冬に咲く桜
◇
―― だから、お前の全てを受け入れよう。
◇
今年の冬はとても暖かい。
しまいには、〝 狂い咲きの桜 〟が現れてしまうくらいには。
俺が住んでいる邪神の屋敷から何駅か離れた丘の上に、一本だけ冬になってから咲き出した桜があるのだという。まあ、まだ11月ではあるのだが…… 冬と言ってもいいだろう。どちらにせよ、件の桜はこんな時期に咲く種類ではないのだ。
そんな少しだけ不思議な非日常に、俺が好き好んで首を突っ込むわけがない。
「レジャーシートはこれくらいか…… ?」
だから俺がその桜の下で花見の準備をしているのは、それを命令した邪神のせいだ。不本意極まりない出来事だ。
おまけにこの桜がある丘は、噂が一人歩きして一種の観光スポットみたいになっている。冬とはいえ、少しだけまだ暖かいこの桜の下に集まる人間は数多くいるみたいだ。
こんなトチ狂った花見をする人間が俺達だけじゃないところに、悪い意味での日本人魂を感じる。
ちょっと寄っただけの人間までスイーツをコンビニで購入して座り込んでる始末だ。
こんなカオスな空間…… つまり俺の飼い主が喜ぶような空間で桜が無事であるわけもなく、幾人かの不良が景気良く枝を折る姿も見える。ブランド物のピアスや指輪をつけて悪ぶっている連中だ。
これもまた、観光地にありがちな悪い習慣だと思う。
そして、それを明るい髪の大人しそうな女の子一人で止めようとしているのも無謀だし、他に止めようとする大人もいない状況は少し気分が悪かった。
「いいよいいよ? 私はここでお酒でも飲んでるから行ってくればいいじゃないか」
「…… いいんです?」
「くふふ、そんなことまで束縛したりはしないよ」
手をひらひらと振りながら奴…… 神内千夜が言う。
つまりは思うままにしろということか。俺が枝を折る不良達に怒りを感じ、それを止めようとして揶揄われている女の子を助けようと思っていることが筒抜けというわけだ。
それはそれで癪に障るが、周囲の大人が誰一人として女の子を助けない状況にイラついているのも事実だ。
「あんたは勝手に酒でも嗜んでいてください!」
「いってらっしゃーい」
上機嫌で俺を送り出す奴の顔に、そこはかとなく嫌な予感を覚えるが気持ちは変わらなかった。
目の前に困っている子供がいるのに助けないのはなんだか気持ち悪い。
「おい、桜の枝を折るのはやめてくれ。マナー悪いぞ」
「はあ?」
不良は改めるつもりがなさそうだったが、大人に介入されて萎えてしまったのか、折るか折らないかのところで止めていた腕を振り抜き、一本の枝を取るとそのまま枝をグチャグチャに折って去っていく。
しまいには足で踏みつけ、唾を吐きかけ、ものすごく大きな溜め息を吐きながら……
俺が止めた意味もなく、桜の枝は折られてしまった。
「あの…… 止められなくてごめんな」
「いえ、いいんだよ」
桃色の短い髪を揺らして女の子がぽつりと言う。
しかし、落ち込んでいるのは明白だ。
「見て、彼お土産に桜の花びらを乗っけてる」
顔を上げた彼女は悲しそうにケラケラと笑った。
強がっているような彼女にどう言葉をかけてやればいいのか、俺は分からなくて 「そうか」 なんて生返事しか返せない。
「助けてくれようとしたのは嬉しかったよ」
ほぼ無表情で目を細める彼女はそっと桜の木を見上げる。
「桜に思い入れがあるのかな?」
「…… まあね。ここにはとてもいい思い出があるんだよ」
彼女の身長は中学生入ったくらいの女の子だが、不思議と落ち着いているようにも思う。なんというか、大人っぽい。
最近の子供って皆こんな感じなのか?
