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「黒猫と幻夢境と、嫌われ化身」

「なあん」


 暗い部屋の一室。

 ゴシックロリータを身に纏った少女の膝の上で猫は大きく口を開けて欠伸をした。


「んん……ジェシュ……?」


 こっくり、こっくりとベッドに腰掛け、壁を背にした少女……アリシアが眠たげに目を擦る。猫はその様子を尻目に立ち上がると、ぐぐっと体を伸ばす。

 足が痺れたようにアリシアは顔をしかめたが、そのままパタリとベッドに横になり、すうすうと寝息を立て始めた。

 黒猫のジェシュが膝で寝ていたため、身動きが取れなかったのだろう。

 彼、ジェシュはそんな彼女を見て申し訳ないと思う気持ちと共に、一種の嗜虐的な思考が掠めてしまい、その小さな頭を振るった。


「ボクは、引きずられない……」


 黒くしなやかなその体で飛び上がり、彼はベッドの下へ降りると一直線に窓へと向かった。それからもう一度飛び上がると窓の鍵に手を伸ばし……空を切った。


「むう」


 もう一度。今度は爪がほんの少しだけ触れた。


「むむ」


 もう一度。少し動いた。


「うー」


 もう一度。飛び上がるときに見誤り、せっかく動いた鍵を頭突きで元に戻してしまった。


「はあ〜」


 人間臭く大きな大きな溜め息を吐くと、彼はその場でサマーソルトをして人間の男に似た姿に変化する。

 派手なチェシャ猫のようなデザインの服装、口元をチェシャ猫のニヤケ笑いを描いたストールで覆い、黄色い瞳は不満げに細められている。

 おまけに長い黒髪を尻尾のように三つ編みにして肩の前に垂らしており、その姿はどことなく胡散臭い邪神に似通っていた。


 いや、実際に似ているどころではない。

 彼もまた、あの邪神になったのだから。


 血を与えられて、体が作り変えられ、それでもなお全てを嘲笑する邪神の本能に抗い、彼は少女に付き従っている。それは全て、飼い主の姉妹が大切だからこそである。でなければとっくに旅に出ているのだ。


 人型になった彼は鍵を開け、窓の外に出てから月を見上げる。

 そこにあるのは夢の世界。人が夢で行き着くことのあるという場所。猫が行き来できるという幻夢境。その名もドリームランド。


 彼の目玉と同じ色をした月に向かって腕を伸ばす。

 片方の異形の腕は遠くの月を摘めそうと思えるほど大きいが、決して届くことはない。そんな月。

 けれど猫達は独特な方法で生身のまま、夢の中にだけあると言われている幻夢境へと至ることができる。


「行かなくちゃ。確かめないと」


 黒猫が呟いた。

 曰く――「ボクはまだ猫なのかな」と。


 そして跳躍。

 長い長い、二本に分かれた尻尾で地面を打つようにして、そして両脚に力を込めて黒猫が跳ね躍り、舞い上がる。ぐんぐんと遠くへ。ぐんぐんと近くへ。月に向かって飛び込んだ。


 そして……。


「ここが、ドリームランド。初めて来たや」


 彼が辿り着いたのは、果たしてそこは森の中であった。


「あれ、おかしいな。猫なら猫好きの街(ウルタール)に着くと思ってたんだけど」


 キョロキョロと辺りを見回し、彼は首を傾げる。

 彼自身は一度も訪れたことのない異世界……ドリームランドではあるが、よく猫集会で話だけは聞いていた。遠い記憶を探り出して彼はなおも不思議そうにしていた。


 彼が猫集会に参加していたのも、それは邪神になる前の出来事であり、猫の姿をした邪神となってからは参加をしたことがなかった。故に、彼の情報が古めかしいものである可能性も否定できない。


