よびねこ
「カア、カア」
電信柱の上で鴉が鳴いた。
5月2日。夕暮れの街並みに一台のトラックが影を落とす。
エンジン音を立てて猛スピードでカーブを曲がったトラックから、ポオンと放り出される一つの鉢植えがあった。
町外れの植え込み。人の滅多に通らないそこに落ちた鉢植えは割れてその中身が露出する。
それを眺めていた猫が一匹、毛を逆立てて「にゃあん」と鳴いた。
鉢植えの中から転がり出たなにかはその場に留まり、夕日を浴びながらメキメキと軋むような音を立ててその体を大きく、太くさせていく。
「にゃあん!?」
「にゃあん」
その場から逃げ出そうとする猫の悲鳴に、同じ音で「にゃあん」と言う声が重なった。
「にゃあん!」
「にゃあん」
「にゃあぁぁぁん!」
「にゃあん」
それを繰り返し、ついぞその場に木霊するのは「にゃあん」という平坦な音だけとなったのであった。
「にゃあん、にゃあん」
「ねえママ、子猫の声がするよ!」
「あら、本当」
「ワウッ、ワンッ」
広がる声に、反応する影が三つ。
滅多に人の通らないこの場所にやってきたのは、母親と共に犬の散歩をする少年であった。
「ねえ、子猫にはママがいないのかな」
「どうかな、見てくる? うちはこれ以上いらないってわけでもないし」
「いい? 拾ってもいいの?」
「いいわよ」
「やった!」
そう言って駆け出す少年は、葛の葉で覆われた一本の樹木の下にしゃがみこむ。その声は喜色が乗せられ、「いたー! 猫ちゃん!」と言いかけて――途切れた。
「え? リク?」
よそ見をしていた母親は子供の声が途切れたことに驚き、飼い犬を連れたまま息子がいた場所へと向かう。
しかしそのどこにも息子の姿は見えず、母親は困惑する。
「リク? リク、どこにいったの?」
「ワンッ! ワンワンワンワンッ!」
「ど、どうしたのチロちゃん。そんなに吠えて……」
ガサリと草木が揺れる。
犬は母親の前に立って目の前の木を噛みつくんじゃないかという勢いで吠えている。しかし、その尻尾はくるりと腹の下で巻かれ、怯えていることは明らかであった。
その異常な様子に、さすがの母親も不安気な表情になる。
「リク……どこ?」
「にゃあん」
母親のすぐそばから、その声はした。
それも、耳元から。
「ひっ」
そんなはずはない。
子猫の鳴き声が耳元でするわけがない。
瞬時に理解した母親は一歩足を後退させ、ぶるりと震え上がりながら体を抱いた。
「にゃあん」
またもや声がして、振り返る。
……そこには、赤くヌメヌメとした舌を覗かせる葛の葉としか思えない物体があったのだ。
「イヤァァァァァァァッ!」
葛のツタに絡まった子供の靴が地面に落ちる。
大量の葛の葉は、さわさわと風に揺らされながらその身をよじらせ、「獲物」を取り合うように無数の口が口内の牙の音を、カチカチと鳴らす。
赤い雨が降り続くその樹木の下には、食い荒らされた一匹の猫の死体だけが残っていた。
「カア、カア」
一羽の鴉が夕暮れの空を飛んでいき、そしてカーブミラーの中へと吸い込まれていったのであった……。
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