女好きのアーヴァンク
「ねえ、旦那」
長く、癖のある黒髪をポニーテールにした女性が、やたらと艶のある声で俺を呼ぶ。伏せた目に映える長い睫毛。赤い炎のような色のバンダナを頭に巻いた彼女は、快活そうな印象を受ける。
実際、この人はかなり明るいタイプの人だから間違いではないだろう。
街中で手を繋ぎながらキョロキョロと辺りを見渡す彼女を、道行く人々の8割くらいが振り返って眺める。それほどまでの美人。声も透き通るような色艶のあるもので、仕草は優雅で色っぽい。
「どうした?」
「いんや、ちょっとね?」
口調だけが変わった江戸っ子口調であるが、かえってそれがただの美人でないことを表していて、余計に人の注目を集めている。
「はっきり言ってくれ」
側から見れば、俺達はきっと恋人同士に見えるのだろう。
もちろん、隣にいるのは紅子さん……ではない。決して浮気をしているわけでもない。
「なんつーか、男二人。虚しくならねぇかい。旦那」
「言わないでくれ」
これはれっきとした仕事である。
手を繋いだ、女装中の烏楽刹那さんがやけくそになって笑っていた。
◆
きっかけはある依頼を見たことだった。
最近、街中で女性のナンパが相次ぎ、掲示板内で複数の男性怪異やらが愚痴っていたことが引き金となり、その依頼が張り出されたらしい。
それだけならナンパ野郎を注意するだけで終わる依頼になっていたのだが、どうやらこの問題の怪異……恋人のいる女性を特に狙って奪おうとする悪質な輩らしい。
故に、好きな人のいる俺と刹那さんに声がかかったわけだが……。
「断固拒否します」
「俺ぁ、自信がないわけじゃねえが、万が一を考えると参加はしたくねぇなあ」
「だよねー」
俺は即答。刹那さんも苦笑いをしつつ、しかし目は一切笑っておらず、話を持ってきたアルフォードさんは困ったような笑顔で息を吐く。
未だ恋人にはなれていないが、好きな女性を好んで奪おうとする怪異相手に晒そうだなんてとてもとても思えない。
紅子さんがそんな最低な怪異に心動かされたり、なびくわけがないと信頼してはいるが、それとこれとは別である。そもそも彼女をそういう目で見られること自体が耐えられない。
それは刹那さんも同様だ。
彼が想いを寄せているのは、その行動から推測するに字乗よもぎさんだろう。大図書館で日々本を読んで過ごしている文車妖妃の元に、新聞配達をわざわざ自ら出向いたり、ルルフィードさんのスイーツパーラーでバイトして報酬にお菓子をもらい、彼女に届けたり……そのどの行動をとっても、彼にとって特別であるとしか考えられない行為。
鴉が文の怪異に恋をするなんておかしな話だが、神様と恋する人間もいることだし、そういうこともあるだろう。
そして、刺激を求める怪異や神様達によって、同盟では案外そういう恋話が持て囃される。野次られると言えば聞こえが悪いが、皆微笑ましく見守りながら応援してくれるもので、気恥ずかしいながらも俺の背を押してくれるものだから憎めない。
「うーん、この依頼どうしようかな。結構深刻なんだよねぇ。なんかこの怪異、女の子をナンパするだけならまだいいんだけれど、どうやら寝取るのが大好きみたいで……被害報告が悲惨なんだよ。無理矢理迫って……なんてこともあるようだし、悪質なんだよねぇ」
その話を聞いて、ますます紅子さんを巻き込むわけにはいかないと決意した。
「オレみたいに髪が長ければ騙せるかな?」
なんて言いつつ、アルフォードさんが自身の薔薇色の髪たばを手ですくい取り、摘み上げる。
確かに彼は身長もそれほど高くなく、薔薇色の髪が長く、一見すれば女の子みたいに見えなくもない。声も中性的で、一人称がオレだとしても、初めて会う場合は性別が分からないだろうな。
「あーでもだめだなあ。例の被害者、みんな長身の女の子だから。狙っている子の好みはスレンダーで長身な綺麗系の女の子なんだよね。オレじゃあ、女装しても可愛い系にしかならないや」
「アル殿、なぜ女装の方向性に持って行くんで? 確かに女を囮にするのは憚られるが」
万が一を考えなければならないわけで、そうなると女の子を囮にするのはかなりの危険を伴うことになる。
「真白ちゃんにも言ってみたけれど、この手の怪異は彼女にトラウマがあるからねえ。破月ちゃんからも怒られちゃったし、真宵ちゃんも周囲を巻き込むくらい怒ってたし、絶対になびかない実績があるあの子には頼めないんだよ」
むしろなぜそこに話を持って行ったのかと。
