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紅子さん

 カチ、コチ、カチ、コチ……

 そんな音が静かに響いている。


「あ、あれ?」


 気がつくと俺は見知らぬ場所に立っていた。

 周囲を見渡してみても、本の収まったボロボロの本棚や、小さなタンスなどが横倒しになっている有様が分かるだけだ。

 薄暗いその部屋は、確かに知らない場所だった。

 また奴がなにかしたのだろうか? そう思い巡らせてみても心当たりはない。

 奴がなにかするときは基本的にだが、俺を使って事前に準備しているので突然なにかされるということはない…… はずだ。多分。こんなに自信がないあたり、奴の性格が分かるというものだろう。


 さて、では気がつく前のことを考えてみようか。

 俺はテレビのニュースを見ながら生姜焼きを作り、 『血痕だけが残る被害者なき殺人』 がわりと近所で起こっていることに物騒だなと思っていた。それから風呂の支度をして、青凪さんが所持していた書類を纏め、そして………… 寝た、のだ。


「ってことは、夢か?」


 そう思うしかないだろう。

 夢だと分かり、奴か、別の何かに誘拐されたのではないかという懸念は一応なくなった。まだ油断はできないが、周辺を調べることくらいには意識を向けられるようになったのだ。

 薄暗くて分かりづらいが、どうやら奥の方に扉のようなものが見える。しかし、まだ進もうとは思わない。こういう夢はあまり進まない方がいいと相場が決まっている。どんな恐ろしい目に遭うか分からないからだ。

 手近にあるものから本を抜き取り、開いて見る。

 所詮夢は夢。あまり細部は作り込まれていないだろう。白紙か、はたまた読めないかのどちらかだと思っていたが、開いただけで理解する。これは危険な方の夢なのだ。

 あまりに鮮明に映ったその文字は、きちんと意味の通った言葉になっていた。


【|Do you want the red jacket《あかい うわぎは いかが》? 】


 ページに浮かび上がるように薄い黒から濃い黒になっていく文字。そのままじっと見つめていただけで、その文字は次第にインクの黒から赤黒い別の色に変わっていく。

 まるで血のような、そんな文字。

 こういうのには否定を返した方が良いだろうか。赤い上着など嫌な予感しかしないからな。


「いらねーよ」


 俺が呟くと文字が薄まっていき、そして消えた端からまた文字が浮かび上がってくる。


【だっしゅつげぇむ、しましょう。アタシはこの扉の先に】


「いやだ」


 そう言っても文字は消えていかない。どころか、薄暗い先に見える鉄の扉からカチリ、と鍵が開くような音がするじゃないか。つまり、こちらに拒否権はないということか。

 しかし、どうにも進みたくない。

 これが夢だとして、ただの夢でないことは確かだ。奴の悪戯か、はたまた別の怪異の仕業か、どちらにせよ確認するには進むしかないのだが、まずは周囲の確認だ。

 脱出ゲームだというのなら一つ一つの部屋をきちんと隅々まで調べる方が良いだろう。

 目についた本からは、メモ用紙のようなものが飛び出しているようだ。


【北は武器の部屋。東はパズルの部屋。西は見守る神様の部屋。南はヒントの部屋。中央の彼女は、探し物をしている】


 そんな内容が紙一杯に大きく書かれている。

 この場所は一体どこなのだろうか。パズルのようなものはないし、武器なんてものは見る限りどこにもない。神様の部屋だったらまず俺が無事で済むわけがないし〝 彼女 〟とやらがいないのだから、中央でもない。なら、ヒントの部屋だろうか? 現にこうしてヒントらしきメモがあるし。

 本へとメモ用紙を戻すとき、ふと翻った紙の裏に何かが書かれていることに気がついた。


【彼女は嘘を決して吐かないが、本当のことを言うとも限らない】


 言葉を濁して、曖昧な答えしか返してこないということか。どうやら奴と似たような、面倒臭い部類の怪異らしい。

 この部屋に扉は一つだけ。あの向こうは確実に中央の部屋だ。行く前に、怪異に会う覚悟はしておいたほうがいいだろう。

 皆、絹狸のような陽気な人外(ヒト)だったらいいのに。


「次はっと、ええと、タンスの中は…… これだけかぁ」


 横倒しになったタンスをなんとか起こし、引き出しを一段ずつ開けていく。上二段はなにもなかったのだが、下から二段目に蓋付きのガラス瓶が入っていた。一番下に入っていた瓶は残念ながら割れてしまっている。


