番犬からの依頼
「ッチ……」
男が明らかに俺を目視して舌打ちを発した。
逃げられない? いや、駄目だ。俺が逃げるわけにはいかない。こいつがこの惨状の犯人なら、ここで逃したりなんてしたらまだまだ被害者は出続けるだろう。
〝 血痕だけ残った凄惨な殺人事件 〟は普通にニュースになっているし、ここら辺に住んでいる一般人がいつこいつを見つけるかも分からない。もし万が一、一般人が現場を目撃なんかしたら絶対に助からない。それに比べて俺は今、武器を持っている。体は小さくともドラゴンが味方についている。これで逃げたらとんだ臆病者だ。
正義感? そうなのかもしれないし、違うかもしれない。慢心はしていない。
そんなものニャルラトホテプにとっくに踏み躙られている。
「っ、リン頼む!」
名前は今決めた。ウロコじゃ名前とも言えないしな。もし鱗に通じてなかったら赤っ恥どころか俺の死亡率が跳ね上がるだけんだけど!
「きゅうい!」
赤い燐光と共に現れた小さな小さなドラゴンが駆ける。俺もそれに併せて地面を蹴った。抜刀術なんてものはできるわけがないので刀は既に抜き身だ。
勿論こんな場面を一般人が見たら…… とか、目の前のこの人が一般人だったら…… なんて危惧はある。しかし、俺の勘が告げている。これは人間以外の生き物だ、と。様々な怪異に出会ってきたせいか人型をした誰かであってもなんとなく違和感があるものだ。そもそもこんな格好をして血肉を啜る男なんて一般人だとは思いたくない。人間だったとしてもそんな狂ったことをしている人間だ。ドラゴンだなんだと騒いでも嘘つき扱いをされるだけだ。
「きゅっ!」
男は向かってくる俺達を見て驚くでもなく、恐怖するでもなく、ただその口の端をにんまりと吊り上げた。
「ちょっとはおもしれーじゃねーか」
男はそのままリンの牙を服の袖を使って受け流す。ガギンと硬い音が聞こえたと思ったら、その手首に嵌った手枷のような物が少しだけ見えた。あれで受けたのだろう。リンも噛みつくことができなかったせいでそのまま振り払われてしまった。
けれど男の視線は少しだけ逸れた。
「はあああ!」
その間に叩き斬ってしまおうと踏み込んだが途中で刀がなにか見えないものに阻まれる。金属と金属のかち合う音が響いて、空間が揺れた。そして、赤竜刀に当たった物の正体が明らかになったとき、俺の視界は反転し路地から僅かに見えるくすんだ空だけが映されていた。
「っぐ」
「きゅっ! きゅっ! ぐるるるる!」
「ふうん、アルフォードの差し金か? …… 違うな。この匂いは邪神野郎か。てことは人間、お前は噂に聞くニャルラトホテプの下僕か。そういえばその顔、見た気がするな」
仰向けに倒れた俺の腹に男の分厚いブーツが食い込む。
それを見て再び突進してきたリンが空中で翼を摘ままれぶらりと垂れ下げられる。
そのすぐ隣には、巨大な鎌。紫がかった黒の死神が持つような大鎌が立てかけられている。どうやらあれに刀が当たって跳ね飛ばされたようだった。
最初はそんなものは見当たらなかったはずなのに、だ。
「下僕……」
「あー? 違わねえだろ」
だが、この男が俺のことを知っているのならば殺される確率は低い。普通ならあんな邪神の所有物に手を出したりしないだろ。
「この惨状は、あんたがやったのか?」
「惨状…… ?」
嘘だろ。まさか分かってないのか?
「あんたが食ってた、その血と肉のことだよ」
「ああ、これか。クッソ不味いんだよな…… ったく勘弁してほしいぐらいだ」
「…… ?」
殺したのか、そうじゃないのか、できればはっきり言ってくれよ!