 なにせ、老猫達が話していたドリームランドは、現実世界と時間が同じときもあれば、はるかに時間の流れが早いときもあると言うからだ。

 もしかしたらドリームランドの時間の流れが早くて、なんらかのルールが変更されたのかもしれない。

 呑気にそう結論づけてジェシュは深い森の中を歩き出す。


 目指すはウルタールの街。その街では猫が自由気ままに生き、そして「決して猫を殺してはならない」という猫至上主義の街でもあるのだ。

 自分が猫かどうかも、そこに行けば分かるのだろうと漠然と彼は考えていた。


 しかし……。


 しゃらり、しゃらりと音がして、彼の薄い耳がピクリと動いた。

 そしてジェシュは静かにその場で猫の姿へと変化する。そうしなければならないと、思っていたからである。


 絹が擦れるような繊細な音色に、土を踏む湿った音。誰かが向かってくることは、彼の髭にあたる空気の振動で敏感に感じ取っていた。


 それは人型。現れたのは、黒の生地に金の刺繍を施したドレスを身に纏う、浅黒い肌の健康的な女性である。露出している部分が多く、普通の人間ならば目のやり場に困るだろう肢体をしかし、ジェシュはただ無感動に眺めていた。


 女性の頭に、長い黒髪から覗くように長い猫の耳がひょっこりと顔を出していて、ドレスの下から覗く尻尾はするりとしなやかな動きを見せる。その尻尾の先に金色のリングのようなものが嵌められており、それが三度(みたび)振られると、彼女の周りに三匹の白い猫が現れた。


「うちを探していた迷子は、そちか」

「もしかして、バースト様?」


 ジェシュが一歩踏み出そうとすると、召喚された三匹の白猫が警戒するように女性の前へと踊り出た。


「このかたをどなたと心得る! 貴様如きが近づいてはならん!」

「よいよい。こやつはまだ己のことが分かっていないみたいだからね」


 女性が微笑み、そして告げる。


「まことに、うちこそが猫を愛し、愛され、救う神。バーストである」


 現代ではバステトと呼ばれる猫の女神。

 それがジェシュの目の前にある光景であった。


「本当に本当のバースト様」


 やはりジェシュが近づこうとすると、数歩下がるように白猫が唸る。

 そして……声を荒げた。


「お前はもはや猫でもなんでもない。むしろ我らの天敵ではないか! そのような姿でバースト様のお心を弄ぶなど卑しい奴め!」

「天敵……」


 白猫の言葉に、彼は衝撃を受けて言葉を失った。

 猫を愛す女神であるバーストにとって、過去の〝やらかし〟を行ったニャルラトホテプは苦手な対象である。

 そして今回も、ニャルラトホテプの思惑によって一匹の愛しい猫が化身へと作り替えられてしまい、心優しい彼女は非常に心を痛めていたのだ。


 白猫は、変化させられてしまった彼を責めた。

 ジェシュの意思で行われたことではなかったというのに。


「でもそっか。ボクは、もう猫じゃないんだね」

「猫は愛されるべき生き物。うちは、お前の飼い主が選んだことを否定せんよ。お前は女神バーストの手元からは離れてしまったけれど、それでもお前が飼い猫として一人の人間について行くというのなら、応援をしてあげようと思う」

「バースト様! お戯れをっ」

「うちの勝手さ。いいだろう、別に」


 咎める白猫にバーストは優しく諭した。


「だから、早くおうちへお帰り?」

「うん、分かった。帰るよ」


 そうしてジェシュは背を向ける。

 夢から覚めるときが来たのだ。物理的にも、精神的にも。


 女神と優しい決別をした彼は、ドリームランドから見える月に向かって「ぽおん」と跳躍し――表の地上へとすぐに舞い戻った。


 さて、疑問も氷解したことだし戻るかと彼が部屋に戻ろうとしたとき、どこからか一羽のカラスがやってきて「カア」と鳴いた。


「またそれ?」

「くふふふふ、いいじゃないか。こっちのほうが慣れているだろう? だからわざわざこうして、出向いてやっているのだから」


 胡散臭い笑い声を溢してカラス……正確には死んだカラスにとり憑いた邪神ニャルラトホテプに、彼はものすごく嫌そうな顔をしながら溜め息を吐く。夜の間はドリームランドにいたため、結構な時間が経っている。どうやら時間の流れはあちらのほうが早かったようだ。


