呪い返しを辿れ
期日が来た。
もうこれ以上日を伸ばせば、呪術コレクターが動き飛行機事故を引き起こすだろうハイジャック犯達が殺されてしまう。
その話だけを聞けば飛行機事故なんて悲惨なもの、防ぐほうが正義に思えてしまう。しかし、本来はそれこそが正しい歴史。防がなければ、生き残った人達は永遠に夢の中で死を体験し続けるらしい。
全ては幽家さんからの又聞きでしかない。
しかし、その言葉に確かな根拠と、そして説得力はあった。
自分自身の存在と引き換えにしてまで正しい歴史に戻す。そんなことができる人が、ただの我儘で時間遡行をしようとするはずがない。
また、俺達がトリプルデートをしている間に、真宵さんが詩子ちゃんにその未来が起こりうるかどうかを確認していたようだ。結果は黒。このまま動かなければ、本当に起こる出来事であるということが分かった。
だから俺達は止めなければならない。
そう、飛行機事故が止められて大勢の人が救われるという過去改変を消し去らなければならないのだ。
「準備はいいかしら」
「吾はいつでも動けるぞ。小娘共の心意気次第よ」
真宵さんとおいぬ様が軽いやりとりをして、とうの本人である幽家さんに春国さん、そして犬神のクロと誘理が向き合っていた。
「これから行うのは呪い返しですわ。犬神が返されていく方向を辿り、そうしてコレクターを叩くのです。そうなればもう後戻りはできません。充分に話し合いをなさい」
優しさからか、真宵さんがそう言った。
古びた神社の石畳の上で俺達はそれぞれ目を合わせる。木々のざわつく音が耳を擽って通り抜けていく。
俺は僅かな緊張と不安と共に、紅子さんの手に自分のそれを重ね合わせる。
あちらからも絡めるように触れられた手を繋ぎ、不安なままただその行方を見守ることしか、俺達にはできない。
刹那さんも春国さんの恋の行方は気になっていたようだが、残念ながら今この場にはいない。新聞記者のほうの仕事が入ったようだった。
「冬日さん」
「大丈夫、大丈夫よ春国さん。これは、これが私のやりたいことだわ。お願いだから、応援をしてちょうだい?」
「……はい、そう、ですよね」
既に泣きそうな春国さんは目元を着物の袂で拭い、笑顔を見せる。
明るい髪をゆるくなびかせながら、冬日さんはつられるように微笑むと顔を伏せる。眉を寄せて切なげに。
春国さんの着物をしわができてしまうほどにぎゅっと握りしめて俯いた彼女は、「でも」と言葉を続ける。
「あなたのせいで、少しだけ怖くなってしまったわ。だから、だからね。安心させてちょうだい。私ならできると、そう言ってほしいの。春国さん」
「あ……っ、…………そう、ですね」
何事か言いたげに、そして詰まりながら春国さんは歯を食いしばる。
彼自身が、彼女の背を押さなければならないのだ。彼女が消えてしまうことを肯定しなければならないのだ。それはどれだけ苦しいことか。
「ふ、冬日さんならっ、できます。あなたならきっとできます。あなたはすごい人だから、僕が保証しますっ、だから、だから……きっと、大丈夫です」
「本当、みっともない人だわ」
泣きそうな声で言うそんな彼に、呆れるようにしかし穏やかに冬日さんは笑った。仕方のない人だと笑って許して、そうして彼女もどこか泣きそうに目を細めて。
「僕は、僕はあなたがいい。あなたじゃないと嫌です。それでも、それでもやるんですよね」
「ええ、ええ。それでも私は止まることなんてしないわ。私は私を殺すの。私の存在を踏みにじる。望みを断つのよ。そして決して生まれてこないように」
「……そう、ですか」
彼女の覚悟は固い。
説得するように話していた春国さんは、肩を落としてなにも言えなくなってしまった。
それから俺は視線を誘理とクロに向ける。
「クロ、クロ、離れるのが怖いでしゅ。もういなくならないでほしいのに。行っちゃ嫌でしゅ」
「大丈夫ダ、ユーリ。オレタチハ、コノ場所デ再会デキタ。一度離レテ『巡リ巡ッテ、マタコノ場所デ会エタ』ノダ。ダカラ大丈夫」
「クロ……」
大きな黒犬の首に抱きつきながら、誘理が涙を流した。
しかし彼女もまた強い女の子だ。涙を見せながらも納得の姿勢を見せる。
「わ、分かりました。あちしも、あちしも頑張りゅ。クロも頑張って」
「アア、ユーリ。必ズ。必ズヤ憎イアノ男を葬ッテカラ、オ前ヲ迎エニ行クヨ」
頬をすり合わせて誘理とクロが誓う。
こちらの二人のほうが覚悟を決めるのはどうやら早かったようだ。
「あ、あの、僕冬日さんと誘理に渡したいものがあるんです」
気がつけば、春国さんと幽家さんが誘理達に近づき、春国さんのほうがそう言った。
「渡したいもの?」
「はい、せめて、少しでも僕が希望を持つために。お願いです、受け取ってほしいんです」
彼が取り出したのは、三つのネックレスのようなものだった。
雫のような形をした三つのネックレスを、彼は雫の部分を合わせるようにしてカチリとはめ合わせる。すると、その雫型の部分が三つ合わせて三つ葉のクローバーのような形になった。
「あの、すごく単純なんですが……こうして仲良くなれたわけですし、こうして三人の絆の証……みたいなものがほしくてですね」
「私は消えちゃうのよ? 呆れた人ね」
「あちしもユーレイでしゅよ?」
言いながらも笑顔の二人に、春国さんはくしゃっと顔を歪めて泣き笑いをする。
「だから、ですよ。僕のただの願望です。また会えるように、そんな足掻きのひとつがこれです。気休めかもしれませんが、僕は諦めたくなんてありませんから。またこの場所で、三人一緒にいられるように」
呆れたようにしていたものの、二人は拒絶することなんてなかった。
それぞれがクローバーのカケラをネックレスとして身につけて、そして誘理を中心にして手を繋ぐ。まるで親子のようにも見えるその光景に、訳も分からず俺自身も泣きたくなった。
「もう悔いはありません。準備は終わりです」
「私もそれでいいわ」
「あちしも」
三者三様の準備完了の言葉を送る。
そしてその様子をただ静かに見守っていた真宵さんは、広げていた扇子をパチンと閉じる。
「それでは、始めましょう」
「呪い返しを始めれば、もう後戻りはできぬ。それでも良いな? 小娘共」
彼と、彼女達は、晴れやかな顔で頷いた。