「…… 覚えとけばいいか?」


 こういう道具は持っていくのが普通だろうが、今は特に必要だと感じない。それに持ち出してなにかあっても、困る。

 脱出ゲームだというなら部屋は行き来できるだろうし、必要に駆られたとき、取りに来ればいいだろう。

 …… なんで俺、こんな現象に慣れちまってんだろうなぁ。間違いなく奴のせいだよなぁ…… 全く、悲しくなるぞ。

 ギイ、と軋む扉を開けて一歩踏み出す。


「まぶしっ……」


 そして開けた視界に映ったのは、夥しい数の武器が山積みになった場所に座る、赤いセーラー服姿の少女だった。


「……」

「……」


 暫し沈黙。

 積み上がった武器の山に座り込んで、足をぷらぷらつまらなそうに動かしている彼女は、その紅い瞳をこちらに向けた。

 赤い襟元のセーラー服だが、胸の部分まで真っ赤に染まっている。


「っ……」


 彼女の首元には横一文字に赤い線が走り、現在進行形で大量の血液が流れ出続けている。

 痛々しいそれに、思わず目をそらす。

 彼女が足を揺らすたびに、紫がかった黒髪のポニーテールも一緒に揺れている。頭の上で斜めに乗せられたベレー帽が、体が揺れるたびにずり落ちてしまいそうになっているが、不思議なことに落ちることはない。


 意を決して俺が再び目を合わせると、口元だけが三日月のように吊り上がった。


「う、こ、こんにちは?」


 言いようのない不安感に思わず声をかけると、彼女はくぐもったような笑い声を漏らしてからにこやかに返事をする。


「ふふ、こんなところじゃあ〝 おはよう 〟なのか、〝 こんばんは 〟なのか、それとも〝 こんにちは 〟なのかも分からないけれど、一般的な挨拶という意味ならば、〝 こんにちは 〟なんだろうね?」


 やっぱ面倒臭いなこの子! 


「まあどちらにせよ、おはようできるかはキミ次第だけど」

「それって、どういう意味だ?」


 不穏な言葉を告げる彼女に質問する。

 すると、俺が向けた睨むような視線を意に介さずに笑う。


「さっきの部屋で見ただろう? これは脱出ゲームだ。暇で暇で仕方ないアタシの相手をしてちょうだいな」


 小首を傾げたりなんかしているが、目が笑っていないから怖くて仕方ない。つまり、脱出できなければ、身に危険が迫るようなことが起こるのだろうか。


「ここはどこなんだ? 夢の中ってことで、合ってるのか?」

「そうだね、夢の中だ。そしてここはアタシの部屋。今の、だけれどね」

「今の?」

「ああそうさ、アタシの部屋は本来ならトイレなんだけど、今は暇潰しのためにここを借りてるんだよ……」


 誰に? 

 そんな質問は喉の奥で飲み込まれた。

 西側の部屋、〝 見守る神様の部屋 〟とやらにいる何者かしかいないだろう。


「で、だ。脱出ゲームの説明だけど」


 そう言って話を続けようとする彼女に、割り込んで 「待った!」 と言う。

 すると彼女はどこか不愉快そうに眉を顰めてから 「なにかな?」 と、淡白な声で続きを促してくる。

 いつもにやにやとしているニャルラトホテプ(くそご主人)よりは感情表現が豊からしい。


「名前を訊いてないだろ? 俺は下土井令一。君は?」

「…… ああ、なんだそういうことか。トイレの紅子(べにこ)さん、とでも呼んでくれればいいよ」


 花子さんじゃなくてか? 

 そんな疑問が透けて見えたのか、彼女はからからと肩を揺らして笑う。


「トイレの怪異が花子さんだけだなんて、そんなわけないだろう?」


 トイレ。トイレの怪異? 

