春と冬は対極にして、隣り合わせ
「まとまったな? では、吾はしばらくこの町を眺めることにしようぞ。ここにおっても、小娘の身体は休まるまい」
「朱色のはその場にいるだけで緊張させてしまいますものね」
着物の裾を払っておいぬ様は立ち上がり、俺達を眺めて踵を返す。
あっさりとしたその引き下がりかたに、真宵さんも続くように立つと微笑む。神様達はやつれた様子の幽家さんを気遣ってだろう、方針がまとまった途端その場から去るようにバイバイと手を振った。
おいぬ様はいつの間にかその場からいなくなっていて、真宵さんは鱗でひび割れた空間を目蓋を上げるように開いてその中へ。
そして最後に真宵さんが振り返る。
「大丈夫ですわ。ゆっくりと身体と心を休めなさい。あなたが動かない限り……舞台も動くことはないわ」
その言葉を言い切ると同時に巨大な蛇の目玉が閉じられ、真宵さんの姿が掻き消える。鏡界を通って自分の居場所に戻ったのだろう。
しかし、最後に言っていた言葉が引っかかった。
俺達は早くしなければタイムアップを迎えてしまうかもしれないと思っていた。けれど、真宵さんはそうは言わなかった。むしろ、幽家さんが動かなければ進展はないと言うような……そんな意味深な言葉。
まるで枠の外側からこちらを覗いているような言葉。
それで思い出す。彼女もまた、本来は邪神でもあるのだと。
あいつ……神内千夜と悪友でいられるだけの存在であるのだと。
疑いたくはないが、真宵さんがなにかを知っていながら黙っている可能性はあるのだ。神様というのは理不尽なもので、自分達のやりたいことや見たいものを優先することもある。あえてなにか大事なことを黙っていることもある。そう、俺達に全てを教えてくれるわけでもない。なにかを知っていたとしても。
俺達には一回しかない選択肢を選ばせるというのに。
神様達は先を見据えて考える余裕がある。
そういうものだと分かってはいるが、ちょっとずるいなって思ってしまう。
人間には、俺達には常にチャンスは一回きりしかないのにな。
「……俺達も退散するか」
「そうだね、アタシもちょっと疲れちゃったかな」
伸びをする彼女を見守りながら笑う。
俺達がこれ以上いてもお邪魔だろうからな。
「あ、えっと……すみません。ありがとうございました」
「いいよ。なにかあったらまた呼んでほしい」
「俺達も協力するからさ。放っておいたら寝覚も悪いし」
「……」
「ええ、よろしくお願いします」
春国さんは快く頷いているものの、俺達の言葉に眉間の皺を寄せる幽家さんもいる。彼女もまだ迷っているんだろう。誘理に膝枕させられ、両脇を犬神と猟犬二匹が固めて困惑しているのもあるが、彼女は慎重だ。そして少々過激でもあるし、感情的になりがちな危うさもある。
もしかしたら、今彼女は疑いの海に沈む自分自身を頑張って納得させようとしている最中なのかもしれなかった。
「ひとつ、いいですか?」
「はい、幽家さん」
顔を上げた彼女に応える。
「どうして私に関わるのかしら? あなた達に、そうあなた達に得なんてないのに」
そうは言われてもなあ。
この手の人は「困った人を放っておけない」なんて言っても逆効果になりかねない。紅子さんがまさにそういうタイプの子だし、経験済みだ。
「誘理と春国さんのためですよ」
「この子と……その人の? どうして、どうしてかしら」
「えっ、ちょっと下土井さん」
顎に手を当てて疑問を呟く彼女に、それだけだと告げて背を向ける。
誘理を助けたいと最初に言ったのは春国さんだし、彼女を助けたいと思っているのもまた、春国さんだ。
俺はこの間春国さんに仙果を使って怪我を治してもらったり、神中村の後処理をしてもらったり、してもらったことが結構あるのだ。そのお礼代わりに彼のやりたいことを手伝うと決めたのである。
たとえ叶わない恋かもしれなくても。
それが叶わないと決めつけるのは俺達ではない。運命でもない。足掻いて、足掻いて、それでも進んだ先に奇跡が待っている可能性だって充分にあるんだ。
結果は、やってみなければ分からないのだから。
「ぼ、僕の我儘ですよ。同情が嫌なら、ごめんなさい」
「そうね、嫌」
「あ、はい、そうですよね……あはは」
春国さんは参ってしまった風に乾いた笑いをこぼす。
まさか恋をしてしまったから救いたくなったなんて、そんなこと口が裂けても言えるわけがないからな。まあ、まだ恋をしているかどうかも、それを彼が自覚しているかどうかも、仮定の話なんだが。
「んんっ、ちょっといいですか? 下土井さん」
「お、おう……いいですけど」
なにやら焦った様子の春国さんに腕を掴まれ、連行される。
あとには呆れた目で俺達を見送る紅子さんと、不思議そうに首を傾げる幽家さん達が残った。
そのまま俺達は廊下に出て、それから外へ。
小屋といってもそれほど広くはないので、秘密の話をするなら外に出るしかないのだ。
「あの、あのですね下土井さん」
「あー、ごめん。なんとなく、幽家さんのこと気にしてるように見えたもので……間違ってたから本当にごめん」
「いえ、構いません。間違ってはいませんからね」
俺の腕をがっしりと掴んだまま、真剣な顔で春国さんが言う。
……ということは、予想通りか?
