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巡り巡って、この場所で

 飛行機事故、当日。

 俺達は今日も真宵さんのところへと来ていた。


「今日も、お願いします」

「ええ、歓迎するわ。今日はもう少しお客さんが来ると思うけれど……」

「それはどういうことかな?」

「後になれば分かりますわよ」


 意味深なことを言ってくすくすと笑う真宵さんに、俺も紅子さんも顔を見合わせる。こういうときの彼女はなにを言っても答えは教えてくれないので訊くだけ無駄だと紅子さんが肩を下げた。


 昨日の光景で涙腺に来たのは俺達も一緒で、しばらくほろほろと涙を流す紅子さんに、慌てたものだ。彼女も誘理のことは気にいっていたから、余計心に来たんだろう。俺だってそうだったわけだし。

 数日、長くて一週間ほどの出来事だったというのに随分と仲良くなり、そして情が移ってしまったものだ。

 そして、人間の俺でさえ短いと言えるその期間に恋をした――狐の青年と未来から来た女性の結末を、その目で見届けようと池に顔を向けた。


「飛行機事故が起こるのは午前中ですの。そう、彼女が教えてくださいました」


 よりにもよって午前なのか……。二人の時間は、そこまで残されていないらしい。池を覗き込めば、そこには寄り添い合う二人の姿があった。

 幽家(かくりや)さんと春国さん。二人とも首にあのしずく型の……一つ葉のネックレスをかけ、背中合わせになって表の古い神社の中にいる。

 誘理を見送ったのも表の神社であったため、そのまま神社内にある社務所に宿泊したのだ。


 そんな社務所の中で、二人は背中合わせの状態で互いに下ろした両手を後ろ手に絡めている。春国さんは俯き、幽家さんはひどく穏やかな表情をしていた。これから自分自身の存在が抹消されてしまうというのに。


「春国さん、外へ行きましょう?」

「……」

「ねえ、ねえ、春国さん。最後にお散歩くらいしたいわ」

「分か、りました」


 声を詰まらせて、絡めていた手を離し立ち上がる彼。

 しかし慌てていたせいか、その場でたたらを踏むように春国さんがよろける。


「っと、すみません」

「まったく、本当に情けない人ね」

「うう、ごめんなさい」


 よろけた彼を咄嗟に支えて、幽家さんが言う。その表情は穏やかで、愛しいものを見るような、慈しむような、そんな瞳をしていた。間違っても言葉通りに呆れている態度ではない。


「行きましょう。あと、十分ほどよ」

「……そう、ですか。あと、それしか…………」


 時間というリアルな数字を突きつけられ、春国さんが絶望したように声を低くする。けれど彼女はそんな彼に時間がもったいないからとお構いなしにその手を繋ぎ、外へと連れ出した。


 さわさわと少し暑くなってきた日差しが木立から降り注ぎ、社務所から出てきた二人を暖かな風が撫でる。季節は六月から七月に移り変わる頃だ。早起きの蝉がじわじわと音を鳴らし始め、神社内は決してうるさくもないが、静かでもない。そんな状態である。


「ねえ、春国さん。あなた、私のことが本当に好きなのかしら?」

「好きですよ」


 即答だった。

 まあ当たり前だよな。春国さんは本気だ。本気で悩んでいたし、やらかしてからは開き直って隠しもしなくなったくらいである。


「それは、同情?」

「違います。僕は、あなたに惹かれたんです。凛として、そして強い覚悟をしたあなた自身に」

「そう、そうなの? それなら強くない私は、嫌いかしら」

「っ、そんなことありません!」


 目を伏せ、試すように言う彼女に彼はすぐさま否定した。


「今も……あなたの全てが、好き、です。お願いですから……僕のこの想いを、疑わないでくだ、さいっ……」

「うふふ、疑ってなんかいないわ。ただ、嬉しくて、でも……悲しくて、おかしいわね。あなたみたいな情けないやつ、好きではなかったと思うのだけれど」


 遠くを見ながら、神社の石畳の上で二人は向かい合う。


「あなたは、私がいなくなって泣くかしら」

「ええ、きっと」

「あなたは、私のことを覚えていてくれるかしら」

「ええ、必ず」

「あなたは……っ、どうしてそんなに優しいのかしら?」


 真摯に答える彼に、だんだんと幽家さんの声が震え始める。

 カチ、カチ、カチと響く腕時計の音が虚しくその場にこだましていた。


「僕は優しくなんか、ありませんよ。だって、本当に優しいなら、あなたにこの想いを告げるなんて、残酷なことはしません。だから、僕は嫌なやつです。こんな形であなたに迫って、最低なやつです。でも、抑えられませんでした」