 そういえば、青凪さんの書類にそんな怪異が書いてあった気がするな。

 ええと、七不思議の一番目 『赤いちゃんちゃんこ』 だったかな。都市伝説の一部でもあるらしいけど、青凪さんの学校では七不思議に数えられているらしい。

 確かに彼女のセーラー服は、真っ赤なカーディガンでも着たように流れ続ける血で汚れている。

 しかし、あの傷は大丈夫なのだろうか? ついたばかりのように血が流れているが、血は止まらないのかな。


「ふうん、その様子だとアタシを知ってるのか。なら失敗すればどうなるか、分かるよね?」

「さっき〝 その質問 〟には否定したけど?」


 赤いちゃんちゃんこという存在は、 「赤いちゃんちゃんこ着せましょうか?」 とトイレで質問してくる怪異だ。そして、その質問にYESと取れるような言葉を返すと首を切り裂かれて殺されてしまう。


 ―― そう、切り裂かれた血で、まるで赤いちゃんちゃんこを着せられたようになって。


 先程の紙に書いてあった【Do you want the red jacket? 】という言葉がまさにそれだ。否定を返しておいて良かった。本当に良かった。あれにYESと答えていたらきっと彼女のように、首を切り裂かれて殺されてしまうだろうし。


「あはは、よく分かってるじゃないか…… なら、本題だよ。アタシは探してるものがある」


 それから一拍置いてから、彼女は自身の治らぬ傷を指し示した。


「アタシを殺した凶器を探してよ」


 自然と、吸い込まれるように俺はその傷口に目を向ける。


「凶器?」

「そう、凶器。探してアタシに見せてくれれば無事に帰してあげる…… ああ、安心してよ。質問にはちゃんと答えてあげるから。アタシは嘘が嫌いだから、真面目にね」


 質問に答えてくれるというのは確かにありがたいが、どうにも胡散臭い。紙に書いてあったとおり、嘘は吐かないが本当のことも言わないのだろう。捻くれた正直者といったところだろうか。


「この夢の世界のどこかに、絶対にあるんだな?」

「…… ああ、あるよ」


 彼女はどこか冷めた目で言った。


「君は自分を殺した凶器を知ってる?」

「ああ、勿論知ってるよ。でも今、それはアタシの視界には入っていない」


 真っ直ぐと、武器の山の頂上から、俺を見つめてそう言った。

 質問できると分かって質問しすぎただろうか? なんだか訊いてばかりで不愉快にさせている気がする。

 しかし、そうしないと俺も分からないのだから、仕方ないだろう。


「死因は教えてもらえるか?」

「なんか…… ぐいぐいくるねぇ、お兄さん。そういう強引なの嫌いじゃないけど、もう少しアタシのこと配慮してくれてもいいんじゃないの?」

「ご、ごめん…… つい」


 雰囲気が青凪さんに似ているものだから、少し気安く接しすぎているかもしれない。助けられなかったから、やっぱり俺は後悔、してるんだろうな。

 この子…… 紅子さんに青凪さんを重ねて見てるんだろう。

 怪異というものは、さとり妖怪でなくとも大体聡いものだ。俺が別の人と重ねて見ているのを、察しているのかもしれない。


「これが致命傷なのは確かだよ。まったく、間抜けなものだよね」


 それきり、彼女は沈黙した。

 未だに足をぶらぶらとしているが、下に降りてくる気はないようだ。

 あまり背を向けるのはよろしくないだろうが仕方ない。これ以上は質問しても機嫌を悪くするだけだろうし、別の部屋も調べるしかないだろう。

 彼女が座っている武器の山の他には、特になにもない。

 四方には扉が四つ。俺が最初にいた部屋が後ろにあり、正面に木の扉。右に真っ白な扉。左に小窓付きの鉄製扉だ。


 まずは正面、木の扉から行ってみるか。

 紅子さんの視線を受けながら機関銃の山を迂回し、扉に手をかける。特に鍵はかかっておらず、普通に開くことができたのだが…… そのドアノブに触った瞬間に背筋を冷たいものが滑るように寒気が襲った。

 この感覚はなんだろう。なんだか、気持ち悪い。

 警戒をしながら意を決して扉を押し開け、軽く覗き込む。

 そこにあったのは部屋一面に真っ赤な血がついた、凄惨な光景だった。


「うわっ」


 思わず口を押さえ、目だけを動かしてその光景を観察する。

 どうやら部屋中に刃物やら拳銃やら…… 有り体に言って〝 凶器 〟となるものが溢れるように散らばっていた。そして、そのどれもがまるでカモフラージュするように血に塗れている。