「人間、お前の心配は徒労に終わる。良かったな?」
そう言って男はさらにぐりぐりと俺の腹を踏みつける。そしてその足を退けて血の海から少しだけ離れた場所に移動すると、リンを投げて寄越して 「起き上がれよ、人間」 と命令してきた。
仕方なく俺が体を起こして立ち上がると、丁度踏みつけられていた場所が盛大に血で汚れていた。あの野郎、俺を雑巾代わりにしただろ。
「ふんっ、お前はあいつの下僕だからな…… こないだの駄賃代わりに働いてもらおうか」
「なに…… ?」
駄賃? 働く? なんのことだ。
「ああ、お前はあのとき、確か呑気におねんねしてたんだったか。なら自己紹介からだな」
男は大鎌を構え、格好つけたようにゴホンと一回咳払いすると、大きく息を吸い込んだ。
「俺様は地獄の番狼ケルベロスである! 地獄から逃げ出した死者や各地に散った怪異共の被害、死体を回収する、中立にして誇り高い〝 掃除屋 〟だ! 人間、お前とは〝 脳吸い鳥 〟の事件で会っているぞ! ただし、お前が気絶した後だがな」
「地獄の番犬…… ケルベロス……」
それなら流石に知っている。有名すぎるからだ。
俺が呆然としながら呟くと、ケルベロスは怒ったように眉を吊り上げグルルと唸り声を上げた。
「俺様は犬じゃない!」
「は?」
「犬って言うんじゃねぇ! 狼だ! オオカミ! 二度と間違えるな!」
そういえば自分でも番狼って名乗ってたな。
「でも伝承だと番犬」
「俺様を犬扱いするんじゃねぇ!」
話が進まない。疑問はいくつもあるがとりあえず置いておこう。
「おいアルフォードの鱗! お前もドラゴンじゃなくて真っ赤なトカゲなんて言われたくねーだろ!」
リンもそれを聞いて、俺の腕の中できゅいきゅい言いながら頷いている。そういうもんか?
俺が未だ分かっていないのに気付いたのか、その小さな手で俺の頬をペチペチ叩いてくる。こいつらにとってはそんなに大事なことか。
「俺様にとっちゃ聞き分けが良けりゃ猿でも人間でも変わらねぇ。これでも分からねぇか?」
猿扱いされるのは確かに心外だ。なるほど理解した。
「悪かった」
「分かりゃいいんだよ」
問答無用で殺しにこないだけでも十分優しい気がしてきたぞ。
本当にケルベロスさんがこの現場の犯人か? いや、さっきの口上からするとこの人は死体処理に来ただけなのか?
「……」
あれ、黙ってしまったぞ。どうしたんだ?
「じゃあ、あんたはここの死体を処理しにきただけで、事件には関与していない…… ?」
「…… ああそうだ。俺様はただこの事件を起こした死者を追っているだけだ。そこで人間、お前には〝 脳吸い鳥事件 〟の駄賃代わりに働いてもらう。あのクソ邪神がよりにもよって俺様にツケを要求してきやがったのさ。だからお前が払え」
あいつのとばっちりかよ…… という最悪な気分ではあるが、仕方ないか。
「で、なにをすればいいんだ?」
「…… 人間」
「なんだ?」
「人間」
「だからなんだよ」
ケルベロスが苛々したように貧乏揺すりをしている。これでは威厳も台無しだな。
「んきゅう……」
リンまでどうしたんだ?
