冬の日差しは時間と共に短く
俺達は女性と猟犬を表の神社の中へと運び込む。
「お兄さん、大丈夫?」
「あ、ああ、一応。おいぬ様に解呪してもらったし」
犬神から受けた腹の傷は不思議とあまり痛まない。しかし放っておくと呪いと穢れで侵食され、内臓が腐り落ちるとかなんとかやばいことを言われたので解呪してもらった。今は普通の傷跡である。
「ええと、確かここに……」
「春国さん?」
「あったあった、あの、これ食べてください。神社で作った桃を加工したものなので、傷の治りも早くなるはずです」
神社の中、俺達一行から離れてどこかに行ったかと思うと、春国さんが桃の入ったゼリーを渡してきた。
神中村で食べた仙果の加工品だ。確か加工品なら副作用がないんだったっけ……。
「ありがとうございます」
ありがたく受け取って、食べることにしよう。
それから俺達は再び会議する体勢になった。
未だ未来人だと思われる女性は目を覚さないが、猟犬のほうはおいぬ様の髪の中で暴れまわっている。締め付けられてそのたびに勢いを削がれてはいるが、こちらが気絶させた女性を抱えて運んだからか、彼女の元に行こうと必死にもがいているのだ。
不思議なことに、猟犬と女性は特別な絆を結んでいるようだ。ティンダロスの猟犬というものの話を少し調べてみたが、話は通じず絶えず飢えて執念深いとされているようだった。基本的に扱いは、話し合い不可能の怪物として描かれているのだが……それを考えると、この猟犬モドキの行動は不可解だ。
ティンダロスの猟犬は人間に懐くことはなく、曲線の中に閉じ込めて辛うじて利用するくらいしかできないということだったからだ。
最初はてっきり目的の一致で協力しているくらいの関係だと思っていたが、この様子だと普通の犬と飼い主のような関係に見える。
「グアウ……」
その、目のないつるりとした顔の口から、注射針のような細長い舌を出しておいぬ様に抵抗している……が、何度かシメ落とされているので時間の問題だ。
俺達が女性を害するとでも思っているんだろうか。
まあ、女性が起きたらあの猟犬をなんとかしてもらうとして……。
「おいぬ様、クロは離していいんじゃないですか?」
「おお、そうだったな。ほれ」
「クロしゃん!」
「あ、こら誘理!」
中で待機していた誘理と春国さんがこちらに近寄ってくる。
そして気絶した女性を心配そうに見つめて、春国さんは「こちらに横にしてあげてください」と座布団を繋げて簡易的な敷布団を作り、誘導した。
「気絶してるだけだよ」
「それでも、たんこぶとかできていたら可哀想ですし」
「春国さん、そういえば狐の兄弟はどうしたんです?」
彼は桶に水を溜め、冷水でしぼった手拭いを畳んで女性の額に乗せた。
それから、袂を紐で縛ってから「失礼します」と言って女性の頭や首の辺りに触れる。
怪我の箇所を調べている彼に声をかけると、こちらに振り返って困ったように笑った。
「銀魏達がいると犬神が来ないかと思って、待機してもらっているんです。狐の神使と犬って相性がそれほど良くないんですよ。狐憑きには犬や狼をけしかけるなんていいますし、猟犬は狐を狩るものでしょう?」
彼自身、心なしかクロや猟犬と距離を置いている。誘理とは仲が良いのに、今彼女の側にいけないのはそのせいなのかもしれない。なんせ、彼は空狐と精霊のハーフなのだから。
狐は犬が狩るもの。その認識で行くと狐がいたほうが犬神をより引き寄せられたんじゃないかと思うんだが……その辺はちょっと違うのかな。さっぱり違いが分からない。
「彼女が時間遡行をしていたとして……けれどなにがしたいのかは、今は予測することしかできませんわね。彼女が目を覚さないことには……」
真宵さんが視線を向けたときだった、春国さんが看病していた女性が「んん」と声をあげる。
俺達もそれに反応して視線を向けると、女性がゆっくりと目蓋を開くところだった。
「……」
「……あの、具合はいかがですか?」
ぼうっとした様子の女性は、覗き込んで尋ねる春国さんをしばし見つめ、彼も見つめ返して首を傾げる。
寝起きで意識がはっきりとしないらしく、寝たままその手を額に持っていき手拭いを取ると、それと彼とで視線を行き来させ……最後に周囲に目を向ける。