 彼女を殺した凶器を探すのも、これでは時間がかかってしまいそうだ。彼女が座っている武器の山も大概数があるが、こっちにもあるとなると探すのは苦労しそうだ。

 扉は開けたままに後ろを振り返る。

 紅子さんも肩越しに振り返ってこちらを見ていた。にやにやと貼り付けたような笑みを浮かべ、部屋の中に驚いた俺を面白そうに観察しているのだ。


「なにかな?質問は受け付けるよ」


 先程まで不機嫌になっていたのが嘘のようだ。


「ああ、でもキミが怖いからってお願いしてきても、アタシは同行できないよ? そういうルールだからね」


 でも、できれば扉は開けっ放しにしていてほしいなぁ? 

 その言葉を聴いて、彼女の 『アタシの視界には入っていない』 という話を思い出した。そうだ、ならこっちを向いている内に質問してみればいいのだ。


「今、君の視界に凶器はある?」

「ふうん、そうくるんだ。…… いっぱいあるねぇ」


 いっぱい? どういうことだろう。

 考えが纏まる前に彼女が 「でも……」 と続ける。


「アタシを殺した凶器は、視界に入っていないよ」


 本当に面倒な子だな。

 確かに紅子さんを殺した凶器とは言わなかったけれど、普通はなんのことを尋ねられているか分かるだろうに。


「ふふふ、騙された?」


 だけれど、その悪戯っ子のような表情に毒気を抜かれてしまう。

 女子高生くらいの歳だろうし、まだまだ幼気な部分があってもいいか。


「アタシはおにーさんより歳上かもしれないよ?」


 わざとかそうでないのか、舌足らずな感じで話した彼女に心を読まれた気がして目を逸らした。

 なんで人外はこうもこちらの心を見透かしてくるのだろうか。


「調べないの? まさかまさか怖いのかな? 大丈夫? 赤いちゃんちゃんこ着る?」

「だからいらないって……」


 〝 赤いちゃんちゃんこ 〟って基本的に解決不可能な話が多いらしいから嫌になる。でも、まさかこんな風に都市伝説と話をすることになろうとは。高校生だった頃には考えもしなかったな。


「あはは、アタシこれでも良心的な方なんだよ? いじめ殺されちゃった同族なんかは人間を憎んで凄いことになってる子もいるらしいし、アタシにこうやって理性があるのはほとんど憎しみがないからかもね」

「って、赤いちゃんちゃんこって一人じゃないのか?」

「噂話は語られるだけで力を持つ…… だから、それに相応しい死に方をした死者は、それになぞらえて此岸に戻ってくることがあるんだよ。怪異の分け身としてね」


 彼女が下を指差し、そして上を指差し、くすくすと笑う。

 なんだかんだで教えてくれる紅子さんは、確かに面倒見が良いようだ。


「無理矢理彼岸から此岸に〝 脱獄 〟するとこわ〜い狼が追ってきて食べられちゃうけど、都市伝説だとか、七不思議だとか、概念的なものに選ばれれば話は違う。ある意味生まれ変わるようなものだからね。でも、その代わり噂と違いすぎたりすると消滅しちゃうんだ。どちらにせよ、死者の世界も生者の世界も難儀なものだよ」


 そんな彼女の言葉を背に北の部屋へと踏み込む。

 扉はお望み通り開けたままなので、ここまで彼女の声が届く。きっとこのまま会話しながら調べることも可能だろう。


「なあ、凶器って一つだけなのか?」

「うーんと…… 一つだね」

「判断し辛いものってことか」


 辺りを見回すと包丁、ナイフ、拳銃、機関銃、はたまた大砲やらチェーンソーやら…… ホームセンターで手に入るゾンビ対策グッズのごとく沢山の物が散らばっていて、そしてその上にはべったりと赤い液体が降り注いでいた。

 …… というか、なんで大砲みたいな大きな凶器があるんだ。カモフラージュにしても、もっといいラインナップがあったろうに。


 俺はその中の、一本のナイフを手に取る。

 よく見れば地面についていた裏の部分には血がついていないようだ。つまり、これであの子の首を切り裂いたわけではない。誰かを傷つけた凶器なら、刃全体に血がつくはずだ。これは、武器をばらまいて上から大量の血をぶちまけただけなんだろう。

