コレクターの最期
屋敷の中央から左右へと伸びる階段。
幽家さんとそれを追いかける春国さんや誘理、そんな三人を追って俺達は右側の階段を登っていく。多分飾りでついているだけで、上の階では廊下が繋がっているタイプの階段だろう。だからあまり気にせずに上へ、上へと上がっていく。
「この屋敷、裏に丘があるから、三階の窓から丘にできた庭に出られるようになっているんだよね?」
「ああ、リンから話を聞いた真宵さんはそんなことを言っていたな」
「それって庭から逃げられちゃうんじゃないのかな」
「でも現に今は逃げずにクロが足止めしているんだろ?」
「そうらしいけれど……」
屋敷の背面は丘の中をくり抜くようにして建てられているらしい。耐震性に欠陥があるんじゃないかとしか言えないのだが、外装からしてわりと古い建物っぽいので、今までの災害の被害には遭ったことがないのかもしれない。魔法的、魔術的強化でもしているんだろうか?
誘理やクロが閉じ込められていた地下とやらの正体は案外、本当に地下じゃなくてその丘の内部に位置する場所だったりしたのかもしれないなあ。
先を行く幽家さんが次々と扉を開け放っては「違うわ」と言いながら進んでいく。そうしていよいよ、ベランダか中庭への入り口らしきガラス製の扉を発見した。
「ここで最後よ」
「冬日さん、もう少し慎重に行きましょう? 焦っても上手くいかなくなってしまいますよ」
「私は、私はこの上なく冷静だわ」
「そういう返しをする時点で怪しいですって」
「言うわね春国さん、ビビりの癖に」
「そ、それは今関係ないじゃないですかぁ!」
ふっと笑う幽家さんに、春国さんが弱ったように返す。
けれど、今のやり取りだけで幽家さんの緊張は随分と解けたようで、早足だったその歩みがほんの少しだけ緩む。からかうようにしているが、明らかに春国さんと会話することで彼女の精神が安定した。どうやら春国さんも、チャンスがないわけではないみたいだ。
ただ、そう、たとえ両想いだったとしても、彼女が消えていってしまうという事実は変わらないのだが。
「行くわ」
「……冬日さん」
「なにかしら」
「僕、もう誤魔化しませんよ。たとえあなたが消えてしまうと分かっていても、あなたにとって迷惑かもしれないと分かっていても、僕の気持ちは変わりません」
扉に手をかけた彼女の動きがピタリと止まる。
その表情は後ろからでは分からないが彼の言葉を聞く気はあるようで、扉に手をかけたままそっと俯いた。
春国さんは彼女に想いを伝えれば迷惑になると考えていた。消えてしまう人に想いを伝えても、その当人は想いに対して返すことができなくなる。両想いになってしまえば、そう分かってしまえば双方にとって別れがただ辛いものとなるからだ。
けれど、春国さんは勢いとはいえ告げてしまった。
開き直った彼は、もうその純粋な想いを隠すことなく彼女に伝える。それで彼女の覚悟が揺らいでいるかもしれないことを知りながら、ただ伝える。それがとても残酷なことであると分かっていながら、身勝手に言葉を紡ぐ。
これは、彼のわがままだ。
これは、彼の身勝手さだ。
そしてこれは、彼の傲慢さだ。
「僕は……本当に本当に、あなたのことが好きなんです。それだけ、それだけはきっと覚えていてほしいと、そう願ってしまいました。ごめんなさい」
「狐って結構自分勝手なのね。呆れたわ」
「き、狐全体が僕みたいに自分勝手なわけじゃありません! そこは勘違いしないでくださいよ。僕だってここまで自分勝手になるのはあなたにだけです!」
「ひっどい殺し文句だわ。まったく、本当に酷いひと」
息を吐いて、幽家さんは絞り出すような声を出す。
そして、それから振り返らずにくすりと笑った。
「私に惚れているなら、惚れているなら……それなら精々役に立ってちょうだいね」
わざとらしく、そんなひどい言葉を吐き出しながら。
「ええ、こき使ってやってくださいね。格式高い狐の僕をどうこうできるだなんて、あなたぐらいです」
そして、春国さんのほうもひどく傲慢に返す。
春国さんの着物の裾を掴んだ誘理は、二人の言葉遊びに視線を右往左往させながら首を傾げている。きっと大人特有の、色々と包み込んだ言葉のやりとりがよく分かっていないんだろう。
「……」
いつもは俺達も、皆の目にはあんな風に映っているんだろうか……? そんなことを思いながら紅子さんの手に自身の指を絡める。