「…… 雨だ」
女の子がふと呟くと、頬にぽつりと雫が落ちてきた。
周りを見ると、急な雨にレジャーシートを敷いていた人達が皆慌てて片づけしている姿が目に入った。
コンビニが近くにあるので、折りたたみ傘を常備しているでもない人間は駆け込むはめになるだろう。
そうだ、俺も急いで片づけないと…… と思って奴が酒を飲んでいた場所を見るがそこにはレジャーシートの後もなにも残っていなかった。どこぞに避難したのか? でもそんな気配欠片もなかったけどな。
「あなたも濡れてしまうよ。ボクについてきて。雨宿りできる場所があるんだ」
「あ、ああ、ありがとう」
俺の袖を引っ張りながら女の子が桜の木の下に入る。
それに合わせて幹の近くまで行くとすっかりと雨を遮っているのか、俺が濡れることはなかった。
女の子も濡れた様子が一切なく、そのまま桜の幹に寄り掛かるようにして手を擦り合わせている。確かに、雨が降ったからか少し肌寒くなっているような気がする。
「助けてくれてありがとう。ボクは青葉。あなたの名前は?」
目を開けた彼女はまだ少し寒そうにしながらこちらを見上げた。
薄い色の目玉が俺を探るように上から下まで見渡し、微笑むさまはどこか知り合いのさとり妖怪を思い起こさせた。
「…… どういたしまして。俺は下土井令一だよ」
「下土井さん……」
反芻するように呟いてから青葉ちゃんは 「桜を見に来たんだよね?」 と疑問を投げかけてくる。
俺が来たいと言い出したわけではないが、目的はその通りだ。狂い咲きの桜を見に来たので間違いない。
「そうだよ。冬に桜が咲くだなんてって、知り合いに頼まれて一緒に来たんだ」
「綺麗だと思う?」
「うん、そうなんじゃないかな?」
そう返すと青葉ちゃんは俯いて 「そう見えるなら良かった」 と寂しそうに言った。
そして、「ボクは昔からここのことを知っているんだけどね」と前置きしてから話し始めた。
「この桜、昔は庭師の人が手入れしてくれていたんだ」
「庭師? …… でもここ人の敷地ではないよな」
人の敷地ならあんな風に大勢が押しかけて花見することにはならなかっただろうし。町営で手入れしていたにしてもこの子の口振りだと今は手入れされていないみたいだ。
「うん、完全にボランティアだよ。桜が好きだからって剪定してくれたり、花が綺麗に見えるようにしてくれたり色々してくれていたんだ。でも、見て」
彼女が指さしたところを見れば枝と枝の隙間が極僅かしかなく、花が擦れている箇所があった。なるほど、言われてみれば手入れが行き届いていないように見える。
「剪定されてないから窮屈だし、花付きも昔より大分悪くなってしまっているんだ。できれば手入れをしてほしい。けれどボクはあの庭師の居場所が分からないんだ。また彼にお願いしたいんだけど、あまり出歩ける身じゃないから…… その、片手間でいいんだ。彼に桜の手入れをするように依頼してほしいんだ。報酬はちゃんと出すから」
彼女のお願いを蹴る理由はない。しかし、一つ気になることがある。
「君って、人間じゃないだろ?」
「え……」
青葉ちゃんはその目を大きく開き、驚いている。
だが、すぐに俺をもう一度観察してから 「なるほど」 と頷いた。
「人外の気配がすると思ったら、あなたは加護持ちなんだね。なら早いよ。ボク、いい加減待つのに疲れちゃったんだ。でもボク自身はここから大きく離れることはできないし、人間を頼るしかないんだよ」
俺を見上げてくる彼女の瞳孔は桜の花弁のようにも見えてくる。
本性を隠すこともなく、桃色の瞳が俺を捉えていて断ったらどうなるのか分からない得体の知れなさを醸し出していた。
それだけ必死だということか。人外に関わることなんて珍しいことじゃないし、彼女のお願いは前回の青水さんと違い目的がはっきりとしている。
なら、迷うことはないのでは?