 しかし、百以上ありそうなこれらを全部調べなければならないのか? そもそも、時間制限はあるのか? ないのなら地道に調べてもいいが、あるのなら全部調べている時間なんてないだろう。

 随分と彼女とお喋りしているし、俺が尻込みしていたせいで調査は全く進んでいないのだから。


「…… 時間制限かな?」

「さっきから、なんで分かるんだよ」

「まあまあ、それはそれとして、時間なら…… アタシの首の血が武器の山の下に届くまで。大体、一時間ほどだよ」


 彼女が自身の首をつう、と辿ってある一点を指差す。

 そこには、様々な武器を伝って下に流れていく赤い血があった。

 わりとゆっくり進んでいるが、もう半分近くの部分まで血が侵食している。のんびりしていられないのが、よく分かった。


「部屋の確認だけ先にしてくか」


「独り言はぼっちの証だよ?」 なんてからかってくる彼女を無視してそう呟く。

 ひとまず、西の部屋から調べてみよう。


【奴は生き血が欲しい】


 やめておこう。

 扉に刻みつけてあった言葉を視界に入れた瞬間、俺は回れ右をした。

 そういえば北の扉にはなにか書いてあったのだろうか。

 確認してみると、薄く木の扉に文字が書いてあった。


【持ち出し禁止】


 持ち出したらどうせなにか起こるんだろ? 知ってる。つまり神様の部屋とやらに行くときは丸腰になるわけだな。

 しっかりと答えを出してから行った方が良さそうだ。

 で、次。東だ。


【斬りましょうか斬りましょうか?】


 なぜこんなにも不穏な扉ばかりなんだ。怖いだろうが。

 今は一人だからニャルラトホテプ(あんちくしょう)を盾にできないし、迂闊な行動が取れない。

 仕方ない。全部怖いならば、とりあえずここを開けてみることにしよう。


「臆病なことだね……」

「うるさいぞ」


 これは慎重と言うんだ。

 ガチャリ、扉を開くとそこにあったのは割れた窓ガラスと、辺りに飛び散った、転々と続く赤い跡だ。

 割れた窓に近づいてみると、昼夜が確認…… できることもなく、その後ろは壁になっていた。ご丁寧に赤い線がパズルのように走っていて、特徴的な線の形と、眼下に散らばっているガラス片が一致する場所がある。


「これ」


 勘でしかないが、これはとても重要そうだ。

 手でガラス片を拾って、ぴったりとその形に合うよう壁に触れさせる。すると、不思議なことにガラス片はパチリと音を鳴らしてその場に止まった。

 手を離してみても落ちる様子はなく、どうやらパズルになっているらしい。

 確か…… ヒントの部屋にあった紙にもパズルがあるとかなんとか書いてあった気がするし、きっとこれのことだろうな。

 ヒントに書かれるくらいなのだから重要な部分だろう。そう考えてよく観察してみると、散らばったガラス片はありがちな粉々になった部分などなく、大きな欠片ばかりが落ちていることが分かる。パズルにしても、細かすぎるとそもそも見つけられない可能性だってあるからな。ありがたいことだ。

 ツルツルしたガラスのパズルは、全部真っ白なミルクパズル並に難しい。しかし、一つ一つ素早く形に当てはめていけばなんとかなるものだ。パズルに自信のない俺でもわりと簡単に終えることができた。

