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正義

 トントントントン、そんな音が静かに響いている。

 玩具のようなプラスチック製の包丁。ときおり濁るように、もたつくようにその音は途切れ、また再開される。


 イライラしながらも、俺はその作業に没頭するしかない……わけだが。

 振り返る。にこにこと気持ち悪い笑みを浮かべたままの大嫌いな奴の顔が見える。俺はその顔を見て、思い切り包丁を振り上げて――


「いっ」

「ほらほら、ダメだよ。手を止めたらいけないよ? 私はお前の料理を楽しみにしているのだからね」


 首にかけられたチョーカーからバチリと音がして、背を逸らしながら声をあげてしまう。電流が流れたような一瞬の痛み、しかしそのせいで包丁を取り落とし、手は数分間痺れたままだった。


 あれから……この邪神に無理矢理攫われて以降、俺は監禁されている。

 いや、屋敷内では自由にさせられているから監禁というより、軟禁に近いのかもしれないが、奴の見ていないときに外に出ようにも、屋敷の外には見えないなにかがいて外に出られない。そのうえ、屋敷の内部構造自体がときおり変わっているようにさえ感じられる。外に出ようとした瞬間に床が柔らかくなって舌で押されるように自室に運ばれたり、この屋敷自体がなんらかの化け物なんじゃないかと思うくらいだ。


「なんで、こんなこと」

「お前は私のお世話係(どれい)だからね。屋敷で雇っているのだから、しっかり働いてもらわないと。技術もさっさと身につけて、役に立ってほしいものだね」


 こっちは高校生だぞ。少しくらいは両親の手伝いをしていたが、そんなに料理は得意じゃない。野菜を切るのだって不格好、味も濃いものばかり、量も調整が難しくてなかなかうまくいかない。洗濯物ならまだしも……って、なんでこんなこと思ってるんだよ! 毒されすぎているようだ。逃げられないからと諦めが混じってきているのかもしれない。


 だめだ、俺はここから逃げるんだ。せめてあの刀さえあればなんとかなるかもしれないのに……! 


「ほらほら早く」

「お前がやれよ」

「敬語、やり直し」

「うっぐっ」


 バチッと音が鳴り、頭が真っ白になる。

 ふざけるなよ、こう何度もバチバチと電流なんか食らったたら脳味噌が沸騰して死ぬっつーの。

 ふらふらとしながら、よろめいてキッチンの壁に手をつく。


「おや、電流では脳が固まってしまうかな? ごめんね、配慮が足りなかったよ。下僕にも多少の配慮はしてあげないとね」


 息を吐き出しながら休憩していたところに、今度はチョーカーがぐんっと締まり出す。いや、まっ、窒息させるともりかこの野郎! 殺したいなら殺せばいいのになんなんだよっ、このっ、くそ野郎が! 


「……!」


 文句を言いたくても、残念ながら声が出てこない。出てくるのは苦しくて思わず出てきてしまう吐息と小さな喘ぎだけ。

 窒息で目の前がチカチカし始めた辺りでやっと解放され、膝から崩れ落ちる。

 すると、いつのまにか近くにやってきていた奴……神内に体を支えられて座り込むことすらできなかった。


「ほらほら、料理の技術はやらないと上がらないよ? 一定水準のものができるようになったら外にも出してあげようって言っているじゃないか」

「分かっ……くそっ、離せ」

「ほらほら、興奮しないでゆっくり息を吸おうね? 苦しかったでしょ」

「お前がやったことだろ誤魔化すなよ、この――」

「自分じゃ立てない癖に。おかしなれーいちくん。あと、放送禁止になりそうな罵声はダメだよ?」


 自力で立てるくらい回復してからはさっさと奴は定位置のソファーに戻り、俺は料理の続きをすることとなる。一旦中断していたから、もちろん奴の言う一定水準なんかには届くはずがない。またも失敗作だ。そんなことを言うと「まるでお前みたいだね」なんてグッサリと人の心を突き刺す台詞を吐いてくるのだから最悪もいいところだ。