だが、なんとなく嫌な予感がするのも確かだ。
なぜだろう。この子の目的は 「桜の手入れをしてほしい」 だけなのに、なぜこんなにも不安に駆られるのだろうか。
いや、そんなことは後で考えればいいことか。なにか不穏な動きを感じたらすぐに対処すればいい。
「お返事は?」
しゅるしゅると俺の周りに枝が寄り集まって来る。
断ったら…… なんて考えたくもない。
「探すのはいいけど、相手の名前は分からないのか?」
「敦盛春樹。おかしなことに桜に話しかけるような人間だったからボクでも知ってるんだ」
「分かった。探して、お前の手入れを依頼すればいいんだろ?」
「うん」
了承すれば、密かに俺を捕らえようとしていた枝は全て元通りの位置に戻った。
やっぱり断ったらYESと言うまで離してもらえなかっただろう。もしくは拷問でもされていただろうか?
こんな少女がそんなことまでするとは思いたくないけど、きっと遥かに年上なんだ。見た目の年相応な対応なんてしてくれるわけがない。
「そうだ。報酬は前払いで明日払うよ」
前払いなら普通今渡すべきでは? なんて思ったが、俺はなにも言わずにその場を去った。
「やあ」
桜の木から離れると、すっかり雨は上がっていた。
いや、もしかしたら雨はこの周辺にしか降らなかったのかもしれない。暫く離れた場所には道が濡れた跡さえなかったのだから。
「あんたはどこに行ってたんですか」
「最近のコンビニスイーツって素敵だよねぇ。エクレアなんていいと思うよ」
「作れってことですかね?」
「さあね」
結局屋敷ではエクレアを作るはめになった。
ついでに何個か余らせて取っておくつもりだ。どうせこの飼い主は首を突っ込まないし、ニヤニヤと外野で騒いでいるだけだ。
だけど俺だけではなにかあったときに対処しきれないだろうし、なにより不安に押し潰されそうになってくる。
だから、誰かに相談する際エクレアを渡すのだ。人外連中は俺の知る限り甘いもの好きが多いからな。アルフォードさんは別にして。
このまま突き進んで行ったら、いつもの感じだと確実に悪い方向に向かいそうだからな。
あの悲劇がいつものことだとか…… 慣れちゃいけないんだけどな。そうでも思わないとやってられねえよ。
だからなるべく最悪の事態にならないように色々してるんだけど。
「ってことで明日外出するんで、なにかあったら今のうちに言ってくれ」
「朝ご飯はフレンチトースト。コーンスープは自家製でサラダと熱々の目玉焼きもつけてね」
なんとまあ無駄に時間のかかる朝食をご希望で。
熱々の目玉焼きということは、つまりサンドイッチやおにぎりなんかと一緒に事前に作って置いていくことは許されないわけだ。
ていうか自家製のコーンスープとか作れるわけないだろ!
「ちゃんと作るから自家製コーンスープは勘弁してくれ」
「じゃあパンプキンパイ作ってよ。そういう季節だろう?」
「秋はとっくに過ぎてるでしょうが!」
奴の要求はキリがないのでこの辺で折れておくことにした。
この有様を見られたら紅子さんあたりに 「そんなんだから飼い主に嚙みつけないんだよ」 とでも言われそうだ。
まあ、あれだ…… 紅子さんに相談だ。
「で、アタシに電話してきたと?」
「ああ、そうなんだ」
電話越しに少し不機嫌そうな声が聞こえる。
自宅にいるのか、コツコツと指でなにか硬いものを叩くような音がするし、夜なので学校にいるということはないだろう。
「まあ、キミのことだ。どうせ厄介なことになるに決まっている。その青葉って桜の木も、元々彼女はただの人間に依頼する気だったんだろう? 嫌な予感がするのも仕方のないことだと思うよ」
はあ、と溜め息を吐いた紅子さんは電話に入らないようにか、話の区切りのためにか 「こほん」 とわざとらしく咳き込んで再び応答する。
「だから、まあ…… キミに協力するのもやぶさかではないよ。お花見デートと洒落込もうじゃないか」
「そうしてもらえると助かるな。エクレアやパンプキンパイも用意してあるから楽しもう」
「おやおや、女子高生とのデートなんてレアイベに必死なことだね…… エクレアだけに?」
「……」
この子は本当に女子高生なのだろうか?
