あやかし夜市の元締め
「それでは行きましょうか」
真宵さんがそう言って一歩踏み出したとき、カランコロンと音を立てながらやってくる人影が見えた。
その人影は走ってこちらに向かい来るようで、真宵さんが「あら」と声をあげる。
「あれは」
「アタシの先輩、だね」
和装ドレスに下駄というチグハグな服装で走ってきた彼女――鈴里しらべさんは真宵さんに挨拶するように「こんにちは、いらしていたんですね」と声をかける。あやかし夜市の総元締めを鈴里さんが担っているわけだが、真宵さんは更にその上司ということになるか。
こうして真宵さんが畏まられているのを見ると、やっと彼女がすごい人なんだなと実感するなあ。
「鈴里さんこんにちは。デコピンしてもいいですか?」
「なにを言っているんですかあなたは」
開口一番、俺が言った言葉に彼女は眉を寄せる。
紅子さんにとんでもない試験を課した恨みは、化け物退治をしても忘れていないからな。
「ああ、なるほど。あれを見たのですか」
俺の心を読んだのか、彼女は納得するような表情になる。
「過ぎたことでは?」
「それは紅子さんなら言える台詞であって、あなたの言っていいことではありません」
加害者側が言うべき台詞ではない。頭が固かろうがなんだろうが、そういうものだ。そこは譲らない。
「いいですよ、デコピンくらい安いものですから」
「え、いいんですか?」
「あなたから言い出しておいてなにを今更」
それもそうだが、こうもあっさり承諾を貰えるとは思っていなかったな。
このヒト、デコピンなんてされたらどんな反応するんだろうか……未知だ。
「ちょっとお兄さん、アタシは別にいいから」
「いいや、俺がムカついたからデコピンする。絶対にする。文句の一言でも言おうと思ってたが、よく考えれば思ってることは伝わるわけだしな」
「ええ、心の中で文句をたらたら言っているのがよく分かります」
こいつ……。
そう思った瞬間に鈴里さんは無表情のまま舌をぺろっと出した。いわゆるてへぺろってやつだな。なんだよこのヒトめちゃくちゃ煽ってくるんだけど……!
「反応が面白くてついですね」
「あら、その気持ちなら分かりますわね」
真宵さんが同意する。お願いだから分からないでください。
「それではやります」
「はい」
指を構える。
鈴里さんはのんびりとそれを眺めて、俺の反応を待った。
指を折ってなるべく威力が乗るように力を込める。女の人相手だとか、お世話になってるしとか、恥も外聞ももう関係あるか。そもそもこのヒト妖怪だから俺ごときのデコピンとか本気でもダメージはあんまりないだろうしな。
「せいっ」
「あううっ」
デコピンした瞬間、鈴里さんが目をぎゅっと閉じて痛そうに頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「え? あ、え? ごめんなさい!」
「お兄さん……」
「あらあらやっちゃったかしら?」
呆れた顔の紅子さんと胡散臭く笑っている真宵さんに、オロオロとしながら「いや大丈夫だと思って」と言い訳にもならない言い訳をする。
そして俺は鈴里さんと同じ目線になるようにしゃがみ込んで……。
……ニヤッと笑う彼女と目が合った。
「あなたの心の予想の中で一番面白そうなのを選んでみました。楽しめました?」
こいつ。
イラッと来たのが分かっている鈴里さんは愉快そうに笑って立ち上がり、スカートをはたく。
「道のど真ん中ですし、脇に避けましょうか」
「あっ」
よく考えればここはあやかし夜市。
さっきのやりとりも道行く無数の人ではないヒト達に見られていたというわけで……急に恥ずかしくなってきたぞ。
「あなたが愉快だというのは皆さん知っていますから、今更ですよ」
知りたくなかった、その事実。
がっくりと肩を落として俺は言われるままに道の脇に移動した。
「本来なら九十九のお宿か鈴鹿御前の酒場あたりでパーっと一杯引っかけたいところですが、あなた達がこれから行くのは豊穣神社でしょう? あやかしの酒は浴びないほうがいいですね」
無表情で「パーっと一杯引っかけたい」とか言われると違和感しかないな。
「すみませんね、いつもはスマイルも取り扱っているんですが、今日は品切れです」
「そうですか……」
なんて反応すればいいんだよこれ。
「あら、違反者でも出たのかしら?」
「少々、面倒な新参者に絡まれまして……疲れました」
真宵さんの言葉に、鈴里さんは心なしかげっそりとした様子で答えた。
ああ、なんかあったんだな。総元締めはこういうのがあるから大変なんだろうが……なにもかも心の中をお見通しなさとり妖怪の元締め相手に、よく変な絡みかたをしにいけるなあ。精神的な報復をされそうだ。
「あながち間違いではありません」
また読まれてる……。
「私に無闇矢鱈に反抗する行為は自殺志願者と同義ですね。精神的な」
多分こうして徹底しているから百鬼夜行の元締めとしてやっていけるんだろう。強かだし、自分に向けられる負の感情は慣れっこだろうし、受け皿としてはきっと最高な人材なんだろうな。いや、妖材?
性格がものすごく悪いのは別として、上に立つ者としての責任はあるんだし、紅子さんもあんなことされたのに嫌っているわけでもない。先輩としてもそれなりにいいヒトなんだろう。不本意だが。
「正当な評価ですよ。ありがとうございます。嫌ってくれて構いませんよ。へたに信頼されてもなんとなく違和感ありますし、そのほうが私も精神衛生上安心できます」
嫌われて安心するって一体……。
「アタシはもう許しちゃったから嫌わないよ、なんだかんだお世話になった先輩だしねぇ」
「ほら、こういう子。あまりにも純粋に慕ってくれるので私が浄化されてしまいます。心の目があまりの光属性に潰れてしまいます。滅びの呪文を叫んだ後と同等にみっともなく転げ回りますよ。やめてください、本当に」
「やめないよーだ」
なんだかんだちょっと楽しそうだ。
毒気を抜かれてしまったことだし、俺のイライラに関してはこれでおしまいにしよう。
鈴里さんはそうやって紅子さんと戯れていると、「なにやらひとつ分霊が増えていますね。真宵さんのですか?」と口にした。
その言葉に反応したのか、蛇が小さな鏡界移動を経てひょっこりと紅子さんの肩に現れる。鈴里さんは「珍しいですね」と言いながらその蛇に顔を近づけるが……思いっきり口を開いて威嚇する蛇にたじろぐように「嫌われているようです」と言った。
「そうそう、こっちは宵護の扇子っていう真宵さんから紅子さんが貰った扇子の……なあ、そういえば名前ってつけないのか?」
紹介しかけて俺が紅子さんに訊くと、彼女は瞳を目一杯に開いて「アタシが? このかたに?」と驚きの声をあげた。
「え、だって宵護の扇子じゃあ、呼びづらいだろ」
「ねえ、お兄さん。薄々気がついてはいたけれど、キミって名付けの重要さにちっとも気づいてないよね? 何度も説明しているはずなんだけれど?」
「えっ」
困ったような、それでいて怒ったように紅子さんはそう言った。




