけてぐるると喉を鳴らした。

 目を伏せれば、思い出したピースがひとつひとつパチリ、パチリと心の中でパズルを埋めるように当てはめられていく。


『名付け』

『人為的に広めた噂』

『彼女の今の名前は赤いちゃんちゃんこである』こと。

『不殺の誓い』


 そして……。


『不殺を貫いている限り、赤いちゃんちゃんことして存続することはできない』という事実。


 ここから導き出される答えは。


「確かに、これは俺にしかできなさそうだ」


 笑って声に出す。

 肩に乗ったリンの頭を撫でて、決意を胸に。


 そうだ、だって決めたじゃないか。




 ――必ず、方法を見つけると言った。あのとき、紅子さんは拒絶しなかった。溜め息を吐いて、でも否定はしなかった。だから、俺は俺の意地を貫き通す。責任? とるに決まってんだろ……! 好きな子を助けるのに、責任も取れないほど俺はヘタレてなんかいない! 




 責任は取るって決めたんだ。

 それくらい、できなくてどうする? 

 一生一緒にいることになる。そんなの望むところじゃないか。むしろ、ずっと願っていたことだ。躊躇う必要なんてない。


 答えはただひとつ。


『赤いちゃんちゃんこではなく、紅子さんを紅子さんという怪異として噂を広め、誕生させること』


 タイムリミットはたったの1週間。

 ものすごく難しそうな課題だ。けれど、やってみせるよ。


 それがただひとつ、彼女を助けられる可能性のあることだというならば。

 絶対に、成し遂げてみせる。


「……さて、目覚めの時間だな」


 答えを手に、俺はリンと共に意識を浮上させていく。

 彼女を一刻も早く迎えに行けるように、さっさと起きてしまおうと。


 人々に根付くくらいに噂を広めるなんて、きっとすごく大変だ。

 けれど……浮かぶのは笑みである。


 だって、そんな大変さが苦にならないくらい、俺は紅子さんのことが……好きだから。

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