犬神の餌
◇
――巡り巡って、この場所で。
◇
「箱の中にあったのはなにかしら?」
「これです」
春国さんが取り出したのは、真ん中に大きな瑠璃色の宝石がついた真っ白なつげ櫛だった。
「……これは、骨でできた櫛ですわね」
真宵さんの一言に衝撃を受ける。骨? この白い櫛が……?
しっかりと加工されていて、真ん中に埋め込まれた宝石がきらりと光っている。一見すると骨でできているだなんて分からないくらいの出来だ。骨ということは、この青宮誘理って子の骨でできているんだろうが……。
「あちしをあの子が追ってくるのでしゅ。あの子を騙したお父さまを探しているのでしゅ。だから、あちしを追ってくるのでしゅ。早くあちしをその箱と櫛ごと捨てなくちゃ、手遅れになりましゅ!」
誘理が言う言葉にその場の全員が黙り込む。
少なくともこの場所は安全……のはずだ。なんせ神様やお狐の神使がいるんだからな。それに春国さんは浄化専門の術士である。俺や紅子さんはほぼ物理で解決するしかできないが、少し前には祟り神すら葬った実績もある。
犬神だろうが、術士の人間に操られるあやかしだ。神様である真宵さんさえいればなんとかなるんじゃないだろうか。
そんな風に他人事ながら思いつつ、話の流れを見守る。
「つまり、あなたを目指して犬神が追ってくるんですのね? あなたはもう死んでいるのに」
「そうでしゅ。でも、クロはなにも悪くはありましぇん。あちしを守ってくれようとしていました」
「えっと……どういうことですか。犬神は君のお父様を狙っているんですよね? なのに、なぜ君を」
「……話が見えないかな」
春国さんの疑問も最もだし、俺も紅子さんが呟いた言葉に同意しかない。
なんだか関係が複雑そうだ。まずはそこから読み解いていかないとダメそうである。
この箱はなんなのか、そしてこの少女が誰なのか。父親とは一体なんなのか、クロというのは多分犬神の名前だろうが……そいつに咬み殺されたはずなのに、この子は庇うような発言をしているし、本気でどういうことなのかが想像つかない。
「えっと、えっと、えっと……ごめんなしゃい……上手く説明できましぇん」
眉を下げて誘理は俯いた。
周りには金銀の狐に春国さん、真宵さん、俺と紅子さんと複数人が取り囲んでいるから、プレッシャーになってしまったのかもしれない。
頬の両側から伸びる髪の束を両手で掴み、焦ったように目を瞑っている。
「ありゃ、怖がらせちゃったかなあ」
「……俺達は下がろうか、あに様」
金輝さんと銀魏さんが部屋の隅に移動し、春国さんは苦笑いをした。
そんな春国さんの近くに隠れ、誘理は小さくか細い声で「ごめんなしゃい」と繰り返している。
「そうね、その子が落ち着くまで、わたくしがある程度の推測をいたしましょうか」
その姿を横目に、真宵さんが扇子を開いて口元を覆う。
「そうだ、そういえば真宵さんはあの子のことを〝犬神の餌〟って言ってたよな。それのことか?」
「ええ、その関連ですわ」
視線を送ると「ぴぇっ」と言いながら、ますます誘理は春国さんの後ろに隠れてしまう。いつもの春国さんなら着物だから隠れやすかったろうが、今日はスーツだ。隠れきれず、彼女の体の大部分が盛大にはみ出している。
「その子供には〝目印〟がつけられています。その噛み跡がそうですわ」
「あの……首のやつが」
「ええ」
平然と真宵さんは言うが、あの悲惨な噛み跡を直視できるほどの勇気はない。
本人は傷などないように動いているが、痛々しすぎて正直なところ見ていられないからだ。
「その傷痕を縁とし、子供を犬神が追い続ける……そしてその子を所持した者のところへと現れて呪いをもたらすのでしょう」
呪いとはつまり。
「この子といると、犬神が現れて襲って来るってことかな」
「ええ、無力な人間ならば、その子供と同じように咬み殺されてしまうでしょうね」
真宵さんの視線が春国さんに向くと、彼は小さく「ひえっ」と声を上げる。
その後ろで隠れる誘理と似たような反応をしたことで、思わず苦い笑いが漏れた。案外あの二人は気が合うんじゃなかろうか。
「あなたならそう簡単にやられはしませんし、なにより狐の兄弟もいます。それに、一時的とはいえ、先程は知っている者以外は探知しづらい鏡界にいたのです。一旦見失っているでしょうし、すぐに犬神が現れるわけではありませんわ。ご安心なさい」
「そ、それでも、あちしといると不幸な目に遭いましゅ……早くあちしなんか捨ててくだしゃい」
「そ、そんなことはできません! 最後までちゃんと責任は持ちますよ。関わっちゃいましたから、そうするのが筋でしょう? ……怖いですけど」
春国さんが叫んだ。最後の一言さえなければ格好良かったんだけどなあ。
「令一くん」
「は、はい」
真宵さんから声がかかり、無意識に背筋を正す。
「誘理ちゃんは、自分のことを上手く説明できそうもありませんし、手っ取り早くこのつげ櫛に触れて月夜視してくださいな」
真宵さんから、真っ白な骨でできた櫛を差し出される。
確かに、俺ならこの櫛に触れて、誘理の過去を見てくることができるだろう。誘理自身、上手く言葉にできないみたいだし、そのほうが早いといえば早い。
「誘理ちゃん、君の過去を覗くことになる。それで俺が代わりに説明をできるようにする。それでも、いいか?」
ほとんどやると決めていたことではあったが、本人にも訊くのが筋だろう。
俺が尋ねると、誘理は涙目でこっくりと頷いた。
「分かった、やろう」
誘理の許可も得られたので、真宵さんに向き合う。
そっと骨でできた櫛に触れる。すると、ぐんっと袖を引かれるような感覚と共に意識が引っ張られていく。
自然と下がる目蓋の裏に映った光景は……。