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憎しみと愛は紙一重

 ずずずとお茶をすする音が小屋の中に響き渡る。

 沈黙した俺達に対して、呑気に茶をすすっているのはおいぬ様だ。


「ふうむ、ぬるい」


 しかも文句まで言っている。

 だが俺達は中々沈黙を破れない。俺もそうだし、彼女だって……。


 そう、紅子さんだって〝創設者〟のヒトリという言葉に目を白黒させているのだ。なにせ、同盟は人を愛し、人の隣人として生きていく者達の集まりだ。今まで出会ってきた創設者達は、確かに創設者たるゆえんが分かりやすかった。

 アルフォードさんは俺達に対してかなりフレンドリーで、真宵さんは意地悪なこともときにはするが、俺達のことを愛しく思って試練を課している印象を受けた。たとえるならばアルフォードさんが飴で、真宵さんが(むち)の役割をしていたのだとはっきり言える。


 しかしこのおいぬ様は〝呪いの化身〟だ。

 それも不当に虐げられ、人間に利用し尽くされてきた犬神が神の慈愛によって転生した姿。犬神の末路のひとつと言うべき存在だと、先程説明を受けたばかりだ。そんなこのヒトが、同盟の創設者のヒトリだということに違和感を覚える。


「あの、あなたは……人を恨んではいないんですか?」


 だから、いつのまにかそんなことを口走っていた。

 犬神はいわば恨み辛みの塊。呪いの塊。そんなモノが、本来人を恨んでいないわけがないのである。そんな存在が人に寄り添う同盟の理念に、真っ先に賛成したとはとても思えなかったのだ。


 迂闊だったと思う。人を恨んでいるかもしれない相手に「恨んでませんか?」なんて質問は、明らかな迂闊さだった。

 しかし、口にしてから後悔したところで、声に出してしまった事実は覆らない。


「くく、やはりそう来たか。人の子とその問答をしたのは何度目となるかのう」

「桁が違ってよ?」

「やかましい、変な相槌を打つでない」

「天丼って美味しいわよねぇ」

「言っていることの意味は分かるが、ゆーもあを()に求めるな。藍色のだけでやっておれ」

「つれないわねぇ」


 少々威圧気味に言われた言葉は、真宵さんの言葉とその後の会話によって少しだけ緩和された。もしかしたら、真宵さんはおいぬ様が無意識に放っている怖い雰囲気をできうる限り和らげようとしてくれているのかもしれない。


「吾にとって、人の子は皆等しく愛しいものぞ。それに、吾ら狗楽(くらく)はニンゲンを恨めぬのよ。かつて受けた苦しみ、恨み辛み、その全てをここに封じられておるからだ」


 おいぬ様がトントンと指先でつついたのは、あの胸板に収まった勾玉型の水晶のようなものだ。


「そこに……?」


 紅子さんがぽつりと呟く。

 彼女も彼女で、人を恨まないよう、殺さないようにと自制心を働かせている。故に、恨み辛みの塊でありながら人を愛するおいぬ様に興味があるのだろう。


「これは吾ら狗楽の核となるもの。それ以上でも、以下でもあるまいよ」


 微笑むその黒目が恐ろしい。

 直感的に、なにか隠しているのではないかと思った。

 確か、術者の魂を核で喰らうなんて真宵さんがいっていたはずである。今、おいぬ様はそれに触れずに説明したこととなる。


「くく、知りたいか? 知りたがりは己を滅ぼすぞ、小僧」

「あ、いえ……」


 躊躇ったが、先においぬ様が話し始めてしまった。


「吾らは人の子が愛しい。それに間違いはないぞ。吾らにとってニンゲンというものは善人も悪人も等しく愛しく、ひとたび契約を交わせば吾の守護下へと入る。契約者の呪いを遂行し、そしてそやつが天命を迎えた際には等しくその魂を核で喰らう。それこそが吾らの愛」


 ひと息入れて、おいぬ様はジッと俺を見つめた。


「愛ゆえに吾らは躊躇いもなく、愛ゆえに迷いもなく。一瞬の『楽』と引き換えに永遠の『苦』を与えることこそが吾らの愛の形よ」


 ――憎しみと愛は紙一重。

 そんな風に口上を述べるおいぬ様に、やはり冷や汗がたらりと流れた。

 歪んでいる。歪み切っている。そんなものを愛だと言い切れるこの呪いの化身に恐怖を覚えた。


「契約の際にはきちんと訊いておるよ。吾の力を借りて呪いをかければ、その術者の最期は吾の餌食となり、輪廻に還ることすらできず永劫に、苦しみながら共にあることとなるぞとな」


 (すくい)を与えて代償に苦をも与える。

 それゆえの狗楽(くらく)なのだと理解した。


 そして、そうまでして人を呪おうとする存在がいることも、おいぬ様という存在によって確定してしまう。呪いの概念さえなければ、こんなに強大な力を持つ怪異にはなり得ないからだ。何人喰らったのか、何百人喰らったのか。いや、もしくは何千人か。


 少なくとも、初めて会ったとき周囲に飛んでいた漆黒の蝶。そしておいぬ様から感じた無数の悲鳴と苦痛は全て、おいぬ様に身を捧げた術者達の末路であることが理解できてしまい、歯を食いしばる。

 それだけ、この世には恨み辛みというものが蔓延している証だった。


「くく、恐ろしいか。しかし吾はこうだが、全ての狗楽がそうとは限らぬよ。核が破壊されれば永遠の苦楽からは解放されるからのう。人に情を移しすぎた狗楽が自決することもある」


 おいぬ様は袖で口元を隠し、ころころと鈴を転がすような声で笑った。


「して、祟りの。吾を呼んだのは此奴らに会わせるためだけではなかろうて」

「ええ、そこの子供の霊について、あなたに訊きたくって呼んだのですわ」


 二人の視線が、春国さんの顔にマジックペンで落書きしていた誘理に移る。

 あれって油性では……? 


 そして、視線に気がついた誘理はバッと振り返ると「ふんすっ」と鼻息を荒くして、真宵さん達から視線を遮るように春国さんの目の前に立ち塞がった。


「ハルはあちしが守ってやるでしゅ!」


 まったく話を聞いていなかったのがその台詞だけでよく分かった。

 小さい子だからな……まあ仕方ないといえば仕方ないか。難しい話をしていても普通に聞き流すだろう。

 どうやらおいぬ様に対しては怖い人という認識を持っているらしく、それゆえ春国さんを庇って警戒しているのだろう。


 そんな幼子の姿を見て、おいぬ様が一言。


「ふむ、(わらわ)よ。なんとも愛い子ではないか。飴玉は好きか?」

「好きでしゅ!」


 陥落も早かった。

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