「なあ人間、自己紹介された相手にされっぱなしで放置するのが人間のマナーってやつか? それはそれは……ご立派なもんだな?」
「あっ」
そういえば、こちらの名前は教えてなかった。完全に忘れていた。
「はあーあ、主人が主人なら下僕も下僕だなー?」
「わ、悪かったって! 俺は下土井令一。不本意ながら邪神ニャルラトホテプの眷属なんかをやってる。だからあいつと一緒にしないでくれ」
「俺様のことはケルベロスでもいいが、普通の人間には警察関係者のケルヴェアートと名乗っている。アートかアーティか、好きなように呼べ」
「警察関係者?」
「おら、手帳だよ。偽造だけどな」
そう言ってアートさんが取り出したのは、確かにこの辺の警察署の警察手帳だ。というか初めて見たので偽造と言われてもなにが違うのかもさっぱりだ。
せめて探偵とかだったらまだ分かるのだが、ロングコートとか首輪とか奇抜なファッションをしているこの人が警察を名乗るのは少し無理があるんじゃないかな。
「探偵より警察のほうが人間の信頼は得られやすいんだよ。都合がいいのさ」
血肉を貪っているのを見られたら完全にアウトだけどな。
「ん? ああ、食ってるときは普通の人間には見つからねーように結界を張ってるから問題はねぇよ。お前が特殊だっただけだ」
「結界……」
血拭きされて汚れた服をなんとか上着で覆い隠すと、なにが面白いのかリンが服の中をもそもそと移動しながら冒険している。ああ、お前だけが俺の癒しだよ。家に帰っても待っているのはクソヤローだけだからな。
「人間じゃねーものは皆自分の領域ってやつを持ってるんだよ。それを使って人間を逃げられなくしたり、人間を観察したり、ゲームしたりいろんなパターンがあるな。勿論人間を食うために結界を張ることもある。食う目的で結界を使うのは基本的にそうしないと生きていけない奴だが、それ以外の奴が娯楽で虐殺するために使うと事件が発覚、同盟の奴らのブラックリスト入りだ。所謂指名手配犯になる。人間に寄り添って生きてる奴らだからな、人間風に言うなら〝 討伐クエスト 〟みたいなもんだぜ」
逃げられなくする…… のは覚えがあるな。ニャルラトホテプの遊戯には精神的な誘導がされてその現場…… 神話生物の出現する町や村から逃げ帰るという選択肢を消してしまうらしい。正規の手段であいつの“シナリオ”を終わらせないと生還できない鬼畜使用になっている。基本的にどんな手段でもシナリオクリアがされればあいつは満足するが、例えば現場への招待チケットを他人に譲ったり、売ったり、そもそも使わなかったりして現場に〝 行かない 〟という手段は無意識下に働きかけて選択肢を抹消してしまう。
辺境の村への旅行チケットが当たりました。行きますか? 〝 はい 〟か〝 yes 〟で答えてね、となるわけだ。
また、脳吸い鳥の事件は鳥達が包囲していて外に出られなくなる物理的な結界だったな。
そして人間の観察やゲーム。これは紅子さんのパターンか。
人間にゲームを仕掛けて楽しんだり、恐怖や混乱などの感情を食べる人外が使う手段。
「今回の事件は、その討伐クエストとやらなのか?」
「そのうちそうなるかもな。俺様はなんらかの目的のために地獄から脱走してきた死者を追っている。これはそいつが起こした事件だ。大方復讐でもしてるんだろーよ。いつもいつも後手に回ってんのは、そいつが俺様の鼻を誤魔化す手段を持ってるからだ。臭いで追うのは俺様対策がバッチリでどうも上手く行かねえ。だからお前は別の手段で調べろ。ターゲットは一週間前に死んだ女子高生だ。いいな?」
調べろって言われてもな。
それにこの辺の高校だって一か所しか知らないし。
「名前は分からないのか?」
「知らねー。確認せずに飛び出して来たからな!」
あれ、この人意外とポンコツなんじゃあ……
そもそも地獄の門番なのに門放ってこんなところに調査に来ていて大丈夫なのか? 他にも仕事してるみたいだし、もしかして交代制門番とか?
