誘理を、助けるために
「あの者達は復讐を躊躇わないぞ。お前とは違い、手を緩める理由もなし。人狼の小僧は狗楽となるつもりはないようだが、あの者達を止めることもない。出し抜かれて、復讐も大切な者もなにもかも食い尽くされてからでは遅いぞ」
おいぬ様の容赦のない言葉にクロが俯く。
今のところは、ナツメがなんとか他の犬神達を牽制して話し合いの時間を作ってくれてはいるが……彼がずっと抑えていられるわけでもないし、犬神達に喰うなと言うことをきかせるなんてことができるわけでもない。あんなに人懐っこくて気さくなヒトではあるが、彼も犬神だ。恨みがないわけじゃない。犬神達の復讐を止めることはないだろう。
「……おいぬ様。誘理の魂は消されてしまったんですか?」
「いいや、消えてはおらんよ。奥に隠されていたコレクターの魂が、あの娘の魂を丸め込んで表層に出てきているだけぞ。しかし、あの男と娘の魂はぴったりと融合してしまっているからなあ、切り離すなんてことはできぬだろう」
誘理は、まだあそこにいる。
項垂れて悩むクロに、厳しい顔で唇を噛む紅子さん。
唸る犬神達は周囲に出現した巨大な虫の化け物達を、まるで準備運動するかのように次々と群れで狩っていく。ナツメはそんな彼らが安易にコレクターへ手を出さぬようにしながら、こちらを流し目で確認してくる。
コレクターの魂と誘理の魂はもはや切り離すこともできぬほど融合しているという事実。それはつまり、復讐をしてコレクターを喰うならば、誘理の魂ごと喰う必要があるということ。
おいぬ様の説明では、狗楽となる犬神に喰われた魂はその狗楽が滅びるまで永遠に輪廻の輪に還ることなく、その身体の中で苦しみ続けることとなるらしい。復讐のためとはいえ、誘理をそれに巻き込めるのか?
クロは目を伏せて切なげに声を出す。
その音に乗せられた感情はどうしようもないほどの『絶望』ひとつ。
「……なあ、紅子さん」
普通ならこんな絶望的な選択肢ごめんだ。昔の俺ならきっと、こんな局面に立たされたら逃げ出していただろう。耳を塞いで、目を伏せてどこまでも逃げていたことだろうな。
けれど、今は違う。俺はもう諦めないと決めたんだから。
「切り離すことができないほど、融合した魂。それを切り離そうとするのは――無謀か?」
俺の言葉にハッとして、それから紅子さんは微笑んだ。
「なんというか、すっごく無謀な試みだねぇ」
絶望? 違う。むしろ俺は、おいぬ様からの言葉でほんの少しだけの希望を見たんだ。最後まで足掻くことにこそ意味がある。試さずに諦めるなんて以ての外だ。絶対にやってみせる!
「そういうことなら、僕もやりますよ。いいや、僕もやらなくちゃいけないんです。誘理のために。僕達が」
「そんなことを言うということは、どうにかできると取って良いのかしら?」
いつのまにか二人が近くに来ていたようで、尋ねてきた幽家さんの言葉に頷く。赤竜刀についての話は今しても混乱するだけだし、そちらはしないが……「俺のこの刀ならできるかもしれない、ってことです。諦めるのはまだ早い」と一言告げた。
幽家さんはそんな曖昧な言葉に眉を寄せるが、しかし首を振って春国さんを見る。
「僕もあの村での出来事は、浄化のお仕事の都合上聞き及んでいます。祟り神を相手に無謀にも打ち勝ったと。刀の性質もそうなんでしょうが、今の言葉を聞く限り、あなたが諦めなかったこともその要因のひとつなんでしょう。信じますよ?」
「……俺は、その信頼に応えられるように頑張るだけだよ」
「そこは断言してくださいよ」
言われて気がつく。それもそうだ。曖昧に肯定なんかされたら、この大事な局面だ。不安にさせてしまうだろう。ここで謙遜はいらない。
「それもそうか、ごめん。絶対にやってみせる」
「それでこそです」
俺達のやりとりを見ていた幽家さんも、ふっと力を抜いたように息を吐く。「そう」と呟いて、その頬を気合いを入れるようにぽんと叩いた。
「あの子には、私も随分……そう随分と助けられたわ。なにをしてくれたというわけでもないけれど、あの子が無邪気に慕ってくれたから、焦って荒んでいた私も余裕を持てたの。だから、だからね……今度は、私の番だと思うの。あなた達ができるというなら、協力するわ。信用してみる価値はありそうね」
微笑む彼女と、協力を申し出てくれた春国さん。それからゴールデンレトリバーの着ぐるみを纏ったティロもまた、ぽよぽよと可愛らしい足音をさせながらクロに近づき、慰めるようにその頬を寄せる。
「く、くくく……いやあ、おもしろいのう。良いだろう、やってみせるが良いぞ。そして吾に見せてみよ。お前達の『意思の力』というものを」
くつくつと控えめに笑っておいぬ様が引き下がる。
けれどさすがに忠告と説明つきだ。
「お前達はあの娘の体から魂を取り出すことに集中せよ。魂が見えねば切り離すもなにもないからな。体から二つの融合した魂を追い出し、表層の男の魂を傷つけよ。さすれば、男は身代わりの為に娘の魂を表層に出そうとするだろう。切り離すならば、そのときぞ。良いな?」
「はい」
声が昌和した。
「良いか? 犬神どもよ。狗楽となれるのはただ一匹のみ。吾が結晶と変えた男の魂を喰ろうた者ただ一匹のみぞ。お前達は争い合うのか? それとも協力し合うのか? 決めておくが良い。どうすれば良いのかと」
おいぬ様の響き渡るような声に、犬神達がピタリと足を止める。
そして一斉にナツメの元へ伺いを立てるように向かった。
「っと、オレは確かにリーダーやってるけどさあ。え? いや、オイラは狗楽とやらにはならないぜ? 里に帰んないといけないし、家出中の弟捜さないとな。おうおう、好きにしろって」
ナツメがそう言うと、計十匹の黒い犬神達がこちらにやってくる。
「オレタチ、マケナイ。デモ、狗楽ニナレナクテモ、狗楽ニナッタヤツニ、ツイテイク」
「ナラ、オレニ、ツイテイクコトニナルダロウナ」
「イッテロ、オヒトヨシ」
クロに負けないぞと口々に宣言する犬神達へ、彼は彼で揺るぎない自信を持って自身が狗楽になるのだと言う。
どうやら競争になるようだが、きっとクロならやってくれるだろう。
俺達はただ、魂を切り離すことに集中するべきだ。
「僕が、霊力を叩き込んで魂を追い出します。それからお二人で切り離すほうをやってください」
「了解」
「ええ、あそこに行くまでの露払いも任せてちょうだい」
「露払いならアタシも参加できそうかな」
それぞれの役割を決めていざ、コレクターの元へ。
話し合いの最中にも増えた虫の化け物達と、結界の端を壊そうとしているコレクター。ちょっと距離は遠いが、なんとかなるだろう。
「行くぞ」
大勢の声があがる。
二人の人間と、一人の幽霊、そして人型の狐にティロも加えた十一匹の黒犬達の波が動く。
誘理を、助けるために。