臆病青年と強か幼女
蛇の目。真宵さんの言うところの〝カカメ〟を通って参道に降り立つ。
先頭を真宵さんが。そして次に俺。紅子さんと、彼女に抱き抱えられた誘理。それから最後に……あれ?
「あらあら、困った狐の倅ですわね」
最後に来るはずの春国さんが、いつまで経ってもこちらに来ない。
どうしたんだろうと思ってカカメの中に上半身を入れて覗き込む。
「びゃっ!?」
肩を震わせてすごい声を出す春国さんがそこにいた。
「あの……」
「ご、ごめんなさい……僕ダメなんですって! 怖いじゃないですか! むしろどうしてこんな怖い入り口を通れるんですか? 新人類なんですか? 強心臓なんですか? ふええええ……」
涙目の彼にこちらが困惑する。
いや、男の「ふええ」はちょっと。
まあ確かにカカメの見た目は怖い。なんせ空間に巨大な蛇の目玉が現れるのだ。空間はひび割れて鱗状になり、その真ん中に目玉がギョロリと出現する。その中に飛び込むなんて普通は怖くて当たり前だろう。しかし、だからといってここまで怖がられても……しかも涙目どころか既にポロポロと涙が決壊し始めている。怖がりにもほどがあるだろう。
「あの、大丈夫ですから」
「分かっています! 分かってはいるんです! でも無理なんですよ! 生理的に無理としか言えないんですううう」
嫌々と首を振る春国さん。どことなく思い出されるのは、たまにスーパーとかで見かける、母親に「帰るよ」と言われて泣く幼子だ。それでいいのか成人男性。しかも父親は天狐を凌ぐ力を持つ空狐だぞ。いや、血筋で判断するなと言えばそうなんだが、それにしたって臆病すぎる。
まあ、見た目は蛇の眼球にしか見えない扉だし、通るのに抵抗感があるのは仕方がないことだけれど……もしかして、慣れてる俺達のほうが感覚麻痺しているのかもしれない。
いや、通るときだって、ちょっと水の膜通ったような感触があるだけで基本見かけ倒しだし……一回やれば慣れると思うんだが。
「どうしたのかな?」
「いや、あのさ……春国さんが怖がってここを通りたくないって」
カカメから離れて紅子さんの隣に戻る。
あの調子じゃあ、こちらに来るまでしばらくかかりそうだぞ。むしろカカメ以外の方法でこちらに来る方がよほど時間がかからないかもしれないくらいだ。
「ああー……」
妙に納得した顔で紅子さんが息をつく。
うん、まあ、そういう反応になるよな。
「むむっ、しゃっきの人でしゅね? お姉ちゃん、ちょっと下ろしてくだしゃい」
「え? うん、分かったよ。はい」
誘理の要望に応えて紅子さんが彼女を地面に下ろすと、臆することなく誘理はカカメを潜っていく。
「おお、すごいすごい」
幼子の堂々とした通り抜けかたに、紅子さんが頬を緩めて褒める。本当に彼女は自分よりも小さい女の子に甘いなあ。ちょっと羨ましいくらいだ。
誘理がカカメを通り抜けて少しすると、今度は向こう側からこちら側に誘理が通り抜けて来た。
……しかも、その手を春国さんと繋ぎ合わせて。
「ひっ、ひうっ、離さないでくださいねぇ! お願いですから僕を一人にしないでくださいよぉ!」
「だいじょーぶでしゅ。あちしがついてましゅ」
大の大人が幼女に手を引かれて、ドン引くくらいに泣きつつこちらにやってきた。正直ここまで来ると普通に引く。
猫背になって片手で涙と鼻水でぐっちゃぐちゃにした顔を拭いつつ、もう片手で幼女に手を繋いでもらって仲良く輪を潜る……うん。
「……なにをやってるのかな?」
「あちしは強い子でしゅ! ハルのことは守ってやるのでしゅ!」
うわこの幼女メンタルが強い。
それに比べて春国さんは……まあ、臆病なのは分かっているんだが、ここまで臆病だとちょっと大丈夫なのかなと心配になるのであった。
「あああ、待ってくださいユーリ。足ガックガクなんですよ。カカメ通るときドロっとしましたよドロっと! なんで平気なんですか!? 怖気がすごかったんですけれど!」
「予防接種するときのほうがよっぽど怖かったでしゅ。クロもきっと同意見でしゅよ。予防接種で病院に行くときはいつもプルプル震えてお漏らししてましたの」
「比べるものが違いませんか!?」
とんでもないことをバラされるクロの身にもなってやれよ。
今はもう犬神なんだろ? ってことは、普通に人間と意思疎通できる程度には知能も理性も言語能力もあるわけだ。実際記憶の中で喋ってたし。
そんな思い出バラされたのを知ったら、俺なら恥ずかしくて穴に埋まりたくなるぞ。