 ひと眠りしようと帰って来た彼は、それ故に迷惑そうな顔で邪神のほうを向く。


「ねえ、ボク。しつこい奴は嫌われるって言葉知ってる?」

「知っているよ。くふふふ、私はただたんに、〝私〟が上手くやれているかどうかを見に来てやっているだけだよ?」


 嘘をつくな嘘を。

 そんな表情をして、ジェシュは無言で訴える。しかしカラス――神内千夜は素知らぬフリをして話を続けた。


「お前はもう猫ではなく、邪神。それがよおく分かっただろう?」


 ねっとりとした話し方に、ジェシュはうんざりとして溜め息を吐く。

 これが〝自分〟であると考えても、どうにも落ち着かない。ニャルラトホテプの化身は、アルフォードの分霊などと同じであり、皆等しくニャルラトホテプ自身である。しかし、そこに化身それぞれの〝毛色〟というものも存在していることは確かだ。


 彼はニャルラトホテプとなってしまっているため、その記憶を辿ればいくらでも邪神らしくない性格をした化身がいることを知っている。どころか、自身が化身であることに気づかずに生き、そして人と同じように死んでいく者がいることも理解している。


 彼はたまたま機会があった。故に邪神であるという自覚を得ただけなのだ。


 性格の違いからニャルラトホテプ同士で争い合うこともある。それこそが混沌の名を冠する邪神である。


「ボク、お前のことは嫌い。なに先輩面してるの? あっち行ってよ。しっしっ」

「猫を追い払うような動作を、お前がするんだね。くふふふ」


 その矛盾に心地良さを感じたのか、神内はカラスの翼を手のように動かして含み笑いをする。


「ボクはアリシアのもの。そして、アリシアと一緒にレイシーを愛する猫。たとえ〝ガワ〟だけだとしても、アリシアが望んでいるのなら、ボクは〝それらしくある〟だけだよ。そういうものでしょ? 神って」

「まさしくそうさ。お前はあの子の〝飼い猫であれ〟という願いを叶えているだけに過ぎない。けれど、それは絶対だからね。そういう化身がいてもいい。私の見る視界は多ければ多いほど、良質な物語を観察することができるからね」


 全ての化身が体験した出来事は記録として、全ての化身が見ることが可能である。分かりやすく言うならば、同じサイトを共有するユーザーと、そのユーザーの一人が撮った動画をサイトに上げるような関係性だろうか。

 体験した一人はその記録をアーカイブに残し、他の大勢がそれを見ることを可能とする。


 神内千夜という邪神はそうして世界を観察し続けているのだ。

 ときに嘲笑い、ときに面白そうだと手を叩きながら。


「趣味わる」

「そう思ってもらって結構だよ。お前の物語も中々面白そうだから、あの子に干渉するのは、もうやめておくよ。仮にも〝他の化身〟の獲物だし」


 獲物という言葉にジェシュは低く唸ったが、神内は素知らぬ顔で「くふふ」と笑う。それから「では、また縁があったら会おうね」と言って翼を広げた。


「もう二度と来ないで」


 ジェシュの言葉に返事をすることなく、夜の闇の中黒いカラスが夜空に飛び立つ。そしてぐんぐんと高度を上げ、ついには見えなくなってしまった。


 そして残されたジェシュの周りは静かな環境が戻って来たのである。

 虫の鳴き声や空気の流れる音を感じ取りながら、彼は窓を開けてアリシアの部屋へするりと身を滑らせて入る。


 それから、ジェシュのために置かれた一枚の濡れタオルの上で、一通り足踏みをして汚れを落とし、アリシアの眠るベッドの上へと「ぴょん」と飛び乗る。


「あーあ、布団かけてないと、お腹がごろごろしちゃうよ」


 言いながら彼は人型に変化する。

 重みまで変化したせいでベッドが軋み、アリシアの寝顔を真上から覗く形になった彼は優しい表情でその額に軽くキスを落とした。


「おやすみ、アリシア」


 布団をかけてやりながら彼はアリシアの隣に潜り込み、猫の姿に戻ってそっと目を瞑る。


 まだまだ夜は長い。

 愛する飼い主の側で、黒い猫は幸せそうに寝息を立てていた。

本日のリクエストは「匿名希望」さんということになります!

リクエスト内容は「神内・ジェシュ」ですね。会話だけじゃなくてまさかのドリームランドやバステトさんまで出て来てしまって、書いているときは焦りましたがなんとか形になりました(`・ω・´)


明日の更新は「ペティと飼い猫」のお話となります。

さすがにお迎えしてからのお話はまだ書けないので、過去あった二人の日常かな。

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