俺ははなはだ疑問で仕方ない。
「わ、悪かったよ。可愛い冗談じゃないか、ねえ? あの、おにーさん? お兄さーん?」
今度はこちらが溜め息を吐いて 「ああ、うん」 なんて素っ気ない返事をする。ぶすくれたように言われた 「笑ってくれてもいいんだよ?」 なんて言葉はスルーして続けた。
「じゃあ、明日よろしく頼むよ」
「いいけれどね…… 学校は昼に早退してくるから、キミは先に桜の所に行って前払いを受け取ってきなよ。アタシはまた図書館に行ってるからさ」
まあ、図書館が一番分かりやすい待ち合わせ場所か。
この屋敷から遠いわけでもないし、丘からもそんなに時間がかからない。紅子さんが遅くなりそうなら先にネットや歴史で調べていればいいだろうしな。
先に着いたらメールすればいい。幸い、紅子さんの連絡先は電話番号は勿論、メールアドレスも知っている。
「ああ、それじゃあまた明日」
「またね、お兄さん」
電話を終えてケータイを置く。
さて、後は洗濯物か…… これに関してはさすがのニャルラトホテプも任せてこないし、俺は俺で洗濯することになっている。
あいつの洗濯物はいつの間にか新品のようになっているので、もしかしたら魔法のひとつでも使っているのかもしれないな。
一人で全部やってくれたら楽でいいんだが…… まあいい。奴は明日表向きの仕事があるからちょっかい出してくるようなことはないだろう。
他には…… 奴に食べられてしまわないようにエクレアとパイを切り分けて取って置くくらいか。
「なになに? 一人でシコシコなにを考えているのかなぁ?」
「っうわぁ!?」
座っていたソファから転げ落ちた。
どうやら奴は風呂上がりなようで、ただでさえ鬱陶しい髪が全て下ろされもっと鬱陶しいことになっている。毛量多すぎだろ。女みたいに三つ編みにせずばっさり切ってくればいいのにな。
「って、あんた…… その口は………… !?」
「ん? ああ、美味しくいただいたよ…… 君の、お・か・し」
うわぁぁ! だから先に取り置こうとしてたのに!
「夕食後に食べただろ!? 残してた分まで食ったんですか!?」
「勿論、だって〝 私のため 〟にあんなにたくさん作ってくれたんだろう? 下僕の好意はありがたくいただいておかないと、ね?」
くそっ、こいつ絶対にわざとだ!
なるべく奥の方に隠しておいた大量のデザートなんて普通完食しないだろ!? しかも風呂上がりに! わざわざっ、俺に食った痕跡を見せつけに来るなんて悪意以外のなにものでもないぞ!
「くふふふふ。それじゃおやすみ、れーいちくん」
「くっそ……」
完全にしてやられた。
紅子さんには約束してしまったし、エクレアとパイを今からなんとか作るしかない。約束を破るのは忍びないし、なにより俺が嫌なんだよ。
多分言えば 「あー、えっと…… それは、なんというか…… 仕方ないね」 なんて言い澱みつつも許されるだろうが、甘いもの楽しみにしてる女の子に 「ごめん、やっぱりないよ」 なんて言えないからな。
深夜に空いてるスーパーなんてないぞ?
残った材料で作れるか? いや、やるんだ。やってやるぞ!