日本にいる理由も分からないし、日本の死神やら門番やらはどうしたんだ? この人ギリシア神話の冥界出身だろ? アルフォードさんみたいなドラゴンも日本をちゃんと認識してるみたいだし、実は有名な観光スポットになってるとか、もしくは人外の被害率何位みたいな物騒な理由で派遣されてきていたり? うーん謎だ。
いや、俺が気にしても仕方ないか。できれば駄賃は俺のクソ主人に払ってもらいたかったが、やるしかないな。
「これは俺様の番号だ、それっぽい奴を見つけたら場所を教えろ。五分で駆けつける。それまでに逃げられそうならなんとしてでも時間を稼げ。分かったか、人間?」
「当てつけみたいに人間って呼ぶなよ……」
「まあいい、俺様はもう行く」
「分かった」
肉片を全て片づけたらしいアートさんはそのまま軽く地面を蹴っただけで建物の上へと跳躍していった。流石地獄の番犬ケルベロス。人間の身体能力じゃないな。
視線をビルの上から戻し、路地裏で一人立ち尽くす。
「帰るか」
服の中でぴすぴすと鼻息を漏らしながら寝ているリンをそのまま支え、なんとか刀を鞘に納めた。もうすぐ夜が降りてくる。早く帰らなけらば盛大に怒られるだろう。折檻さえあるかもしれない。リンは刀に宿っているから大丈夫だと思うが、なるべく痛い目には遭わせたくないから後で刀に戻ってもらわないと。
◆
「おそーい!」
「いろいろあったんですよ……」
「まったく令一くんは仕方ないなあ。そんなにおいたばっかしてるとドMなのかと疑っちゃうよ。それとも…… してほしい?」
「んなわけねーだろですよ! 首絞められたり焼きゴテ当てられたりするので喜ぶのはあんただけだ!」
「ええ! なんで知ってるの!?」
「脳吸われるのに恍惚としてた奴がなに言ってるんですか!」
疲れた…… もう嫌だこの邪神。
毎日毎日バリエーション豊富に拷問を勧めてくるの本当嫌だ。夜刀神さん助けて……
「へえ、アーティに会ったんだ…… まあ、お使いはちゃんとできたみたいだし、そっちの手伝いに行ってもいいよ。どちらにせよ、くふふふ」
突っ込まないぞ。そもそも処理代払わなかったクソご主人の所為だからな。
「そうそう、私は明日図書館に行くからお前は好きにしてていいよ」
待ち合わせがあるんだ、きゃっ! なんてくねくねした気持ち悪い動きで言い出したので無視して寝よう。ああいや、朝早くから主人が出かけるなら朝ご飯を用意しておかなくちゃいけないのか? 簡単な物でいいよな。おにぎりとか、でもこいつがそんな庶民食を好んで食って行くのか? 気まぐれすぎて未だによく分からない。
一応サンドイッチとおにぎり両方用意して冷蔵庫に入れておくか。エプロン、エプロンっと。
「主婦みたい」
俺はなにも言わないぞ。これで怒鳴ったら折檻されるのが目に見えてるからな。もうそんな挑発には乗らん。
◆
朝起きると、いつの間にか奴がいなくなっていた。しっかりサンドイッチが減っていたのでまあ食べたのだろう。俺も昨日作ったおにぎりをもそもそと食べつつ、リンにミルクティーを進呈する。どうやら食べる必要もないが嗜好品を食べて楽しむことはできるらしい。最初に差し出した肉よりも俺の飲もうと思っていた紅茶に興味を示したので甘めにしてテーブルに置いた。俺が想像した犬猫のような飲み方ではなく、案外上品に飲んでいる。
昨日の夜、気になって赤い竜を調べたところアルフォードさんの正体らしきものが分かった。とある国の赤い竜。国旗に描かれたア・ドライグ・ゴッホだ。アルフォード・ドライグ・ゴッホと名乗っていたし確定だろうな。つまりはお国を守護するドラゴン。すごいヒトと知り合いになってしまった。俺、大丈夫かな……
しかし、国を守っているドラゴンなら人間の味方しててもおかしくはないな。だからリンもその特性は持っているだろうし、頼りにしてるよ。
「きゅうい?」
例えドラゴンっぽさが皆無だとしても。
「もっと飲むか?」
「きゅう!」
可愛い。今のところ唯一の癒しだ。
「さて、昨日ネットで調べた限りだと、ここ一週間の事件は全て七彩高等学校の生徒が被害者みたいだな」
「きゅっきゅうーい」
行方不明になっていた生徒とDNAが一致してる…… みたいだな、記事の書き方を見た推測でしかないが。遺族は悲惨だな。しかしなんでアートさんは遺体を食ったりしているんだろう。そこだけが謎だな。死者を追うのに死体処理っていっても食う必要はないと思うが。もしかして昨日、体よく誤魔化されたのか?
