狗楽転生
「くしょっ、結界が敗れない!」
誘理の姿で情けない声をあげながら、コレクターが言う。
その子の姿でそんな汚い言葉遣いをするのは正直やめてほしい。
――アオオオオオオオン!
俺の「行くぞ」という声に反応した黒い波が動き出す。
足元を真っ黒な煙を纏った大型犬が次々と駆けていき、コレクターによって放たれた巨大な昆虫達をその波が押し潰すように一匹一匹ご丁寧に殺して回っていた。
足の速さでは犬に勝てない俺達人間がそこを通る頃には、黒犬の群れという圧倒的な数の暴力によって蹂躙された虫の巨大な死骸が放置されるのみとなっている。
それに慌てたのはもちろん、コレクターである。距離を詰められる前に対処しようと腹をくくったのか、なにやら呪文らしきものを唱えて犬神の群れへと指先を向けた。
「ギャンッ!」
すると犬神の一匹が悲鳴をあげ、足をもつれさせてその場に滑るように倒れる。
「どうした!?」
「カマワズ、イケ!」
その側を走り、足を止めそうになるも紅子さんに手を引かれて言われたように通り過ぎる。
通り過ぎさまに見えたのは、犬神の足が異様に収縮して萎びたような状態になっているところだった。
「呪いか」
「そんなところだね」
結界の端で次々と呪文を唱えるコレクターに、一部の犬神が行動不能にされていく。しかし彼らも諦めることは決してない。
赤い目を爛々と黒い煙の向こう側で光らせて、その光が線を描くようにして駆け抜けていく。足を止めることはなく、脱落する仲間に目もくれず、群れは雑魚を片付けながら、着実にコレクターへと近づいていく。
それに続いて俺達だ。
足の速さでは幽家さんと春国さんのほうが早いのだが、犬神が足をやられてしまう光景を見たためか、スピードを緩めて俺達と並走しながら撃ち漏らしの虫をばっさりと斬り裂いて行っていく。
春国さんは人ではないからともかくとして、人間である俺や幽家さんがあの呪いをかけられたら、ただではすまないからだ。
クロはというと、犬神達が気を焦いて返り討ちに遭っている横を後から悠々と走っていく。その際にもなにやら倒れた犬神達に声をかけられていたようだが、さすがにその内容までは聞こえなかった。
そうして残り三匹となった犬神が、とうとうコレクターに飛びかかる。
「くしょっ、やめろぉ!」
自身の作り出した犬神に両足を噛まれ、コレクターの動きが止まる。
その腕で犬神を打ち据えてやろうとするも、残り一匹がその腕を噛んで呪いの発動を抑えた。
「今ですよね」
春国さんが走るスピードをあげてコレクターの元へ。
相手が人間の姿をしているからだろうか? 春国さんは狐面をつけずにそのまま勢いをつけ、誘理のお腹に掌底を打ち据える。
コレクターはその衝撃に悲鳴をあげるも、両足と片手を噛まれて組み付かれた状態では逃げることも受け流すことも、倒れることもできずもろにその攻撃を受けた。
誘理の背中から青白い炎のような人魂が飛び出し、宙に浮かぶ。
今度は幽家さんが走るスピードを早めて太刀を構え、その魂に一太刀浴びせて傷をつける。すると、青白かった魂の中から押し上げられるように白い人魂が迫り出す。
そして、青白い人魂と白い人魂が横並びになったとき――俺の腕を掴んで紅子さんが「八千っ」と小さく呟いた。
次の瞬間、今にも隠れて行ってしまいそうな青白い魂と、横に並んだ白い魂が目の前には現れた。いや、目の前に現れたのは俺達のほうである。構えていた赤竜刀に「やり遂げる」という決意の気持ちを込めて、その繋ぎ目に向かって振り下ろす。
「そこだぁ!」
薔薇色の炎が吹き上がり、縦に一閃。
ちょうど繋ぎ目の位置を抵抗もなく斬り裂いた赤竜刀が地面に食い込む。
あとには白くて小さな魂と、青白い魂が綺麗に切り離されて浮遊していた。
「誘理、こっちに」
紅子さんが誘理の魂を抱き寄せてその場を離れる。
そして青白い魂が慌てたようにするが、その抵抗も無駄に終わった。
なぜなら、コレクターの魂はその瞬間パキパキと端から結晶と化して行ったからである。
「ようくやってくれたぞ、お前達」
ゆっくり、ゆっくり歩んでくるおいぬ様から声がかかり、俺が振り返るとおいぬ様は妖しく笑った。
「さあ、犬神ども。あれを喰らえば終わりぞ」
犬神から転生し、狗楽となれるのはただ一匹のみ。
その言葉が思い起こされる。
歩み寄ってきたのは……。
「オ前達ノ願イ、シカト聞キ届ケタカラナ」
軽自動車ほどに巨大化したクロであった。
それに驚いて辺りを見回すと、コレクターにやられて倒れていた犬神や、最後の最後にコレクターに噛み付いていた犬神が全員いなくなっている。彼らがいた場所に残っていたのは、赤黒い血の跡だけだ。
ナツメだけが、なにも手を出さずに曖昧な笑みを浮かべてそんなクロを見つめている。
「ほう、より強い蠱毒の力を得て狗楽になろうとするか。吾は我が同胞となる者が強くなるのは嬉しいぞ」
そして、結晶と化したコレクターの魂を、その巨大な口でひと飲みにしたクロが吠える。
内側からしゅうしゅうと煙を吹き出しながら、その口からクロの声でもない、男とも女ともつかない絶叫があがっているのだ。
クロの胸の部分に宝石のようなものが迫り出し、彼の体から搾り取られるように真っ黒な煙が湧き上がるとその宝石の部分へと収束していく。
絶叫する彼に、天上から祝福するように太陽の光が降りて照らす。
状況だけは非常に神々しいというのに、どす黒い煙が宝石に込められ絶叫する彼の姿を見るととてもではないが、それとはかけ離れたものであると思えてしまう。
神々しいはずなのに、おぞましい。そんな矛盾した光景。
煙の最後の一筋が宝石に収束しきると、その宝石の表面に苦しむ壮年の男性の顔が浮かび上がる。しかしそれも一瞬の出来事だ。
気のせいかと思っているうちに、クロの姿は段々と縮んでいき、悲鳴をあげすぎて声がガラガラになった頃、どさりと地面に膝をついた。
「…………」
その場に最後に残っていたのは、おいぬ様と似た白目のない黒塗りの瞳に曝け出された先程の宝石――結晶の嵌まった胸板。そしてクロの特徴を表すような犬耳の生えた黒い髪の人型をしたなにかであった。
「おめでとう、我が同胞よ。吾はお前を歓迎するぞ」
沈黙が落ちる中、おいぬ様だけがくつくつと笑っていた。