 …… しかし。


「一枚だけ、足りない?」


 そう、最後の一枚がどこにも見当たらない。

 血の枠を見る限りこぶしよりも大きなガラス片となるのだが、かなりの大きさのわりに見つけることができない。これくらい大きいのならば見つからないほうがおかしいぞ。


「なあ紅子さん。ガラス片ってどこにあるか知らないか?」

「うん? ああ…… その部屋にないのなら、別の部屋にあるんじゃないかなぁ?」


 何を言われているのか分からない、といった様子で少しの間沈黙した彼女はひどく適当そうに言った。

 答えにくそうにしていたのは気のせいじゃあないだろう。

 メタ的に予想するのはあまりよくないのだろうが、彼女の反応からするとこのパズルと、見つからないガラス片は重要な物なんだろう。


「まあ、そういう推理方法もあるから別に構わないよ。褒められたことじゃあないけれど、ね?」


 地味に責めてくる彼女の声を無視して部屋を見渡す。やはり、どこにもない。窓しかない上に散らばったガラス片を拾ったので、むしろ妙にすっきりしている気さえする。

 探しているのは彼女を殺した凶器だ。

 だが、凶器というのは包丁とか、そんなありきたりな刃物とは限らない。脱出ゲームの鍵となっているのだから、見つかりづらい物のはずだ。だから武器庫のようなあの部屋にその凶器があるとはとても思えない。

 彼女は自身の死因をはっきりとは口にしなかった。 「間抜け」 という言葉さえ出てきた。ならば、彼女の死因は〝 事故死 〟なんじゃないのか? 

 ガラス窓にぶつかり、そしてその破片で首を切って死んでしまった。きっとそうなのだ。


 なら、どこに凶器があるかなのだが……


「うん? ヒントは全部見たわけじゃないのかい?」

「分からないから確認しに行くんだよ」

「そうかそうか」


 再びヒントの部屋でメモを探す。

 しかし、あるのは既に見つけたヒントと、そして割れたガラス瓶に無事なガラス瓶だ。

 割れたガラス瓶の破片に混じってやしないかと確認してみたが、こぶし大程の破片はない。組み合わせてそれくらいの大きさにしてみても形がどうにも合いそうにない。


「この瓶、なにに使うんだ?」


 独り言を呟き、 「やーいぼっちー」 と聞こえてくる声を無視する。

 この部屋にないとすると、残りは見守る神様の部屋とやらしかない。生き血を欲するなにかがいるということで絶対に行きたくないが、仕方ないか。

 しかし、生き血? 生き血ね。


「紅子さんって、今生きてる?」

「なにかな、その質問……」


 中央の部屋に戻って言うと、目を丸くして呆れたように彼女が笑った。


「哲学だね? どこから生きているのか、どこから死んでいるのか…… アタシが思うに、生きてるってマグロみたいなもんだと思うのさ」


 いちいち回りくどいが、さすがに慣れてきた。


「じゃあ紅子さんはマグロか?」

「乙女にそんな質問するとはいい度胸してるね。アタシはマグロだけど、マグロじゃない…… ああ、キミには通じないか」

「?」


 なぜマグロかと訊かれて呆れるのかが分からない。


「童貞め……」


 それが今、なんの関係があるというのか。傷つくからやめてくれ。


「さて、他に質問は?」

「…… 紅子さんの血って、なんで止まらないんだ?」

「そりゃあ、死の直前の光景を表しているわけだからね」


 つまり、紅子さん自体は死んでいるけど、あの首回りだけは〝 死の直前 〟…… 生きている? 

 生き血と言われて真っ先に思い浮かぶのは、この場で生きている俺の血だが、俺がそのまま神様の部屋に行くと何かに食われるような気がしてならない。生きのいい餌ならば人間ごと食べないといけないのだろうが、今この場に生きているのは俺だけだ。

 それに、脱出ゲームなのに確定で詰む場所があるのはおかしい。

 ニャルラトホテプ(くそやろう)ならそういう鬼畜難易度にしていてもおかしくないが、彼女は俺を殺そうとしてきているわけではないし、なにかしら解決方法があると思ったのだ。

 しかし、あの傷から垂れる血を、手に入れた瓶に入れなくちゃいけないのかよ……


「よっ、と」


 ひとまず彼女の近くまで行こうと武器の山を崩さぬよう、登っていく。


「おっと、いらっしゃい」


 それをにこやかに黙認して、己の隣をポンポンと叩く紅子さん。

 こういうところは怪異と思えないほど可愛らしいのだが。いや、俺は成人男性。この子は生前とはいえ高校生の姿だ。普通にアウトだよなぁ、この思考。いや、可愛いと思うくらいはセーフなんだろうか? 青凪さんも飄々としていたけれど、可愛かったし。


「紅子さん、血をもらうよ」

「なんだか危ない台詞だね? ふふ、アタシはこの場においては、たとえ押し倒されても抵抗なんてしない。お兄さんにそんな度胸があれば、の話だけどね」

「そ、そんなことしないっての!」


 からかわないでほしい。恥ずかしいから、切実に。

 微笑んだまま目を瞑る彼女の首に瓶を押し当て、流れていく血を受け止める。傷の付近からカチリと音が鳴り、瓶が擦れ…… なんで、そんな音がするんだ? 