そりゃ怒るだろ。破月さんなんて真白さんにデレデレじゃないか。あんだけ溺愛している女性を、それも寝取り目的の怪異の囮に使うとか言われたらブチギレて当たり前だ。呑気に怒られちゃったとか言っているが、絶対にその次元では治らない。
「……ねえ、せっちゃん。そういえばキミも髪は長かったね」
ふと、アルフォードさんが刹那さんを上から下まで眺めて笑った。
神様がなにか企んでいるとき特有の、眩しいくらいの、そして怪しい笑顔だった。
「今すぐに髪を切りたくなったんだが、どう思う? 令一の旦那」
「諦めたほうがいいと思う」
「なんで味方してくれねぇんだい!?」
他に飛び火するくらいならこの場で解決するべきだろう。多分。
あと神様の決定には基本的に逆らいづらい。さっき思いっきり却下してただろうって? それとこれとは別だ。紅子さんは絶対に巻き込みたくないのだから当たり前だ。
「こ、声はどうするんで? アル殿、俺ぁ、コロコロとした可愛らしい声なんて出せねぇぜ?」
「七匹の子山羊って童話知ってる?」
「知ってるが……って」
アルフォードさんが取り出したのは小瓶に入った白い粉。そんな物一体どこから……? というか準備が良すぎるのでは……? もしや最初からこのつもりだったとかそんなこと。
「狼は母親の山羊になりきるために、小麦粉で足を白くして、チョークで声を高くしたんだよね。この童話、日本でもかなり有名だし、知ってるよね? グリム童話だから、むしろ知らない人のほうが少ないくらい……あとは分かるかな?」
いい笑顔だった。
怪異やその手の不可思議な現象は有名であればあるほど力を持つ。
この鏡界においては尚のこと。つまり――。
「ちょっと待ってくれアル殿、俺は」
「れーいちちゃん、押さえて」
「えっと、はい」
「旦那、裏切るのかい!?」
ごめん、刹那さん。
◆
……ということなのであった。
「にしても、視線が鬱陶しいねぇ。女の身ってのは大変だなあ」
「美人なら男女問わず視線を奪われるもんだと思うけど」
実際、女装中の彼は男だと分からないくらいに美しい。
髪はまとめてポニーテール。炎のようなバンダナをしているのは相変わらずだが、ピアスにネックレス。それにいつもはだけさせて雑に着ている着物ではなく、女物の紅葉のよく似合う落ち着いた着物を着こなしている。薄い胸元は着物であるから中身を入れて嵩を増し、一見しては見破れないほどの女装だ。
さすが鴉、着飾るのは案外嫌いではないんだな。確か鴉が色んな鳥の羽根を集めて着飾ろうとする童話もあった気がするし、お洒落して注目されること自体は、別に嫌というわけではないのだろう。
諦めたのか、なんとなく彼も今の格好で楽しんでいる感じがする。
落ち着いた色の着物を着ている理由は、そのほうが色っぽくて男がそばにいれば、そいつの〝お手つき〟だと見えやすいから、だそうだ。つまり貞淑な妻もしくは恋人に見えるからだとか。
こんなところをお互いに好きな人に見られたら死にたくなること請け合いである。
「旦那、少し足が痛え。そこに座ってるから、甘味のひとつでも買ってきておくんなせえ」
「はいはい、刹那さんはここで待っていてくれ」
その台詞は、目をつけられたときに言うと決められていたものだ。
俺はそこまで気配に聡くはないため刹那さん頼りだったが、どうやら上手く引っかかってくれたらしい。
こうして一人で女側が待ち、男側は側を一時離れる。ナンパされるだろうお決まりのパターンで別れ、近くの菓子屋に入る。そして手早く安い菓子を買って外の様子を伺った。
外では、洋装のやたら恰幅のいい男が刹那さんに話しかけるところが垣間見えた。決して見目がいいというわけではないが、一目でブランド物だと分かる品々を身につけ、刹那さんにも高級そうな簪を見せびらかしたり、顔を近づけて明らかに嫌がっている彼に言い寄るのが見て取れる。
やっぱり紅子さんに相談しなくて良かった。
俺だったら耐えられない。多分刹那さんも同様。耐えられないだろう。
そしてなびかない刹那さんにじれったく思ったのか、男が彼の腕を無理矢理引っ張って行くのが見えた。よろめいている刹那さんはこちらを振り向きながら、不安そうな顔で連れて行かれる。
案外力が強いのかな? というか、道行く人が誰も注意したり通報しないあたり、治安が悪いのか、それとも術かなにかでそれがごく自然な行為にでも見せているのか……後者であってほしいな。
店を出て後を追う。
それから彼らが消えて行った路地に入ると……今まさに両手を捻りあげられ、着物を脱がされそうになっている刹那さんが目に入った。涙目である。あれ、彼のことだから非力なフリをしているだけだと思ったのだが、もしかして本当に振り払えないのか?
