小さな小さな蛇神さま
「って、これ! 真宵さん、見ても平気なんですかこれ!? 祟られる!?」
俺がパニックのようになりながら真宵さんを振り返れば、彼女はただただ面白がるようにころころと笑っていた。
「大丈夫ですわ。面布としめ縄をしているでしょう? それがあれば祟ったりしませんの」
「なるほど、この面布で目隠しをしているからなのかな? 鳥居の中に目玉の模様か……これで面布をしていても見えるって寸法なのかな」
紅子さんは恐る恐る小さな夜刀神の頭に指先を乗せると、ゆっくりとそのすべすべした頭を撫で始めた。抵抗もないようで、むしろ小さな夜刀神はその短い体をぐぐっと伸ばして彼女の手のひらに頭を押し付けるようにして甘えだした。
小動物然としたその仕草は非常に可愛らしい。
リンもそんな化身に手を上げて「きゅっきゅうー」と挨拶をしている。
「面布としめ縄が封印になってる……ってことか?」
「違いますわよ」
あれ? 違うんだ。てっきりそうだと思ったんだが。
「わたくしが本体を見られて祟るのは、裸を見られるのが嫌だからですわ。面布としめ縄、それと前掛け……体を隠すものがあれば祟ったりしませんのよ」
「今なんて?」
言葉を理解するのに数秒を要した。
びっくりした。まさか言葉の意味は分かるのに言っている意味が理解できない事態に遭遇するとは。
「裸を見られるのが恥ずかしくて思わず祟ってしまうのです……」
「いやそんな神妙な顔されても」
確かこのヒト、祟るときは血縁が絶えるまで祟るんじゃなかったか?
蛇体を? 裸を見られて? 血縁が絶えるまで祟り続けるの? 女のヒトだからそりゃあ裸を見られるのは嫌なんだろうが、それにしたって理不尽すぎるだろ。見た人間以外部外者じゃないか。あんまり関係ないじゃないか。それで殺されるのはあまりに可哀想すぎる。
「ですから、こうしてちゃんと対策をですね」
「さいですか」
思わず変な言い方になってしまった。いや、だって。
「きゅいー」
「どうした、リン?」
リンが興味津々に小さな夜刀神に手を伸ばす。
あっと思ったときには既に、リンは小さな夜刀神に触れていた。
思い出す。この子達の本体であるアルフォードさんと真宵さんの仲は著しく悪い。まずいのでは? と思った矢先の出来事だった。
「あれ?」
しかし、心配は杞憂に終わる。
「きゅい?」
「……」
親しげにするリンと、しゅるしゅると舌を動かしながら首を傾げる小さな夜刀神。やがて二匹は仲良く身を寄せて額を擦り付け合っている。
「まあまあまあ、なにをしているのよわたくし! やめてちょうだいな、わたくしはあのトカゲと仲良くするなんて嫌ですわよ……! そんなこと望んでなんていませんわ! やめなさい……! やめなさいったら!」
そしてそれを見て目の色を変えた真宵さんが焦りだしてしまった。
二匹は挨拶したり、尻尾でハイタッチしてみたり、そしてなにやら俺達には分からない言葉でやりとりをしているのか意気投合しているようにも見える。
おや、これはもしや……?
「もしかして真宵さんって、結構アルフォードさんのことす」
「そんなことはありませんわ! バグかしら……それともわたくしから切り離したことでなにか突然変異が……」
と、彼女は現実逃避を続けている。
あれは深層心理でも影響しているんじゃないかと、なんとなく微笑ましくなってきてしまった。素直じゃないのはこのヒトもだったらしい。その好きがライクかラブかどうかは別として。
「ちょっと紅子ちゃん、その扇子を返してくださる? 大丈夫、新しいのをあげますから」
「嫌だよ」
紅子さんは、そんな二匹を手のひらの上に乗せたまま断言した。
紅子さんは紅子さんでこの二匹に癒されているようで、胸に抱くようにして死守している。リンからも不満気な鳴き声が真宵さんに向けられ、真宵さんは本心っぽいものを漏らす宵護の扇子を処分することが叶わないことを知るのだった。
そんな悲壮な様子を醸し出す真宵さんを尻目にリンと小さな夜刀神は交流を満足に終えたのか、それぞれの主人の懐に戻ってきた。
リンは俺の肩の上、小さな夜刀神は紅子さんの胸ポケットの中だ。
「小神様、よろしく」
紅子さんがそう言って微笑めば、蛇はしゅるりと上機嫌そうに舌を突き出した。
「ところで、真宵さん。急いでこの道を通ったほうがいいんじゃないのかな? またシャコとかサメが来るんじゃない?」
未だに落ち込み続けていた真宵さんに、紅子さんが尋ねる。
すると思い出したように一瞬で立ち直った真宵さんは頬に手を当てて遠くを見つめるように洞窟の先を覗き込む。
「ああそうでした。もうシャコの心配はありませんが、サメは血の匂いで来るかもしれませんわ。急ぎましょう、こちらですわ」
歩き出す彼女につられて俺達も歩き出すが、待てよ。シャコの心配はない? どうしてだろうか。だってここはシャコの掘り進めた洞窟なんだろう? その主があの三体だけとはとても思えない。
「あの、シャコの心配がないのはどうしてですか?」
「あらあら、あなたは同族の血にまみれたものに近寄ろうと思うのかしら?」
「……思わないですけど」
「そういうことですの。普通の生き物は本能で危ないと感じたら近寄らないものですわ」
「まあ、そうだよね」
彼女の言葉に納得した風に紅子さんが頷く。けれど俺はどこかモヤモヤしていた。それは多分、脳吸い鳥が仲間の大量死を見てもなお俺に向かってきたという記憶があるからだ。
「知性があるのに、集団がやられてもまだ向かってくる生き物っていうのはどうなんですか?」
「知性……理性がない類の生き物でしたら、ありえる話ですわよ。知性がなければ本能に忠実になりますが、中途半端に知性があると本能的恐怖を理解していても欲望に負けて突撃を繰り返すことがありますの。それではないかしら?」
「なるほど」
疑問は氷解した。つまり、理性を持って抑えるべき部分を知性があるからこそ無視してしまうことがあるということか。
「もうすぐ着きますわよ」
「お、本当だ」
歩いているうちに、洞窟の先に光が見えた。
そして三人でそこを抜ければ広がっていたのは常夜の世界。まだ夕方程度のはずなのに、その場所は深夜のように暗い。
あたり一面に提灯がずらりと立ち並び、縁日かのように屋台がそこかしこに出されている。前に見た金魚救いの店や、アクセサリーらしきものを売っている店。呼び込みをする角が生えた着物姿の男性など、そこは非日常に彩られていた。
そんな景色の中、真宵さんが一歩二歩と先へ進みこちらに振り返る。
そして帽子を手に取って胸の前に持ち、優雅にお辞儀をした。
さらりと肩から落ちる金色の髪が夜空に浮かぶ金色の月のように、この夜の世界に映えている。
それから彼女は柔らかな仕草でつば広帽子を被り、ふっと微笑む。
その金色の美しい髪から覗かせる羊のような巻き角が、より一層おどろおどろしく、しかし美しく見えた。
「それでは改めまして――ようこそ、あやかし夜市へ」
凛とした表情。その夜市の創設者らしい振る舞い。
そして真宵さんは己の創ったその世界を、とても愛おしいものを見るような優しい瞳で見つめ、俺達を常夜の世界へと連れ出した。




