黒犬群衆
「黒犬、準備は良いか」
「アア、頼ム」
クロは黒く長い尾を揺らしながらおいぬ様の前へと移動する。
そして瞳に紫色の強い強い光を灯して、跳んだ。
「グアアアウッ!」
犬神は呪いの一種とは言うが、その実態は相手に取り憑き直接的に噛み殺す、物理的な物であることが多い。もちろん霊的存在に対して耐性や干渉力を持たない一般人には触れることができないため対処不可能な存在だが、俺達のような者にとってはそうではない。
襲いかかったクロをおいぬ様が受け流すように、しかし押し返すようにその手の平で触れる。するとバチンッと強い電流のような光が迸り、クロが短い悲鳴と共に身を翻して宙を飛んでいく。
「リン」
「きゅいっ!」
俺がリンを空中に放り投げ、犬神にくっつかせる。それからゆっくりと、俺達はその行方を追い始めた。
◇
そして、途中で戻ってきたリンに場所を聞き、真宵さんが鏡界を繋げて辿り着いたのは大きな大きな屋敷であった。
「ここが……、私、私やってみせるわ。この木枯で術者を叩くのよ!」
幽家さんが、俺達を襲撃して来たときに使っていた太刀を手にそう呟く。
そんな隣では、暗くおどろおどろしい雰囲気の屋敷に怯えた様子の春国さん。誘理と手を繋いでガタガタと震えながら、しかし好きな子の前だからと弱音を吐くまいと必死で堪えている様子だ。完全に顔が青ざめているが、なんとかそれで体裁は保っている。
「ぼ、ぼ、ぼ、僕だって、やればできるんですからね」
「でもあなたは狐面を被っての広範囲浄化はしてはいけないわよ。一点集中でできるなら、それをなさいな」
「うっ」
そうだ。春国さんは広範囲浄化を得意としているが、それは狐面を被り恐怖心を消して無差別に行うものだからこそだ。一点集中さえできればいいのだが、それができない以上、今は中にクロもいることだし彼は動けない。
さすがにクロが祓われてしまうことになるのはまずい。彼の心も救うと決めているのだから。
「行こうか」
「ああ、行こう」
目を瞑る。
ここはこういう事態に何度か巻き込まれて慣れている俺達が先陣を切るのが理想だ。頭に血が登った状態の幽家さんを真っ先に行かせて危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「リン、場所は分かるな?」
「きゅいっきゅ」
当然とばかりに頷くリンの顎を撫で、その手の中に包み込む。
ゆっくりと薔薇色の鱗が浮かび上がる打刀となるリンを撫でて決意を込める。
――瞳は普段の紫色から爬虫類のような金色へ。
意識を切り替えて、振り返る。
「念のため俺達が先に行く。皆はついて来てくれ」
「そうこなくっちゃね。アタシもやるよ。左側は任せて」
「分かった。紅子さんが左なら俺は右だな」
確認して頷く。
彼女も既にガラス片を手にし、首に襟巻きのように八千を巻きつかせて前を睨み据える。
「冬日さん、今は温存してくださいね」
「ええ、ええ、分かったわ。あなた達の気遣い、感謝するわよ」
「クロのとこまで行きましゅ!」
春国さんの言葉に頷いて幽家さんは誘理と手を繋ぐ。
はやる気持ちを抑えつけるためにもそうしているほうが落ち着くのだと思う。
「住居不法侵入だな」
「当たり前でしょ。これはカチコミって言うんだよおにーさん」
「そういえばそうだったな」
半笑いで扉に手をかける。当然のことながら鍵がかかっている。
しかし紅子さんが「こういうときはアタシがやるべきだよね」と言いながらその身体を薄れさせて紅い蝶々に変化する。
そして扉の向こう側へ消えたと思うと、カチリと鍵の開く音がした。
「すり抜けるのはものすごく苦手だから、こうしてすぐに移動できるときじゃないとできないけれど、アタシもちゃんと役に立つでしょう」
誇らしげに言う彼女に「もちろん」と返して笑う。
それから屋敷の中へと入った。
「きゅうん」
刀から抜け出した半透明のリンが道標となり、行くべき道を選択する。
しかし上手くいったと思われた不法侵入は、そう簡単には大ボスのところまで辿り着けないようになっているようで……。
――グルルルルウ。
複数の黒い犬達が、俺達の進行を防ぐように現れた。
ゆらゆらと毒々しい煙をまとい、ギラギラとした首輪をはめた犬神の群れである。
「あんた達の気持ちは分かるけどさー、オレ達もあの人間に従わなくちゃなんねーんだよね」
その黒犬の群れの中から歩みやって来た一人……いや、一匹の、人型をした犬神が苦笑いで言う。
「痛くしたらごめんな? でも、オレ達〝黒犬群衆〟を止められるもんなら止めてみせてよ。ま、お手柔らかに、よろしくしてほしいね」
軽薄にカラカラと笑いながら褐色に黒髪の少年が笑う。しかし、その髪は末端のほうから色素が抜けているようで先が白い。
呪術コレクターの本拠地。
なにもないとは思っていなかったが、まさか犬神がこれだけたくさんいるとは。人型の彼合わせて合計五匹いる黒犬が牙を剥く。
周囲から集まって来たのか無数の蛇やサソリ、ムカデまで集まって来ている。あれら全てが蠱毒だとしたら……?
いや、考えるのは後回しだ。
俺はただ、立ち向かってあいつらを下せばいい。それだけでいい。別に複雑に考える必要なんかなくて、シンプルでいいんだ。
「……蛇は、わたくしに任せてくださいな」
真宵さんの言葉に頷く。
そうだろう。彼女が操られる蛇達を哀れまないわけがないから。
「さあ行くぞ。噛み殺されたくなかったら、立ち向かって来るんだなあ!」
構える。
そして、玄関口での戦闘が開始した。