「ええ、そうね。最低な人。私の心につけ込む嫌な狐さんだわ」



 言葉で遊ぶように声をかけ合いながら、二人は向かい合ったまま両手を胸の前で絡める。それから、眉をハの字にして泣きそうな彼の頬に彼女が口を寄せた。


「冬日、さん……」

「泣き虫。私の好きになったヒトはすごく泣き虫だから、だから……その人が泣いてしまわないように、私はきっと戻ってくるわ」


 頬へ口づけを。

 そして、背伸びをした彼女が春国さんと額を合わせて笑う。


「私はもう消えてしまうけれど、きっと、きっと、大丈夫。誘理とも、約束したものね」


 カチリ。

 運命の十分間が終わりを告げる音がした。


「ふゆひ、ざん。嫌です、行かないで……」


 目を伏せた彼女の姿がぼんやりと透け始めて、春国さんがしぼり出すように声をあげた。悲鳴のような、叫びのようなそんな訴えに彼女は笑う。心底幸せそうに。


「ねえ、春国さん。私もね、あなたのこと、好きよ」

「冬日さん……っ」


 涙声で繰り返す彼に、幽家さんが両手を絡めたままぎゅっと握り込む。


「最初はそう、なんて情けないやつって思っていたけれど……私もね、いつしかあなたに惹かれていたの。こんなにも短い期間だったけれど、あの村で盛大に告白されたときにね、嫌だなって思わなかったのよ。それでね、自分とちゃんと向き合ってみたら、嬉しいって思っている私がいたわ。だからね、ありがとう。最期に……恋することができて、幸せだったわ」

「最期なんかじゃありません。きっと、きっと大丈夫です。また会えます。だって、言っていたじゃないですか! 未来を占ってもらって、このままなら大丈夫だって、言ってもらったじゃないですか!」


 捲したてるように、慌てるように春国さんがそう告げる。

 それに幽家さんは「そうだったわね」と返して言葉を紡いだ。


「縁がもし……繋がっているというなら、ここで私が消えてしまったとしても、縁がなかったことになっても、また繋がりあえるというのなら…………そんな奇跡があるなら、私はきっとあなたに会いに行く」

「はい……」

「私、これだけ恋焦がれたのは初めてなのよ。だから、きっときっと、またあなたに会えたとしたら、惹かれるに違いないわ。姿形は違っても、きっとそうなると思うの。そうしたら、そのときは……」


 彼女自身もまた涙声で、声を詰まらせながら彼に最後まで言葉を伝えようとしている。余すことなく、その想い全てを。


「きっと私を、また見つけてちょうだい。そして、もう一度、いちからあなたに見初められたいわ。これが……私からのお願い」


 透けた手がとうとう空を切り、繋がれていた手が離れる。

 すぐそばにいるのに、決して触れられない。その手を追って春国さんは倒れ込んだ。


「あらあら、本当に情けない人」


 もうひとときも猶予が残されていないというのに、幽家さんはころころと笑っていた。


「嫌です、行かないで。お願いです、まだ!」

「ごめんなさい。もう、触れられないの……」

「いやです、いやです冬日さん……っ、離れないでください。あなたと一緒に行きたいところがあるんです、あなたと一緒にもっともっと……っ、過ごして、それで……僕、は」


 膝をつきながら泣き崩れる彼に、立ったまま幽家さんはその顔を手で覆う。


「約束、しましょう? 春国さん。また、私は会いにくる。そうしたら、あなたは、私を見つける。必ずよ」


 彼女の声が震える。


「はい……か、必ず。必ず、見つけ、ます。何年かかっても、何十年かかったとしても、僕の長い長い寿命が尽きるまで、きっと、あなたを探し続けて……それで、きっと、あなたを見つけてみせますっ」


 涙でぐちゃぐちゃになりながら、けれどしっかりと約束を交わした二人は、春国さんが立ち上がったことで再び向かい合う。


「……っ、愛しています。冬日、さん」

「ええ、私も愛しているわ。だから春国さん、きっと私を見つけてね」


 ――巡り巡って、この場所で。


「また、会いましょう」

「ええ、またね」


 光に透け、もうほとんど見えなくなった冬日さんに、春国さんがそっとその唇に顔を寄せる。もう触れられないというのに、二人の影が重なって、すぐにざあざあと強い強い風が全てを流すようにその場を駆け抜けていった。


 カラン、と音がする。

 その場に落ちた一つ葉のネックレスが、この世にもう彼女が存在しないことを示していた。しかし、同時にこの世に彼女がいたことを証明してもいた。


「何十年、何百年かかっても、きっと、見つけてみせますから」


 石畳に落ちたネックレスを手に取り、春国さんが呟く。

 その顔は泣き腫らしたようにひどいものだったが、強い想いをその胸に秘めていることは明らかで……以前よりもずっとずっと男らしい顔をしている。


「だから、覚悟……していてくださいね。あなたの未来は……産まれたときから狐の嫁となることが決まってしまったのですから」


 そして、彼は名残惜しそうにしながらも神社から足を踏み出していった。

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