それから、二人はもうしばらく言葉遊びをしたあと沈黙する。
「時間が惜しいわ。もういいでしょ? 今度こそ行くわよ」
「はい、覚悟はできました」
「散々待ってあげたのだから感謝してちょうだいね」
「ええ、もちろん」
そして彼女は扉を押し開く。
ガラス扉といっても、そのほとんどは磨りガラスだ。表の光景はほとんど見えない。しかし、扉のすぐそばにクロやコレクターがいないことだけは確かだ。
胸を張って踏み出していく幽家さんに引き続き、春国さんと誘理が三階の扉から裏の丘へと進んでいく。
その後ろを俺達もついていけば、この段階でようやく真宵さんとおいぬ様が追いついて来た。
「あら、まだ外に出ていなかったのね」
「ちょっと色々ありまして」
真宵さんに返すと、無言で歩いていく春国さん達の様子で察したらしく、「そう」と微笑んだ。
自然で溢れた丘の景色の中を歩いていくと、少し離れたところで下り坂になっているのが見えた。そして、その下り坂の手前でおすわりをして下をじっと見つめている黒犬が一匹。
「クロ!」
誘理が駆けていき、彼の首元に抱きつく。
しかしクロはすぐにぐいっと鼻を押しつけて彼女を自身の体から離れさせる。
見ると、明らかに誘理の服が真っ赤に染まっていた。
それはクロに触れた場所であり、そして……。
「グルルルルル」
黒い毛並みで分かりにくいが、クロの口元や胸元もまた真っ赤に濡れていたのだ。
「……もう、終わっていたのね」
幽家さんの呟きと、絶句している春国さんの視線を追う。
俺達も下り坂の下を見れば――そこには一人の男が転がっていた。
血塗れとなり、至るところが食いちぎられたように欠けている男の死体。
クロがなにをしたかというのが、一瞬にして理解できる光景。
「呪い返しで死んだ……のか?」
ぽつり、俺の言葉がその場に落ちる。
これで一件落着? 本当に? なんでだ、これで終わりのはずなのに、どうしてこんなにも不安になるんだ。
吸い込まれるように死体に視線が釘付けになる。
「皆様、こちらへおいでになってくださいな」
「え?」
真宵さんの言葉に振り向き、切羽詰まったような彼女の声に自然と俺の足が動く。紅子さんを連れて彼女の元まで行くと、ふわりと微笑まれた。胡散臭い笑みだ。それは、なにか考えているときの、神様特有の笑み。
なにか考えがあるのか? 胸に渦巻く不安の答えを知ることができるんじゃないかと、期待して彼女を見るが……ただ笑みを返されるだけである。
それから、危機感に訴えかけられたのは春国さんも同じだったようで、呆然としている幽家さんと誘理を連れながら真宵さんの元へ歩み寄り……、途中で誘理の手がバチリと、まるで真宵さんに近づくことを許されなかったように弾かれた。
「誘理?」
「ユーリ、どうした」
クロもおいぬ様に手招かれて移動していたが、ただ一人だけ誘理はその場に佇み弾かれた手を見つめる。
「い、痛いでしゅ」
「あの、真宵さんこれはいったいどういうことですか?」
春国さんの言葉に真宵さんが笑みをますますと深める。
「結界を張りました。わたくしどもに悪意ある者を、通さない結界を」
「え?」
春国さんと幽家さんが、愕然として俯く誘理に視線を向けた。
「………………」
「のう、藍色の。饅頭の中身はなんだったか?」
「これが答えですわ。粒餡とこし餡、どちらも混ざり合っているのです。ああ、これだとどちらかの餡を否定していることになりますわね」
そんなやりとりをしながら二人が妖しい笑みを浮かべる。
なんだ、なにが起こっている……? 混乱の中で、必死に彼女達の言いたいことを考えた。
「非道い行いですこと。まさか実の娘の魂で、自身の魂の欠片を覆い隠していただなんて。誘理ちゃんの意識がしっかりと残っていたことも、彼女が一切気づかなかったこともあって、とてもとても残酷ですわ」
扇子を開いて口元を覆いながら真宵さんが眉を顰める。
彼女の視線は未だ俯き、なにも言わない誘理に向けられていた。
「これが実の父親のすることだと思うと、本当に残酷ですわね。保険だったのでしょうけれど、呪い返しで死んだときのために娘の体を乗っ取る準備をしていたのでしょう。ねえ、コレクターさん?」
己の血塗れになった服と手を見つめながら……誘理は、誘理らしからぬ意地の悪い笑みを浮かべた。