 こいつとの生活は最悪。そうとしか言いようがない。


 そんな日々が続いて半年くらいのとき、ほんの少しの間屋敷の警備が薄くなったことがあった。それは、奴が屋敷の周りに置いていたなんらかの生物を一体連れて行き、更に動く屋敷自体も大人しいものだった、そんなとき。


 そんなことありえるわけがないと、そんなの罠でしかないと、そう思わなかったのは、まだ俺が楽観的だったからかもしれない。


 走って、走って、走って、そして自分のかつての家に向かって身一つで飛び出した。

 もちろん、この彩色町から実家が近い位置にあったからこそできたことだ。二時間、三時間と歩いて、ときおり走って、そして家に辿り着いたときに俺は見てしまった。


「令二、この私をいつまで待たせるつもりだ。行くぞ」

「わ、分かったよ凛ちゃん! 待ってってば!」

「早くしろ」


 家から出てきたのは弟で、家の前にいたのは見知らぬ女の子。

 紺色のセーラー服の上になぜか学ランを着ていて、横柄な態度のまま俺の弟……令二を連れて行こうとする。弟の交友関係にあんな子いたかな? そんな疑問と共に声をかけた。


「令二!」

「んえ?」


 間抜けな声と共に振り返った弟は、俺を見て目を見開いた。

 そうだよな、行方不明になっていた俺がこんな……いきなり目の前に現れたら驚いて当然だ。


「令二、兄ちゃんだぞ? ひさしぶ」

「誰だお前は」

「えっ」


 弟の代わりに声をあげたのは、隣の女の子だった。

 いやむしろ俺が誰だ君って言いたいんだが。


「令二、〝お前に兄はいた〟か?」


 妙に力強い言葉で女の子が言うと、令二は目を瞬いてから、一転困惑した表情になった。


「うーん、いないはず、なんだけど」


 その言葉に、俺は目の前が真っ暗になっていくようだった。

 なぜ? 


「おれ、〝兄がいたことなんてない〟はずだよ。だって一人っ子だし。人違いじゃないかな? ごめんね、おにーさん」


 兄はいたか? と言う言葉に、まるで正反対になるように答えて令二は首を傾げる。本気で知らない風であり、俺はその分混乱した。あまりの出来事に、言葉が出てくることすらなかった。