「旦那ぁ!」
急いで手を翳し、リンを呼び出して赤竜刀を手に飛びかかる。
すると慌てた例の男は刹那さんを抱きかかえてそのまま俺の攻撃を躱した。
まさか躱されるとは思っていなかったので、少し驚いた。
場所を移動した恰幅のいい男はその後ろに平たい尻尾のような物が出ており、腕で刹那さんを拘束すると同時にその尻尾で、更に動かないようまとわりついて拘束している。
刹那さんの焦った表情を見るに、本気で動けないみたいだ。
「っち、気づくのが早いな。噂が立ちすぎたか」
「アーヴァンク。やりすぎで同盟から指名手配が出ているぞ。大人しく同盟で教育を受けるか、この場で殺されるか、好きなほうを選べ」
怪物、アーヴァンク。
アルフォードさんの守護するウェールズ出身の妖精である。
とある池に住む巨大なビーバーであり、人を水に引き込んで引き裂いて食らったり、怪力を自慢とする水の魔物である。
そんな伝承と共に語られるのは、アーヴァンクがユニコーンのように美女が好きであり、メスの個体が非常に少ないというものだ。要するに女好きが多い。
そのうえ、この悪さを働くアーヴァンクは人の恋人を盗るのが好きだという最低最悪な個体である。到底許せるものではない。
「やだね。俺は寝取った女が泣き叫びながら快楽に堕ちんのを見るのが好きなんだよ。人間だってそういうの、好きだろう?」
「は?」
よし、殺そう。それが正義だ。
「リン」
「きゅうん」
いつにないほどに、赤竜刀から薔薇色の炎が漏れ出でる。
瞳孔をかっ開いている自覚さえある。こういう最低男は粛清しないと。
「ちょ、ちょっと待て。その竜もしかして――」
「問答無用」
「こ、こいつが俺のところにいるんだぞ! 恋人を盾にしてやるぞ! それでもいいってんなら……」
俺の様子にドン引きしているのか、拘束されている刹那さんの表情が引きつった。
ちなみに、この浄化の炎は俺が斬ると決めた相手にしか効かないはずだ。刹那さんはただ怖いだけで済む。というか、彼が本当に捕まっているとも思えないし。いけるいける。大丈夫だって。
言い聞かせて赤竜刀を構える。
逃げようとしても袋小路になっているから、逃げるなら俺の横を走り抜ける必要がある。アーヴァンクは慌てたように刹那さんを盾にした。
次の瞬間、ゆらりと煙が揺らめくようにその場の空間が歪む。
そして俺が赤竜刀を振り抜くとき、その尻尾の中には既に刹那さんはいなかった。代わりにその場に残ったのは炎のようなバンダナ一枚。
少し離れた位置に現れた刹那さんは、アーヴァンクに向かって刀を振り下ろそうとする俺にウインクをして親指を立てた。
驚いて焦る怪物に、遠慮なく刀を尻尾に突き立てる。
「ぎゃっ!」
痛みに悲鳴を上げるそいつには更に追撃として刀を返し、峰の部分で頭を殴った。そして自慢の怪力を発揮することなく呆気なく気絶したアーヴァンクは、その場で男の姿から本性……巨大なビーバーの姿へと変化して倒れた。
「刹那さん、どうやってこいつの拘束から抜けたんだ? まるでどっかで見た漫画のぬらりひょんみたいだったぞ」
「なあに、最初から捕まってなんぞいないのさ。ありゃあ、俺の見せた幻術だからな。奴の触覚まで騙すのは結構神経使ったぜ」
そういえば彼は幻術使いだった。
神中村でも俺への攻撃を逸らしてくれていたりしたな。
「すごいな、見た目だけじゃなくて感覚まで騙せるのか?」
「なんかを触っているっていう事実がないと騙しにくいがなあ。だからバンダナを使ったんだ。烏楽は幻術が得意でな、俺は特にその辺が秀でてんのさ。その代わり非力だから、戦闘は無理だが」
戦闘がダメってのは何回か聞いているから知ってたが、幻術でここまでできれば十分だろう。
「んじゃ、鏡界にこいつを放り込んで、報告すりゃあ、お仕事終了だな。旦那もごくろーさん」
「刹那さんもお疲れ様。行くか」
「きっちり着物を着てると肩が凝って来るんだよなあ。早く解放されてぇ」
そうして俺達は、アーヴァンクを二人で引きずって鏡界へ移動し、アルフォードさんに無事報告することができたのだった。
しかし後日……。
「お兄さん、こないだ随分と綺麗な人と歩いてたって話を聞いたんだけれど、素敵な人でも見つけたのかな?」
「誤解だ!?」
見事にオチがついた。
お後がよろしいようで……いや、よくねーよ!
誤解を解くのにも、説明をするのにも時間がかかり、嬉しいことに拗ねる紅子さんを宥めるために一日中買い物デートすることになったのであった。
結果オーライかもしれない。
ちなみに刹那さんは、女物の着物を所持していることで新聞仲間にたいそうからかわれて、更にその噂が字乗さんのところにまで届いて機嫌を損ねたのだとか。
こうして俺達二人のやったことは見事に知れ渡り、好きな人にも結果的に知られ、なんともいえない結末になった。
幸いなのは、これをきっかけにして刹那さんと仲良くなれたことぐらいである。
本日のリクエストは、ありしうすさんの「令一&刹那」でした!
いかがでしたでしょうか?
めちゃくちゃ長くなってしまって焦りましたが、書いていて非常に楽しい物でした(*´꒳`*)