「七彩って…… 鈴里さんと紅子さんが通ってる所じゃないか」
さとり妖怪の鈴里しらべさんに、赤いちゃんちゃんこの赤座紅子さんが所属していて、それに加えてこの事件って…… 災難だなあの高校。来年受験する中学生が減りそうだ。
一週間前のいじめによる自殺騒ぎなんかも少しだけ記事に載っていたし、もっと詳しいことを知るなら直接聞き込みに行かなくちゃいけないか。なんで俺がこんな探偵みたいなことやるはめになってるんだ。聞き込みとか怪しまれるから苦手なんだよ……もういい、全部ニャルラトホテプのせいだ。
…… 今度から事件に放り込まれたときは探偵でも名乗ってみるか? 資格とか…… 特にいらないよな。勉強だけはしておくか。巻き込まれた一般人Aだと迷惑を被ることも多いし、なんらかの身分証明ができたほうが動きやすくなるかもしれない。検討はしておくかな。
閑話休題。紅子さんに連絡してみよう。今の時間ならまだ連絡はとれるはずだ。
「もしもし」
『もしもし、アタシメリー。今、あなたの後ろにいるの』
「紅子さんだよな?」
メリーさんが出るとか実際にありそうな悪戯はやめてくれ。
…… 悪戯だよな?
『おやおや、女子高生にこんな朝早くから連絡するだなんてどんな用事かな? 援助交際の申し込みならアタシじゃなくてキミの血が流れることになるよ』
「からかうのはやめてくれ」
『ふふ、可愛い冗談だよ。許してよお兄さん』
クソご主人とは別の意味で疲れる子だ。
「君にここ一週間の事件のことで訊きたいことがあるんだ。高校内部のことは君のほうがよく知ってるだろ?」
『最近の事件のことだよね。アタシが犯人だとは思わないんだ? それともなにか理由でもあるのかな? お兄さんはそういう事件に首を突っ込むような野暮な性格はしてないだろう?』
「ああ、ちょっと協力を頼まれちゃってさ。紅子さんこそ、そういう性格はしてなさそうだからだよ。なんとなくね。それで、放課後にでも話を訊きたいんだけど」
『うんうん、そっか。それは嬉しいことを言ってくれるねぇ。なんなら今からでも会えるよ。アタシもお兄さんに会いたいなあ』
ねっとりとした猫撫で声で言われても全然嬉しくならないのは何故だろう。あからさますぎるからか。からかわれるのが目に見えているからか。
「いいのか? 学校あるだろ」
『何年通ってると思ってるのかな。 高校の授業くらい少し飛ばしても問題ないよ』
「…… 何年通ってるんだ?」
『死んでから二年かな』
「普通の高校生じゃないか……」
もったいぶるから何十年も通ってるのかとばかり。
『それじゃあ、近くの公園で待ってるよ。一時間後くらいに紫紺地区の紫陽花公園でよろしく』
「分かった」
電話を切って荷物を纏める。
「なあリン」
「きゅ?」
「お前って刀に宿ってるんだろ? お前だけ連れて行ったらどうなるんだ?」
「きゅきゅうきゅっきゅっ!」
リンは身振り手振りでなんとか伝えようとしてくれているがさっぱり分からん。
「呼べば刀もワープしてきたりとか」
「きゅーうう」
首を振られた。無理なのか。
「きゅっ!」
「わ!?」
違うと言いたげにしていたリンが大きな翼で自分を覆うと次の瞬間にはそこに赤竜刀があった。しかし、部屋に置いてある刀はまだそこにある。二本の刀が今目の前にあるわけだが、どういうことだ?