「ふむ、もしかしたら記憶に混乱が生じている人かもしれん。令二、あんまり関わると面倒だから早く行くぞ」

「あ、うん、リタさんが待ってるもんね。怒られちゃうから、早く行かなくちゃ!」

「その場合怒られるのは私ではなくお前だがな。別に、お前が怒られようとなんだろうが構わんが、早く行くに越したことはないだろう」

「もー、凛ちゃんったら天邪鬼(あまのじゃく)なんだからー」

「否定はしない」


 そんな俺を置いて二人が歩き出す。

 あまりのショックに引き止めることすらできずに、俺はその場に立ち尽くしたままであった。


「嘘だ」


 ぽつりと呟いて、表札を確認した。

 確か俺の家は無用心にも、家族全員の名前が載っていたはずだ。泥棒に目をつけられやすくなるからそろそろ変えようと言っていたのを思い出す。

 しかし、名前があるのは両親と弟の名前だけ。俺の名前はそもそも存在しなかったかのように、書かれていた形跡すらなかった。


「そんなことっ」


 玄関の横にあるインターフォンを押す。

 来客を知らせる音が響いて、インターフォンから「はい、どちら様ですか」と母さんの声がする。懐かしくて泣きそうになりながら、俺は「令一だよ」と声をかける。


 ――けれど。


「うちにはそんな名前の子はいません」


 インターフォンの声が途切れる。

 家の中からは、早くに帰って来ているだろう父さんの声と、慌てる母さんの声が響いていた。


「ねえ、令一ですって言ってたわよ。令二のこと中途半端に知った詐欺かしら? だから表札変えたほうがいいって言ったのに!」

「待て、まだ外にいるんだったら通報したほうがいいんじゃないか?」

「でも、本当に詐欺か分からないし……」

「なら、見回り強化してもらうか」


 そんな言葉に、呆然と立ち尽くす。


「みんな、俺のこと……覚えてない、のか……?」


 次に、近場の公衆電話を探して友人に電話をかける。神内に与えられている一応の給金があるから、それを屋敷から持ち出して来ていたのだ。

 友人、学校、知り合い、親戚、覚えている限りの電話番号にかけ続けて、とうとう全員に「人違いだろう」と言われてしまった。

 そのうえ、あの修学旅行で死んだ友人のことをその友人の家に電話をかけて訊いても、知らないと言われてしまった。


 あのとき、死んだ皆。そして攫われた俺自身。


 誰も彼もが、俺達のことを綺麗さっぱりと忘れていた。

 脱力して、電話ボックスの中で膝を抱えてしゃがみ込む。全てが、なにもかもが、徒労に終わった。俺があの邪神の元から逃げ出しても、もうどこにも居場所がない。そんな鬱屈とした絶望感に、立ち上がる気力さえもうなかった。


「くふふ、だから言ったろう? お前は私の世話係(どれい)だって」


 電話ボックスの扉を開けて、俺よりも随分と低身長な……しかしやたらと態度のでかい、長い黒髪を三つ編みにした男が立っていた。体格では俺が勝てそうなものなのに、こいつには一切通じず、俺は復讐も反抗もままならない。そんな絶望が、迎えに来たのだ。


「奴隷の存在なんて誰も見ないんだよ。でも私は優しい主人だから、こうして迎えに来てあげたというわけだ。くふふ、お前の現状は把握できただろう? 無駄な希望は捨てて従順になったほうがいいよ」


 言いながら、男が俺に向かって手を差し伸べてくる。

 ぐるぐると絶望感に支配された頭の中で、無意識に差し出された手を――。


「おや」


 思い切り、(はじ)いた。


「誰がお前なんかの手を取るかよ。俺は諦めない、絶対にいつかお前を殺してやる」


 燃え上がる反抗心に忠実に、そして(たの)しそうな顔をした男に向かって睨みつける。格闘でも、武器ありでもこいつにはまだ敵わない。だからこその精一杯の反抗。


「くふ、ふふふふ、それはそれは楽しみだなあ」


 恍惚とした表情で蕩けるような笑みを浮かべるそいつに、心底吐き気がして、弾かれたまま空で彷徨わせている奴の手に唾を吐きかける。


「ああ、いけないよ? 道端で唾なんて吐いたら」


 奴はそう言うと、手についた唾を眺めて俺に近づいてくる。


「やめろっ、来るな!」

「やーだよ、ほら、吐きかけたらだめだよ?」

「んぐっ」


 そして、そのまましゃがみこんだままの俺の口に、思い切りその手を突っ込んだ。


「元の場所に戻さなくちゃ……ね?」


 髪の毛をもう片方の手で掴み上げられ、苦しみの声を漏らす。

 わけがわからなくなって、噛みつく気力さえも奪われて、ただ口の中をその手で蹂躙されるのを受けるしかなくて、喉の奥を突くような動きにえづきながら耐え続けた。いや、耐えるしかなかった。口内を弄ばれて力が入らなくなってしまったからだ。「やめろ」という言葉も発せず、ただ舌を掴まれたり、歯列をなぞられたり、意味もなく遊ばれて息ができなくなる。


 その後のことは正直覚えていない。

「お前を知っている人は、もういない。可哀想に。哀れだね」なんて言葉を、それこそ何度も何度も何度も、刷り込ませるように浴びせかけられ、目の前が真っ暗になった。


 息ができず、そして屈辱による精神的ダメージ。

 気絶してしまったのは、ある意味幸運だったのかもしれない。


 それから屋敷のベッドで目が覚めた俺は、着替えさせられていることに混乱しつつも鏡の前に立つ。泣いたからだろうか、それとも散々遊ばれたからだろうか。ふらふらとよろめいて、しばらくまともに動けなかった。


