春国の災難
「ねえ、春国。この女の子はどうしたの?」
金輝さんが優しく尋ねる。
幼女と共に泣き声の合唱をしていた春国さんは、彼に涙でぐっしゃぐしゃになった顔を向けると話し出す。
「うっ、えっぐ、ぐすっ、ふううう……ずびばぜん……ふぐうう……その、お仕事の都合で、電車に乗って遠出していたのですけれど、そのとき、人に押し付けられてしまったようで……」
泣いていたからか、声が震えていてところどころ聞きづらい。
しかし、事情はそれでなんとなく知れた。前に会ったときの春国さんは着物姿だったが、今はスーツ姿である。それも電車を使って浄化の仕事を受けに行っていたからなのだろう。
銀魏さんのほうも、前に会ったときは着物だったがスーツに太刀を引っ提げている。いや、これで電車に乗ったのか? 大丈夫なのかこれ?
「抜かりはないぞ。この『南風丸』は幻術で普通の持ち物に見えるよう、なっている」
「へえ、幻術ですか」
狐の幻術……是非見てみたいな。
「見せてもらってもいいですか?」
「いいだろう、しかと見よ」
腰に提げている刀剣に銀色の狐火が灯り、下から順にその姿を劇的に変化させていく。ただでさえ美しい銀色の狐火だ。変化していくその様はそれはそれは圧巻だった。
大きな太刀がほっそりとしたフォルムに変化し、少しばかり短く、そして上の方まで狐火が辿り着けば、その姿は今度は太くなり、完全に姿が変わったとき、俺はその姿に訳もわからず息を飲んだ。
……ハエ叩きだった。
「んうっ」
近くで噴き出す紅子さんの姿を見て、そして次に自信満々にドヤ顔を決める銀魏さんを見て、最後にうっすら微笑んでいる金輝さんを見る。
「どうだ、見事だろう。南風丸だからハエ叩きはどうかと、我があに様からの遊び心溢れる提案があってな」
「銀ったら、すぐに僕の言うこと聞いちゃうんだからー」
「良い名ではないか!」
金輝さんのせいか!
待て、これは笑うなってほうが無理じゃないか? そんなドヤ顔決められて、真剣に見られてもろくな反応はできないぞ? どうしろって言うんだこの状況!
「相変わらず、金の狐の言うことは全肯定botになりますわね」
「ぶっふっ」
その一言でもうダメだった。
ひとしきり笑って、思いっきり不機嫌になった銀魏さんと、俺達の妙なやりとりですっかり泣き止んだ大小の子供二人。ツボに入ったのか、俯いて肩を震わせ続ける紅子さん。
そして、俺の懐から抜け出したかと思うと、銀魏さんの太刀に物憂げな鳴き声をあげながらポンと小さな手を置くリン。
「きゅうい」
「元気出してよ」と、そんな言葉が聞こえてきそうなほど、リンの声は哀れみに満ちていた。
閑話休題。
なんやかんやあり、落ちついた幼女と一緒に全員で鏡界移動し、現実世界の神社に出てきた。
若干古いものの社務所があり、そこの管理者は基本的に春国さんになっているらしく、鍵を取り出して中に入れてもらった。普段の管理は最低限になっているようで、少々埃が舞うが文句は言っていられない。
奥の部屋に案内され、そして腰を落ち着ける。豊穣神社の本拠地は鏡界にあるので、表のこちらならば管理をしている春国さんの許可さえあればこの小さな女の子も入れるようになっているらしい。招かれなければ入れないだなんて、まるで吸血鬼みたいだがこの子は普通の子供だ……子供の、幽霊だ。
「あちしは『青宮誘理』でしゅ。早くあちしを手放したほうがいいでしゅよ」
「でもそれはできません」
幼女、誘理に言われた春国さんはとても困った顔をした。
あれだけ怖がっていたのに、それでも彼女を浄化してしまおうとは考えられないようだ。
「あの、さっき真宵さんが言ってた……犬神の餌って……?」
「それも大事ですけれど、春国くん。この子を拾ったときのことをお教えくださいな」
「はひっ」
身を乗り出した真宵さんに、彼はびっくりしたように後ずさった。
「ご、ご、ごめんなさい。おばけダメなんです……」
「あら、わたくしが美女の幽霊にでも見えて?」
あ、これは怒っているな。
「そうそう、仮にも神様相手なんだからー」
「ちょっと狐、仮にもとはどういうことですか?」
「言葉通りだけれど、気に障ったかい?」
なんでこうも、皆さんは真宵さんを煽るようなことを言うんだろうか。
近くにいるだけで怖いから、正直やめてほしい。
「えっとですね……電車に乗ってるときに、変な男の人がいたんですよ。呪いの気配がしていて……それで、その人に」
ぶるりと身を震わせて春国さんが語る。
――「お前、人じゃないな?」
「そう言われて、いつもみたいに誤魔化したんですけれど……いきなり小さな箱を鞄に押し込まれて……その場で返そうとしたときに、アレが現れたんです」
そう言って一拍置き、春国さんは「まず、アレが来たにしては腐臭がしませんでした」と疑問を口にした。
「アレって?」
「時空を駆ける犬のようななにか……です。こちらでは『ティンダロスの猟犬』と呼ばれるもの、だったと思います。でも変なんですよ」
それは知らない名前だ。あとで調べておく必要があるな。
「変とは?」
「えっと、まず電車の鋭角から空間が開いて出てきたのは、そういうものだから分かるんですけれど……高校生くらいの女の子が一緒に出てきたんです。それに、猟犬自体も丸いボーダーコリーの可愛らしいぬいぐるみに押し込まれていたようで、でも女の子が背中のチャックを開けて……それで」
彼は怯えるように目を瞑った。
「それで、僕に箱を押し付けた人をその場で猟犬が殺しました」
人が死んだ、のか。しかも目の前で。
「それで、女の子が『持ってない、どこにやったの』って言っていて……咄嗟に箱を僕の霊力で包み込んで隠しました。それで、殺人事件になってしまったので、銀魏と一緒にそっとその場から逃げて……道中で箱を開けてみたら、この子が」
出てきたと?
それは、なんというか……完全になにかの事件に巻き込まれているな。
「箱の中にあったのはなにかしら?」
「これです」
春国さんが取り出したのは、真ん中に大きな瑠璃色の宝石がついた真っ白なつげ櫛だった。
この章はここまで。導入も済ませたので、お次の章「コドクの犬神編」へと続いて行きます。
しかしその前に、以前神話生物クイズの正解者にいただいたリクエストを順番に達成していこうと思います。
今後少しの間、リクエスト集となりますがご了承くださいませ!




