猟犬遣いの少女、襲来
神社の一角からボゴリと、青黒い煙が吹き上がる。
その音は「しゅうしゅう」とまるでガスがそこから漏れ出ているように、その存在を主張していた。
「誘理、犬神! そこにいてはダメです!」
真っ先に反応したのはやはり、「それ」を一度経験している春国さんだった。
俺と紅子さんもその煙に反応して駆け出すが、春国さんのほうが早い。
真宵さんとおいぬ様はそちらに目を向けているが、動かない。神様連中はこういうとき、まるで役に立たない。いや、動いてはくれない。
なぜなら、神様達は人間の試練は人間自身に解決させようとするからだ。真宵さん曰く、「子供の宿題を大人がやるのはナンセンスですわ」ということである。だから俺も滅多なことでは彼女達を頼らない。
間に合え!
「もういいかーい? もういいかしら? やっとみーつけた!」
芝居がかった女性の声があがる。
それと同時に、ボコボコとあぶくをあげるように青い煙を放出していた一角から大きなナニカが飛び出してきた。
それは――犬だ。犬の、巨大なぬいぐるみだった。
ゴールデンレトリバーの姿をした、けれど尻尾がサソリのようにしなっており、口から伸びる舌は細く長い。
全てが曲線で構成されたそのぬいぐるみは普通のゴールデンレトリバーよりもなお大きく、ライオンほどもある。そして、曲線を保つためにか大袈裟なまでにデフォルメされたデザインのぬいぐるみに乗る一人の女性。その腰には太刀サイズの刀剣が固定されていて、彼女は犬神と誘理を見た途端うっとりとするように笑った。
彼女は犬に乗って共に青黒い煙から飛び出してくると、その背中で「制限解除、制限解除よティロちゃん。思う存分暴れてストレス発散しなさい?」と呟いて犬の背中に手を滑らせる。
やがて、背中のファスナーを開けられて空中でぬいぐるみを脱ぎ捨てた「中身」が露わにあり、女性はその背中から前転するように身を躍らせ、鯉口を切る。それから回転して勢いを増すようにして誘理目掛けて太刀を抜き放った。
「させません!」
犬神と誘理、そして女性の間に滑り込むようにして春国さんが大幣を振りかざし、太刀の重い重い一撃を防いだ。
その様子にきょとんとした表情になった女性は、鍔迫り合いをしながら彼の姿を上から下まで眺めて口を開く。
「あら、あららら? あなたは電車のときにいた人ね。そう、そうなのね、あなたもこいつの運び手だったのね? どうしてこんな場所にあるか分からないけれど、壊すなら今のうちよね!」
壮絶なまでの笑顔。狂気さえ滲んでいるんじゃないかと思うほどの強い視線。そして、冷たく感じるほどに誘理を害そうとする意思。
肩で揺れる女性のふんわりとしたピンクブロンドの髪がその雰囲気を優しいものに仕上げてはいるが、その実態は恐ろしいほどまでに殺意に溢れている。
「アウウウウウウン!」
「オレモ狙イカ!」
真宵さん達が言っていた、確か「ティンダロスの猟犬の分け身」と思わしき存在がクロを襲い、クロも先程俺達を襲ってきたときのように黒いモヤを発生させて突組み合う。文字通りのドッグファイトが神社の片隅で行われ、そして女性と春国さんが対峙する。
「紅子さん、犬神のほう頼めるか?」
「瘴気がすごいからお兄さんは行かないほうがいいねぇ。アタシに任せて!」
その回答を聞いて、紅子さんに行ってほしくなくなったが彼女もやる気だ。あちらは任せて俺は春国さんの加勢に向かうことにする。
「春国さん、大丈夫ですか!?」
「無理無理無理ですぅぅぅ!」
素直かよ。
「なんとも弱虫ねぇ……怖い? 怖いなら引き下がっていてちょうだいな?」
打ち合い、春国さんの大幣が弾かれる。
当たり前だが彼の大幣は刀でも物理攻撃に使えるものでもない。あれは彼専用の弓なのだから。
浄破理ノ弓〝科戸ノ風〟
それこそがあの大幣の名前だ。あれは弓であり、春国さん自身も弓を使っての大規模浄化を主としているために、彼は純粋な物理の戦闘となると上手くいかないはずだ。
「俺がやります、春国さんは誘理を」
「すみません、ありがとうございます! 誘理、ほら逃げますよ」