「わ、分かんないんです。僕、この気持ちが本当にそうなのかも……分からないんです。でも、でも下土井さんなら分かりますよね? 赤座さんに恋しているあなたなら、僕がどう見えるのか……分かりますよね?」
かなり必死な様子に、ああそうか人生で……いや、あやかし生? 精霊生? ではじめての恋なのだろうというのが理解できる。だから、その背中を押してみる。
「俺にも、紅子さんにも、春国さんがあの子に想いを寄せているように見えましたよ」
「………………そう、ですか」
ひょっこりと彼の頭から狐の耳が飛び出てくる。
感情の変化でこうなるだろうことは分かっているので、これは多分羞恥心なのか恋を自覚したことによる大きな感情の波に抑えられなくなったのか。どちらかだろう。
「一目惚れ……だったのかもしれません。いえ、違いますね。そう、さっき。さっきです。冬日さんが〝死にたくない〟って言ったとき、僕は〝いなくなってほしくない〟って思いました。電車の中での冷たさや、襲撃してきたときの凛々しさが全部、その願いを押し殺して作りあげられていたものだと、そう知って……僕は」
春国さんが目を瞑る。
「単純だなって、自分でも思っています。でも、その弱さを隠して、気丈に振る舞って、感情を爆発させて……死にたくないと思いながらも、必死に過去を正そうとするその心に惹かれてしまったんです。きっと、きっと、そう」
そして、力強く。
「僕は、冬日さんの必死に頑張る姿が好きになってしまったんでしょう」
最後は自嘲するように。
「恋してしまった……僕とは真逆の、彼女に。僕は臆病で、逃げに走っては銀魏達に怒られてなんとか仕事をこなしている情けないやつです。どうして、真逆の彼女に惹かれちゃったんでしょうね」
「真逆だからこそ、じゃないですか? 人って自分に足りないものを求めるものだって聞いたことがあるし。でも、それだけでは多分ないと思いますよ」
俺だって、真逆の考えを持っていた紅子さんに惹かれたんだ。
でも、そうやって理屈をつけてしまうのはあまり好きじゃない。純粋に好きになったわけじゃないんじゃと思ってしまうから。
「でも、僕がこれを告げることは有り得ないでしょうね……覚悟を決めた彼女の、その思考の邪魔になりたくはありませんから」
ふっと息をついて彼は泣きそうになりながら笑う。
「……春国さん、叶わないって分かっていて、さっきは慰めたんですか」
「残酷だなんてことは分かっています。今を正せば、過去改編で生まれた彼女が消えてしまうのは必然です。そんなの分かっています。でも、少しくらい奇跡を夢見たっていいじゃないですか。だから、ああ言ったんですよ」
そっか、と俺は空を見上げる。
無理だ、なんてとても言えやしない。それに、いつも足掻いて足掻いて足掻きまくっている俺がそんなことを言うのは違う。なら、俺が言えるのは。
「できる限りの協力はする」
「ええ、お願いします」
頬を滑って落ちてった雫は、地面に吸い込まれて消えていった。