このあとめちゃくちゃ料理した。
◆
「おおそれはそれは…… お兄さんも頑張ったんだねぇ。最近キミに付き合ってまったくゲームできないのも許してあげるよ」
図書館で合流した彼女にお土産を渡すと、それはそれは哀れそうな声色でやれやれと言った。
ゲームというのは例の、夢の中で行う凶器探しのことだろうか。
彼女のゲームは失敗しても死なない親切設計だが、あんな悪夢拡散させるのもどうかと思うぞ。
俺がそう言うと不満を込めて紅子さんが溜め息を吐く。
「アタシほどアフターケアに優れた怪異はいないと断言できるね。夢で出会った人間が心底怯えていたならアタシとしても満足だし、場合によっては記憶も消してあげるのにさ」
でも精神的ダメージはなかったことになんてできないだろう。
「それがアタシ達怪異なんだから仕方ないだろう? こっちだって怖がってくれなくちゃ生きてけないんだから」
「…… そっか、そうだよな」
彼女達はあまりにも人間に近いから、忘れていた。
怪異が生きるためには〝 噂 〟や〝 伝承 〟が必要不可欠。それがなくなれば、人間が忘れてしまえば彼女達は消えてしまうのだ。
「ところで、その…… 前払い報酬とやらはちゃんと受け取れたの?」
紅子さんが話を変え、今朝方桜の木まで行っていた俺を見る。
相変わらず、いや昨日以上に美しく咲き誇っていた桜の花の下で青葉は待っていた。だから、勿論受け取っている。
なんと、報酬は精霊が持っているのには違和感があるブランド物のアクセサリーだったのだ。
生憎と俺はピアスなんてつけないし、お高いブランド物の指輪だって恐れ多くてつけられたものじゃない。精々売り払うくらいしか使い道なんてないが、正直人外に貰った代物なのでそんなことできるはずがない。
そう愚痴りながら俺が指輪とピアスを見せると、紅子さんは一瞬だけ眉を跳ね上げてそれが乗った手の平を見つめた。
そして、そのまま俺を見上げて妖怪らしく胡散臭げに微笑んだ。
「お兄さん、アタシにこの指輪とピアスくれない?」
「別にいいけど…… 紅子さんでもブランド物を欲しがったりするもんなんだな」
「まあね、アタシだって女の子だから? 貢ぎ物の一つや二つ欲しくもなるさ。いいだろう? 元手はただなんだから」
煙に巻くように言葉を選んではいるが、やはり彼女も女の子だ。アクセサリーに興味があるのだろう。
この二つのアクセサリーは男向けの少々無骨なものだが、それでも学生の身には眩しく映るのかもしれない。
「うん、お兄さんにはもう特別な首輪がついてるからね。新しいの貰ったって知られたらどうなるか分からないよ? キミも少しは自分の身を案じた方がいいよ?」
「あー……」
そういえばそうか。
他人からのアクセサリーなんてつけていたらニャルラトホテプになに言われるか分かったもんじゃない。
紅子さんに言われなかったら一晩拷問コースだった可能性すらある。
彼女は命の恩人だ。
「ありがとう、紅子さん」
「いいってことさ。遊んでくれる人がいなくなるとアタシも寂しいからね」
やれやれ、と微笑みながら首を振る彼女に感謝する。
俺だって、一人じゃここまでやってこれなかったかもしれないからだ。心を折られるつもりもないが、やはり身近に相談できる相手がいるのといないのとじゃ随分違うからな。
「さて、先に調べておこうか」
「ああ、この図書館はネットサーフィンもできるからそっちでもよろしく頼む」
「…… えっと、ごめんお兄さん。アタシあんまり機械得意じゃなくて…… 代わりに地元の話とか桜のこと調べてみるから、庭師さんのことについてはそっちに任せていいかな?」
「そうなのか、分かった。じゃあ資料の方はよろしくな」
「…… うん、任されたよ」
機械音痴について突っ込まれなかったことに安心したのか、紅子さんは俺から指輪とピアスを受け取ると、ゆっくり図書館内を歩き始めた。
「ええと、確か〝 敦盛 〟…… はるき? 晴樹か? とにかく調べてみるしかないか」
簡単に検索をかけ、ついでに庭師というキーワードも入力する。
すると出て来たのは〝 敦盛春樹 〟という庭師の名前と、そのホームページらしきもの。