「で、でもクロしゃんが」
「クロなら大丈夫ですから!」
逃げ出す二人を隠すように立ち、女性と向き合う。
キリッとした薄い紫色の瞳に、肩口でふんわりと広がるピンクブロンドの髪。両前髪の一部だけ枯れ葉のような色の金にグラデーションされていて、耳の後ろでそれぞれ赤い紅葉のような色のリボンで結われた三つ編みが揺れている。
両側で三つ編みをしてはいるものの、後ろ髪は風で遊ばせられていて、彼女が太刀を大きく振りかぶると一緒にゆらりと揺れていた。
「逃がさない、逃がさないわよ。あなた、私の邪魔をするのね。もしかしてあなたも未来を変えたい一人かしら。なら、斬り捨ててもいいわね。ティロちゃんも許してくれるわ」
「未来? 変える? なにを言ってるんだ」
女性が太刀を回し、鞘に納め……それからまた鯉口を切る。
居合でくるか? そう思って右手を広げて「リン」と呼ぶ。一時的にドラゴンの姿に戻っていたリンがポケットの中から現れて赤竜刀に変化した。その様子を見て少しだけ女性は目を丸くしたが、それも一瞬だけ。
――次の瞬間、女性が一気に踏み込んできた。
「あら、あららら。すごい、すごいわ! 私、結構これでも早いほうなのよ!」
上から振り下ろされる太刀を、俺の手の中にやってきた赤竜刀で受け止め、そのまま力に逆らわず地面に逸らすように刀を真横に下ろす。
太刀の勢いを殺して地面に流し、石畳を叩いた衝撃で手が痺れたんだろう。女性は眉を顰めるとそのままバックステップ。俺はそのまま返す刀で峰を向けるように下から上へと振り上げるが、紙一重でそれは躱された。
今の攻防で分かったことは一つ。
この女性は別に刀の取り扱いに長けているわけではないということ。居合の速度は凄かったが、他の動きは一拍思考しているように間が開く。
俺だって刀の扱いに長けているわけではないが、今まで積んできた経験値というものがある。それを彼女の刀の振り方からはあまり感じられない。
急拵えで居合だけ形にしてきた……そんな動作だ、多分。思いっきり外れていたら恥ずかしいが、なんとなくそんな気がする。昔の俺があんな感じにぶん回すことを主軸にしていたからだ。
「あなたも未来を変えたいんでしょう? 大切な誰かが死ぬ未来を。でもね、そんなのいけない。いけないわ。運命は存在するのよ。人を殺してでも未来を変えるだなんて馬鹿げている」
なにやら彼女は勘違いしているみたいだが、俺は否定せず黙ったまま斬り合いを続ける。彼女が目的を自ら語ってくれるというのなら、そのほうが都合がいいからだ。
「犬神がなんでこんな辺境な場所にいるかは分からないけれど……私を誤魔化しながらターゲットに箱を渡す作戦だったんでしょう。未来を変えようとする不届き者は、私が止めるわ。ねえ、ティロちゃん」
視線が動く。
あちらの女性の太刀と打刀の赤竜刀で切り結び、離れ、誘理と春国さんに近づけさせないようにしながら立ち回る。
それから首を巡らせば、離れた場所で噛みつきあいをしながら決闘をする二匹の犬のようなものと、犬神に加勢する紅子さんの姿が見える。
そして……。
「よそ見は危険、危険よ!」
「っく、しつこいぞ!」
重い太刀を使っているはずなのに、非常に素早く彼女は攻撃を仕掛けてくる。
俺を殺そうとしていることは間違い無いだろう。
建物の中に逃げた春国さん達と、その前で結界を張る真宵さん。あの二人はもう大丈夫だろう。しかし問題は犬神のクロだ。クロが死んでしまっては元も子もないのだし、クロも避難してほしいんだが……。
「言っておくけど、君はなにか勘違いをしている」
「勘違いなんかじゃないわ。犬神と箱を囲っていたということはそういうことだもの!」
この子については、頭に血が上っているのかどうなのか、今のところ話が通じそうにない。冷静に話し合う場でも設けられれば誤解は解けそうなもんだが、さてどうしよう。
恐らく一度戦闘不能にでもしない限りこのままだろうし、峰うちで気絶させることさえできればなんとかなるだろうか?
作戦を練りながら攻防を続ける。
いや、本当にどうしよう……?