「主! なにをしているんだ!」
「あっ、あっ、銀魏ぃ……ひどいんですよこの幼女ぉ……」
「幼子に手を取られて運搬してもらうなど、恥ずかしくはないのか!? すまない、誘理。俺の主があまりにも情けなくて」
「ふふんっ、ぜひもなし!」
「銀魏ぃ!? あああ……みんな僕をいじめるんです……なんでですかぁ……」
それにしてもよく泣くヒトだな。あれで脱水症状になったりしないんだろうか。まあ銀魏さんも大概部下の取る行動ではないが、あれ天然でやってそうなんだよなあ。
「ダメだよ春国くん。狐面被って通ってくれば良かっただけなのに、そんなことにも気づかなかったのかい?」
「ダメ押しやめてくださぁい!」
必死の叫び声だった。
金輝さんは多分わざとである。この兄弟、揃いも揃って上司の息子に対して遠慮がなさすぎるぞ。
「ええ、しかし全員が揃ったことですし……小屋へ行きましょう。狐、準備はしたのでしょう?」
「もちろんだよ。春国くん達が暮らせるように整えておいたからね」
「え、僕達……? あの、金輝と銀魏は」
「二人のために春国くんの部屋から一通りの物は運び出して来たし、お布団もちゃんと干してあるものを持ってきたからね」
「あの」
「うむ、あに様のおかげで内装も少しいじってあるのだ。これで主も少しは落ち着くだろう」
「あの……銀魏達は……?」
春国さんのことを華麗に流しながら金銀の狐兄弟がにこやかに話している。
真宵さんもそれを満足そうに聞いているし、涙目のまま縋るように食い下がる春国さんのことは気にしていない。
ド畜生かよこのヒト達。
「僕は御倉様のところで神使のお仕事があるし……弟も身を清め続けるためには神社にいないといけないからねぇ」
「のぞみがたたれました」
「あちしがいるでしゅ! 情けないハルのためにあちしがそばにいてあげましゅからね!」
「うう……幼女の優しさが辛いです」
しかしこう見ると、なんだかんだ誘理と春国さんはいいコンビかもしれないと思う。
「あ、そうだ。令一君はお泊まりとか興味ないですか?」
「俺も邪神野郎のために色々やらなきゃならないんでごめんなさい」
「そっちの子とか」
「アタシ、幽霊なんだけど」
「そういえばそうでした……びえっ、やっぱり二人きりですか」
とうとう顔を青ざめさせたまま頭を抱えてしまった。
「大丈夫だよぉ。たまに様子は見に来るからね」
「金輝……!」
「春国くんが幼気な子にいけないことをしていないかって確認しに」
「金輝ぃぃぃぃ! 僕のことをまるで信用してないじゃないですかぁぁぁぁ!?」
声が大きいなあ、このヒト。
泣きながら叫ぶ春国さんに、金輝さんはそっと耳を塞いで対応した。こ慣れていらっしゃるぞこの狐。
「二人で仲良く宿泊するように。良いか?」
「はーい!」
「うううう、はい……」
元気よく返事をする幼子に、泣きべそをかいたまま弱々しく返事をする青年。地獄かよと思うようなその光景に、俺はなんとも言えない気持ちになるのであった……不憫すぎる。
「それでは、わたくしは旧友に連絡を取りますわね」
「あ、はい」
そういえばそんなことを言っていたな。春国さんのあまりの怯えっぷりに忘れていた。むしろそちらが本題のはずなのにな。
呪いの専門家を呼ぶんだっけ。どんなヒトだろう。
「……」
真宵さんがどこか虚空を見ながら、ゆっくりと微笑む。
その瞬間に、ぞわりと総毛立った。本能的な恐怖。本能的な防衛反応。それらが一気に押し寄せてきて、パッと身を翻して紅子さんのそばに寄る。
なんだ今の……?
真宵さんからものすごく恐ろしいものを感じたぞ。いったいなにをやったんだあの神様。連絡を取るだけじゃなかったのか……?
それから警戒するようにじっと真宵さんを見つめていれば、遠慮がちに紅子さんから腕を押される。
いつのまにか肩を抱き寄せて守りの態勢に入っていたみたいで、「ごめん!」と言いながら距離を取った。咄嗟のことだったから完全なる無意識だ。それだけに少し恥ずかしい。
「夜刀神さん……なにをやったんですか?」
こちらも誘理を腕の中に閉じ込めて、今にも泣きそうな顔をした春国さんが言った。なんだ、ちゃんと守ってやれているんじゃないか。その対応に少しだけ感心した。
「あら、ごめんなさい。少し刺激が強かったかしら?」
真宵さんは扇子を広げると、妖しげに微笑みながらそっと口元を隠す。
「ちょっと旧友を祟っていたの」
「なんて?」
いい加減ツッコミ疲れてきた。
しかし、俺はそう言わざるをえなかった。