 今まで失礼だとか、俺が見たくないからだとかの理由で彼女の傷口はよく見ていなかったのだが、改めて観察すると赤色に染まった傷口になにかが挟まっているのが分かった。

 生々しい肉の間にある、その〝透明な物体〟は、止血するのを阻害しているようで、そして、彼女の血を生かしているそのものだった。


「…… 凶器は紅子さんが隠したのか?」


 そういえば訊いていなかったな、と確認も兼ねて質問する。

 すると、目を瞑ったまま彼女は笑みを深くして、ガラス瓶を持っていない方の俺の手に左手を重ねてくる。


「ある意味正解で、不正解かな」

「確認だ。目を開けて、あっちを見てくれ」


 うっすらと目を開け、西の方を向いてもらう。


「今、君の視界に凶器の在り処はある?」

「ないよ」


 その後も全方位を確認して、確信する。

 どの方向を見ても彼女の視界に入らない場所…… そんなの、彼女自身に他ならないじゃないか。


「もしかして、君の言う凶器って…… まだその傷口にある、それのこと?」

「…… だいせぇかぁい。でも、アタシの目の前に取り出して見せてくれないとゲームクリアにはならないよ?」


 なんて意地悪なんだろう。

 あの傷口に手を突っ込むしかないだなんて、そんなの、できるわけがないじゃないか。


「おやおや? なにを迷ってるのかな。アタシは押し倒されたって抵抗しない…… そう言ったはずだよ」

「触れて、痛くないのか?」

「痛い? そんなわけないじゃないか。アタシは死んでるんだから」


 じくじくと、動くたびに血を溢れさせるその傷口。

 手を伸ばそうとしても、途中でどうしても硬直してしまう。

 俺には、俺は、そんななこと……


「はっきり言いなよ」

「でき、ない……」


 俺が手を下ろして俯くと、彼女は不機嫌そうに舌を打つ。


「できないじゃあない。〝 やりたくない 〟んだろう?」


 そうなのかも、しれない。


「アタシに痛くないか確認したのは、〝 痛いのは可哀想だからできない 〟って言い訳を言えるから。気遣うフリをするだけだなんて、呆れるよ」

「フリじゃ、ない」

「嘘だね」


 振り絞るように言っても、彼女はそれをいとも容易く両断した。


「キミの優しさは偽善でしかない。…… 〝 優しいだけ 〟は罪だよ。キミは逃げているだけ。アタシはね、嘘と偽善者が心底嫌いなんだよねぇ」


 彼女はそうして視線を下に向け、にやりと笑う。


「いつか、その〝 逃げ 〟がお兄さん自身に牙を剥くだろう。よかったねぇ、今回の相手がアタシで」


 言うが早いか、彼女は自らの首に手を突っ込み、その大きなガラス片を取り出す。

 もしかしたら帰してくれるのか、そんな淡い思いは、それを投げ捨てた彼女によって砕かれる。


「時間がなくなっちゃったね」


 その言葉を聴いて慌てて武器の下を見る。

 彼女の血液は、いつの間にか山の下まで達していて、ピチャンと床を濡らしていた。


「ゲームオーバー…… だよ」


 硬直し、動けない俺に抱きついてきて彼女はそう言った。

 体が動かない。まずい。このままでは、死ぬんじゃないか? 