しかし、ホームページを覗いてみたはいいが日付が結構古い。凡そ10年以上は前の日付が最終更新日となっているようだ。これでは良い情報とは言えない。だけれども、ここが公式ホームページであろう以上無視することはできないだろう。
そう思って一通り見て回った。本人の写真は20代の若々しいものであり、背後には〝 あの桜の木 〟が美しいままにある光景だ。
この頃はまだ手入れをしていたということだろうか。日付からしても相当前のことだ。
事務所の住所も勿論書いてあるし、電話番号も載っているのでメモを取る。本人の誕生日を確認したところ、20代の写真は相当前のもので間違いない。なんせ今や40代だ。
それからホームページを後にし、通常検索でもう一度彼について調べた。
どうやら現在でも庭師として仕事をしているようだが、評判を見ると大分偏屈で厄介な性格の人物らしいことが分かる。
クズだとかクソジジイだとか最悪な奴だとか、先程のホームページから今は40代のはずだが随分な評価だ。
桜と共に写っていた好青年は偏屈ジジイになってしまったということだろうか。
しかし、ネットの評判は誇張されていたりするものだ。会ってみないことにはなんとも言えないだろう。
通常検索した結果でも住所は変わっていないようなので、直接事務所に行ってみるのもいいかもしれない。
電話番号も控えているから、あとでアポをとってみればいいや。
「…… このぐらいか」
パソコンから顔を上げ、電源を落とす。
俺が収穫を手に図書館をうろつき始めれば、すぐに目立つ大きなリボンが視界に入った。
薄紫の大きなリボンでポニーテールを作っている紅子さんは、真剣に資料を見比べながら唸っている。
テーブルの上には、先程譲ったアクセサリー類も並べられていた。
おいおい、それ一応ブランドなんだからもう少し気を遣った方がいいぞと思いつつも、様子を見る。
「…… ?」
やがて、背後に立つ俺に気がついたのか紅子さんがこちらを振り向く。
「っちょ、お兄さん!?」
椅子から転げ落ちた。
突然のことでびっくりしたんだろう。怪異もこんなことで吃驚するもんなんだな、と別のところで俺は感心してしまった。
「あ、あのね…… 人間が怪異を驚かせたってなにも良いことはないだろ? そういうのはやめてよね……」
「良いこと? うーんと、紅子さんの可愛い反応が見られたとか?」
「キミ、ふざけてるの?」
おっと、いつも揶揄われているからその逆襲のつもりだったんだが怒らせてしまった。
「あーもう、キミには驚かされてばかりだ…… アタシ驚かす方なのに………… 存在意義が問われるよ」
「紅子さんは紅子さんだろ? 俺にとっては〝 赤いちゃんちゃんこ 〟ってイメージよりも、もう〝 トイレの紅子さん 〟ってイメージが強いよ」
「それ、ちっとも嬉しくないよ。アタシは赤いちゃんちゃんこだ。忘れないでよ…… ? お願いだからさ」
「分かったよ。分かってる。忘れないよ、絶対に」
「それならいいんだよ…… ねえ? お兄さん」
暫しの問答を終え、彼女の見ていた資料を覗き込む。
恥ずかしそうに髪をいじる彼女はそっとしておき、ひらがなでルビの振られた一冊の本を手に取った。絵本、だろうか? こんなもの見たこともなかったが、どうやらこの街特有の手作り絵本らしい。
装丁も古く、少し紙が傷んでいるように思える。
『流れ華』
流れ星を想起するその言葉。
桜と、人間を包み込む程の大きな花が表紙に描かれている。
空を流れる花の伝説。それにそこはかとなくニャルラトホテプと同じ気配を感じ、俺の肩は強張ってしまった。
本能レベルで嫌な予感が支配する。
「読みたくないなら、アタシが概要だけでも説明するよ?」
「いや、いい。大丈夫だよ」
「…… そっか、ならキミの好きにすればいい」
きっと内容は大したことがない。
けれど、あいつと同じ予感がするということは、ただの妖怪や精霊などが関わる問題ではないはずだ。
俺は、逃げない。
いつまでも逃げていたら、いつかは袋小路に追い詰められてしまうだろう。そうしたら、壊れた玩具としてポイ捨てされるか…… 最悪、奴の〝 シナリオ 〟で踊らされる捨て駒にされるかだ。
「昔々……」
そんなありきたりな出だしの絵本を、俺はゆっくりと読み始めた。