植物研究誌『蘭葉樹稿』
「壺の底をご覧なさい」
真宵さんに言われるがままに壺の底を覗き込むが、なにかが書いてあることは分かるものの、それがなにかはちょっとよく見えない。
「あ、ごめんね。今照明を点けるよ」
金輝さんが立ち上がり、部屋のスイッチを押す。
すると揺らいでいた行燈の中の狐火がかき消え、パッと明るくなった。
それでも壺の中は暗い。明かりを取り込みながら工夫して見なければならないほどだ。懐中電灯でもあればまた違っただろうが、まあ仕方ないことだ。
「えーっと」
なんか、漢字で構成されてるっぽいな。
「ひとつずつ教えてちょうだいな」
「はい、えっと……植物の植に、研究の研。それから蘭の花の蘭と、葉っぱの葉ですね。その名前が刻まれていて……」
「やはりそうですか」
真宵さんは納得したように頷いた。
「うんうん、やっぱり植物コレクターのだよね」
「ええ」
同じく頷いた金輝さんに、訳知り顔で真宵さんが返事をする。
なにやら二人ともに知っているようだ。
ちらりと紅子さんに視線を移してみるが、黙って彼女の頭が横に振られる。紅子さんは知らないみたいだな。
「これってなんて読むのかな? それに植物コレクターって?」
紅子さんが手を差し出したので壺を渡す。そして俺と同じように覗き込んだ彼女が疑問を口にした。
片目を瞑って壺の中を検めている姿さえ可愛らしさを感じてしまって、俺はそっと視線を真宵さんに移す。紅子さんにデレデレするより、今は本題だ。
「植物コレクターの作っている雑誌型のカタログの名前ですわね。コレクター間や、呪いを扱う術士などの家系のものが購読している場合がありますわ。研究している内容なども広く書かれています。ただ、カタログのほうはどう流通しているのか……謎に包まれていますの。購読している者が同盟にはおらず、また手に入れようとしてもあちらから避けて来ているようですから」
カタログ。コレクターというくらいだから、ただ収集するだけかと思っていたんだが、この分だと違うんだな。同盟の神妖達に渡らないということは、同盟とは相容れない存在なのだろうし。なんだか話を聞くだけで嫌な
感じがする。それに、あんなところに壺を放置して人に仇をなそうとしているようにしか思えないし。
「このカタログの名を、正式には『植物研究誌の「蘭葉樹稿」』と言います。そしてこれを略した名前が壺に刻まれている……」
「植研蘭葉って言うんだよ」
一瞬、脳が理解を拒否した。
「今なんて?」
最近こう聞き返すことが多くなってきたな。なぜだろう……このヒト達のネーミングセンスの問題だろうか? そうだろうなあ。だってとんでもないのが多いし。植研蘭葉ってなんだよ。職権濫用だろ。なんだその名前。ふざけてんのか?
「植研蘭葉ですわ」
「夢じゃなかったか」
「あー、個性的な名前だね」
俺が現実逃避している間に紅子さんが困ったように言う。
それから俺の方を向いて「夢じゃないよ。ほっぺたつねってあげようか?」なんてことを悪戯気に言い始めた。是非やってみてほしいところだが、ここは我慢だ。
「大丈夫だよ」
「そっか」
心なしか残念そうな彼女に、やっぱりお願いしておけばよかったかなんてくだらないことを考えつつ、気が抜けてしまった体勢を直す。
「それで、その植研蘭葉が作ったのがあの葛の葉ヒュドラだったと」
「ええ、そうね。でもあの子には二つの気質の〝呪い〟を感じたの。通常、呪術というものは人間の癖が出るわ。人間の霊力には個性があって、痕跡さえあれば個人特定が容易なのです」
「ここまではいいわね?」と首を傾げる真宵さんに、俺達は顔を見合わせて頷く。魂の色や形もそれぞれ違うってことがこの前の事件で分かったことだし、それと同じことだろう。
「そうね……指紋や瞳の虹彩のように、霊力にも霊派というものがあるわ。指紋認証って言うでしょう? それと同じなのです。同盟のあるこの鏡界に出入りするのにも、まず最初は同盟の者が付き添って〝登録〟するのよ。覚えているでしょう? 令一くん」
「はい、そんなこともしましたね」
リンに案内されてはじめて萬屋に行ったときは、リン自身が通行証だと言われたし……確かアリシア達の不思議な国の事件があったときは鏡を通り抜けるのに手順を踏んだ。それをすることで顔パスできるようになったはずだ。
同盟に厄介なやつが紛れ込まないように、夜刀神である真宵さんがそういうシステムを組んでいるとかなんとか聞いていたが……それが霊力という、ある意味指紋認証よりも正確なものによる基準だったということだろう。
「霊派認証は同盟専用のネットの掲示板でも使われているよ。見たことはあるかい?」
「す、少しなら」
金輝さんに問われて答えるが、本当に少しだけだ。
ずっと文字を見ているのはそこまで得意じゃないので、楽しそうに雑談しているのを少し眺めただけだが。あれも文字を打っている手から霊派とやらを感じ取っているらしい。
画面の向こう側の霊派なんて読み取れるものなのかと疑問に思ったが、にっこりと笑みを浮かべながら「いけないことをしたらすぐ分かりますのよ」なんて真宵さんが言うものだから、きっとできるんだろう。
あれを使ったらこの蛇神様にはお見通しというわけだ。
「情報収集感覚で眺めるのは悪くないことですわ。とまあ、雑談を挟んでしまいましたが、要するにこの壺の中身には二種類の霊派を感じたのです。普段、証拠品を押さえることが中々できませんから、こうしてコレクターの痕跡を見つけられたのは幸運でしたわ」
彼女は付け加えて「もちろん、犠牲が出てしまったのはよくないのですけれど」と言った。幸運と言ったことに対してのものだろう。
別にそんなことで不謹慎だなんだと騒ぐつもりはないので、ただ黙って首を縦に振った。
「このヒュドラモドキはあなた達が〝定義付け〟をして倒したことにより不死属性が付与されていたようです。元は超高速再生の能力しかなかったはずですわ」
なるほど、要するに自分達で自分の首を絞めていたと。
ヒュドラという定義付けをしなくとも、一応倒せはしたのか。
「定義付けされたおかげで中心の芽が残り、そして呪いの解析ができるのですから問題ありませんわ」
「そっか、そうじゃないと全部燃えていたからね」
「ええ」
紅子さんの言葉に真宵さんが頷く。
燃やしたのは俺達だが、そうしないと再生し続けたわけだし、どちらにせよ事態を終息させるためにはそうするしかなかっただろう。そうなっていたら証拠も失い、コレクターが作ったものだということも分からなかったわけだ。
俺達はやらかしてもいたが、結果オーライでもある。
「多分、不死属性をつけたかったんだろうけれど、そうすると証拠隠滅できないからねえ。それか、不死属性をつける研究の失敗作とかかなあ」
金輝さんが自分の考察を述べると、真宵さんは頷いて話を続ける。
「ええ、その可能性が高いわ。そして、呪いの種類は二つ。蠱毒と、自己再生……恐らく、この自己再生はヒュドラモドキ自身で行っているものではないわ」
ひと息入れて、真宵さんのその金色の瞳が憂いを帯びた。
あの蛇を哀れに想う、そんな頂点としての姿で告げる。
「あの子は、再生と成長に全ての栄養が取られて、常に飢える状態だったのよ」
だからこそ、人を襲ったのだと。
「対処したのが令一くんと紅子ちゃんで良かったわ。あの子の苦しみを終わらせてくれて、ありがとう」
切なげに、心優しい神様が微笑んでいた。