 だが、見た目よりも遥かに強い力で押さえつけられ、抜け出すことなんてできなかった。

 キスができるほど顔を近づけて、動けない俺にのしかかってくる彼女は怪しく笑う。


「さようなら、邪神の愛し子。やっぱりアタシは、キミの弱さが好きになれそうにない……」


 彼女の鋭い爪が頬を撫で、赤い血の線でバッテン印を作る。ピリリとした痛みが走るが、やはり逃げ出すことは叶わない。そして、ついには俺の首を捉え、一本の線を描くように真っ赤な爪を滑らしてくる。

 今度は痛みがない。しかし、徐々に真っ白になっていく視界に彼女の姿が分からなくなっていく。


「そうそう、それと…… アタシの死因は事故じゃなくて―― だよ」


 聞き取りずらくなる耳。

 完全に彼女が見えなくなった。

 意識も段々と薄れていく。


「事故死なんかじゃあ、怪異に選ばれるわけ、ないでしょ?」


 俺は死んでしまうのだろうか。

 でも、それはそれで、神内から解放されるということなのだから、いいのかもしれない。


 そうして、静かに、俺は意識を手放した。


 ◆


 意識が浮上していく。

 俺がベッドから飛び起きると、大量の汗をかいていることが分かった。服が張り付いて気持ち悪い。


「おはようできてよかったね」


 そんな言葉にぞくりと背筋を撫でられたように感じて、声が聞こえてきた方を向くと、奴が呑気にソファに座ってコーヒーを啜っている。

 分かってて放置していたのか、こいつは。


「あーあ、お前に所有印をつけてもいいのは私だけなのに」


 所有印と言っても男女のあれやそれじゃなくて、こいつの場合は〝 傷 〟のことだけどな。

 奴がなぞるように触ってきた頬が痛む。しかし、すぐさまその手を打ち払い、顔を洗いに行くことにした。

 手をさすりながら嬉しそうにしている奴は無視をする。最近では少々の反抗はスパイスだとか言っておしおきはされないし、いつものことだ。


「夢じゃ…… ない?」


 洗面所で鏡に映ったのは、頬に刻まれたバッテン印。

 血は止まっているが、どう見ても鋭く細いなにかで傷つけられた跡だ。

 痛みながらも顔を洗い、適当に着替えて部屋に戻る。

 そのタイミングで、玄関チャイムが鳴り響いた。


「おっと、いいタイミングだな」


 着替え終わった後でよかった。


「はーい」


 一応使用人としての体裁を整えてから玄関を開ける。

 しかし、そこにいた人物を見て俺は息を詰まらせた。


「お久しぶりです、下土井さん。どうやら部下が迷惑をかけたようでして」

「……」


 そこにいたのは制服を着たさとり妖怪、鈴里さんと……


「ほら、自己紹介なさい」

「…… 赤座(あかざ)紅子(べにこ)だよ。昨日は否定しまくって悪かったね、おにーさん」


 昨夜散々からかってくれた紅子さんがそこにいた。それも、鈴里さんと同じ制服を着て。

 首には包帯が巻いてある。どうやら血は流れていないようだが、傷口を隠すためのものだろうか。


「どういうことだ?」


 俺が困惑して言うと、紅子さんが前に出て言う。


「アタシの遊びって無差別なんだよ。まさか、キミみたいな加護持ちが引っかかるとは思ってなくてね…… 前はうまく行ったんだけど、さすがに七番目サマにバレちゃった」

「改めまして、学校の七不思議が七番目…… 〝 おしらせさん 〟を兼任しているさとり妖怪の鈴里しらべです。〝 一番 〟の悪戯をどうか許してやってください」


 別に死んだわけじゃないし、多少からかわれたりしたが気にしてはいない。なぜわざわざ謝りになんて来たんだ? 

 しかし、そんな疑問は彼女達の言葉で打ち切られる。


「じゃ、お兄さん。また道端であったらよろしくね」

「これで私も失礼します」


 結局、最後までなぜ謝られたのかは分からなかった。

 だけれど、一つだけ分かったことがある。


「…… この街、人外多すぎないか?」


 今更な感想は誰にも聞かれることなく、空気に溶けていった。


 ◆


 その日、俺は運命と出会った。

 ありきたりな言葉でしか言い表せないが、彼女とは出会うべくして出会ったのだと思う。


 ともかく、俺の日常が劇的に変化したのはこのあと。彼女と出会ってから変化していく。

 奪われた日常が戻ってくる。言葉が通じて、友達として振舞ってくれるヒトがいる。それだけで俺は救われたのだ。


 とある夏の、暑い、暑い八月八日の朝。

 その日、俺は赤いちゃんちゃんこの少女と行き逢った――。


紅子さんイラスト

雛鳥さんより。


挿絵(By みてみん)



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