「くそっ、くそっ、くそっ、絶対に殺してやる……」


 それでもなお、俺が心を折らずに闘志と反抗心を燃やせていたのは、奴が全く本気を出さずに俺を弄んでいるからだろう。もしくは、俺の意思の力がわりと強いからなのか。


 だが、確かにこのとき、俺の心の支柱が一本ポッキリと折れていた。

 大切な家族。仲はいいほうだった。なのに、もう誰も彼もが俺のことを覚えていない。存在すら、なかったことになっている。


 その事実こそが、俺をじわじわと蝕んでいった。

 もしかしたら、屋敷の警備が手薄で俺が一時とはいえ逃げ出せたのは、あいつの、神内の罠のうちだったのかもしれない。俺の心を折るための、そんな罠。


 ああ、効果覿面だったよちくしょう。

 でも、逆効果でもあった。余計にあの野郎に対する反抗心が燃え上がった。


 絶対に強くなって殺す。

 あんな邪神、この世の悪だ。俺が絶対に殺す。

 あんなやつ、殺してもいいだろう。あんな邪神がいなくなれば、きっと平和になる。あんな悪は殺してもいい。それが、正義になるはずだからだ。


 そう、あいつが邪神でなくても、あんなヤバいやつを放っておくほうがよくない。これが、俺なりの……正義となるだろう。復讐なんかじゃない。そんなものじゃない。


 邪神を殺すのは正義だから。


 ギリリと唇を噛んで、真っ黒な想いを募らせる。

 そんな歪んだ復讐心(せいぎ)を忘れないために、俺は奴に反抗し続ける。


 救われるわけがないと、心のどこかで諦めながら。

 死んでいく心が、誰かに救われるわけがないと、決めつけて。


 だから俺は……余計に――。


 ◇


 一方その頃。

 学ランを羽織った少女と、令一の弟は道端を歩きながら言い争いをしていた。


「ねえちょっと! 凛ちゃん、どうしてあそこで能力使っちゃったのさ!」

「リタの頼みだからな。厳密に言えば、リタを経由したニャルラトホテプからの頼みということになるが」

「どうしておれの〝認識をひっくり返す〟必要があったんだよ! おれだってちゃんと知らないフリぐらいできたよ?」


 彼の言葉に、少女がニヒルに笑う。


「お前、一瞬でも兄に会えて嬉しさが爆発してただろ。だからだよ、バカ」

「バカって言わないでよ! もう、天邪鬼って反則……!」

「生きたまま人間から天邪鬼になった私を舐めるなよ? ほら、令二行くぞ。リヴァイアサン様がお呼びだ」


 少女が目の前にするのは、とある公園の噴水。

 彼女はその場に歩み出ると、懐から取り出した深い青色の鱗を水面に浸す。

 すると、その水面の中に城のようなものが浮かび上がった。


「もう、しょうがないなあ。でも兄ちゃんを助けるためには、力をつけないといけないもんね」

「そうだ、だからアヤカシを斬れ。斬って斬って、そしてお前の兄の周りの余計なものは全て排除しろ。そうすればお前の元に、兄は戻ってくる」

「うん、頑張らないとね。兄ちゃんにバレるわけにはいかないし……おれが覚えているのを知られたらいけないんだもんね」

「そうだ。そういうものだからだ」

「そういうもの……」


 目を瞑って、少年は頷く。


「おれの正義は兄ちゃんだからね。兄ちゃんを助けなきゃ」

「……」


 彼女はそんな彼の横顔を複雑そうな表情で見守ると、その手を繋いだ。


「さっさと行くぞ。私がおしおきされてしまう」

「わっ、それはダメだダメだよ! 凛ちゃんの初めてはおれがもらうんだから!」

「余計なことを言うんじゃない! この高貴な身を手に入れられると思うなよ、このバカ」

「またバカって言った!」


 そうして、騒がしい二人は水の中に沈んでいき……その場には静寂だけが残ったのであった。


本日はかんらんさんからのリクエスト「神内と令一の過去話」でございます!

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