「普段より軽い…… ?」
「きゅうーう」
刀から声がする。化けてるって言えばいいのか? いつもよりも軽いし、リン一匹分ということは本物よりも劣るが一応刀としても使えるとか?
よかった。いつも持ち歩いているわけにもいかないからな。そんなことしてたらいつか俺が銃刀法違反で捕まるし。
「戻っていいぞ」
「んきゅ!」
リンには鞄の中で待機してもらおう。
一緒にクッキーやビスケットを鞄に入れ、袋の上で食べるように注意だけする。食べかすで鞄の中が汚れるのは流石に掃除が面倒だからな。でも退屈させるのはかわいそうだし、食べるのが好きみたいだから遊ばせておこう。
それからスマホに対応した手袋の先を切り取ってリンの尻尾や腕に調整して縫い、身に着けさせる。簡単に取り外せるように調整し、リンに少しだけスマホの使い方を教える。動画ではなく、文字を読むだけなら構わないとだけ言っていくつか俺が所持している電子書籍なんかの開き方を伝授し、鞄は広めのスペースを空けてやる。これでアニメや漫画にありがちなバレそうになって 「ぬいぐるみですー」 なんて言うイベントは回避できるだろう。
少々過保護かと思ったが、俺の唯一の癒しだ。これくらい待遇を良くするべきだ。うん。課金はパスワードを教えていないため、どうあってもできないようになってるから安心だ。
「きゅうい」
楽しんでいるようでなにより。
それじゃあ時間だし、そろそろ行くか。
「誰もいないな…… 時間は過ぎてるが、まだ来てないか?」
七彩高等学校の近く、梅雨には紫陽花が咲き誇る公園へとやってきた。
この町は七色に準えて区画によって彩りの違う花を楽しむことができる美しい町だ。ここは紫や青の花が多くを占める。七彩高校はその名の通り季節ごとに花壇の花が植え替えられ、桜や藤、椛に銀杏などそこに通っているだけで四季が楽しめる高校…… らしい。
妖怪であってもそういう美しい場所は好まれるみたいだ。ずっとあそこの生徒をやっている鈴里さんが語っていたのを聞いたことがある。まあ、女の子だしな。
時間よりほんの少しだけ遅れてしまったが、とりあえずベンチにでも座ろうと公園の中程まで進む。そばには一年中葉がついている常緑樹が佇み、静かな雰囲気だ。
その下を通ったとき、俺の耳は僅かな葉の擦れる音を拾った。
「わっ!」
「っべ、紅子、さん?」
目の前の木の枝から逆さ吊りになった紅子さんが降ってきた。
音には気付いたというのに思い切り吃驚してしまった。ちょっと悔しい。
「はろはろお兄さん。待ちくたびれたよ! 待ち合わせには十分前行動だって習わなかったの? それで、今日はどこまで連れてってくれるの? 極楽? 快楽?」
遅刻についてはなにも言えないのだが。
「遅れてごめん。でも、だからってからかうのはやめてくれよ。それ、本当にタチ悪いぞ」
「安心してよ、冗談を言ってるときはきちんと周りに人がいないか確認してるからさ」
言っていい冗談と悪い冗談があるぞ。俺は職質なんてされたくないからな。
「それで、確か血痕だけ残った殺人事件についてだったっけ。確かにアタシの学年の話だよ。クラスは違うけどね。皆怯えちゃって学級閉鎖寸前だし、アタシが休もうがなんの問題もないよ。それに、妙な噂も聞くしね」
「妙な噂?」
紅子さんは俺の疑問に悪戯気に笑うと、口元に指を添えて 「それはね?」 ともったいぶるように一旦沈黙する。
「一週間前に自殺した子を、高架下で目撃した人間がいるんだってさ?」
それは、明確な手がかりだった。