「クウウウウン」
おいぬ様の髪に囚われたままの猟犬が切ない声をあげ、側で警戒するクロと誘理がそちらを向いて抱きしめ合う。それから彼女の視線は俺と紅子さんに移り……。
「っは! 敵陣、敵陣ねっいったあああああ!?」
「んんんんん!? どうしてそうなるんですかぁ!」
勢いよく体を起こしたせいで、春国さんと彼女が盛大に頭をぶつけ合うこととなったのである。なにやってるんだ、お約束かよ。
「くうっ、ティロちゃんになんて酷いことをするの! 私のことも辱めるつもりだったのかしら!? 酷い、酷いわ。私にはやらなければならないことがあるのに……!」
ぶつけた頭を押さえながら涙目で言う彼女。
そんな彼女に春国さんは、びっくりしたのか白と桃色の髪の中からひょっこりと狐の耳を出して震えながら「ち、違うんです! 誤解ですよぉ!」と弁明を始める。
「なにが違うのかしら! これからそいつをターゲットに送りつけるつもりだったのでしょう!」
「だから違うんですって! 僕はただ、あの電車で居合わせてこの子達の箱を押し付けられただけであって、呪殺関係にはなんら関係ありませんし、この子達だって本意で呪いになっているわけではありません! それとここは僕ら狐が祀る稲荷の神社ですよ! そんなことに加担するなどありえません! ええ、ありえませんとも! あなたに霊力があるなら少しは分かるでしょう! ここの清浄な空気が!」
怒鳴りつける彼女の両手を取って、一気に捲したてるように春国さんが言う。
今まで見てきた彼の性格は大人しく臆病で控えめ……という印象だったのだが、その説得の言葉の数々はすらすらと彼の口から出てくることとなった。
その勢いにびっくりしたのだろうか? いや、多分両手を掴んで至近距離で捲し立てたからだろう。女性は真正面から春国さんに迫られるような形になり、思い切り顔を背けた。
「ち、近いのよ。分かった、分かったから手を離しなさい!」
「え、あっ、あっ、すみません!」
パッと離れて顔を朱に染める春国さん。未だに動揺しているのか、なかなか狐の耳が治らない。こんなことになる彼は初めて見たが、興奮し、動揺しているのは明らかだ。感情の昂りで耳が出てしまうのかもしれない。
「つまり、あなた達は関係ない……?」
「ええ、そうですわ。わたくし、蛇の神様が保証してよ」
「えっ、か、神様!?」
ようやく周囲の状況を冷静に見られるようになったのか、女性は大袈裟に驚いて「でもティロちゃんが」と不満を言葉にする。そういえばまだ拘束していたんだった。
「朱色の。もういいわ」
「またなにかをしようものなら、すぐに吾が動けることを、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
しゅるりと髪が解かれ、猟犬が解放される。
するとすぐに彼女の元へ向かい、念のためにと回収して側に置いてあった犬のぬいぐるみの中にするりと入っていった。
そして、そのぬいぐるみを立たせて女性が背中のファスナーを閉める。
「あなた達が無関係だというのなら、謝るわ。ごめんなさい。けれど私はそいつらを殺さなければいけないの」
物騒なことを言う彼女に、春国さんがなおも近くで説得の言葉を紡ぐ。
「この子達は利用されていただけです。僕らは、この子達を利用した術士のほうを叩こうと思っているんですよ。犬神もこの通り、理性を取り戻しています。術士から解放されればこの子達も人を害すことはなくなるでしょう」
「……一応、話は聞きましょう」
渋々といった様子で女性が呟く。
「よかった。僕は宇受迦春国といいます。あなたは?」
春国さんが素直に名乗ると、女性は困惑したように言葉に詰まる。
しかし、春国さんが穴が開くほど見つめ続けていると、観念したのかため息を吐いて口を開いた。
「幽家。幽家冬日よ」
そして続けて俺達全員を見渡して言う。
「戦闘中に私が言っていたことでもう察しているでしょうけれど、私、二十二年後の未来から来たんです」
ぬいぐるみの猟犬をゆっくりと撫でながら、女性――冬日さんが苦笑いを溢していた。